Seminar Paper 2002
Akie Jibiki
First Created on January 29, 2003
Last revised on January 29, 2003
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「Adventures of Huckleberry Finnと人種差別問題」
HuckとJim―人種を越えて
まず、作者とこの物語の関係についてみていきたいと思う。Introductionの“Literary realism was also a movement that placed heavy emphasis on materials drawn from the author's own experiences”(p. ix) よりMark Twainは自分自身の経験をもとに作品を書いていることがわかる。よってこの作品も作者自身の経験をもとに物語が書かれているとみなすことができる。このことよりHuckはMark Twainつまり、作者自身なのではないかと考えられる。このことを冒頭においてHuckとJimの関係、他の登場人物に対する態度、言い換えれば白人と黒人の差別問題に着目していきたいと思う。 先ほども述べたことより作者と物語は大きく関係していることが分かった。このことより作者がこの作品を書いた環境とも大きな関わり合いをもっていると考えられる。ここで、この物語が書かれた時代背景をみてみよう。 Mark Twainは、この作品を1876年、「トム・ソーヤの冒険」が出版された年に書き始めている。この年はすでに述べたように、いわゆる再建期が終わり、旧南部勢力が復権して「再び奴隷制がはじまった」年であった。それ以後、黒人差別と白人優越の偏見が次第に強まっていき、80年代に入ると毎年50名以上の黒人がリンチされるという事態になる。また1883年連邦最高裁が、1875年に制定した公民権法を違憲とする判決を下し、その保守的な偏見を暴力が法的に正当かされるという時期に、書きあげられているのである。 (池上日出夫『 アメリカ文学の源流 マーク ・ トウェイン 』 (新日本出版社), 1994), p. 94) 上の引用文より作者は黒人差別と白人優位の偏見があった時代にこの作品を書いたということが分かる。時代の風潮に流されて作者自身も人種差別主義者なのであろうか。それともそうでないのだろうか。物語を分析しながらみていきたいと思う。 “ One uv 'em 's light en 'together one is dark. One is rich en 'together is po'. You 's gwyne to marry de po' one fust en de rich by-en by.” (p. 20) “ ‘ Well, there's five niggers run off tonight, up younger above the head of the bend. Is your man white or black? ” (p. 99) 上の引用文は白と黒を対照的に表現してあるものを一部抜き出したものである。始めの文章より白人は金持ちで黒人は貧乏であると読みとれることができる。また、次の文章より、作者は人間を白か黒のどちらかに分けようとしており差別していることがうかがえる。2つの文章より時代背景であった黒人差別、白人優位といった考えが表れていることが分かる。こういった偏見がHuckとJimにおいてどのようにふりかかってくるか見てみよう。 “ Well, he was right; he was most always right; he had an common level head, for a nigger.” (p. 84) これはJimのことを誉めているようだが、最後に黒人にしてはという言葉が付けられている。黒人のレベルにしては頭がいいと言っていることからHuckはJimのことをバカにしているとも受け取れる。 さらに次の引用文 “ I see it warn't no use wasting words? you can't learn a nigger to argue.” (p. 88) からもHuckの黒人に対するバカにしたような対応がみられる。黒人のレベルの低さを強調しているようである。いくらJimに教えても黒人だから考え方も違うし、ましてや言うことを分かってくれないだろうと予測した結果、Huckはこのように思ったと考えるが、最終的にHuckの黒人に対する差別、偏見が明確化したのは確かである。そして決定的な偏見を表したのが次ぎに挙げるものである。 “ Just se what a difference it made in him the minute he judged he was about free. It was according to the old saying, ‘give a nigger an inch and he'll take an ell .’” (p. 98) 昔の言い伝えよりとあるように、昔からの習わし、風習が代々に伝わっていき、黒人に対する偏見がHuckの代にまで伝えられた結果である。その他にもHuckがJimに仕掛けるガラガラヘビの悪戯、Jimの忠告を無視して行う難破船の危険な探索、Jimの無知を前提として吹きかけるソロモン王やフランス語についての論議、これらは全てJimの人間性を否定しようとするHuckの人種的階級意識の現れであると言える。Huckと同じ視点から見ている作者自身もHuckと同じように人種差別的な考えを持っていたのではないかと思われる。 お互いジャクソン島で再会した二人だが、結果的にHuckはJimを連れて川を下ることになってしまった。 “ Git up and hump yourself, Jim! There ain't a minute to lose. They're after us!” (p. 69) ここでHuckは「us」という一人称複数形を使っていることよりHuckの心には共犯者意識が芽生えていたと考えられる。 この旅は白人Huckにとって逃亡奴隷を助けたという罪を背負ったHuckいとっては重荷となった旅であった。Huckの心の隅にはミス・ワトソンに対する罪の意識と、その罪によって自分にのし掛かる恥の意識が存在していたに違いない。 しかし、HuckがJimをずっとバカのように扱っていたという訳ではない。Huckは当時の目論みに反し、Jimに身の自由をわきまえさせるどころか、逆にJimの人間的な大きさを思い知らされるのある。濃霧の発生によって進行できなくなった筏を泊めるためにカヌーに乗り移ったHuckだがそのまま川に流されてしまい、Jimと離ればなれになってしまうという事件が起こる。そして、再会できた時のJimは喜びと感謝を思いっきり表に出して表現した。この行動よりHuckはJimへの見方を少しずつ変えて言ったと思われる。今まで「物」同様にしか見なしてしていたJimの中に、人間らしさというものを見つけ出したのだ。黒人というと物同様、人間と同じような感情なんかない、と思っていたからだろう。その先入観はJimによって少しずつ壊されていくのは確かである。 