Seminar Paper 2003

Tomoka Terada

First Created on February 14, 2004
Last revised on March 15, 2004

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「FrankとHelen」
無償の愛

    わたしがこのAssistantを一年間読み、研究した中で一番深く胸に迫ってきたことは、愛とはなにか、という論点に集約される。人を愛するとはどういうことか、与えるとは何か、人に何を求めるか、である。

    「愛」と一言で言っても、さまざまな形がある。MorrisとIdaのHelenへの親としての情、警官の、息子Wardへの愛情などの親子の愛は、世界中に溢れていて、それもやはりとても尊いものであると思うが、この小説を、恋愛のお話としてみたときに浮かび上がってくる、FrankとHelenの関係は、自分の周りで探しても、ちょっと見つからないものであるし、又憧憬の念を持って見つめるべき、とてつもなく大きな愛の形をしっかりと表わしているものだと捉えられる。これは、無償の愛なのである。

    「無償の愛」とはなにか。それは、人に与えつづけ、自分への見返りを期待しない、聖者のような愛である。例えばガンジー、例えば聖フランシスである。

"No, it's St. Francis of Assigi. You can tellfrom that brown robe he's wearing and all those birds inthe air. That's the time he was preaching to them. When I was a kid, an lod priest used to come to the orphans'home where I was raised, and every time he came he read us a different story about St. Francis. They are clear in my mind to this day."---"He was a great man.The way I look at it, it takes a certain kind of a nerve to preach to birds."---"Also for other things. For instance,he gave everything away that he owned, every cent, all his clothes off his back. He enjoyed to be poor. He said poverty was a queen and he loved her like she was a beautiful woman. "---"Every time I read about somebody like him I get a feeling inside of me I have to fight to keep from crying. He was born good, which is a talent if you have it. "(pp.27-28)

    聖フランシスは、裕福な商家に生まれ、若い時は、散々贅沢な暮らしをし、放蕩三昧をしていた人である。それが、あるとき、突然目覚め、彼の父が亡くなったとき、彼は相続した全ての財産を投げ打って、自分の持ちうるものの全てを、貧しい、恵まれない人々に分け与えたのである。裕福な人々には、頭がおかしくなったとささやかれたが、彼はいつもぼろぎれを身にまとい、貧しいものに、施しを与え、みんなに説法をして回った。小鳥にも説教をした。これを小鳥説法という。アッシジに教会が立ち、聖者となるのであるが、このような人の持つ愛が、無償の愛である。ただ愛を持っているだけで、何もしないのは無償の愛ではない。愛をもって、人に尽くすこと、その人にプラスになることを考え、行動を持ってその人に何かを与えること、そして自分に返ってくるものを何も期待しないこと、あるいは、何も返ってこないと分かっていて与えつづけることが、無償の愛である。聖フランシスは、万人に無償の愛を与えつづけたのである。

    Frank Alpineは、そんな聖者とは逆に、恵まれない環境に育った。孤児院で育ち、身よりも姉1人だが、その姉とも一緒に暮らしていない。なにか大きなことをしたい、その道に長けていれば、極められれば、それでいいと、強盗という罪も犯してしまう若者である。いつも、色んな環境に恵まれない。

"What I started out to say before about my life, " he said heavily, " is that I have had a funny one, only I don't mean funny. I mean I've been through a lot. I've close to some wonderful things------jobs, for instance, education, women, but close is as far as I go. " His hands were tightly clasped between his knees. "Don't ask me why,but sooner or later everything I think is worth having gets away from me in some way or other.I work like a mule for whar I want, andjust when it looks like I am going to get it I make some kind of a stupid move, and everything that is just about nailed down tight blows up in my face. " (p. 32)

    聖フランシスに憧れていて、自分も弱者として、ヒーローとしてとても慕っているし、彼という人が生きていたことを励みにして生きているが、まだ自分というものに固執していて、自分が聖フランシスのように無償の愛を誰かに与えつづけることなんて、考えもつかないのである。

