Seminar Paper 2003
Hiromi Hachisu
First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004
Back to: Seminar Paper Home
「FrankとMorris」
父親が息子へ伝えたもの
舞台は11月の始め、晩秋から初春にかけての寒い時期である。家も価値観もなければ人生の方向性も持たずに生きていた青年Frankが、運がなく貧乏だがどうしようもないくらい正直者であるユダヤ人のMorrisと関わっていくうちに成長していくというストーリーだ。Frankを取り巻く登場人物を通して、様々な人生観や愛情表現の術が見えてくる。MorrisはFrankに亡くなった自分の息子、Ephraimの姿を重ねる。Morrisは父親として、Frankをどう成長させていくのだろうか。 最初で述べたように、Frankは何の目標もない放浪者であった。孤児院で育ち成功や満足、愛というものを知らずに育った。そんなFrankは、次のように自己分析している。 “What I started out to say before about my life, ” he said heavily, “is that I have had a funny one, only I don’t mean funny. I mean I’ve been through a lot. I’ve been close to some wonderful things─jobs, for instance, education, women, but close is as far as I go.” His hands were tightly clasped between his knees. “Don’t ask me why, but sooner or later everything I think is worth having gets away from me in some way or other. I work like a mule for what I want, and just when it looks like I am going to get it I make some kind of a stupid move, and everything that is just about nailed down tight blows up in my face.” (p. 32)その後、Frankは本当に自分が欲しいものは手に入らないという思いを”I want the moon so all I get is cheese.”(p. 33)と表している。欲しいのに手に入らないものを月、それと対照的に手に入るが庶民的で小さいものをチーズに例えている。自分のミスによって幸せになれないというFrankに対して、Morrisの不幸というのは自分では防ぎようがなく、とにかく運が悪い。そんなMorrisをKarpは“if Morris Bober found a rotten egg in the street, it was already cracked and leaking.”(p. 141)と言っている。FrankがMorrisの元で働くようになり、Frankが店の物を盗んでいるとわかってもIdaのように追い出そうとするどころか親切にしてあげている。Morrisは幸せや運をつかむことができないと言うFrankに自分と同じような姿を見ているのだ。同情心から彼を見捨てることができなかった、Morrisの優しさが感じられる。また、息子を失った淋しさをぬぐえないでいるMorrisは、Frankに息子の代わりをしてもらいたいという思いがどこかにあったのだろう。 Frankには憧れている人物がいた。St. Francis of Assisiという僧侶だ。St. Francisはお金、服など自分の持っているもの全てを他人に寄付し、貧困であることを楽しみ愛しさえしたという。この僧侶の名前をFrank Alpine、そしてFrankが以前住んでいたSan Franciscoとだぶらせていたり、彼の描写が頻繁に見られることからFrankの人生に影響を与えていく人物であることがうかがえる。実際、”His skinny, hairy arms were raised to a flock of birds that dipped over his head.”(p. 27)というSt. Francisが鳥に説教している絵とちょうど同じようにFrankを描写しているシーンがある。 When the man [Frank] rose, the pigeons fluttered up with him, a few landing on his arms and shoulders, one perched on his fingers, pecking peanuts from his cupped palm. Another fat bird sat on his hat. The man clapped his hands when the peanuts gone were and the birds, beating their wings, scattered. (p. 112)また、特にHelenを表現する言葉として鳥と花という単語が目立つ。これはSt. Francisが鳥と花を愛したことと関係づけられていて、象徴的な言葉として使われている。父親であるMorrisは彼女を ”She looks like a little bird”(p. 17)と言い、彼女に思いを寄せるFrankは意気消沈しているHelenを”Helen looked like last year’s flower.”(p. 170)などと言っている。Frankは憧れのSt. Francisに近づくことができるのだろうか。 強盗に入った罪滅ぼしのつもりでMorrisの店で働く決意をしたFrankは、真面目に働いて順調に売上に貢献する一方で店の商品を陰で食べたり、売上の一部を盗んだりしていた。自分のやっていることに激しい罪悪感を感じていたかと思えば、言い訳をして正当化しようとしたりと、悪いことだとわかっていながらも止められない自分の惨めさに苦しんでいる。しかし、その惨めさの中に楽しみを感じるという奇妙な感情も見られる。Frankには善と悪の二面性が潜んでいるのだ。 Frankは、苦しみながら生きるユダヤ人の生き方がどうしても理解できなかった。そして同時に興味を持つようになった。そんなFrankの問いに答えたMorrisの次のセリフから、Morrisの人生観を見ることができる。 ”The important thing is the Torah. This is the Law─a Jew must believe in the Law….This means to do what is right, to be honest, to be good. This means to other people. Our life is hard enough. Why should we hurt somebody else? For everybody should be the best, not only for you or me. We ain’t animals. This is why we need Law. This is what a Jew believes…. If you live, you suffer. Some people suffer more, but not because they want. But I think if a Jew don’t suffer for the Law, he will suffer for nothing.” (pp. 117-118)自分がされたら嫌なことを他人にするなというユダヤ教の立法の故にユダヤ人は苦しみ、人間はお互いに苦しみ合う。この教えはMorrisの性格そのものを言っているように感じられる。Morrisは定期的に礼拝に行かず、ユダヤの食に関する規律にも従わない。黒い帽子もかぶらなければ、ユダヤ教の安息日にも店を開けて仕事をする。彼は正統派のユダヤ教信者ではないが、精神的な面では他の誰にも勝る熱心な信者だったのではないだろうか。そしてこのMorrisの言葉は、徐々にFrankに影響をあたえていく。またMorrisの性格は哲学者であるMartin BuberのIとyouの関係、Iとit関係という考え方からも説明することができる。Iとyou─相手を人として向き合って見ているということ。Iとit─相手をitとして、つまり自分の利益のための道具として見ているということ。Morrisは誰に対しても、一人の人間として向き合うという姿勢がみられる。すなわち、Iとyouの関係を築こうとする人物だといえる。それに対し、転職に成功し裕福な生活をするKarpやMorrisが以前一緒に仕事をしていたCharlie Sobeloffは、相手をだましてでも自分は幸せになりたいと考える典型的な、Iとit関係を保とうとする人物であろう。だからこそMorrisは常にsufferして生きていかなければならないのだ。 Frankに改心させるきっかけを作ったのはこのようなMorrisの人柄だけではない。Helenへの愛情だ。店から盗っていたお金を返そうと思い始めたのも、”I want to be disciplined, and you have to be too if ask it. I ask it so I might someday love you without reservations.”(p. 132) というHelenの言葉に心動かされたからだ。自分をコントロールできる人間に、良い行いができる人間になりたい、そのためには盗んできたお金を返さなくてはならないと考えたのだ。しかしこの時点ではFrankの良心が目覚めたかのように見える反面、Helenに良く思われたいと計算しているようにも思われる。 Frankは盗んできたお金を少しずつではあるが返し始め、思いを寄せていたHelenとの距離も縮まり全てがいい方向へと向かっているように見えた。しかしこの後、いいところまでは行くが自分の愚かな行動によって駄目になってしまうというFrankの運命を決定づけるかのような出来事が起こる。FrankはHelenとのデート資金のために少しだけ店の売上から借りようとしたところをMorrisに見つかってしまい、必死の頼みもむなしく店を追い出されてしまう。そして落胆しているFrankはHelenとの待ち合わせ場所へ向かい、Wardに乱暴されているHelenを助けるが自分も力ずくでHelenを手に入れようとしてしまいHelenに浴びせられたのは”Dog─uncircumcised dog! “(p. 159) という意味深な言葉であった。uncircumcisedという言葉を使ったHelenの、やはりFrankがユダヤ人でないことを気にしていた気持ちがうかがえるセリフだ。こうしてFrankは手に入れつつあったMorrisの信用とHelenの愛情両方を同時に、自らの行動によって失ってしまった。 Frankの中に徐々にMorrisを思わせるようなお人よしな人柄が見られるようになる。そしてFrankがMorrisを引き継いだことを象徴的に表しているのが、Morrisの葬儀が行われているシーンだ。”He [Frank] lost his balance, and though flailing his arms, landed feet first on the coffin…. Frank scrambled out of the grave, helped by the diggers.”(p. 220) Morrisの棺に落ちそこからまた這い上がってくることによって、Frankは過去の自分を捨てMorrisを引き継いで生まれ変わったことを表している。そして今まではgrocerという言葉はMorrisを指していたが、Frankのことをgrocerと呼んでいる。Frankはassistantからgrocerになったのだ。 父親と息子の関係というのはこの物語のテーマのひとつであるが、MorrisとFrankの他にもう一組の親子の形が描かれている。刑事である厳しい父親MinogueとWardである。WardはMorrisの店に強盗に入った犯人であり、Wardは父親に見つかったら殺されると思っている。Minigue刑事はMorrisには息子を見つけたら捕まえると言っているが実際はその気がないのだ。MinigueはWardに”I told you to stay the hell out of this neighborhood. This is my last warning to you. If I ever see you again, I’ll murder you.”(p. 205) と、逃げろということを遠まわしに言っている。Wardが倒れるまで殴るのも、彼なりの愛の形であるが息子はそれに気づかない。Wardは父親の愛に飢えているが本当は愛されている。Morrisとは全く違う父親の愛の形である。 翌年の春、Frankは割礼を受けてユダヤ人になる。二人がどうなったかは書かれないまま終わっているが、FrankがuncircumcisedでなくなりHelenとの障害が一つ減ったことは、私は二人が結ばれることをほのめかしているように感じた。FrankがHelenと一緒になれる保障もないのに割礼を受けたことによって、Helenに見返りを求めない彼の成長が描かれている。そして、この話のタイトル、アシスタントという言葉には作者のどんな思いが込められているのか。FrankはMorrisのアシスタントとして働き、MorrisはFrankの成長を助けるという意味ではFrankのアシスタントになっている。二人はお互いにアシスタントし合っている。人は必ずどこかで人に助けられて生きているのだ。そしてMorrisが言っていたように人は人に苦しんで生きている。つまり人は誰でも他人にassistantされ、時には sufferしながら生きていかなければならない。人は互いに苦しみあい、常に相手と一人の人間として向き合うという人生観を持って生きたMorrisからFrankが学んだことを、作者は私たちにも学んで欲しかったのだと思う。Morrisが父親としてFrankに伝えた教えは、Malamudの私たちへのメッセージではないだろうか。 |
Back to: Seminar Paper Home