Seminar Paper 2003

Fumie Minamida

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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「FrankとMorris」
MorrisはFrankの中に生き続ける

    この物語は、あるユダヤ人男性の生き方と、一人のイタリア系の青年の成長を中心に、描かれたものである。まず始めに、この2人について説明したいと思う。

    このユダヤ人男性の名前はモリス・ボーバー、60歳。食料品屋の店主をしている。性格は正直でお人好しである。彼のお人好しである事が最初に分かるのは、開店前に来るポーランド人の女性客の為に毎朝早く店の出てくる場面や、ある客の掛け売り金額を2ドル3セントから1ドル61セントに下げる場面である。この時、モリスは掛け売りの金額を下げた理由として、アイダが2ドル3セントという数字を見たらきっとガミガミ言うだろう、と言っているが、それだけが理由でなく、やはり人に対する優しさ、お人好しの部分があるから、このような行動を取ったのだと私は考える。また、彼は貧しい家に生まれ、そして今もなお貧しい暮らしをしている。彼には、アイダという妻がいる。彼女は、51歳でいつも口うるさい人物である。また、彼には娘が一人いる。彼女の名前は、ヘレン。23歳で、現在秘書の仕事をしている。彼女は、学校に通いたいと思っているが、家庭の事情をよく理解し、決してわがままを言わない、非常に家族思いの女性である。彼女は常に自分の夢や理想を手放すことを恐れている。いわゆる、理想主義的な人物である。この事を表している部分は、ヘレンとその元恋人であるナット・パールの会話の中に出てくる Don Quixote という小説である。この小説の主人公の性格が、空想的であるとういう点で、ヘレンと重ね合わせていると言える。一方、イタリア人青年の名前は、フランク・アルパイン、25歳。彼は、幼い頃に母を亡くし、父には見捨てられ、大部分を孤児院で暮らした。養子として預けられた事もあるが、家出をする。その後、転職や放浪を繰り返し、ニューヨークの貧しい町にやって来る。

    では、そんな彼らは、いったい何処で出会うのだろうか。それは強盗事件である。私は今では、この出会いを運命的であると思う。そこで彼らの関係に注目したい。そこで、次に彼ら2人にはどのような関係があるのか、この関係を、強盗と被害者、アシスタントとグロッサー、息子と父、生と死の4つに分けて考えていきたいと思う。

    1番目の関係は、強盗と被害者の関係。ある日、ニューヨークのブルックリンで、フランクは父が警察官であるウォード・ミノーグという男性に出会い、強盗をしないかと申し込まれる。少し考え、迷いがなかった訳ではないが、強盗をしようとしている相手がユダヤ人である事を聞き、彼の計画に同意する。フランクがこの計画に同意した理由は、“ To be truthful to you, Morris, once I didn’t have much use of Jews.  ” (p. 118) と” before I got to know what they were like.  I don’t think I understand much about them.  ” (p. 118) とあるように、ユダヤ人を嫌っていたからであると言える。そして犯行が行なわれ、その被害となったのは、モリスの営む食料品屋である。しかし、“ The one at the sink hastily rinsed a cup and filled with water.  He [ Frank ] brought it to the grocer, spilling some on his apron as he raised the cup to his lips.  ” (p. 23) とあるように、犯行時に強盗が被害者に水を差し出す場面からは、フランクの優しさが伺える。また、ウォードがモリスを拳銃で殴ろうとした時、フランクは手を振って止めようとした行動からも、人を傷つけてはいけないというフランクの気持ちが感じられる。

    この関係はこれだけではない。この強盗の後にも、モリスに対して盗みをする。その盗みというのは、モリスの家に配達された牛乳やパンを朝食に必要なだけ取る事である。しかし、この盗みに対してモリスは、フランクを責めず、彼のやつれた顔やお腹を空かせている様子に気づき、店の中へ入れて、食べ物や温かい飲物を出して上げる。このモリスの行動から、彼の優しさがはっきりと分かる。また、モリスはフランクを同情しているのではなく、困っている人を助けるのは当然の事であると考えているのかもしれないと私は思う。

