Seminar Paper 2001

Chie Torii

First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002

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「ホールデンと赤いハンチング帽」
切なる願い

    The Catcher in the Rye という物語では、欺瞞・偽善・見せかけ・気取り・知的仮面・無作為を含む残忍性が勝ち誇っている、いわゆるphonyな世界が主人公ホールデンを取り巻いている。その中でホールデンは一連の幻滅的な体験を通して、大人の世界がどうしようもないほど腐敗したものであることを発見し、無垢と経験という葛藤、つまりphonyな世界との葛藤を体験するのである。

   ホールデンは、クリスマス休暇直前の土曜日の夜に高校の寮を飛び出してから3日間、ニューヨークの街をさまよい続ける。スペンサー先生の家にお別れを言いに行ってから、博物館でフィービーに会うまで、彼はずっとその誠実な心によって、直感的にいたるところにphonyなものを見る。それに対して反発し拒否するホールデン。サーマー校長の事なかれ主義と権威主義、ハース氏の有力な父母へのへつらい、金持ちの婦人たちの社交的な催しとなる助け合い運動、“he'd make you describe the most personal stuff that happened to you, but if you started asking him questions about himself he got sore."(p. 132)と評されるカール・ルース。ナイトクラブのアーニーのようなピアノ奏者であるならば、彼は“I'd play it in the goddam closet."(p. 77)と言い、“I don't even think he knows any more when he's playing right or not. It isn't all his fault. I partly blame all these dopes that clap their heads off −they'd foul up anybody if you gave them a chance."(p. 77)と、アーニーの人気が彼をphonyにしていると見抜く。

   しかしホールデン自身にも、そのphonyをみることができるのである。彼がいみ嫌うのは、虚偽と迎合的言辞だが、その彼自身かなり頻繁に嘘をつく。例えば、年齢を偽って酒を注文したり、車中偶然出合った学校の友人の母親に偽名を使って適当なお世辞を言ったり、サリーに嘘と知りつつ愛を告げたりする。さらにホールデンは、自分を“I'm the most terrific liar you ever saw in your life. It's awful."(p. 14)という。つまり大人達のphonyを攻撃しながらも、まず自分が嘘つきで、ご都合主義であることを自覚しているのである。

   また、ホールデンは大人たちを批判しているが、もちろん彼に欠点がないというわけではない。彼は時として愚かであり、思慮が足りなく、無責任である。ホールデン自身が他人をphonyと呼ぶような罪すべてを犯している。例えばアクリーに文句を言ったのに、他人の明かり先に立ったり、ルースと同様に自分の話したいことだけを話そうとしたり、ハース校長のように、服装でサリーへの態度が変化したりする。さらにいえることは、ホールデンは、社会の欺瞞性を見抜き、そのphonyを批判するだけの十分な経験を積んでいないことである。彼は自立もしておらず、確立された自我すらもっていない。それゆえ、虚偽を嫌悪しながら虚偽に陥る自己矛盾、つまり意識と行為との間に落差が生じ、彼自身にもphonyをみることができるのである。

   ホールデンが嫌悪感を示すものといえば、映画や芝居である。これらは基本的に俳優の「演技」の上に成り立っており、phonyに満ちたものである。芝居を見た彼は“I didn't care too much when anybody in the family died or anything. They were all just a bunch of actors"(p. 113)と思い、俳優については“They acted more like they knew they were celebrities and all. I mean they were good, but they were too good."(p. 113)と述べ、そして

“I hate actors. They never act like people. They just think they do. Some of the good ones do, in a very slight way, but not in a way that's fun to watch. And if any actor's really good, you can always tell he knows he's good, and that spoils it." (p. 105)

と、ピアノ奏者のアーニーと同様のものを感じ取る。つまり行為と内面との不一致を感じ取るのである。これは何も俳優などに限られたものではなく、一般の大人にもみられる。例えば、叔母は慈善行為を好み、大いに活躍しているが、常に“she's always very well-dressed and has lipstick on and all that crap."(p. 103)と自分を着飾っている。つまり慈善行為を「演技」しているのであって、「本心」はまったく別のところにあるのである。これらは常に外にあらわれた行為より、内に沈んだ動機を問う姿勢を持つホールデンからみれば、許せない行為になる。

   逆に、ホールデンの愛が向けられているのはなんだろうか。それは純粋で無垢なもの、か弱く無力なもの、悩めるものに向けられている。具体的にはフィービーに代表される子供たち、質素ないでたちの、私欲を捨てて神と恵まれぬ人々に奉仕する尼僧たち、1曲の間に打つ機会が二回しかなくとも、退屈な顔せず、“Then when he does bang them, he does it so nice and sweet"(p. 124)というラジオ・シティー・オーケストラのティンパニー奏者。級友におどかされ、窓から飛び降りてしまったジェイムズ・キャッスル、池のアヒル、60歳にもなるホテルのベルボーイ。つまり、ホールデンは社会の汚れに染まっていない人や、社会の片隅にいる弱者に優しい共感を示すのである。特にイノセンスの象徴である子供に対する優しさは限りない。フィービーにレコードを買ってあげたり、少女のスケート靴の紐を結んであげたり、幼い兄弟をミイラの部屋に案内してあげたり、子供たちが遊んでいるシーソーの釣り合いをとってあげたりする。そんなホールデンはフィービーの元を訪れた時に、“Name something you'd like to be."(p. 155)という彼女の質問に次のように答える。

“Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around − nobody big, I mean− except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff − I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. "(p. 156)

無垢の喪失が取り返しのつかないことだと考えるホールデンは、無垢な子供たちをphonyから守りたいと願い「The catcher in the rye」、つまり救済者になりたいと答えたのだ。

   phonyに反抗し、子供たちの救済者になりたいと望むホールデンが、小説の冒頭から気に入っていたのが、赤いハンチングハットである。ホールデンはさまざまな場面でこのハンチングハットをかぶる。例えば、行き先もなくアーニーのバーから出るはめになった時、彼はこの帽子をかぶっている。寒さからホールデンを守り、孤独感をいやしたこのハンチングハットにはホールデンを守る役割があるのである。さらにこれには重要な役割があり、赤いハンチングハットがホールデンの世間の因習、phonyへの挑戦を表しているのである。アクリーがこの帽子について尋ねた時の、ホールデンの“This is a people shooting hat, I shoot people in this hat."(p. 19)という答えから、phonyな世界に対する挑戦の姿勢がうかがえる。つまり、赤いハンチングハットは保護を求めるホールデンの欲求と、反逆を示す象徴なのである。

   ホールデンはこのハンチングハットを所持しつつ、心優しい人や、悩める人や、無力な人をphonyから守ろうとする。サリーと出会った時にも彼女と寝ないことによって、彼は自分のではなく彼女の無垢を守ろうとしていたのである。しかし、そのような善意にかかわらず、彼の行動はたいてい無力であり、捕らえそこねてばかりいるCatcherとなる。堕ちたものを救ってやることもできないし、彼らの転落を防ぐこともできないのだ。昔ホールデンが通った学校で発見し、一度消した落書きを博物館でも発見するが、子供のイノセンスをおびやかすその落書きをホールデンは消すことができない。さらに彼は自分の墓にもいずれ書かれるだろうと、あきらめている。このときのホールデンは、赤いハンチングを持っていない。

   彷徨い傷つき続けたホールデンは、フィービーに「The catcher in the rye」になりたいと話した直後、赤いハンチングハットを彼女に無理やり受け取らせる。phonyへの反逆の象徴である帽子を手放したのである。その証拠に家を再び出ていくホールデンは“I didn't give much of a damn any more if they caught me. I really didn't. I figured if they caught me, they caught me. I almost wished they did, in a way."(p. 162)という気持ちになっている。家に入るときには捕まらないよう、細心の注意を払っていたホールデンが、フィービーに赤いハンチングハットを渡した後には、逆につかまえてほしいという気持ちになっているのである。この変化は、彼が「捕まえる側」から「捕まえられる側」になったことを示している。そして赤いハンチングハットを受け取ったフィービーが、ホールデンと交代して「捕まえる側」になるのである。

   月曜日、敬愛していた教師に疑念を抱いてしまい、深夜その家を飛び出した無力なホールデンは、ついに西部へ行く決心をする。

   “what I decided I'd do, I decided I'd go away. I decided I'd never go home again and I'd never go away to another school again. I decided I'd just see old Phoebe and sort of say good-by to her and all, and give her back her Christmas dough, and then I'd start hitchhiking my way out West.゛(p. 178)

   そしてフィービーに別れを告げるため、美術館で待ち合わせをする。待つホールデンの前に現れたのは、赤いハンチングハットをかぶったフィービーである。彼女は西部への旅に是が非でも同行すると主張してやまない。ホールデンは彼女の前に開けている未来への責任を取れないことを認め、フィービーのために家に帰らなくてはと決意する。「捕まえる側」になったフィービーが、ホールデンを捕まえたのである。これにより、ホールデンは救済されている。回転木馬に乗るフィービーを見ながら“I felt so damn happy, all of a sudden, the way old Phoebe kept going around and around. I was damn near bawling, I felt so damn happy,"(p. 191)と幸福な気分になっているのである。そして“The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them to it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it's bad if you say anything to them."(p. 190) という結論にたどり着く。

   このようにホールデンは、大人の世界に満ちているphonyに反抗し、拒否していた。 無垢の守り手になりたい彼は、子供たちをphonyから遠ざけたいと願った。しかし無力な彼は誰もつかまえられず、彼自身が傷ついていく。その時、ハンチングハットを託したフィービーに救われ、心の安静を得る。この3日間を通しての体験で、ホールデンはついにphonyとの戦いに決着をつけたのである。   


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