Seminar Paper 2003

Etsuko Hibino

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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Frank と Morris
To be honest, to be good

“ If a Jew forget the law,” Morris ended, “he is not a good Jew, and not a good man.”(p. 118)

    Morrisにとって良いユダヤ人、良い人間とは何か。それは、正しいことをし、誠実で正直に生きるということである。しかし彼は敬虔なユダヤ人とは言い難い部分もある。シナゴーグへ行かなかったり、禁じられているものを食す行為は重要ではないとMorrisは言っている。Morrisにとって大切なのは、”What I worry is to follow the Jewish law.”(p. 117)、あくまで伝統的なユダヤの教義に従うことなのである。ユダヤ人にとってトーラーは最も重要なものである。

ユダヤ教とは書物の宗教である。聖なる文書の内容に起源を置き、またそれを中心にして展開し、それを明確に示す宗教なのだ。(ミルトン・スタインバーグ[著] 山岡万里子[訳] 手島勲矢[監修]『ユダヤ教の考え方〜その宗教観と世界観〜』(ミルトス.1998),p. 36)

    教義の中には、神のように慈悲深く寛大になるようにとの教えがある。”Our life is hard enough. Why should we hurt somebody else? For everybody should be the best, not only for you or me.”(p. 118) とあるように、この点に関してMorrisは忠実にそれを守っていることがわかる。Morris にとって、どんな人も物(It)ではなく、人(You)なのであり、“自分の目的のために道具として使ってはならず、彼自身が価値や目的を持っている者として扱わなければならない”(同書.p. 126) と考えているからである。それはFrankに対しても同じであり、Morrisは悪事を働いた得体の知れないよそ者との出会いすらも大切にしている。

He thought of his life with sadness. For his family he had not provided, the poor man’s disgrace. Ida was asleep at his side. He wanted to awaken her and apologize. He thought of Helen. It would be terrible if she became an old maid. He moans a little, thinking of Frank.”(p. 215)

    強盗の件をFrankが白状し追い出した後も、家族に対する思いと平行して、Frankを追い出してしまったことを後悔している。Morrisは常に人の不幸に胸を痛めている。そして人のためにsufferしないのならば、何にも悩んでないのと同じだと言っている。しかしそれがMorrisが不運である大きな要因のようにも思える。一向に良くなる兆しのない不幸な生活は、Morrisにとっては本来耐えがたいものであるはずだ。しかし彼は欲望を持たず、律法を守るという信仰心であらゆる苦悩の苦痛を和らげ、耐えている。”If you live, you suffer. “(p. 118) とあるように、Morrisにとって苦悩するということは、彼にとってユダヤ人としての証であり、律法を守るということは、Morrisのプライドなのである。ではなぜ報われない信仰をMorrisは続けるのであろうか。

〈伝統〉が保存しているのは、大勢の理性主義者の思想であり、無数の神秘主義者の意見であり、数え切れない人々の自己の魂に対する徹底的な探求の結論であり、計算を超えた人生のバランスシートであり、さらには、信仰という思想の中でも、長く耐えていく力、心をより人間らしくする力について語った、長い経験談なのである(同書.p. 53)

    Morrisはトーラーの伝統の中に魂の浄化を求めたのではないだろうか。そして、自分の報われない生活の行き着く先の答えを見出そうとしたのではないだろうか。しかしFrankはそんなMorrisの不肖の善なる生き方に疑問を抱いている。Frankは善と悪との狭間で出口を探している人間である。彼の心の中には小さからぬ野望があり、いつか成功したいと思っている。

I work like a mule for what I want, and just when it looks like I am going to get it I make some kind of stupid move, and everything that is just about nailed down tight blows up in my face.”(p. 32)

