Seminar Paper 2002

Kenji Iijima

First Created on January 29, 2003
Last revised on January 29, 2003

Back to: Seminar Paper Home

「Huckleberry Finn と Holden Caulfield」
〜両者の違いからみえてきた世界観〜

 昨年ゼミで取り上げたJ.D.Salingerの『The Catcher in the rye』と、今年取り上げたMark Twainの『Adventures of Huckleberry Finn』の間には、多くの相似点があるように思われる。2作品とも主人公自らによって物語が語られるという形式がとられ、Chapterごとに小さく完結し、最後にごく短いChapterによる主人公のその後で締めくくられる。プロット的にも、主人公が現状の生活から逃げ出し、いく人かの重要な登場人物たちと出会い、厳しい現実を目の当たりにし、最期は元の生活に戻ってくるという形で両作品とも終わっている。また、作品のモチーフも、自然と文明、孤独と死、友情と愛情、母性と父性、男と女、子供と大人、自由と規律、人種差別問題、教育問題などなど、少し無理のあるものもあるかもしれないが、多くの相似点が存在することは確かである。

 しかし、私はこの二つの作品から大きく異なった印象を受けた。特に、終盤のシーンでそれははっきりと現れた。それはいったいどのようなものなのか、そして、私がどのようにそれを解釈したか、作品の展開とともに述べていきたいと思う。

〜厭世的世界観によって描かれる圧倒的「世界」〜

 『The Catcher in the Rye』の主人公Holdenも『Adventures of Huckleberry Finn』の主人公Huckも、現状の生活に対する不満を述べて始まっている。

 Holdenは退学した学校をこのように言っている。
"'Since 1888 we have been molding boys into splendid, clear-thinking young men. ' Strictly for the birds. They don't any damn molding at Pency than they do at any other school. And I didn't know anybody there that was splendid and clear-thinking and all. Maybe two guys. If that many. And they probably came to Pency that way."(J.D.Salinger 『The Catcher in the Rye』p.2)
 対するHuckも未亡人Douglasとの生活について次のように言っている。
"The widow Douglas, she took me for her son, and allowed she would sivilize me; but it was rough living in the house all the time, considering how dismal regular and decent the widow was in all her ways;..." (Mark Twain 『Adventures of Huckleberry Finn』 p.1)
この、『The Catcher in the Rye』の"molding into splendid" と『Adventures of Huckleberry Finn』の "sivilize" は、両作品の主要なテーマであり、J.D.SalingerとMark Twainの厭世的な世界観を表す象徴的な言葉でもある。その厭世的な世界観は、両者の偉大な知性と観察力をもって全編を通じて描かれており、皮肉にも両作品を傑作としている要因のひとつになっている。

 そして、HoldenとHuckは「世界」を巡る旅に出ることになるが、彼らが新しく直面する「世界」も決して生易しいものではなかった。

 Holdenは、子供や女性が象徴するinnocenceに対して強い執着心を持っていたが、子供のそれで、ホールデン自身が汚れにまみれた「世界」を闊歩していけるわけもなく、女性のそれは、汚れにまみれた「世界」を受け入れた女性の登場人物たちによって打ち砕かれていく。

 Huckのほうは、あまりにも理不尽な「世界」を見せつけられていく。悪漢どもや貴族一家の殺し合い、民衆の蜂起と敗北、黒人や弱者に対する差別などなど。時代背景が異なるので、Holdenの場合と簡単に比べることはできないかもしれないが、Huckが直面した「世界」はあまりにも残酷な「世界」であった。

〜途方のない絶望〜

 そして、HoldenもHuckもクライマックスを迎える前に、現実に対して圧倒的に絶望してしまう。

 『The Catcher in the Rye』のChapter22に、Holdenと妹Phoebeが口論する、次のような名シーンがある。
"'You don't like anything that's happening.' It made me even more depressed when she said that. 'Yes I do. Yes I do. Sure I do. Don't say that. Why the hell do you say that?' 'Because you don't. You don't like any schools. You don't like a million things. You don't.' 'I do! That's where you're wrong - that's exactly where you're wrong! Why the hell do you have to say that?' I said. Boy, was she depressing me. "(J.D.Salinger 『The Catcher in the Rye』pp.152-3)
この後、Phoebeから「好きなものをあげてみなさいよ」と言われて、意識を集中しようとするが、自殺した同級生のことを思い浮かべてしまう(!)。そして、私が一番好きなChapter24では、最も信頼していた先生から人生に対する訓示を受けるが、その最も信頼していた先生からホモ行為を受ける(人生に対する訓示!!)。それまでも数多くの厳しい現実に直面してきたHoldenは、ここで最期の決定的ダメージを受けることになる。

 対するHuckも、Chapter31で逃亡者としての盟主であるJimとの別離を迎える。
"I went to the raft, and set down in the wigwam to think. But I couldn't come to nothing. I thought till I wore my head sore, but I couldn't see no way out of the trouble. After all this long journey, and after all we'd done for them scoundrels, here was it all come to nothing, everything all busted up and ruined, because they could have the heart to serve Jim such a trick as that, and make him a slave again all his life, and amongst strangers, too, for forty dirty dollars."(Mark Twain『Adventures of Huckleberry Finn』p.232)
Huckはそれまで幾多の危険を冒してまで、奴隷の身分であるJimを助け続けてきた。もちろん葛藤もあったが、それゆえにJimを思う気持ちも深くなっていたのかもしれない。

