Seminar Paper 2003

Miho Arakawa

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

Back to: Seminar Paper Home

FrankとMorris
〜みんな誰かのAssistant〜

   

    一年間使った教科書は、今日改めて見てみると、端が擦り切れてボロくなっている。初めてテキストを受け取った日に、どんな話なのだろう?と期待に胸を膨らませた事や、雨の日に、鞄に雨水が染みてしまい、テキストの表面がブヨブヨになってショックを受けた事などが思い出される。the Assistantは、最初は慣れていなくて、読むのにも時間がかかるし、読んだ後、暗い気持ちになるのであまり好きにはなれなかったものの、授業が進んでいくにつれて、次はどうなるのだろう?と興味がわいてきて、読み終えた現在では、好きな作品の一つになっている。というのも、この作品は、Frank Alpine が主人公ではあるが、周囲の人物も個性や存在感があり、その中でも特に、ひっそりと生きるMorris Boberという男性が素晴らしかったと思う。ゆえに、私は、ゼミ論のテーマを「FrankとMorris」について書く事に決めた。 舞台は、1930年代末期から1940年代初頭のアメリカ、11月初めの夜明けから、物語はスタートする。強盗という、最悪な事態で出会うFrankとMorris、この2人の関係を性格や運を比較しながら、分析していきたいと思う。  まず、Morrisの運については、娘のHelenが述べている。

The grocer, on the other hand, had never altered his fortune, unless degrees of poverty meant alteration, for luck and he ware, if the soul of honesty− he could not escape his honesty, it was bedrock; his toil was a form of time devouring time− the less he seemed to have.   He was Morris Bober and could be nobody more fortune.   With that name you had no sure sense of property, as if it were in your blood and history not to possess, or if by some miracle sixty and had less than at thirty.    It was she thought, surely a talent.   (p. 14)
 

    根っから運に見放された人物で、悪くなった運命を変えられず、決してその運命から逃れる事のできない不幸の持ち主である。Karpの家に入るはずだった強盗に入られてしまったり、やっと運がついてきたかな…という時に、寒い中雪かきをしたために、体調を崩して死んでしまう、といった様に、その運の悪さは、小説の中でもたくさん描かれている。一生懸命働き、人に騙される事はあっても、決して人を欺く事はしない。善良な人であるにもかかわらず、その運は年を経るにつれて悪くなっていく一方である。 人の良さが表れている部分が何ヶ所かあり、“When a man is honest he don’t worry when he sleeps.   This is more important than to steal a nickel.   ”(p. 79) などから、その精神においても誠実な人である事が分かる。しかし、その運の悪さゆえに、いつも不幸を背負ったような人生を送っている。「三人集まれば文殊の知恵」ということわざがあるが、三人集まったところで彼の運の悪さというものは、変えられないだろう。  一方Frankの運は、Morrisより最悪だ、と私は思う。Frankの運については、以下のように述べられている。

 Frank slowly put out his cigarette.   “What I stared out to say before about my life, ”he said heavily, “is that I had a funny one, only I don’t mean funny.    I mean I’ve been close to some wonderful things − jobs, for instance, education, women, but close is as far as I go.”  His hands were tightly clasped between his knees.   “Don’t ask me why, but sooner or later everything I think is worth having gets away from me in some way or other.   I work like a mule for what I want, and just when it looks like I am going to get it I make some kind of a stupid move, and everything that is just about nailed down tight blows up in my face.  ”  (p. 32)

    Morrisが運から見放されている人であるのに対して、Frankは、上手くいきそうな事があっても、自分の過ちのせいで、その幸運を手放してしまう、という人生を歩んできた人物である。元から運がないのなら、あきらめもつくが、自分のバカのせいで、せっかくのチャンスを台無しにしてしまうなんて、後悔してもしきれないし、悔しさも倍である。だが、彼はなかなか頭のキレル男性であり、機転がきくし商売上手でもあった。実際、サーカスの女の子の話であっても、事実であるのかはあやしいものであるが、Helenの心を動かすし、彼の人生を語る時においても、Morrisの同情を引く事に成功する。Frankには、人の心を動かす魅力があるし、人をグッと引き付ける力があるのだ、と私は思う。また、演技も上手い。例えば、“‘Bastards like that ought to die.  ’   Frank spoke vehemently.   ”   (p. 34) は、自分が強盗に入ったのに、何とも白々しい。とても、利己的な性格をしている、と言えるだろう。また、普通ならば、自分のした事を反省し、激しい自己嫌悪に陥るべき場面でも、Frankの場合は一味違う。最初は、自分の犯した罪に苦しむものの、ある程度落ち込んだら、今度は自分を正当化する、というすごい芸当に出るのだ。強盗のことをMorrisに告白しようか、迷っているときにも、以下の様に自分に都合の良い解釈をする。