    しかしfrankはいつも肝心なところで物事を台無しにしてしまう性分である。”I want the moon so all I get is cheese.”(p. 33) のようにいつも大きなものを望んで行動するのだが、結局手に入るのはチーズのようなありきたりなもの。Frankも不幸な星を背負っているのである。しかしその違いは、Morrisの不幸は逆らいようのないもとからのものであるが、Frankの場合は自分の手による結果というものだ。Morrisの店に強盗に入ってしまったことも不運の一つである。そんな失敗を数多く経験し自責の念に捕らわれながらも、Frankは意味のある人生というものを欲してもがいている。自分の真価とはどんなものであるのか、そしてそれを評価してくれる場所は一体どこであるのかを探して彷徨っている。だからこそユダヤ人の必要以上の苦悩する生活を受け入れられず、Morrisの欲のなさに疑問を抱いたのである。しかしそれにも関わらず、Frankはなぜ貧しいgroceryにとどまったのであろうか。その理由の一つは自分が強盗に加担してしまったことに対する罪の意識からであると思われる。そしてHelenを愛したことも、Frankの生きる意味を見つけるきっかけになり、彼女の側にいたいという理由も考えられる。しかしFrankの考えに最も影響を与えたのは、Morrisの精神力であったのではないだろうか。悪行を働いてしまったことを後悔していたFrankにとって、”do what is right, to be honest, to be good”(p. 118) というMorrisの考え方は胸に深く突き刺さったのではないか。どんな不幸の中でも教えに従うという強い精神は、漂流者のFrankに自分の犯した過ちを乗り越え正しく生きるということを啓示したのではないかと思う。そのためFrankは強盗のことを白状しようとするのだ。ユダヤ教の考えの中には、“悪とは、戦わなければいけない相手だということを認識し、実際に出ていって戦うよう求めている”(『ユダヤ教の考え方〜その宗教観と世界観〜』 p. 95) というものがあり、また“悪をあくまで一時的なものと見なし、最後には乗り越え、償うことができる運命”(同書。p. 94)としている。Frankの自白は悪と戦おうとしている行為であり、Morrisの考えに触発されているところが大きい。そして犠牲者であるMorrisを助け、彼の死後も残された家族のために働き生活を支えていくというのは、償いが可能であるということの実践ととれるようにも思える。

    Frank は当初、成功を勝ち取りたいという大きな欲望を持っていた。それは人間の本能であり、必ず持っているものである。どんな人間でも善の心だけを持って生まれてくるわけではない。The Assistantではそれは登場人物たちに顕著に表れていて、人間とはいかなるものであるかを客観的に示している。Julius KarpはMorrisとは対照的に、人を金儲けの対象として見ている欲深い人物であるし、妻のIdaは冴えない店を売って生活を上向きにしたいと考えている。そしてHelenもまだ見ぬ理想を追い求めている。FrankはHelenを愛するようになって物質的な成功から、精神的な豊かさを求めるようになったのではないかと思う。FrankがHelenに惹かれたのは、どこか自分に似たところがあったからではないか。ユダヤ教に惹かれていくFrankは、Morrisの娘でその精神を受け継ぐ彼女に救いを求めたのかもしれない。今の自分と理想の自分とのギャップを抱えている点、そして満足というものを知らないという点では二人は同じである。Helenは今の自分の生活や父親の不運さを冷静に認めていながらも、心の中の渇きを無視出来ないでいる。”I want a larger and better life. I want the return of my possibility”(p. 39) には彼女の“未知の可能性”へのあこがれが表れている。そして、”Life has to some meaning”(p. 40) というようにHelenは自分の人生はもっと価値があるものだと信じている。自分はもっと特別なものを持っていて、もっと素晴らしい未来が待っているのではないかという大きな期待を抱いている。

人間はいかに平俗に見えても、またいかに日常陳腐なもので容易に満足するように見えても、やはり常に、あるより高い要求をひそかに抱き、養い続けており、これを満足させる手段を探している。(高橋健二訳『ゲーテ格言集』(新潮社.1991)p. 159)

    HelenもFrankもこの欲求につき従って生きている部分もある。HelenがFrankを受け入れたのは、何か自分の運命を変えられると思ったからかもしれない。LouisやNatが与えてくれないものを与えてくれると感じたからではないだろうか。Helenはそこに、肉体的な欲求よりも魂や精神的な美を求めているのではないかと思う。禁欲的というわけではないが、誠意ある純粋な愛というものをHelenは求めているのではないか。その根底には、貧しさという不幸を取り除けない絶望の中で、せめて精神的には満たされたいという欲望のようなものがあると思う。彼女の望み実には崇高なものである。しかしFrankは彼女から、”Dog――uncircumcised dog”(p. 159)と拒絶されてしまう。Frankは後もこのことを忘れることなく、物語の最後にはユダヤ人となることを選ぶのだ。

