Seminar Paper 2001
Ayako Ohyama
First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002
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「ホールデンと子供たち」
現実に向かい合う決断の時
主人公Holdenが通っていたPencey校をやめた時の話から始まり、彼自身の回想・自述の形を取るこの物語では、あらゆる部分から彼の物の考え方、感じ方を見て取る事が出来る。その中で興味深いのは、「子供」に対する彼の崇拝的でさえある記述の数々である。何故彼が「子供」に対して憧れを抱くのか、また、物語の最後に現実に向かい合うまでの過程について述べていこうと思う。 学生にとって学校は彼(女)自身の所属している社会を家庭と共に代表するものである。それ故、Penceyに対するHoldenの見解は彼自身の社会に対する見解とほぼ同じであろう。やめてしまったPenceyについて、彼は次のように形容している。 "They (Pencey Prep) advertise in about a thousand magazines, always showing some hot-shot guy on a horse jumping over a fence. Like as if all you ever did at Pencey was play polo all the time. I never even once saw a horse anywhere near the place. And underneath the guy on the horse's picture, it always ways: 'Since 1888 we have been molding boys into splendid, clear-thinking young men.' Strictly for the birds. They don't do any damn more molding at Pencey than they do at any other school. And I don't know anybody there that was splendid and clear-thinking and all. (pp. 1-2) ここには彼の中にある社会に対する不満が現れている。ありもしない事柄をさも現実のように書き並べて笑顔でお出迎えをする、そんな社会の中に蔓延る「嘘」をHoldenは最も嫌う。彼の言葉を借りれば、そういうものは全てphonyであり、そこに「属する」人もまたphonyである。例えばPenceyの卒業生Ossenburgerが演説をした時の事を彼は次の様に表現する。"He started off with about fifty corny jokes, just to show us what a regular guy he was. Very big deal."(p. 14) また、Holdenが住んでいた寮の隣の部屋に住むAckleyが自分の部屋に来た時には"He always said it like he was terrifically bored or terrifically tired. He didn't want you to think he was visiting you or anything. He wanted you to think he'd come in by mistake, for God's sake."(p. 17)と表現している。ここでもまた、自分を「カッコ良く」見せようとする姿勢や「本当ではない姿」を見せようとする姿勢にHoldenは"Very big deal." "...for God's sake."と悪態をついている。このようなHoldenの学校や学校に関係する人々に対する皮肉をそこら中に吐き出すことで、彼は自分をどんどん卑屈で孤独な少年へと追い立ててゆく。そしてこういった態度こそがHoldenが社会を嫌い、社会に属する事を拒んでいるということの現れである。Holdenは自分の居場所、いつまでも変わらない純粋さを保って生きていく事の出来る場所を求めて彷徨い始める。 The Catcher in the RyeはHoldenがPencyを追い出され、両親にその通知が届くまでのおよそ3日の間にHoldenの身に起こった出来事を事細かに描写しながら進められる。様々な場所で様々な人に会いながら、Holdenは少しずつ変わっていく。Pencyを出てすぐに乗った汽車の中で彼は女性に会う。その女性の息子は、HoldenのクラスメートErnestだった。HoldenがPenceyを飛び出してから最初に会ったのがこの女性であるが、ここで彼はこの女性をphonyだとは描写していない。その代りに"Mothers are all slightly insane. The thing is, though, I liked old Morrow's mother. She was all right."(p. 49)と、彼女に好意を抱いている。大人の社会を嫌うHoldenがこの物語の中では殆どの大人に対して好意を抱いていないことを考えると、この女性に対するこの言葉には「大人の社会にHoldenが入って行くことが出来る余地がある」ということを暗に示しているのかもしれない。大人の社会がphonyなのは事実だろう。しかしその中でも、Holdenがそこで生きていくに必要な最小限のnon-phonyは確かに存在している。 汽車の中で彼女が "Ernest wrote that he'd be home on Wednesday, that Christmas vacation would start on Wednesday. I hope you weren't called home suddenly because of illness in the family."(p. 51)と言った時、Holdenは"No, everybody's fine at home. It's me. I have to have this operation."(p. 51)と言う。先に述べてきたようにHoldenは「嘘」や「嘘をつくphony」は嫌いなはずであるが、ここで彼は自分で嘘をついている。しかしこの嘘の中には自己防衛とHoldenの優しさが込められているように感じる。上の会話を例に取ると、Holdenは自分がPenceyを追い出されてしまったことを隠すため、そしてErneyの母に自分の家族を心配させないために本当のことを言わなかったのではないだろうか。だとすれば、Holdenはすでに大人の社会に対応出来得るだけの精神構造を持っていることになる。そうでありながら彼が大人の社会を拒むのは、彼が子供への憧れを捨てきれないからだろう。彼の中のこの葛藤は、物語の最後まで続いている。 Pency Stationに着き、ホテルに入り、そこから向かったLavender Roomというバーで出会った3人の女性達と別れた後、彼は"There isn't any night club in the world you can sit in for a long time unless you can at least buy some liquor and get drunk. Or unless you're with some girl that really knocks you out."(p. 68)と、やはりphonyを嘆いている。