    2番目の関係は、アシスタントとグロッサー。強盗をしてモリスに怪我を負わせてしまった事に罪の意識を感じたフランクは罪の償いをする為、モリスの店で働く。真面目に働き、店にもよく貢献しているが、店の商品をつまみ食いしたり小銭をくすねたり、仕事中に居眠りをしている事もある。しかし、彼とモリスは、“ The grocer got along well with his assistant.  ” (p. 75) とあるように、彼らはお互いに良きパートナーとして助け合っている。また、新しい仕事の覚えは早く、商売以外の仕事も進んでやるなど、モリスだけではなく、始めはフランクを受け入れられなかったアイダの信頼も得ることとなる。しかし、罪の償いをしているとは言え、その間にも、強盗した時自分は7ドル半しか盗んでいないし、それをレジの中に返した。そしてモリスを殴ったのは自分ではなくてウォードであり、自分の責任は軽くなるはずだと考えている。また、

And who was it, after all was said and to pull in Morris’s milk boxes, and had worked his ass to a frazzle twelve hours a day while the Jew lay upstairs in his bed?  And was even now keeping him from starvation in his little rat hole?  All that added up to something too.  (p. 85)

とあるように、あたかも罪の償いをもう十分したから、モリスに強盗のことを告白する必要はないとも考えている。私は、こういった考えを持つフランクは、人間として未熟であると考える。そして、同じ過ちを何度も繰り返していては、いつになっても償いは出来ないのではないかとも思う。

    3番目の関係は、息子と父の関係。フランクとモリスは一緒に仕事をし、同じ屋根の下で暮らしている事もあり、モリスにとって、フランクは息子のように思っているのではないだろうか。ある時、モリスは、自分はアメリカに来た後で、薬屋になろうとして、一年間夜間学校に通ったが、忍耐力がなく、ちょうどその時アイダと出会い、チャンスを手放してしまった事をフランクに話す。そして “ ‘You’re still young, ’ Morris said.  ‘ A young man without a family is free.  Don’t do what I did.  ’ ” (p. 78) とあるように、モリスは自分の過去に後悔していて、フランクに自分と同じ事をしないように言い聞かせている場面がある。この箇所からは、フランクを自分の息子と重ねて、我が子を思う父の気持ちが表れていると私は思う。また、フランクが強盗したことを告白するが、モリスはフランクがあの時の強盗犯の一人である事をすでに分かっていたという場面からも親と子の関係が見受けられる。そしてフランクがモリスにユダヤ人とはどのようなものなのかを尋ねた時、モリスがトウラという律法について話し、自分はフランクの為に苦しんでいるのだと言う。私はこの場面からもモリスの息子への強い思いが表れているのではないかと感じる。

    また、親子の関係というのは、こういった優しさだけではなく、時には厳しさもあるのではないだろうか。それが表されているのは、フランクが、ある客の勘定を1ドル少なくレジに打って、それをポケットに入れてしまったのを、モリスに見つかり、モリスはフランクを店から追い出す場面である。これは、ただフランクが盗みをした事に対する怒りを表しているだけではなく、二度とこのような過ちをして欲しくないという、子に対する親の気持ちが意味されているのではないかと、私は思う。また、この場面で、フランクはモリスに、取った1ドルを出すように言われても、

“ You’re making a mistake.  The register owes me a buck.  I ran short on nickels so I got twenty from Sam Pearl with my own dough.  After, I accidentally rang up one buck instead of ‘ no sale.  ’ That’s why I took it back this way.  No harm done, I tell you.  ” (p. 154)

というように嘘をつく。私はこの部分は、親に怒られるのが怖くて、必死になって嘘をつこうとする子供を連想させていると考える。さらに、幼い頃、父親に見捨てられたフランクにとっては、時には優しく時には厳しく接してくれるモリスを本当の父と感じているのではないだろうか。

    このように実際に2人は、息子と父という関係を認識しているわけではないが、彼らの言動などからその関係が感じられる。

    そして4番目の関係は、生と死の関係。モリスは、景気の良くない自分の店を隣に住む酒屋の店主であるカープが買い取る事になり、心に余裕が出来、またモリスにとって辛い想い出でもある冬を排除しようと、ひどく冷たい風に吹かれながら夜、雪掻きをする。しかし、これが原因で、彼は数日間気分がすぐれず、ついには帰らぬ人となってしまう。彼は死ぬ前に、今は亡き息子イーフレイムの夢を見る。

