Seminar Paper 2001

susumu onuma

First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002

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Holdenと映画
At the break of dawn

   

"Now he's out in Hollywood, D.B., being a prostitute. If there's one thing I hate, it's the movies. Don't even mention them to me." (p. 1)

    これは周知の通りHoldenの映画嫌いを示した部分であるが、彼はこの言葉とは裏腹に、映画に対しての思いを彼自身の口から述べている。例えば、

"I almost was once in a movie short, but I changed my mind at the last minute. I figured that anybody that hates the movies as much as I do, I'd be a phony if I let them stick me in a movie short. (PP. 69-70)

"The goddam movies. They can ruin you. I'm not kidding." (P. 94)

"When somebody really wants to go (to the movie theater), and even walks fast so as to get there quicker, then it depresses hell out of me."(P. 105)

"You take somebody that cries their goddam eyes out over phony stuff in the movies, and nine times out of ten they're mean bastards at heart. (P. 126)

等であるが、いずれにしてもここから彼がいかに映画、又はHollywoodを嫌い、そして憎んでいたかがくみ取れる。彼にはそこに許しがたい何か大きな理由があり、そして自らを遠ざけていたように思われる。
 しかし、果たして彼は本当に映画をただ一辺倒に嫌っていただけなのであろうか。実は憎みながらも一種の憧れのようなものを抱いていたとするならば、そこにこの物語のテーマに関わる何かを発見する手掛かりがあるのではないだろうかという所存である。
 まずHoldenと映画の関係を、
1. なぜHoldenは映画が嫌いなのか
2. ではなぜ彼は映画に嫌悪感を覚えながらも憧れていたと考えられるか
という二つの角度から論じていきたいと思う。

1. なぜHoldenは映画が嫌いなのか
 この理由として一番にあげられるのは彼の兄、D.B.がHollywoodへ行き、つまらない作品(Holdenにとって)を書くようになってしまったことにある。当時、すなわち20世紀前半の映画界は、Hollywoodのゴールドラッシュとも呼ばれるほどの全盛期であった。才能のある若者が、営利目的の行動したとたんにその才能を鈍らせてしまったというのはよくある話だが、D.B.の場合ももれなくこれに該当するのであろう。それはHolden的な言い方をするならば、本当に作品を書きたくて書いているのか、それとも作品を書いた見返りを求めて書いているのか本人以外は(あるいは本人も)分からない、といったものであろう。しかし事実として彼の作品はつまらないものに成り下がっている。Holdenの嗜好するものは、あくまで作品であって商品ではないのだ。
 次にあげられるのは映画が実生活におよぼす影響についてである。
 本編中のHoldenの行動に腹に弾丸を打ち込まれた真似をやり出すシーン(P.93-94,135)が二度ほど登場するが、これは当時の映画が彼に与えた影響をよく表している部分である。Holdenは現実の世界の痛み、心の傷を、映画のワンシーンにおける幻想で包むことによって麻痺させている。言い換えれば、現実から逃避しているのだ。映画には(映画嫌いのHoldenにさえ)幻想を見させる魔力があり、また逃げ込む幻想の世界を構築しているという役割があるのだ。
 また映画には「居合わせなかったところで起きた事件や、危険で異様でグロテスクかつ考えられないようなものを間近に、だが安全な距離を置いて観客に見せるという機能」(ロバート・スクラー/鈴木主税訳『アメリカ映画の文化史』(上)(講談社学術文庫.1995). P63)が備わっている性質上、人々に、心の中に眠る好奇心を触発し、今だ見ざる危険を欲求することを覚えさせたのである。
 さらにスクラー氏によると、当時の映画の影響を次のように述べている。
「ひとたび映画の生活にのめりこんだ観客たちは自分たちの幻想が実際の生活でもこわれることなく持続することを望んだ。映画スターは映画のイメージばかりでなく、その実生活も操作すべき重要なシンボルになり、大衆は氷山の一角だけを見せられるようになった。」(ロバート・スクラー/鈴木主税訳『アメリカ映画の文化史』(下)(講談社学術文庫.1995).P 141)

