Seminar Paper 2003

Ayumu Shoji

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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「FrankとMorris」
人生の師ーMorris

     The Assistant の作中、フランクは、娘のヘレンに対する恋心にも負けないくらい強く、貧しい食料品店のユダヤ人店主であるモリスにしだいにひかれていく。強盗に入ったことへの罪の意識から、モリスに無関心でいられなかったのは事実だが、それだけでは説明できない何かがモリスの人柄から伝わってきて、フランクのこころを捕らえたのである。フランクのモリスに対する気持ちの変化を3つに分けて論じてみる。

    初めフランクは、強盗に入ったことへの罪悪感からモリスの店に近付いた。その頃のフランクは、後でフランク自身が、“To be truthful to you, Morris, once I didn’t have much use for the Jews.” (p. 118) と自白しているように、ユダヤ人についてよく知らなかったし、あまり好きではなかった。この時点では、モリスはフランクにとって、”a Jew”、ただの貧しいユダヤ人でしかなかったのである。

    モリスの店で働き、何人かのユダヤ人を知るうち、フランクは、ユダヤ人が元来持っているらしい暗さに嫌気がさすようになる。

And there were days when he was sick to death of everything. He had had it, up to here. Going downstairs in the morning he thought he would gladly help the store burn if it caught on fire. Thinking of Morris waiting on the same lousy customers day after day throughout the years, as they picked out with dirty fingers the same cheap items they were everyday of their flea-bitten lives, then when they were gone, waiting for them to come back again, he felt like leaning over the banister and throwing up. What kind of man did you have to be born to shut yourself up in an overgrown coffin and never once during the day, so help you, outside of going for your Yiddish newspaper, poke your beak out of the door for a snootful of air? The answer wasn’t hard to say?you had to be a Jew. They were born prisoners. That was what Morris was, with his deadly patience, or endurance, or whatever the hell it was; and it explained Al Marcus, the paper products salesman, and that skinny rooster Breitbart, who dragged from store to store his two heavy cartons full of bulbs. (pp. 80-81)

    “That’s what they live for, Frank thought, to suffer. And the one that has got the biggest pain in the gut and can hold onto it the longest without running to the toilet is the best Jew. No wonder they got on his nerves.” (p. 82) モリスの周りには正直で貧乏なユダヤ人がいて、彼等は、病気や貧乏にも愚痴をいわずに黙々と耐えている。ユダヤ人を身近に知るようになったフランクは、彼等の我慢強さに感心する一方、理解できずにいた。この時点で、モリスはフランクから見て、世の中の苦しみを自ら進んで請け負った、 “a Victim”、犠牲者であった。

    しかし、モリスの頑固なまでの誠実さは、荒んだ人生をおくってきたフランクの目にはきわめて新鮮に映った。その愚直ともいえる正直さのせいで、かえって苦労が絶えないにもかかわらず、誠実であり続けるモリスに興味を抱くようになるのである。そして、フランクはある日モリスに「いったいユダヤ人とは何か」と質問する。その問いに対し、モリスは「ユダヤ人は律法を守る民だ」と答えるが、シナゴーグにもいかず、ユダヤ教に従ったコサーも作らず、客に平気で豚肉を売り、ユダヤ人の休日にも店をあけているモリスは、フランクから見ればちっともユダヤ教の律法を守っているようには見えない。しかし、モリスにとって律法を守るということは、正しい行いをし、正直で善良であることであり、それは他の人々にも役立つ大切なことだという。つまり、モリスのいう律法とは、正直であること、人に親切であること、思いやりの心こそ、本当の意味で律法を尊ぶ態度だというのである。

“But tell me why it is that the Jews suffer so damn much, Morris? It seems to me that they like to suffer, don’t they? ”
“Do you like to suffer? They suffer because they are Jews. ”
“That’s what I mean, they suffer more than they have to. ”
“If you live, you suffer. Some people suffer more, but not because they want. But I think if a Jew don’t suffer for the Law, he will suffer for nothing. ”
“What do you suffer for, Morris? ” Frank said.
“I suffer for you, ” Morris said calmly.
Frank laid his knife down on the table. His mouth ached. “What do you mean? ”
“I mean you suffer for me. ” (p. 118)