LiquorやGirls that knocks you outに表現されているphonyからのprotectionが無いと、大人の社会ではHoldenは生きていけないのである。この物語の中に出てくるprotectionという役割を担うものとして、Holdenが憧れてやまない「子供」が挙げられる。しかし彼の子供に対する異常なまでの憧れは、protectionという役割を通り越してHoldenを大人の社会に送り出すのを拒む障害物になってしまっている。つまり「大人になること」は「子供」からの「脱皮」で無ければならず、脱皮無しのただの「成長」では不十分なのである。 Holdenが抱いている子供への異常なまでの憧れは、子供に出会ったときの描写に如実に表れている。彼が散歩をしている時に、ある家族に会う。そしてその子供を見て、彼は以下のように思っている。 "He and his wife were just walking along, talking, not paying any attention to their kid. The kid was swell. He was walking in the street, instead of on the sidewalk, but right next to the curb. He was making out like he was walking a very straight line, the way kinds do, and the whole time he kept singing and humming. ... It made me feel better. It made me feel not so depressed any more."(p. 104) Penceyを飛び出して大人の社会に入ることも出来ず、心の中に曇天を抱えたHoldenにとってはこの子供の可愛らしいhummingや、parents pay no attention、つまり親の目を逃れて縁戚の上を歩いている姿は彼が子供に抱いている「純粋」や「自由」といった憧れを全て象徴するものであり、その姿がHoldenにとって何よりの救いであった。つまり、彼にとって子供とはphonyが持っていない純粋無垢を持っていてphonyとは縁の無い自由な存在であり、故にphonyを嫌い逃れようとしている彼が追い求めてしまう姿なのである。この「子供への憧れ」が強すぎて、彼は先に述べたように大人の社会でやっていけるだけの裁量があるにも関わらず、大人の社会に溶け込めないでいる。 そんなHoldenの唯一と言ってしまってもいい見方は、彼が愛する妹のphoebeである。 "You should see her (Phoebe). You never saw a little kid so pretty and smart in your whole life."(p. 60)という表現に見られるように、彼はPhoebeをとても愛している。このPhoebeに対する彼の態度の移り変わりには、彼が大人の社会を受け入れる過程が如実に表現されている。例えば彼がPenceyを出たばかりの頃のPhoebeに関する表現には上のような純粋な「憧れ」的なものが目立つが、物語が進むにつれて少しずつ表現に違いが出てくる。この物語の中盤に彼は思う。 "I thought how she'd see the same stuff I used to see, and how she'd be different every time she saw it. It didn't exactly depress me to think about it, but it didn't make me feel gay as hell, either. Certain things they should stay the way they are. You ought to be able to stick them in one of those big glass cases and just leave them alone. I know that's impossible, but it's too bad any way."(p. 110) これまで自分がphonyから逃れることで精一杯だった彼がここで初めて、他人(Phoebe)がphonyになることを恐れる。通常人間は、自分に余裕が無い時は人の心配はできない。ここでHoldenがPhoebeの心配をしたということは、彼が少しずつ大人の社会を受け入れ始めたということではないだろうか。また、この直後に彼は遊園地のそばでシーソーに乗っている小さな2人の子供に出くわす。彼がシーソーに手を掛けた時、"...but you could tell they didn't want me around, so I let them alone."(p. 110)と、子供達から離れている。つまりHoldenは、もはや彼自身は子供ではない事、いつまでも変わらないものなど存在しない事、そして大人の社会に入っていかなければならない事を悟ったのである。 彼はその後家に戻り、Phoebeと会い、そしてまた出かける。再びPhoebeに会うまでの時間の中で彼が大人の社会と向かい合う事を決意する決定的な出来事は、博物館の中で起こった。Phoebeと再び会う約束の時間までの暇を潰す為にHoldenは博物館へ向かいミイラを見る。そしてトイレに行って洗面所から出ようとした時、彼は倒れてしまう。ここで先に述べた「脱皮」を彼は成し遂げたのではないだろうか。ミイラのある場所、博物館ではあるがつまり墓の中で一度倒れ、そしてまた起き上がるという一連の動作は、まるでHoldenの中の「子供」が死を迎え、彼はそこから脱皮して生まれ変わり、大人の社会に向かい合う事の出来る人間になったということを表しているように思える。そしてその後Phoebeに会った時のやり取りの中で、彼は自分の居場所を探す旅を断念する。自分に着いて来ようとしたPhoebeに対し、彼は"I'm not going away anywhere, I changed my mind."(p. 186)と告げた。 この物語はHoldenが雨の中、Phoebeのメリーゴーラウンドに乗る姿を眺めている場面でその回想を終える。その時彼は "I felt so damn happy all of a sudden, the way old Phoebe kept going around and around."(p. 191)と自分の心情を表している。いつまでも子供ではいられない事、大人の社会に向かい合わなければいけない事を悟り、脱皮し、そして自分に都合のよい居場所を探す事を諦めた彼にとっては降りしきる雨ももはや彼の心を閉ざす材料にはなりえず、まるでそんなHoldenを称えるかのようにメリーゴーラウンドに乗ってPhoebeはくるくると回っている。 誰もが大人になることを拒む経験を持っているだろう。しかしPeter Panの作者J.M. Barrieがその冒頭で"All children, except one, grow up. They soon know that they will grow up."(Peter Pan, By J. M. Barrie, Copyright 2000, Literature Project) と述べているように、大人になるということを自分で認識しなければならない日が来る。この物語の中でHoldenが苦しみながらも大人になる為の脱皮を遂げる。その過程を楽しむため為には彼の子供に対する見方に注意する事が良い方法の一つだと言えるだろう。 |
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