 故に映画にはステレオタイプの価値観を人々に植え付け、いわゆるHoldenの言うところの"phony"を世に蔓延らせた一つの責任がある、ともいえる。 つまり映画には"They can ruin you."(p. 94)とHoldenが言っている通り、人をだめにする要素が多く含まれており、その影響はあらゆる人々の行動や思想に現れているのである。
 次にあげられる理由としてHoldenは演技が嫌いであるという事実がある。
 "I hate actors. They never act like people." (P.105)とあり、演技をしている時の役者には全く興味を持っていない。本編中に彼がLaurence Olivierの出演しているHamletについて語っている部分(P. 106)があるがそこで彼が気に入っているのは、Opheliaが兄とふざけている部分と、Hamletが犬の頭をなぜているところだけと言っていることからも分かるように、彼は演技よりも演技の中に垣間見える役者の、その人本来の振る舞いをより好むのである。
 本編中最後の部分でHoldenは、一個人の人生における人とのつながりの重要性について説いており、このことからも彼の、演技にたいする技術の素晴らしさよりも人間臭さを好むという志向性も理解できるのではないだろうか。

 以上のように、Holdenには映画、またその象徴であるHollywoodを嫌い、憎むべき理由が存在していたのである。

2. ではなぜ彼は映画に嫌悪感を覚えながらも憧れていたと考えられるか
 それを解く鍵は、一つ目の理由としてアメリカの映画の成り立ちにある。
 1896年、大スクリーン映画が世に登場して以来、現在にいたるまで多くの映画が世に生み出されてきた。前出したロバート・スクラー氏の『アメリカ映画の文化史』には当時のことについてこう書いてある。
 「二十世紀前半の-正確には1896年から1946年までの-映画は、合衆国において最も大衆的かつ有力な文化のメディアであった。映画は最初の近代的なマスメディアであり、アメリカ社会の底辺にいる最も目立たぬ階級から主な支持を受けて、文化の意識の表面に浮かび上がった。」(ロバート・スクラー/鈴木主税訳『アメリカ映画の文化史』(上)(講談社学術文庫.1995).P 30)

 周知のようにHollywoodは主としてユダヤ系の人々によって創設された。つまりHollywoodの成功はマイノリティーである移民たちによるところが大きい。
「アメリカの成功物語の主人公のほとんどがそうであるように、映画製作者たちの過去の経歴はしばしばあいまいである。立身出世物語の伝統からすれば、生まれが卑しいというだけで充分なのであり、あまりくわしくさらけだして忘れたい過去を暴露することはないというわけである。映画が市民権を得るようになった第一次世界大戦当時には、この新しい娯楽産業がもともとシカゴの少数民族ゲットーやピッツバーグの製鉄所やニューヨークの賃貸アパートといったところで育まれてきたという事実が、ますます体裁の悪いことと思われてきた。映画製作者たちは、こうした凡庸かつ貧しい出自を受け入れまいとして、西のロサンゼルスへと逃れた。それは当時のアメリカの大都市として、彼らが逃げ出してきた典型的な産業都市と最も似ていないところだった。アメリカ大陸のはずれの沿岸都市に、彼らは理想郷を実現し、それをハリウッドと名づけたのである。」(ロバート・スクラー/鈴木主税訳『アメリカ映画の文化史』(上)(講談社学術文庫.1995).P 146)

 このことからもわかる通り、そこには社会から疎外され、つまはじきにされてきた人々の成功の歴史があるのだ。
 そんな彼らに、同じく社会からつまはじきにされ、属する社会に失望していたHoldenが共感を持ち、一抹の希望と共通性を見いだしたとしても不思議はないだろう。(ただし「貧しい」という点は異なっている。)その共通性というのは、迫害を受けてきた社会からの離脱であり、一種のジレンマから解放される可能性ともいうべきわずかな希望を持っている点である。
 ちなみに、先ほど引用した部分に「立身出世物語の伝統からすれば、生まれが卑しいというだけで充分なのであり、あまりくわしくさらけだして忘れたい過去を暴露することはないというわけである。」という一節があるが、Holdenが本編中最初の部分で
If you really want to hear about it, the first thing you'll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don't feel like going into it, if you want to know the truth. (P. 1)

