Seminar Paper 2002

FUKUI, Emiko

First Created on January 29, 2003
Last revised on January 29, 2003

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Adventures of Huckleberry Finnの女性たち」
PersonaとPersonality

1. はじめに

    Adventures of Huckleberry Finnを通してMark Twainの女性観を考察するにあたり、その時代背景を考察するのは不可欠である。これを行わないと、Mark Twainが当時の日常風景として当然のものを描いたものまでも、うがった見方で批判してしまいかねないからだ。Karen Alkalay-Gut (かつてTel Aviv Universityの英語講師であり、現在は同大学の教授である、スリランカの英語詩人の第一人者)は当時の風潮について以下のように述べている。

[t]he readership of Twain's time was far more gender distinct. The lives of women and men in the United States until very recently were so diametrically different that although the goals of independence and freedom came to be similar, particularly at the beginning of this century, the means to achieve these goals were antithetical. (Journal of American Culture, Win93, Vol.16, Issue4, ""If Mark Twain had a Sister": Gender-Specific Values and Structure in Daddy Long-Legs", p. 91)

    すなわち、彼の時代においては自由や平等が叫ばれつつも、実際にそれを行動に移そうと男女同権を唱えると、世間からは非難される時代であった。そのような時代において、Huck-Finnの中に登場する女性たちは一見保守的である。Huckの女装を見事に見破ったJudith LoftusやAunt Sallyのように夫を持つものは家を守り、夫を持たないものもWidow DouglasやMiss Watsonのように「神の教えに従って」迷える子羊であるHuckを神の子としてふさわしい存在にしようと教育を施す。しかし、はたしてTwainが描いた女性たちはそのような、型どおりの人々だったのだろうか。ここでは当時の女性たちを作者がどのように描いていたかを論じたい。

2. 夫のいない女性たち

    作中にはさまざまな女性が登場する、黒人、白人、老人、中年、若者、子供、独身者、既婚者などである。ここでは、「結婚していて当然」の年齢に達していながら、夫のいない女性たちについて考察する。

    Widow DouglasはWidowという呼称が示すように、かつて夫がいたはずだ。しかし、彼女の夫について物語中で触れられることはない。彼女はいまや完璧に独立した個人として物語の中で存在しているのだ。Widowと呼ばれているにもかかわらず、その境遇に憂える姿や夫を思い出して滔々と語りだす場面の無いことは、彼女の「独立した女性」としての姿を強めているようにさえ思える。彼女は当時の女性としての典型的な性格をもって描かれている。信仰心が厚く、慈悲深く、教養がある。しかし、彼女はそれだけの女性ではない。嗅ぎタバコを愛用し、一人身ながら、何度も逃亡を試みる腕白で手に負えないHuckを手元に置いて教育し、後見人にまでなろうとしている。印象的なのはPupが息子を取り戻そうとしつこくWidow Douglas邸に通ったときに、"[i]f he didn't quit using around there she would make trouble for him."(Twain, p. 26)と言い放っていることだ。男性には屈しない女性の強さが現れている。

     では、もう一人の夫のいない女性、Miss Watsonについて考えてみる。彼女はオールドミスであると紹介されるが、そのことについてとくに詳しく触れられるくだりはない。オールドミスというのは当時結婚「できなかった」女性ととらえられ、それだけで個人の価値が落とされた。しかしながら、彼女はオールドミスであるけれども、それによって責められることはない。あんなにWatsonを毛嫌いしていたHuckや、Miss Watsonを人質にしようとし"you fetch them[women] to the cave, and you're always as polite as pie to them; and by-and-by they fall in love with you and never want to go home any more"(Twain, p. 10) とまで言っていた友人たちでさえ、彼女が未婚であることについて責めることは無い。むしろ、このようなセリフが出てくる状況下で結婚をしなかったWatsonは独立した女性として捉えることができるのではないだろうか。Watsonはヒステリックな女性として描かれているが、Huckと渡り合う姿には強さを感じる。また、売ろうとしていた黒人奴隷のJimを最終的に解放しようとする部分からは、新たな考えを受け入れる前衛的な姿勢さえうかがえる。

     彼女たち二人の夫を持たない二人の女性は、作中で自分の考えを持って生きているように感じられる。それはつまり、Twainによってそう作られたからなのだ。

3. 夫のいる女性たち

     では、夫を持った女性たちは、物語の中でどのように振舞うのだろうか。

     最初に登場するのはChapter 11で女装したHuckを数々の試みによって男性だと見破ったJudith Loftusである。Huckが彼女を訪ねたとき、彼女は夜中に一人で家にいた。夫は他の何人かの男性とともに賞金のかかった逃亡奴隷Jimを探しに出かけた。彼女は女性であるという理由から、自宅に残ったものと思われる。しかし、彼女はこの逃亡奴隷の捜索に一役買っている。隣人との会話の中から、Jimの居場所を推理し、夫をJackson's Islandに行くように仕向けたのだ。いわば司令塔である、つまり、頭が働く。Huckに次々とわなを仕掛け、女児ではないと見破るくだりは圧巻だ。Sonja M. Musser (Ph. D. student in the Dept of Spanish and Portuguese at the Univ. of Arizona) はLoftusがHuckの招待を見破った理由を"Loftus in fact lectures Huck that his female disguise is so poor it could never fool a woman who would know her own gender role but that it might fool a man, who would not be so familiar with it." (Proceedings of the Tenth Annual Symposium, 2000, "Inter-Sex, Texts, and Textiles" http://www.coh.arizona.edu/spanish/symposium/2000actas/musser.pdf ) と述べている。つまりLoftusは「女性であるがゆえ」に、Huckの動作の不自然さを汲み取り、Huckに「演技指導」までしているのだ。しかし、この部分はむしろLoftusの女性らしさよりもたくましさを強調している。Loftusの行動は、