    ユダヤ教には、自分がされていやなことを他人にするなという教えがある。つまり隣人愛である。それこそがモリスの信仰の核心であろう。貧しい客には掛け売りもしたし、たったひとりの客のために毎朝早くから店をあけ、一度だって商売でごまかすことをしなかった。「生きているかぎり、人間は苦しむものだ」とモリスはいう。その苦しみは自分一人のためではなく、他の人と共に生きるための苦しみであってこそ意味があるのである。他の人のために”suffer”するということはつまり、相手を物としてではなく人間としてとらえているということである。モリスは自分が接するすべての人を人間として扱っている。マーチンブーバーの言葉を引用すると、I-It ではなく、I-You の関係を重んじていたのである。モリスのそうした誠実な人柄に強く魅せられたため、フランクはあえて彼の店に居座り続けたのではないだろうか。

    ある年の冬の終わり、風邪をこじらせ肺炎になったモリスは、あっけなくこの世を去ってしまう。“He lost his balance, and though failing his arms, landed feet first on the coffin. ” (p. 220) モリスの墓に過って落ちてしまったこのときから、モリスはフランクにとって、“a fellow man” 、精神的な父親となったのである。だからフランクは、物語の最後で割礼の手術を受ける。“One day in April Frank went to the hospital and had himself circumcised. For a couple of days he dragged himself around with a pain between his legs. The pain enraged and inspired him. After Passover he became a Jew. ” (p. 234) これは、彼の自己の行為への悔い改めと、モリスのあとを継ぎユダヤ人として生きていくことを暗に示しているのではないか。

    以上のように、フランクのモリスに対する気持ちの変化を、“a Jew” - “a Victim” - “a fellow man” というように論じてきたが、確かなのはフランクの成長の道筋でもっとも大きな役割をするのはモリスだということだ。フランクは店に住み込んでからも、小銭を盗み、盗み食いをし、ヘレンの裸を盗み見するなど、数々の悪行を行ってきたが、その間常に、良心の声に苛まれてきた。心の奥底にあるその倫理観を引き出したのはモリスの正直な人柄である。I-You の関係を築くことは、ウォードやカープだけでなくヘレンやアイダにもできなかった。みんな他人の行為を自分の利益をために利用するが、唯一モリスだけがI-You を貫き続けるのだ。I-Itでしか他人との関係を築けなかったフランクが、物語の最後ではヘレンとアイダのために自分のからだを犠牲にして懸命に働き、ヘレンを念願である学校へも通わせるほどになる。つまり、他の人とI-You の関係を築けるようになったのだ。フランクの人としての成長をもうひとつ挙げると、モリスやヘレンとの関わりによって、人生の目標、方向性をもつことができたことである。

    こうしていつの間にか、かつて強盗だったフランクは、自分でも知らないうちにまったく新しい人格へと創り変えられていった。フランクの変化についてヘレンは自分の態度を反省し、このように述べている。

In bed, half-asleep, she watched the watcher. It came to her that he had changed. It’s true, he’s not the same man, she said to herself. I should have known by now. She had despised him for the evil he had done, without understanding the why or aftermath, or admitting there could be an end to the bad and a beginning of good. It was a strange thing about people?they could look the same but be different. He had been one thing, low, dirty, but because of something in himself ?something she couldn't define, a memory perhaps, an ideal he might have forgotten and then remembered?he had changed into somebody else, no longer what he had been. She should have recognized it before. What he did to me he did wrong, she thought, but since he has changed in his heart he owes me nothing. (pp. 231-232)

    フランクの変化にヘレンが気付いたことにより、最後にはフランクの恋は成就しているようにも読める。だとしたら、念願かなってヘレンと結ばれたのも、モリスのおかげだといっても過言ではない。最初、ヘレンはフランクにとって、性的対象でしかなかったが、そのうちにひとりの人間として最も大切な人になる。ヘレンこそがフランクの人生の目標となるのである。

    フランクにとってモリスは、人生の師であり、まさに父親となったのである。

    参考文献:Peter L. Hays “The Complex Pattern Of Redemption” (プリント)


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