Seminar Paper 2003

Mikako Kataoka

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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The Assistant:
「人間は他人に対する義務だけではなく、自分の精神に対する義務がある。 ――トルストイ」

 
      ここでは、FrankとMorrisの関係を軸に「The Assistant」のテーマを述べていきたい思う。 そしてそのために、「The assistant」の中のMorrisとFrank言動を検証し、比較していきたいと思う。  
この物語に登場するMorris Boberは、とある個人経営の食料品店の店主である。彼の店の経営状態はこのように描写されている。" Now the store looked like a dark tunnel. " (p. 2) " He thought he had long touched bottom but now knew there was none. I slaved my whole life for nothing." (p. 21) まさに経営はどん底であった。 また、彼には経営を上向きにする商才や経営手腕がなかった。それは下の文章にあらわれている。  " He labored long hours, was his the soul of honesty―he could not escape his honesty, it was bedrock: to cheat would cause an explosion in him, yet he trusted cheaters―covered nobody's nothing and always got poorer. " (p. 14) Morrisは自分の誠実さ、正直さから逃れられなかった。彼は他人をだましたり、踏み台にしてまで、経営を伸ばす事はなかったのである。  またMorisは、金を払えない酒のみの女の会計をツケにしておいたり、毎朝早くから 6セント程のパンやミルクを買いにくるpolishen womanの為に早くから店を開けることを日課としていた。それは勿論、割に合わない仕事であろう。しかし彼はそれをやめることは無かった。
      そしてその様などん底の生活を送るMorrisにある出来事がおこる。それはLouis Karpのところに入るかと思われた強盗がMorrisの店に入ってきたことであった。少ない売上金を要求された挙句、そこでMorrisは頭を拳銃で殴打される。" He fell without a cry " " It was his luck, others had better. " (p. 24) まさに彼の人生は運にも見放されていたのだ。    
  そしてその後に、MorrisはFrank Alpineと出会うことになる。以前から彼は何日も近所をうろついていた。  とある朝Morrisがミルクのケースを引っ張り上げようとした時、そこで彼はめまいを感じふらつき、排水溝に倒れこみそうになった。そこをFrankにささえられたのである。Morrisはお礼の為にFrankにコーヒーを出し、その際にFrankはMorrisに自分の身の上話をした。 
      ここでのFrankは自分の人生について、なにか素晴らしい事をやろうとすると、例えば仕事や教育や女性などであるが――、そしてそれらを達成することは出来ず、手に入れようとすると目の前からなくなってしまうと語った。(p. 32) 
      そしてある日、Morrisがミルクのケースをひっぱりあげようとした時、またもや彼は意識を失い、またもFrankに助けられる事になった。 そして意識を失ったMorrisを助けたその時から、FrankはMorrisの代わりに食料品店で働く事になったのである。(p. 50)  Frankは商才のある人物であり、彼が店頭に立ってからは顧客も増えるようになった。 盗んだ7ドルの助けもあり、商売は上向きに見えた。  そこでFrankは、いままでは週に50セントであった給料を5ドルにひきあげられた。  それにもかかわらず、Frankは売上金の一部を自分のポケットに忍ばせていたのである。  
その行為の為に、彼は悔恨にあふれ、息が苦しくなったり、汗ばんだり、大声で独り言を言ったりしてしまう。(p. 64)  
このように、彼は自分の背徳行為と、その自己嫌悪の間で揺れ動いている。また彼がMorrisの家に強盗に入ったことにおける自己嫌悪が彼を悩ませている。 
      また、 Frankが食料品店で働き出してから、Morrisと仲が良くなり沢山話をするようになった。そこで商品を水増しすることについての話になる 

" It is easy to fool people," said Morris. " Why don't you try a couple of tricks yourself, Morris? Your amount of profit is small." Morris looked at him in surprise. " Why should I steal from my customers? Do they steal from me? " They would if they could." " When the man is honest he don't worry when he sleeps. This is more important than to seal a nickel." Frank nodded. (p.78)