    しかし、ここで、皆さんは気づいただろうか。Frank AlpineとSt.Francis of Assigi。その名前が類似していることに。ここでFrankは、St.Francisが貧困を、美しい女性のように愛したように、Helenを愛し、また、St.Francisが小鳥にしたようなことを、Helenという小鳥に施していくことを示唆しているとわたしは思う。

  "I'm a secratary. "---"The job never changes. And I could live happily without seeing some of those characters I have to deal with all day long, the salesmen, I mean. "---"They talk a lot. I'd like to be doing something that feels useful--some kind of social word or maybe teaching. I have no sense of accomplishment in what I'm doing now. Five o' clock comes and at last I go home. That's about all I live for, I guess. "(p. 93)

    一方で、Helenは、貧しい食料品店主Morris Boberの一人娘として、学校も行けず、とても可愛らしくてモテるにも関わらず男の人ともうまく行かず、壁にぶち当たっていて、寂しさといらいらを抱えた日々を送っている。その当時、女の人として、仕事に就いているということは、稀な、喜ぶべき、恵まれたことであるにもかかわらず、Helenは、自分の秘書という仕事にも不満で、よく話すセールスマンと一緒の職場がいやで仕方ない。達成感もないため、教師など、直接的に社会の役に立つ仕事、やりがいのある仕事につきたいと考えている。

"I can't really explain it.All night I've been thinking of the swell times we had on the beach when we were kids. And do you rememver the parties? I suppose I'm blue that I'm no longer seventeen."(p. 39)  "When a person is young privileged, "Helen said, "with all kinds of possibilities. Wonderful things might happen, and when you get up in the morning you feel they will. That's what youth means, and that's what I've lost. Nowadays I feel every day is like the day before, and what's worse, like the day after. "(p. 39)

    このように、Helenは無邪気にただ遊んでいた頃の、若さをすでに失ってしまったと言っている。17歳の頃とは全く別人のような自分であり、毎日の単調な生活、刺激のない、うんざりすることだらけの、貧乏で、やりたいことも出来ない、つまり希望のない、明日もまた今日と全く同じ日がくる日々なのだとこの時のデート相手Louisに語っている。Helenは本当に疲れきっているのである。そして、わたしが思うに、それだけ自分に余裕がないのであろうと思うが、今見たように、39ページでは、Louisにただひたすら文句を言うだけに終始していて、またその時二人が行った場所、Coney Islandの寂れた雰囲気も、天気も、過去が良かったHelenの心をしっかり投影しているが、93ページの、少しFrank と仲良くなり、心を開くようになったHelenを見ると、希望を口にするようになっているのである。これは、あんなに心を閉ざし、世を憂いていた人だったことを考えると、大きな変化であり、まだ全く実現の余地もなく、めども立たない希望にしろ、それをはっきりともち、話させたFrankはHelen自身が気づいてないにしろ、やはり根底には大きな力を作用させたとわたしは思うのである。しかしやはり意識下の部分では、その場は雲ひとつない空だったにも関わらず、" 'It feels like snow.'"といい、Frankに好印象を持ってないことを露骨に表わしたり、よそよそしくしているが、裏を返せばFrankの理解力を試して、理解して欲しいという気持ちがあるからなのである。12月のカレンダーの日付に一つ一つばつをつけて、孤独、寂しさから早く日々は過ぎて欲しいと思っているからこそである。

    Frankの愛は、決して、初めは無償の愛ではない。姑息な手をたくさん使い、近づこうとするが、結局は自分のしたことの償いのため、Helenのこの希望を、身を粉にして、かなえてあげるのである。そして、自分の行く末に、見返りを期待していない。そのとてつもない成長と、愛を昇華させ、自分自身を変え、無償の愛にすることによりFrank AlpineはSt.Francisと同化し、その生き方をそっくりたどるような道をたどり、またHelenは結局Frankに対し、自分が変っていこうという意志が持てなかったことで、そこに愛は生まれなかったのだと思う。しかし、ここで、愛がかなったかどうかというのはもはや重要ではないのだと思う。Frankの見返りを期待しない無償の愛と、それを支えた強い信念とその精神的成長こそが、このAssistantのテーマなのだと思う。


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