The past was the past and the hell with it.   He had unwillingly taken part in a holdup, but he was, like Morris, more of a victim of Ward Minogue.   If alone, he wouldn’t have done it.   That didn’t excuse him that he did, but it at least showed his true feelings.   So what was there to confess if the whole thing had been sort of an accident?   Let bygones be gone.    He had no control over the past− could only shine it up here and there and shut up as to the rest.   From now on he would keep his mind on tomorrow, and tomorrow take up the kind of life that he saw he valued more than how he had been living.    He would change and live in a worthwhile way.  (p. 150)
しかし、この性格は、ある意味、人生を生き抜いていく上で、大切な素質であるのかもしれない。マイナス思考すぎるよりも、プラス思考である方が、人間は強く生きてゆける事だろう。 FrankとMorrisは、宗教においても性格においても、あらゆる面において、全く違うが、互いが大きな存在であった事は否めない。Morrisに関して言えば、Frankに店を手伝ってもらう事によって、売上がのびたことも事実であるし、Frankによってガスの時と火事の時、2回も命を助けてもらっている。Frankの事を最初は、かわいそうな青年と同情の念を抱いていたにもかかわらず、彼を店の救世主のようにまで思おうとするのだ。 一方、Frankにおいても、Morrisから、多くの影響を受けている。彼は、カトリック教徒であり、最初は、ユダヤ人であるMorrisの事を
“ They were born prisoners. ”   (p. 81) “That’s what they live for, Frank thought, to suffer.   And the one that has got the biggest pain in the gut and can hold onto it the longest without running to the toilet is the best Jew.    No wonder they got on his nerves.   ” (p. 82)
といったように、見下すような考え方を持っていた。しかし、MorrisやHelenと接していく中で、だんだんとユダヤ人の事を理解しよう、と気持ちに変化が生じる。それが、顕著に表れているのが、“What I like to know is what is a Jew anyway?   ”(p. 117) “But tell me why it is that the Jews suffer so damn much, Morris?   ”(p. 118) という場面である。ユダヤ教とは、どういったものなのか?という興味を抱き、図書館で、ユダヤの歴史について学ぶ場面もでてくる。Morrisと出会ったことによって、Frankの心に変化がおとずれたのは、確実であり、ユダヤ教への改宗は、Morrisの精神を受け継いだと考えられる。最初は、フラフラとしていて、利己的であったFrankも、しっかりと地に足のついた生活をし、墓のようだ、とバカにしていたMorrisの店で、この先も働いていくのだろう。

    この本を読み終えて、作品のテーマは、何であるのかを考えてみた。ユダヤ教であるがゆえに苦しみ、暗い人生を送るMorris、そして、カトリック教徒であるFrank、この2人の出会い。Frankは、Morrisの店を手伝うAssistantであったが、逆に、MorrisもFrankにとって、人間としての成長を助けるAssistantであったと言える。Morrisは、Frankのユダヤ教に関する質問について、次の様に答える。

“this means to do what is right, to be honest, to be good.   ” “If you live, you suffer. Some people suffer more, but not because they want.    But I think if a Jew don’t suffer for the Law, he will suffer for nothing.   ” “I suffer for you,” “I mean you suffer for me.  ”(p.118)
  「正直で善良である事、自分自身よりも、他人を思いやること、そういう精神こそが、ユダヤ教なのだ」というこのセリフは、とても印象に残る言葉である。Morrisは、無駄で何もない人生のように自分の人生を語るが、自らの存在が、誰かの気持ちに変化を起こし、自分の精神を受け取ろうとしてくれる人のいる彼の人生は、価値のある生涯であった、と言えるだろう。

    人間は、決して一人では生きていけない。多くの人にAssistantしてもらい、そして、自分も誰かのAssistantになっているのだろう。現在、テロや、戦争が勃発している恐ろしい世の中ではあるが、誰もが、Morrisのように、欲に走らず、自分中心の考え方ではなく、他人を思いやれる善良な心を持ち続けていたのならば、きっと、こんな世界にはならなかっただろう。一期一会を大切に、人から多くのことを学び、吸収し、そして、自分も誰かの助けになるAssistantであるという事、この事こそが、FrankとMorrisの関係から、the Assistantを通して、Malamudが描いたテーマであると私は思う。


Back to: Seminar Paper Home