 
      ここはMorrisの誠実な考え方が良くあらわれている描写である。 
      しかしこのようなMorrisの考えを聞きながらも、Frankは盗みを続けてしまう。  また、Frankは時に盗みを働く事や、それによりユダヤ人の鼻をあかしていることにも喜びを感じている。また、彼は自分によって幸運がもたらされたと感じ、盗みをやめたら、また経営も悪くなるとさえ思う。
ここでのFrankには、自分は良い事をしてやっているのだという傲慢さがある。  しかしながら やはり彼は自己嫌悪にも苦しむ。FrankはMorrisから金を盗んでいることへの罪悪を感じており、鏡をのぞきこんだらそれが割れてしまうのではないかという恐怖も感じ、鏡を見る事が出来なくなってしまう。(p. 80)     また、Morrisの店の補佐役を引き受けるようになり、Frankは徐々に「ユダヤ人」というものに興味を持ち始める。Frankの「ユダヤ人とは何か、Morrisは厳格なユダヤ人であるのか」という質問に対して、Morrisはこのように答えた。

This is not imporant to me if I taste a pig, or if I don't. To some Jews is this importanrt but not to me. Nobody will tell me that I am not Jewish because I put in my mouth once a while, when my tongue is dry, a piece ham. But they will tell me, I will believe them, if I forget the Law. This means to what is right, to be honest to be good. This means to other people. Ourlife is hard enough. Why should we hurt somebody else? For everybody should be the best, not only for you for me. We ain't animals. This is why we need the Law. (p. 118)