     “One day in April Frank went to the hospital and had himself circumcised.”(p. 234) Frankがユダヤ人になったのは、以前は疑問を持っていた”suffer”がどういうことなのかを知ったからではないだろうか。それはHelenを愛し、その報われない想いの中、彼女のために何かしようと働く姿勢自体を指している。Helenを想い苦悩する姿は、「誰かのために悩む」というMorrisの姿を連想させ、FrankはそこからMorrisがどんな思いでいたかということを悟ったのではないだろうか。Frankは貧困の中にgoodness、善の心があると思っていた。St.Francisは、”Poverty was a queen and he loved her like she was a beautiful woman”(p. 27) と言った。FrankにとってSt.Francisは特別な存在である。物語の中ではそれを彷彿とさせるシーンが幾つか出てくる。最初は暗い影が漂っていたFrankも、ユダヤ教やMorrisに影響され始めてから、聖人のような雰囲気を持っていく。FrankはMorrisの貧しさの中に、その善の在り処を見とめたのであろう。そしてユダヤ人として生きることは、honest とgoodnessへの未知だと判断したのではないだろうか。

     生きるということは、世の中を知るということだ。一通りではない様々な人々の様々な生き方を知りながら、自分の方向を決めていくものである。“教え”というものはその方向を示してはくれるが、その手順を教えてくれるわけではない。ヒントを得て、後は自分の力で切り開けというものであると思う。挫折や成功、不幸や幸福を感じるのはあくまで自分自身の感覚でしかないのだ。だからこそ、sufferを繰り返し、試行錯誤する必要があるのだ。それを否定してしまったら、生きるということはどんな理由を持つのであろうか。模索して自分なりの道を見つけていく苦労こそ、生きている意味があるのではないかと思う。そして生きるということは、一人で出来ることではない。誰かの助けがあってこそ出来ることなのだ。Morrisのように、他の人間に対する考え方は、本来ならば生きるためには必要なことだ。しかし独り立ちし、自分を信じられるようになると、人は一人で生きているのではないかという錯覚を起こし、周りへの恩恵を忘れてしまうことがある。Morrisの報われない生活は、その犠牲なのではないだろうか。人生には成功する道が常に用意されているわけではない。理想に手が届かず、拭いきれない辛い思いを味わうことの方が多いはずだ。MorrisはHelenやIda、死んだ息子のEphraimに対して懺悔したい気持ちを持ち続けている。”What did I give you? Even your college education I took away”(p. 18) 一向に上り坂にならない商売、Helenに満足に教育を受けさせてやれないこと、Morrisからは欲深さというものは感じないが、理想を求めるのを完全にやめてしまったというわけではないと思う。しかし正直に生きるという精神を裏切ることが出来ず、欲望に満ちた世界の犠牲者になってしまっているのだ。Karpのような金儲けの才能もなく、理想を追いかけようという欲も持てず、ユダヤの教えを信じることをその代わりにしているのではないだろうか。人間は善と悪という二面性を持っている。それを表現するかしないかで、良くも悪くも見えるのだ。The Assistantの人物たちは、時代や宗教に関係なく人間の身近にある問題を抱えている。理想の世界を描くわけではなく、より地に密着した厳しい現実や、リアルな人間らしさというものを感じる。そして、不幸な出来事というものに、人間がどう打ち勝っていくのかということを投げかけている。Sufferとはユダヤ人にだけ当てはまる問題ではなく、すべての人間に当てはまる。楽な道ではないが、それを覚えてこそ、価値のある人生が送れるのだと思う。

    〈参考文献〉

    ・『ユダヤ教の考え方〜その宗教観と世界観〜』ミルトン・スタインバーグ[著]  山岡万里子[訳] 手島勲矢[監修] ミルトス 1998年

    ・ 『ゲーテ格言集』高橋健二訳 新潮社 1991年


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