と述べている部分にも良く似ている。
 二つ目に言えることは、兄D.B.の積極的な挑戦にたいする憧れである。
 たとえHoldenの兄D.B.の書いたものが、Hollywoodの商業的なB級映画に成り下がろうとも、Hollywoodのpopular moviesに対して挑戦するというD.Bの精神は評価に値するものである。しかしHoldenはD.B.がHollywoodへ行ってしまったことについて、ただ残念がっているだけなのである。
 ここにHoldenの一種子供じみた都合の良さともいうべき矛盾が現れている。それは、一つには元来備わっている彼の牧歌的性格、そしてもう一つには、できることならPency prepの校長のThurmerのいうところのhot-shotsの中に、加わりたいと願いながらも相手に認められずに捩れてしまったHoldenの心から来ているのだろう。
 無垢なものを愛好するHoldenにとって、事実をあるがままに認めようとしない彼自身のもののとらえ方は、もはやinnocenceとはかけ離れたものになってしまっているのである。
 三つ目に言えること、それは一つの映画が持つ永遠性にたいする憧れである。
 Holdenの数少ない愛好するものの中に永遠に変わらないもの、がある。そのことをよくあらわしているのがあの博物館のところで語られた"Certain things they should stay the way they are. You ought to be able to stick them in one of those big glass cases and just leave them alone. I know that's impossible, but it's too bad anyway." (p. 110)という部分にある。
 等しく映画は色褪せはするものの、その内容は何年経っても、何回観ようとも変わらないのである。スクリーンを通して描かれる物語を観るように、あるいは彼も大きなガラスケースの中に永遠に変わらないものを閉じ込めておきたかったのかもしれない。
  以上の事から、Holdenは映画を憎みながらも、実は憧れを感じていたとはいえないだろうか。

 さて、ここまで二つの視点からHoldenと映画について論じてきたが、これは悩める少年少女特有の世界観、価値観、もののとらえ方である。孤独の闇の中で葛藤する少年の矛盾であった。
 16歳の少年に一人で孤独に生きていく力はまだ無く、世間に対し憤りをおぼえ、しかし自らももはや大きな流れの中で立ち止まれない事を知ったのだ。なぜならライ麦畑の崖の淵で、もうすでに彼の片足は宙に投げ出されていたのだから。
 Holdenは最後に自らの矛盾に終止符を打っている。自分の考えてきたことの過ちに気付いたのである。
 彼が大きなガラスケースにしまい込みたかったものと、映画のような永遠なものとの間には決定的な違いがあるのだ。
 それは、人間は生きている、という事実である。
"All the kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old Phoebe, and I was sort of afraid she'd fall off the goddam horse, but I didn't say anything or do anything. The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it's bad if you say anything to them." (P. 190)

  誰にもその営みを止める権利はないのである。
 でははたして彼はそれを知って絶望し、潔く底のないところへと落ちていったのだろうか。
 そうではないと私は思う。なぜならばHoldenはその頑に守り続けていたものを放棄する代わりに、かけがえのないものを得たからである。
 それは彼の妹Phoebeによってもたらされた、人と人とのつながり、"tie"である。この悪夢のような3日間でHoldenが手を差し伸べても掴めなかった一つの「絆」によってしっかりと現実の世界に繋ぎ止められたのである。
 人間は時として、成長していく過程において社会の、そして自分自身の矛盾と向き合わなければならない。その刹那に気付くか気付かないかは人それぞれであるが、たとえそれが一過性のものであろうとも、それは過ぎてからわかるもので、今実際にその中で孤独に闘う者にとっては、永遠に続く暗闇のようにも感じられるのである。
 しかしHoldenは、誰かを愛おしく感じること、そしてその愛する者が実際に目の前にいることで、人生を「生きている」という実感をもって受け入れられたのだ。 phonyとinnocenceという概念を越えた先に、彼は映画のような作り物でない本当の愛を見つけられたのではないだろうか。


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