"The Adventures of Huckleberry Finn"と言えば思い浮かぶのが、ヘミングウェイが『アフリカの緑の丘』の中で述べた、「アメリカの近代文学はすべてマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』という一冊の本から出発している。…それ以前には何もなかった。それ以後にもこれに匹敵するものは何もない」という言葉だろう。実際、この本はアメリカ近代小説の代表作であり、出版から100年以上が経った現在でも多くの人々に読み継がれていて、その間発表された研究本や批評本の類は数え切れない。この本がこれほどまでに読者の心を捉えて離さない理由を考えると、この作品が人種差別という問題を扱い、それを Huckleberry Finn という一人の白人少年の視点から彼自身の言葉で伝えようとした点にあるのではないかと思う。それについて論じること自体タブーとされていた当時にこのような問題を取り上げたからには、人種差別に対して作者には考えるところがあったのだろう。ここではその点に着目して、作中の登場人物たちの黒人観から、彼の人種差別に関する考えを探っていきたい。
この作品の特徴として挙げられるのが、白人優位主義者、黒人差別主義者が登場するという点である。Huck
の父親や Tom がそうである。具体的に言えば、 Huck の父親の "but when I they told me there was a State in
this country where they'd let that nigger vote, I drawed out, I says I'll never
vote again. " (p. 30) というせりふからは、彼が黒人が選挙権を持っていることを不当だと考えていることがわかる。また Tom は、 "and
besides, Jim's a nigger and wouldn't understand the reasons for it." (p. 264)
と、肌の色で頭の良し悪しを決め付けてしまっている。さらに Tom は、"and Jim and me laid into that grindstone and
walked her along like nothing; and Tom superintended. He could out-superintend
any boy I ever see. He knowed how to do everything." (p. 286) と Huck
が説明している場面では、黒人である Jim
を働かせ白人である自分はそれを監督するという、奴隷制度そのもののような行為を当たり前のように思っている節がうかがえる。 このように、この作品には黒人差別をする登場人物が登場している。しかし、このような白人優位主義的な考えは決して
Twain の個人的な見解ではない。それは、次の彼自身の言葉からもうかがえる。
奴隷を所有していた時代には南部社会には一つの一致した考えがあった。つまり奴隷は財産として神聖にして侵すべからずというのだ。逃亡奴隷を助けたり、奴隷捕獲人に密告する機会があるのに直ちに知らせないということは、馬や牛を盗むよりもさらに卑劣な犯罪で、一生払拭できない道徳上の汚点を残すことであった。この考えは奴隷所有者の場合には金銭的な問題があるからまだわかるが、浮浪者でさえ熱心にしかも譲歩できないほど、そういう考えを持っていたのは過去のこととはいえ全く理解できないことである。今日ではばかげたことのようだが、ハックや父親がそういう考えを支持するのは当然だと私には思えた。(板橋好枝・高田賢一編著『アメリカ小説の変容』(ミネルヴァ書房),
1995, p. 37)
このように、彼ははっきりと奴隷制度を否定しているのだ。さらに、その奴隷制度を作品の登場人物に支持させたのも、時代背景を考慮しての意図的なものだったとはっきりと述べている。作品中に
Huck の父親や Tom
など、何人かの黒人差別主義者を登場させたのも、当時の多数派の意見を盛り込むことによって作品により現実味を帯びさせようとした、 Twain
のリアリズムの追求の結果なのだ。
その証拠に、作者の思い入れも読者の感情移入も最も多いであろう、主人公である Huck の黒人に対する差別意識は最終的に払拭されているのである。それがわかるのが、
Huck と Jim が霧の中でお互いの姿を見失ってしまう場面である。
En when I wake up en fine you back again',
all safe en soun', de tears come en I could a got down on my knees en kiss' yo'
foot I's so thankful. En all you wiz thinkin 'bout wuz how you could make a fool
uv ole Jim wid a lie. Dat truck dah is trash; en trash is what people is dat
puts dirt on de head er dey fren's en makes 'em ashamed. (p. 95)
と Jim に言われた
Huck は、 "It made me feel so mean I could almost kissed his foot to get him to
take it back." (p. 95) と思う。にも関わらず、"It was fifteen minuets before I could work
myself up to go and humble myself to a nigger" (p. 95)
と、実際に行動に移すまで15分もかかっている。ここで注意すべきなのは、 Huck が Jim ではなく a nigger
という言葉を用いているように、彼が容易ではないと感じていることが Jim
に謝るという行為ではなく一人の黒人に謝る行為であるという点なのだ。これはまさに黒人を対等に見ていない当時の世論の考えである。 Huck も最初は世論と Jim
との友情の間で揺れ動いている。しかし、最後は "but I done it, and I warn't ever sorry for it
afterwards, neither." (p. 95)
