Seminar Paper 2001
Mika Ohkubo
First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002
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「Holdenと子供たち」
Holdenが求めていたもの
この小説の中で主人公の少年Holden強がっている素振りを見せながらも、ずっと追い求め続けているものは、心の底から安心のできる場所、そして彼のことを必要としてくれ、彼がいつも感じている孤独から救ってくれる存在なのだろう。 なぜHoldenはこのような安心できる場所を求めるようになったのだろうか。それは彼にはとても寂しがり屋な一面があるということが大きな要因となっている。彼が孤独感に浸り、寂しさを感じているというのがよくわかるシーンが第7章にある。"I just didn't want to hang around any more. It made me too sad and lonesome."(p. 45)とあるように、「ここにはもうこれ以上いたくなかった。ここにいるのは悲しく、寂しくなりすぎてしまうのだ。」とある。彼が暮らしているのは学生寮で、彼の周りには多くの生徒がいるはずなのだから、本当だったら孤独を感じる事などめったにありえないだろう。しかし、それでも孤独を感じてしまうのは、彼が異常なまでの寂しがり屋さんなのか、彼の事を本当に理解してくれる人が周囲にいないというのが原因なのだろう。その他にも、たくさんの人が周りにいる寮を自分から飛び出しホテルに向かったのに、SallyやCarl Luce、など色々な人に電話をしたり、1度も面識のない女性に電話をしてお酒に誘ったり、バーへ出かけたりと、やはり1人ではいられなくて誰かにそばにいて欲しいのか、常に人との関わりを求めてしまっているのが良くわかる。そういう風にしていても、その孤独な気持ちからくる不安な気持ちに気付いてくれる人、正直にその気持ちを明けられる人は誰一人として近くに現れてはくれなかった。 しかも、Holdenは周囲の人間に誤解される事が多い。それは、彼のとても自分自身に正直なところが原因になっている。 売春婦のSunny、ポン引きのMauriceの前で泣いてしまったり、Phoebeの前で泣いてしまったりと自分の感情にはとても素直な人なのだ。自分にウソをつく事ができないので、彼の周囲にいる人間のようなに心の片隅にも思っていない社交辞令を言ったりする事もできずに、大人になるに連れて直面する機会が増えていく現実的でシビアな大人の世界についていけなくなってしまうという、不器用な生き方しかできないのである。その純粋さ故に、彼は周囲の人間に子供っぽいとか、分別がないとか、堕落していると言われたり、思われたりしてしまうのだ。多少の子供っぽさは認めても、もちろん彼自身は自分自身が堕落しているなどとは思っていないし、逆に、そういう風に言う人たちの方が、言葉の裏に何を隠しているのか分からないような“phony”(インチキ)な人間だと思っている。そして、彼がなかなかなじめないでいる大人のシビアな世界に適応している周りの人間に対して批判的になってしまうのだ。 Holdenの言う“Phony”とは次のようなことであった。例えば、Mr. Spencerのように心にも思っていないのに‘Good luck!’(p. 13)と言ったり、Mr. Spencer、Sallyのように本当に思っているのかどうか分からないような"Grand"という言葉を使ったりする。この言葉は非常に使いやすい言葉であらゆる場面でも使えてしまう、Holdenが嫌っている言葉だ。Ernieの店で、Holdenの兄のD.B.のかつての恋人Lillian Simmonsのように‘How marvelous to see you!’(p. 78)、‘Holden, come join us.’、‘Bring your drink.’(p. 79)、とHoldenに言っている、彼はこれも、ご機嫌をとる為のお世辞、気遣いで、単なる社交辞令だと感じているし。、女の連れのCommander Blopとの挨拶のように本当はなんとも思っていないのに交わした‘We were glad to've met each other’(p. 79)も社交辞令だ。また、第6章でStradlaterが自分の宿題の作文をHoldenに書いてもらってもお礼の言葉を一言も言わないで文句ばかりいうということがあったりと、Holdenの周囲には社交辞令ばかりの人間であったり、自分勝手な人間が多いのである。そんな風な彼らでも、世間体の評判が悪くないのが彼らの要領の良さなのだろう。 彼らはPenceyの校長Dr. Thurmerが言う"…Life being a game…."(p. 7)では"If you get on the side where all the hot-shot are, then it's a game, all right."(p. 7)とあるような、「人生の競技」において、要領よく生き抜いていくようなタイプの人間たちであろう。逆にホールデンはというと、" But if you get on the other side, where there aren't any hot-shot, then what's a game about it? Nothing. No game. " (p. 7)「人生の競技」で、要領の悪い人間の側になってしまう。Holdenは大人になるということは、“innocence”を少しずつ失っていき、自分の外見や、物事の表面的な部分ばかりを気にして、だんだん自分自身を見失っていく。そうして自分勝手でウソをついても平気な“Phony”な人間になっていく事なのだと感じているのだ。寂しがり屋で、自分に正直なHoldenは、より孤独を感じるようになり、自分の居場所を求めるようになった。 そんなHoldenは安心できる場所を子供達の中に求めているように見える。