"She showed me a bar of lead, twisted up into a knot, and said she was a good shot with it generally, but she'd wrenched her arm a day or two ago, and didn't know whether she could throw true, now. But she watched for a chance, and directly she banged away at a rat," (Twain, p. 66)

    というように、彼女がHuckに教えた「女性らしいねずみの退治の仕方」とはかけはなれている。彼女も実際は、女性らしさの型にははまらないキャラクターなのである。Loftusとの一連の出来事をHuckから聞かされたJimも"She was a smart one" (p. 70) と感心している。この部分からは、Jimが「女性が男性よりも劣っている」という先入観を持っているようにも感じられるため、Twainが女性蔑視をしていると考える人もいるかもしれない。しかし違う側面から見れば、Loftusはそのような感覚を持った男性をも感心させるような、「女性らしからぬ女性」なのだと考えることができる。

     さて、もう一人の既婚女性、Aunt Sallyはどうだろうか。彼女は非常にヒステリックな女性である。Huckのいたずらによって次々と起こるつじつまの合わない出来事に、一種ノイローゼの状態にまで陥ってしまう。さらに、蛇が嫌いで蛇が出てくると逃げ回ったり、やたらとHuckやTomのことを心配するというような、この物語を通して共通の女性の特徴を持っている。けれども、Aunt Sallyはこの物語の中で最も暴力的な女性として描かれている。腹が立つと大声をあげて怒鳴り、Huckたちが悪さをすれば鞭で叩くなどの体罰を与える。一見手に負えないこのキャラクターが「白人男性中心」と批判された作品の中で、女性の力強さや包容力といったものをあらわしているようには見えないだろうか。夫のSilasは妻とはうってかわってとても温厚な性格の持ち主であり、さまざまな出来事に対処しきれず取り乱すSallyをなだめたり、Sallyに頼まれたねずみの穴をふさぐ仕事を情けなさそうにしたりするなど、彼女のよきパートナーとなって、彼女の生き方を支えている。一見したとき、この二人はまるで妻と夫の性格的な役割を逆転させたような描かれ方をしているのだ。

4.若い女性たち

     Chapter 18にでてくるGrangerford家の二人の姉妹Miss CharlotteとMiss Sophiaは、良家にふさわしい教育をされている。Charlotteの方はShepherdson家の若者が銃で打たれたときの様子、"Miss Charlotte shi held her head up like a queen while Buck was telling his tale, and her nostrils spread and her eyes snapped. ...Miss Sophia she turned pale," (Twain, p.119) から、どんな状況にも動じない女性のように見える。彼女は普段から気位が高い。では、ここで青ざめていたSophiaの方はどうかというと、彼女もなかなかしたたかである。ここで彼女が青ざめた理由は、殺されかけた青年が彼女の駆け落ちの相手であったからであり、その駆け落ちのためにHuckを利用しさえしたのだ。"[she] asked me if I liked her, and I said I did; and she asked me if I would do something for her and not tell anybody" (Twain, p. 121) というくだりは、彼女のしたたかさや、それを超えたあつかましさやずるがしこさまであらわしている。自分に好意を持っているHuckを利用して自分の恋を成就させようとする行動には驚かされる。Sophiaはおとなしく、従順そうな娘を演じてはいたけれども、心の中では駆け落ちをするためには他人を欺くような計画を立てていたのである。Huckが当初"She was gentle and sweet, like a dove," (Twain, p. 117) とまで評していた少女は、その表向きの印象とは全く異なった一面を持っていたのだ。

     Chapter25から28にかけては、もう一組の姉妹が登場する。Mary Jane、Susan、Joanner(hair-lip)である。Mary JaneとSusanはよく教育のされた、つつましい女性として描かれているが、hair-lipは少々違っていた。Huckが話すイギリスのことにおいての矛盾点を次々と指摘し、Huckを窮地に追い込んでいく。非常に論理的で賢い側面を見せている。ここで女性らしく助け舟を出すのがMary JaneとSusanである。Mary JaneはとにかくHuckに優しかった。Huckたちに自分たちの部屋を譲り、謙遜した態度をとり、たとえHuckのしたことが理にかなっていなかったとしても、他人に恥をかかせるようなまねをしてはいけない、とhair-lipを諭す。心の優しい女性、だからこそ、HuckはKingとDukeが彼女たちをだましていることを告げることを躊躇するのだが、実際にHuckが彼女に真実を告げたときの彼女の反応は"The brute! Come - don't waste a minute - not a second - we'll have the, tarred and feathered, and flung in the river!"(Twain, p. 206) というものであった。これ以後、彼女は逆境に屈することなく、Huckの作戦を成功させるために協力をする。結局、Mary Janeも表向きの、教育された面とは裏腹の芯の強い女性であったことが判明する。

4. 結論

     the Adventures of Huckleberry Finnの中に登場する女性たちは、皆女性らしくあれと教育されている。そして自らもそれを、若い者たちに引き継がせようとする。しかし、実際には、皆がそれとは反対の、強くたくましい側面を持っている。彼女たちは普段は女性らしい、温厚で臆病な振りをしながらも、いざ逆境に直面したり、自分の利益を求めるとなると驚くような行動に出る。しかし、このようなことは現実の社会においても珍しいことではない。全ての人間には表向きの顔と、真実である裏の顔がある。Mark Twainはそのような現実を作品の中にうまく取り入れている。彼は登場する女性たちに無理をさせることはないし、ありのままの自分を表現させている。女性たちは一見、社会的な女性の型にはまっているように見えるけれども、それは見せかけの姿でしかない。強い女性の姿を描くことに成功したMark Twainは、かつて批判されたような女性差別的な視点を持った人物ではないはずだということを、この作品が語っている。


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