と、黒人に誤るという行為で白人としてのプライドが傷つくということはなかったと言っている。最終的に作者は Huck
に黒人差別という当時の「常識」を打ち破らせているのである。
では次に、黒人奴隷 Jim
の描き方について見ていきたい。作品を読んで気づくのは、彼のキャラクターが大きく2つに分かれて描かれているという点だ。1つめは、当時の多くの人が思い描いていた思慮にかけ知能も劣るステレオタイプとされていた黒人。そして2つめは、鋭い指摘をして時には白人よりも優れた論理を展開する頭の良い黒人である。例えば、
Afterwards Jim said the witches bewitched him and put him in a trace, and robe
him all over the State, and then set him under the trees again and hung his hat
on a limb to show who done it. And next time Jim told it he said they robe him
down to New Orleans: and after that, every time he told it he spread it more and
more, till by-and-by he said they robe him all over the world, and tired him
most to death, and his back was all over saddle-boils. Jim was monstrous proud
about it, and he got so wouldn't hardly notice the other niggers. Niggers would
come miles to hear Jim tell about it, and he was more looked up to than any
niggers in that country. Strange niggers would stand with their mouths open and
look him all over, same as if he was a wonder. (pp. 6-7)
という場面で描かれているのは、まさに前者の黒人像である。ありえない作り話を得意げに触れ回る Jim と、その話を信じ尊敬の念を込めて Jim
を見つめる黒人たちの滑稽な姿を描くことで、特に白人読者の優越感をくすぐり、笑いを取ろうとしているようにも思える。
一方後者の例としては、 Huck と Jim
がフランス人はなぜアメリカ人とは違う言葉を話すのかと議論する場面が挙げられる。 Huck が猫や牛も人間とは違う言葉を話すという例を挙げたのに対し、 Jim
は次のように反論している。
'Is a cat a man, Huck?'
'No.'
'Well, den, dey ain't no sense in a
cat talkin'like a man. Is a cow a man? ― er is a cow a cat?'
'No, she ain't
either od them.'
'Well, den, she ain't got no business to talk like either one
er the yuther of' them. Is a Frenchman a man?'
'Yes.'
'Well, den! Dad blame it,
why doan'he talk like a man? You answer me dat!' (p. 88)
ここで、黒人である Jim は白人である Huck
よりも明らかに論理的で理にかなったことを述べている。そして興味深いのは、この Jim の反論を聞いて Huck が言っている言葉である。 "I see it
warn't no use wasting words ― you can't learn a nigger to argue. So I
quit."(p.88) Jim を否定するようなこのせりふは、議論で Jim には勝てないことを悟った Huck
のせいいっぱいの強がりのように思える。そして同時に、やはり白人読者に優越感を持たせるためのせりふにも思えるのだ。「会場を笑いの渦に巻き込むのは、講演としてはたぶん最高の出来だと私には思えましたし、マーク・トウェイン自身もよく大得意になっていました。彼のほおや目は、まるで赤い火花が飛び散るようにきらきら輝いていました。」(クララ・クレメンズ『父マーク・トウェインの思い出』(こびあん書房,
1994), p. 218
)とあるように、 Twain は読者の反応を大変気にする作家だった。その Twain は公衆の際、特にこの部分を好んで聴衆に読み聞かせたという。それを考えると、
"you can't learn a nigger to argue. So I
quit." という一文には、聴衆である白人に対するリップ・サービスという役割と、 Jimの知性を Twain
なりのユーモアで包み込み、黒人だからといって頭が悪いということはないのだという批判を紛れ込ませる役割があったのではないかと思う。そしてこれこそ、この作品で
Jim が正反対の二つのキャラクターを持っている理由なのだ。
こうして "The Adventures of Huckleberry Finn"
の作品の登場人物から彼の黒人観について見てきたが、そこから言えることは、作者自身は奴隷制度や黒人に対する偏見に疑問は抱いていたが、多くの人が奴隷制度しいては白人優位主義を当然のものと考えていた当時、それを小説の中で堂々と明らかにすることには抵抗があったため、作品の中ではそういった批判をユーモアで紛れ込ませたのだ、ということだ。 Jim
の描き方が時に矛盾しているのも、当時の人々の考えも取り入れる一方で、奴隷制度に対する批判も描こうとしたためだと考えると納得がいく。
よって、作者 Mark
Twain は人種差別主義者であるか否かという問題に関して、個人としては “No” だが、作者としては “Yes” であろうともした、というのが私の結論である。彼が、「奴隷制度を否定した作品、その作家」という烙印を押されて敬遠されることを拒み人種差別問題を真っ向から取り上げることを犠牲にしながらも、その問題に一石を投じようとしたのが、この作品なのだ。