全ての子供達に、いつまでも、永遠に、“innocence”な気持ちを持ち続けて欲しいと思っている。彼が大人に対してとる批判的な態度とはまったく違い、子供に対してはとてもやさしく、見守っているという感じだ。その気持ちをPhoebeに話しているシーンがある。 "Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around - nobody big, I mean - except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff - I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's only thing I'd really like to be. I know it's crazy."(p. 156) 彼自身も一日中ライ麦畑で子供達を見守り、捕まえる役をしているだけというのは、馬鹿げているとわかっている。しかし、彼にとってはこれが一番やりたいことなのだ。その理由は“The catcher”を一番必要としているのは、実はHolden自身だからなのではないかと思う。子供達に対して「永遠に子供でいて欲しい」と強く思うのは、自分自身がそうありたいという願望の表れであり,“The catcher”は自分が必要としていた存在だからこそ、たとえ、ばかげていると思ってもなりたいと、たくさんの子供達のためにも自分がなりたいと望んでいるのだ。 妹のPhoebeは彼の理想とする子供像の象徴とも言えるべき存在だ。純粋で優しく、とても思いやりのある少女である。HoldenがPhoebeのために買ったレコードが割れてしまい、そのかけらを見せたシーンでの彼女の対応は普通の大人以上に深い思いやりがあるようにも見える。"‘Gimme the pieces,’she said. ‘I'm saving them.’ She took them right out of my hand and then she put them in the drawer of the night table."(p. 147) レコードのかけらなどととっておいても音楽など聴けやしないし、どうしようもないのに欲しいと言って引き出しの中にしまっている。当然のことながら、この行動にHoldenはとても喜んでいる。この行動はPhoebeがHoldenを喜ばそうと故意にとった行動ではない。こういう所が“innocence”なところであり、Holdenがずっとずっと大切にしていって欲しいと望んでいるものなのだ。大人になるにつれて失ってしまっていく“innocence”な部分を子供に見出し、そして、そういった子供の中に自分の居場所を求めているのだ。 こうしてみると、Holdenが“Phony”といっている人たちはわがままでとても嫌な人間に見えてきてしまうが、やはりそれだけではないと思う。Holdenは自分の先入観にとらわれ、物事を一面からしか見えていないのだ。例えば、彼が“Phony”と言っているMr. SpencerはHoldenの将来について心から心配してくれている人の1人であるし、彼が“innocence”だと信じて疑わない子供達の中でも、"you could tell they(kids) didn't want me around, so I let them alone."(p. 110)のように子供達がHoldenの事を寄せ付けていない。実際に、“大人”とか“子供”といった先入観で決め付け、個人を見ていないのだ。周囲の人間の中に彼の将来を心配していてくれる人がいても、彼はそのことに気付かない事も多いだろうし、また、気付いたとしてもそれを重く、おせっかいだと感じてしまっている。そういった点で彼はとても損をしているし、周りの人間をもっと客観的に見えるようになると彼の感じている孤独も軽減されてくるのだろう。 Holden自身も、自分が“innocence”を少しずつ失ってきていて、自分がインチキだと言っている現実的な大人の世界に足を踏み込みつつあるという事に気付いているのである。子供のようにいつまでも純粋でいたいと思っていても、現実的な大人の世界には誰もが成長するにしたがって踏み込まなければならないし、直面しなければならない問題だと言う事にも彼は気付いているはずだ。それでも、全ての子供達に対して「いつまでも永遠の存在であって欲しい」と強く願ってしまうのである。だからこそ、彼自身がいつまでも子供のような純粋な心をもっていたい、その気持ちを大事にしたいという思いを誰よりも持っている。だが、実際にはそうなることができず、かといって、大人にもなりきれなく、どちらともいえない存在なになってしまうのだ。そして、周りについていけずに孤独を感じ、寂しくなり、強がっていても周りの人に気づいて欲しいと強く願ってしまう少年になってしまうのだ。その強がりが、あらゆる人、あらゆる物事に反抗的になってしまうという形で表現されているのだ。でもHoldenも結局は周りの環境に打ち解けられずに苦しんでいるだけなのだ。 Holdenが求めている心の底から安心のできる場所、そして彼のことを必要としてくれ、彼がいつも感じている孤独から救ってくれる存在というのは、彼にとっては子供達のことなのである。"innocence"な心を持つ子供達ならば、彼の事を素直に、優しく受け入れてくれ、彼の寂しい気持ちをなくしてくれるのではないかと期待しているのだろうでも、彼自身が心を開けばもっといろんな場所に自分の居場所を見出す事ができるようになるのだ。 人は大人になるために、良い意味でも悪い意味でも、さまざまな事を学び身につけていくことになる。それが、いつまでも純粋なままでは、純真なままではいられないという原因になってしまうのだ。子供の世界から大人の世界への移行である。この作品は多くの人が気付かないまま、過ぎていってしまうこの移行期を、Holdenを通してもう一度見つめ、考えさせてくれる。 |
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