さらにHuckの白人意識をさらに覆す出来事が起こる。それはJimの家族を思う気持ちである。“ and I do believe he cared just as much for his people as white folks does for their'n. It don't seem natural, but I reckon it's so.” “ He was a mighty good nigger, Jim was.”(p. 170) 家族を大切に思うという人間が本来持っている感情が黒人であるJimに存在していることに気づいたHuckは驚きと同時に感動したに違いない。これよりJimに対する評価がプラスの方向に傾いたのは確かである。 しかし、だからといって人種的差別がないとは言えない。上の引用文より“ good nigger ”とあるがこの言葉を使っている時点で差別が存在していると考えられる。Jimだけではなく、他の登場人物の黒人も差別を受けているこが伺える。グランジャーフォード家の黒人達やメアリーの家の黒人達は召使いとして働かされていた。当時の人々は黒人を召使いとして働かせることが当たり前の時代だったのだ。 “Because Mary Jane'll be in mourning from this out; and first you know the nigger that does up the rooms will get an order to box these duds up and put 'em away; and do you reckon a nigger can run across money and not borrow some of it?” (p. 194) 上の引用文より、何の証拠もないのにただ掃除をした黒人がお金を盗んだと思われている。ましてや、黒人がお金を盗まないことがあるかのように書かれている。これより悪い出来事は何でも黒人にこじつけてしまうと受け取れる。ここからも人種差別的な行為が読みとれる。 HuckはJimに対しての接し方が少しずつ変わってきたと感じられるが、その気持ちはほんの一握りにすぎなかったのだ。 “ It would get all around, that Huck Finn helped a nigger to get his freedom; if I was to ever see anybody from that town again, I'd be ready to get down and lick his boots for shame. That's just the way: a person does low-down things, and then he don't want to take no consequences of it. Thinks as long as he can hide it, it ain't no disgrace. That was my fix exactly. The more I studied about this, the more my conscience went to grinding me, and the more wicked and low-down and ornery I got to feeling. (p. 233) ここの「良心」というものは白人の良心であり、当時の社会の「奴隷所有の神聖さ」という固定観念によって作られてしまった人種差別と白人優越の偏見などがHuckの心の中で格闘していた。良心に苦しめられたHuckはミス・ワトソンに手紙を書いた。 “ Miss Watson your runaway nigger Jim is down here two mile below Pikesville and Phelps has got Jim and he will give him up for the reword if you send. Huck Finn I felt good and all washed clean of sin for the first time I had ever felt so in my life, ” (p. 234) Huckはミス・ワトソンにJimの居場所を告げ口することで罪が洗われて気分がすっきりだと言っている。やはりHuckの中で良心が葛藤していたと考えられる。子供でありながらもうすでにHuckの中には白人としての良心というものが備わっておりその良心に苦しめられたのである。それはJimとの逃亡生活において彼の中の人間性というものを発見してしまったことによって生まれるのである。このようにHuckはミス・ワトソンに手紙を書いたが、結局のところはJimのことを憎むことができずにいた。それどころかJimとの思いでを思い返していたのだ。“ All right, then, I'll go to hell'? and tore it up.” (p. 235)からも分かるようにHuckは地獄に行くことを決心したのだ。つまりJimを奴隷の身から救い出そうと決心したのだ。この行為は当時の社会からして地獄に行くと言うほど悪事だったのだ。それなのにHuckの気持ちを変えた物は一体何であったのか。おそらくJimの人間性だったのではないだろうか。しかし、このままでは白人と黒人の友情物語になってしまう。差別がなくなったのかというとそうではない。 TomとHuckがJimを助けるために試行錯誤するが、その方法ときたらJimを人間扱いしていないのである。ネズミにかまれた血でシャツに日記を書けとか囚人は動物を飼わないといけないとかでヘビを小屋の中に入れられたりと。彼らからすると単なるゲームにすぎなかったのであった。というのは、Jimはすでに自由の身だったのであった。ただ単に二人の遊び道具のように使われたのであった。それとも知らずにJimは自由を求めて理に沿わない二人の意見に同意するだけであった。同意するしかなかったのだろう。二人の子供といっても白人であったし、唯一助けてくれるひとだったから。結局はJimの自由という身分はただミス・ワトソンの中でしか存在しなかったのである。 この物語は白人のHuckと黒人のJimの友愛を語っていたが、最終的には人種差別というものは存在していたと言える。この友愛というものは作者Mark Twainの理想だったのではないだろうか。現実の世界に生きる作者はHuckの行動を通して人種差別という厳しい現状を表現したかったのではないかと思う。しかし、こういったことは小説の中でのみしか可能ではなかったのだ。現実にはあり得ないのである。やはり作者はHuckと同じように現実の世界と理想の世界とで葛藤していたに違いない。上に引用してきた文章から人種差別的な表現が使われていたことより、実際Mark Twainは現実社会の風潮に流されて、人種差別という観念にとらわれた人間の一人だったのではなかと私は思う。
参考文献 御手洗 博 「文学と人種偏見」 大坂教育図書 2001年 池上日出夫 「アメリカ文学の源流 マーク・トウェイン」 新日本出版社 1994年 |
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