 
      Morrisは、厳格なユダヤ律法を守る事よりも、むしろ人間の精神において、人からして欲しい事を他人にすること、他人に誠実に生きる事が大事であると述べている。  そしてこれがMorrisの精神であると私は考える。 また、とある日、Morrisは床屋に出かけたが、帰ってみて予想した売上高とレジの中の金額が合わない事に気が付いた。そして彼はFrankが盗みを働いた事を実感する。 しかし、Morrisは成人男性が1週間に5ドルの給料では少ない、そのための行為であると思い、Frankに給料を更に渡す事を決め、それで盗みをやめるだろうとの期待をかけた。
      しかし後に、まだFrankが盗みをやめていないことを発見する。(p. 153) Morrisは哀しみと憤慨をあらわにし、Frankに店を去るように告げた。そして最後の15ドルを手渡し、Frankを店から去らせたのであった。
のちにMorrisはガスがもれた部屋で意識を失うことになるが、そこをまたもやFrankに助けられたのであった。
そしてFrankはまたもや店を手伝うことになった。
しかし意識が回復したMorrisはFrankを店から追い出そうとする。それはFrankがあのときの強盗である事に気づいたからであった。そしてFrankは完全に店を去った。 
      ある日、経営が行き詰まっているMorrisは見知らぬmacherに声を掛けられ、店を自ら燃やす事で保険金詐欺をしないかと持ちかけられる。Morrisは混乱しながらも、貯蔵庫でHelenの男友達の写真に火をつけてしまう。そこで彼のエプロンに火が燃え移ってしまった。そしてまたもやFrankに助けられる。そこでFrankはもう一度店で働かせてくれと言うが、拒絶されてしまうのであった。 
      経営は今まで通り低迷していたが、KarpがMorrisの家を買うことが決まり、Morrisはめったに無い幸運を感じた。やっとMorrisにも春が来ようとしていたのであろうか。
そしてある冬の夜、Morrisは家の前の雪かきをしたいと言い出した。それはMorrisの希望であった。彼は汗だくになり、その夜、寒気を感じひどい熱をだした。その時にMorrisは、死んだ息子Ephraimの夢を見た。そして、痩せた息子やIdaや、可哀相にも、何も持っていないHelenに対して、Morrisはこのように感じた。
" I gave my life away for nothing." (p. 215) 
      そして3日後に、病院でMorrisは亡くなった。
Morrisの葬儀が行われたが、Frankはそのときに、足を滑らせて棺おけに足をつっこんでしまう。
そしてそれからというもの、FrankはMorrisの代わりに、一家を支える手伝いをするため、「assistant」として店で働くようになった。 
      そこで彼は、自分の見返りも求めず、HelenとIdaの為に働く事になった。彼は、Helenが夜学に行くための費用を計算し、それは頭の痛くなる位、大変なことであると感じたが、彼には他に考えうる道は無かった。それが彼の希望であり、自分が彼女に見返りを求めず与える特権があると考えた。Frankは夜にも仕事を掛け持ちし、Helenが夜学にいけるように働いた。  
そして春も近い四月のある日、Frankは病院で割礼を施した。  足の間に痛みを引きずりながらも、Frankは、周年祭が過ぎたら思想や価値観において、ユダヤ人になった、とも言えるであろう。そして春からFrankは再生した新しい人間に生まれ変わったとも言えるであろう。 
      今までこの物語の概要を見てきた。
      Morrisについて言えば、彼は一貫した「誠実さ」をもっている。しかしFrankはまだ、「誠実さ」と「自分本意」の間で揺れている若者である。  
私はMorrisは他人に与えてばかりであると感じる。自分の見返りを求めず、ひたすら他人に自分の誠実さをも与え続けている。そして頑なに人を信用している。その姿は美しいが、とても哀しく、儚いと感じる。Morrisは誰に対しても、そのひとを「YOU」と見た。人を「IT」と見て利用する事は無く、むしろ「IT」として利用されていた。そしてその裏には、人間に対する「愛」があるように感じる。  私は自分が幸せでないのにどうして他人にまで優しくなれるのか、理解に苦しむ。私は自分の大切な人にさえ、誠実でいられないこともある。また、信じることが出来ない。それは私が自己中心的な人間であるからだと切に感じる。 
       話はそれるが、今の日本では、「他人に誠実に、思いやりを持つ」という考えは薄れてきているように感じる。  日本人が脈々と培ってきた「武士道」的な精神や、「礼儀」は戦争で全て消え、また特定の宗教を持たぬ我々はいま精神的に、無秩序状態ではないだろうか。      
また、我々は生物である以上、自分が一番大切であろう。私の習っている少林寺拳法でも「半ば自己の幸せを、半ば他人の幸せを」という言葉がある。  私は自分が幸せでいないと、他人の幸せを思う事は難しいと思うのだ。  
しかし、Morrisは自分の正直さ、誠実さから逃れられなかったのではないか。きっと他人を欺いて成功することが苦痛であったのだ。そしてそれが彼の血に組み込まれていたのではないか。それが唯一、彼の生きる希望であったのかもしれない。 
      また、Frankは自己中心的な性格から、Morrisの影響やHelenとの恋愛を経て、Morrisのような人間に近づいていった。その点でFrankはMorrisの精神的息子と言えよう。  
また、Frankを見ると、人間は間違いを犯す為に生まれてきたとも言える。そして間違うことは絶対的に悪い事でもないかもしれない。ただ、良い人間に影響されて、自分を修正すれば良いのではないかと感じる。この考えは人に誠実になれず、人をすぐ疑ってしまう私自身にも光を投げかけるものであった。  Frankは人に「与えること」を最後に学んだ。HelenからもMorrisからも「奪わず」に「与える」こと、それは恋愛などを越えた、「人間愛」であろうと思う。余談であるが、「愛」を持っていれば、人類は幸せになれると思う。  しかし、理想だけではうまく行かない事が、この世界の現状であろう。 
      この本を通して、私が思うのは、MorrisやFrankのように、見返りをもとめず人に奉仕する事は難しいが、そこに人間愛と、人間としての最高の美しさがあるのではないか、ということである。
 私は、人間は他人だけにではなく自分の精神に愛する義務があると思う。    私には自分をFrankと重ねる点が多くあった。  私は出来る限り他人に誠実に生きていきたいと、切に感じている。


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