He dreamed of Ephraim.  He had recognized him when the dream began by his brown eyes, clearly his father's.  Ephraim wore a beanie cut from the crown of an old hat of Morris’s, covered with buttons and shiny pins, but the rest of him was in rags.  Though he did not for some reason expect otherwise, this and that the boy looked hungry shocked the grocer.  (p. 214)

死んだ人の夢を見ることにより、モリスの死は確実なものとなる。一方、フランクはモリスが死んでしまった後も彼の食料品屋を続け、生きている。ここで4番目の関係が成立する。しかし、フランクは単に生きているのではなく、モリスの生まれ変わりとして生きているのかもしれない。その根拠となる場面が、“ He lost his balance, and though flailing his arms, landed feet first on the coffin.  ” (p. 220) である。モリスの葬式で、彼を埋葬する際に、フランクはモリスの棺がある墓に落ち、這い上がって来る。おそらくこの時に、モリスの魂がフランクに乗り移ったのではないかと考えられる。また、その様子がよく表れている箇所は、モリスの死後、フランクが食料品屋で働いている所や、店の為に夜のバイトをし、衣服がボロボロになっても必要最低限の物にしかお金を使わない所、そしてユダヤ人として生きるために、ユダヤ人の宗教儀式でもある包茎切除の手術を受ける所などである。

One day in April Frank went to the hospital and had himself circumcised.  For a couple of days he dragged himself around with a pain between his legs.  he pain enraged and inspired him.  After Passover he became a Jew.  (p. 234)

    このように2人の関係を見てきたが、私はこれらの関係を通して、フランクが成長している事を感じる。全体的に、フランクは優しい心の持ち主なのだと思う。特に、モリスに対しては。しかし、悪い事を何度かしてきた事は事実。始めの方のフランクは、ユダヤ人を全く理解していないし、小さな盗みから大きな盗みを繰り返しするなど、人間としてまだ未熟な部分があったが、最後の方では、成長したフランクの姿が伺える。

    私は、フランクはモリスが話した律法や、自分の為に苦しんでいる事に最も影響を受けたのではないかと思う。特に、“ ‘ This means to do what is right, to be honest, to be good.  (中略) This is what a Jew believes.  ’ ” (p. 118) や、“ ‘ If you live, you suffer.  Some people suffer more, but not because they want.  ’ ” (p. 118) とモリスのセリフにもあるように、律法を守ることは、正しい事を行い、正直であり、善である事を意味し、人間は生きていれば苦しむと、モリスは述べている。言い換えれば、苦しむのは人間であり、苦しむ事が人間である証という事ではないだろうか。

    また、ユダヤ人が嫌いでウォードの誘いに乗ったが、モリスに対して罪を償う事によってフランクはいつしか、モリスを尊敬するようになったのではないかと私は考える。すなわち、ユダヤ人を理解しなかったフランクは、モリスに教えられ、ユダヤ人というものを理解したのである。そして、この小説の最後にフランクは包茎手術をし、ユダヤ人となるが、これはフランクがただユダヤ人になりたかったのではなく、おそらく死んだモリスの魂がフランクの中で生き続けているからではないかと私は考える。

    最後に、私は、自分自身を修復するのはさほど難しいものではないと感じる。しかし自分一人でそうするのは困難な事だろう。フランクがモリスの影響によって彼自身を修復したように、人は自分以外の誰かの存在によって、善い人間になることが可能なのかもしれない。また、その人の生き方や考え方を理解する事により、自分を変えることが出来るのではないだろうか。さらに、モリスが他人であるフランクの為に苦しんだのだから、今度はフランクが誰かのために苦しまなければならないだろう。というのは、フランクは包茎切除をした事によってユダヤ人となったからである。そして、ユダヤ人が律法を守る苦しみに耐えられないのなら、何一つ耐えられないということである、とモリスが考えているように、フランクが他人のために苦しんだ時、フランクはユダヤの律法、トウラを守る苦しみに耐えられる事を意味しているのではないかと、私は思う。


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