 HoldenもHuckも、このような激しい絶望に襲われるが、二人ともなんとか苦難を乗り越えようとする。しかし、それはまったく正反対の方法でである。

〜自我の解放〜

 厳しい現実に直面した二人は、自我(苦悩)を解放することで問題の解決を図る。

 Holdenの場合、それは偶然的な巡り合わせによるものである。冬場の湖にいるアヒルや魚はどうしているのだろうと自分の姿を重ね合わせていたHoldenは、遊園地で冬でも子供たちを乗せて回り続けるメリーゴーラウンド(永遠性の象徴)と出会い、ライ麦畑の捕手を夢想していたHoldenは、金の輪を捕まえようと危険を冒す子供たちの姿の美しさ(刹那的美しさの象徴)に出会う。そして、すべてを無効にしてしまう雨がやってくる。
"Boy, it began to rain like a bastard. In buckets, I swear to God. All the pants and mothers and everybody went over and stood right under the roof of the carrousel, so they would not get soaked to the skin or anything, but I stuck around on the bench for quite a while. I got pretty soaking wet, especially my neck and my ants. My hunting hat really gave me a lot of protection, in a way. But, I got soaked anyway. I didn't care, though. I felt so damn happy, all of a sudden, the way old Phoebe kept going around and around. I was damn near bawling, I felt so damn happy, if you want to know the truth. I don't know why. It was just that she looked so damn nice, the way she kept going around and around, in her blue coat and all. God, I wish you could've been there."(『The Catcher in the Rye』p.191)
この雨がホールデンのいいところも悪いところもすべて洗い流してしまったのだろうか。私は去年のゼミ論で、“ホールデンは「何か」を悟りでもしたのか、ライ麦畑のキャッチャーになる夢をあきらめてしまう。そこで、世界を変えることができないなら自分が変わるしかない、という最も真っ当だが最もありふれた終焉を迎えたように僕には思えた。”と述べた。基本的な考えは変わっていないが、今年のゼミ論に合わせて少し言い方を変えると、“ホールデンは「何か」をあきらめ、「世界」を受け入れることによって自我を解放するしかなかった、悲しいクライマックスであった。”と述べられる。

 対するHuckは、正しい行い(「世界」においての正義)を取るか、Jimとの友情(「世界」においての愚行)を取るか激しく苦悩する。しかし、最終的にはJimとの友情を選択する。
"I was a trembling, because I'd got to decide, forever, betwixt two things, and I knowed it. I studied a minute, sort of holding my breath, and then says to myself: 'All right, then, I'll go to hell'..." ( Mark Twain 『Adventures of Huckleberry Finn』 p.235)
ここで、HuckはHoldenと同じように自我(苦悩)を解放することになる。しかし、その方法はまったく異なる。それはHoldenが受動的であるのに対して、Huckは能動的であるという点に加えて、Holdenが「世界」を受け入れることで自我を解放したのに対して、Huckは「世界」を拒絶することで自我を解放したのである。この場面が感動的なのは、Huckが苦悩の末にJimの友情を選択したという点にあるのではなく、今述べた点にあるのだ。

〜対照的な二人の結末〜

 二人の主人公の最期も対照的である。Holdenが静養のため家に帰り、昔を懐かしんでいるのに対し、Huckは次のように述べている。
"But I reckon I got to light out for the Territory ahead of the rest, because Aunt Sally she's going to adopt me and sivilize me and I can't stand it. I been there before."(Mark Twain 『Adventures of Huckleberry Finn』p.321)
つまり、Huckは最期においても「世界(sivilization)」を受け入れようとはしないのである。

〜まとめ〜

 今まで述べてきたことをまとめてみようと思う。

 『The Catcher in the rye』の主人公Holdenと『Adventures of Huckleberry Finn』の主人公Huckは、それぞれの作者の圧倒的な知性と観察力をもって描かれた「世界」を巡る旅に出る。その過酷な「世界」を巡る旅で、二人は疲弊し、あまりに劇的な悲劇によって絶望する。ここまでは共通しているが、そこで、Holdenが「世界」を受け入れることで自我(苦悩)から解放されたのに対して、Huckは「世界」を拒絶することで自我(苦悩)を解放したという点で異なっている。

〜あとがき〜

 ここまで書いてきて、もしかすると私が『The Catcher in the rye』を嫌っている印象を与えてしまったかもしれない。しかし、ラストは『Adventures of Huckleberry Finn』の方が好きだが、『The Catcher in the rye』の方が気になる小説ではある。『The Catcher in the rye』の方が感覚的に訴えてくるものが多いし、駄目駄目なHoldenにも同情する部分はある。しかし、その最後において、何か「突き抜けた感じ」がしないのである。これを言葉で説明するのは難しいが、『The Catcher in the rye』を新訳して出版するという噂の村上春樹も、何か「突き抜けた感じ」がしないと言えば少しはわかってもらえるだろうか(村上春樹も気になる作家である)。

 それに対して『Adventures of Huckleberry Finn』は19世紀の作品で、『The Catcher in the rye』より50年以上も前に書かれたものであるが、そのラストにおいては、近代的な生活の空虚さ(「世界」を受け入れざるをえなかったHolden)を描いた『The Catcher in the rye』よりも、空虚さのなかでも力強く生きようとする(「世界」を受け入れようとしない)主人公を描いた『Adventures of Huckleberry Finn』のほうがより現代的ではないかと思ったのである。


Back to: Seminar Paper Home