1.MorrisにとってのFrank
ユダヤ教では、自分が死んだあと、毎年命日に息子にKaddishという死者への祈りを唱えてもらわないと成仏できないとされているので、ユダヤ人にとって息子を持つということは大切なことである。だが、Morrisは、若いころに病気で息子をなくしてしまっている。そんなMorrisにとって、Frankはどのような存在だったのだろうか。
MorrisがFrankを息子のように思っているのはいくつかの描写から見て明らかである。
まず、二人の関係を、Detective Minogueとその息子Wardの関係と比較してみてみよう。二人は、Frank、Wardが何か過ちを犯したことを知ったとき、それぞれどのように対応したか。
以前、毎朝Morrisの店からパンとミルクが盗まれていたとき、それをIdaが警察に届け出て、その担当がDetective Minogueであった。彼の人物像紹介の中における彼の息子Wardとの関係の描写の中で、次のようなものがある。‘’Then one day, about eight years ago, Ward was canned from his job for stealing from the company. His father beat him sick and bloody with his billy and drove him out of the neighborhood. ‘’(p. 46)これが、Detective MinogueとWardの場合である。このエピソードの直後、Morrisの店からパンとミルクを盗んでいたのがFrankだったことが判明するが、MorrisはFrankを殴るどころか、彼に同情して食べ物と寝る場所まで与えてやっている。さらに、その後警察に知らせることもしなかった。Detective Minogueは以前Idaの知らせを受けてMorrisの店にやってきたとき、’’If I ever meet up with him, ・・・I might bring him in to you for identification. ‘’(p. 46)と言っている。しかし、それにもかかわらず、Detective MinogueはWardを見つけたとき、彼をめちゃくちゃに殴りながらも、Morrisの店には連れて行かずに、”I told you to stay the hell out of this neighborhood. This is my last warning to you. If I ever see you again,I’ll murder you. “(p. 205)と警告している。この矛盾はDetective Minogueの親心からきているものと考えることができる。近所に近づくなというのは、Morrisの目に触れさせないためであり、Wardを殴るのはそうして自分の手で息子を罰することで、逮捕して法的に罰を受けさせる代わりにするためである。Detective MinogueのWardに対する仕打ちは、彼なりの、息子を刑務所には入れたくないという父親の愛情なのである。一方Morrisも、Frankが店のレジからお金を盗んでいることを発見しても、さらに自分の店を襲った強盗の一人がFrankだったということを知っても、店から追い出しただけで、警察に突き出そうとはしなかった。むしろ、Frankを店から追い出したのは、いつまでも自分の店にいても何もいいことはないと、Frankのためを思ってのことだったのかもしれない。このときのDetective MinogueとMorrisのWard、Frankそれぞれへの思いは、表現の仕方にこそ違いはあっても、根本は同じ、息子に対する親心なのではないだろうか。
また、Morrisが死ぬ前に、病気で幼いうちに死なせてしまった彼の息子、Ephraimの夢を見たあと、彼の妻Idaと娘Helenのことを思ったあとに、”He moaned a little, thinking of Frank. “(p. 215)と、Frankのことを思っている。もし、Ephraimが生きていたなら、IdaとHelenの次に思うのはEphraimではなかっただろうか。そのようなたいせつなポジションにFrankの名前があがったということは、MorrisはもうFrankのことをEphraimの代わりとして息子のように思っていると考えることができるだろう。
2、 FrankにとってのMorris
FrankがMorrisに、ユダヤ人とはなにか?とたずねたとき、Morrisは、”My father used to say to be a Jew all you need is a good heart. ”( p. 117 ) と答え、また、”This means to do what is right, to be honest, to be good. This means to other people. ” (p. 118)とも言っている。この物語の最後に、Frankが割礼を受けてユダヤ人になったのは、自分もこのようになりたかった、なろうとしたからではないだろうか。
Frankは、何かを手に入れようとして、いつもその手前まではいけるのに、そこで何かおかしなことをしてしまい、自らチャンスを逃してしまう、つまりschlemiel(自分が原因で不幸になる人)の傾向がある。彼はそんな失敗の連続から逃れようとあらゆる手を尽くすが、結局はそれも失敗に終わってしまう。何をやってもうまくいかないことに嫌気がさしたFrankはすべてをあきらめて浮浪者になった。そうしているうちに、彼は、自分は本当はすごい人物だ、何か大きなことをやってやろうという考えにとりつかれ、彼の思いついた「大きなこと」とは、罪をおかすことだった。彼は犯罪を犯すことで自分の運を変えられると思い、浮浪者生活をやめ、銃を手に入れてWardと組み、強盗に入ったのである。
このように、初めは悪いこと(犯罪)をしようとしていたFrankが、強盗に入った後、そのうしろめたさからMorrisの店で働くうちに、以前とは全く逆の、善いこと、正しいことをしようと考えを改めたのである。これには、Morrisの影響が大きいのではないか。
Frankは、St.Francisに強い憧れを抱いている。St.Francisとは、”He enjoyed to be poor. He said poverty was a queen and he loved her like she was a beautiful woman. “(p. 27)と、このような人物で、Morrisの場合、自ら好んでではないが、結果的に貧しい生活をしている。また、Morrisの人物像は、よく言えば、善人とあらわすことができる。Frankは、Sam PearlにSt.Francisについて話す場面で、”Every time I read about somebody like him [St.Francis] I get a feeling inside of me I have to fight to keep from crying. He was born good, which is a talent if you have it. “(p.28)と言っているが、Morrisはこの”somebody”に該当する人物ではないだろうか。
物語の中には、IとItの関係で人を見る者とIとYouの関係で人を見る者がいる。まず、IとItの関係とは、人と物の関係、つまり、自分の利益のために人を利用しようとする人間関係のことで、それが最も顕著に表れているのが、酒屋の店主Julius KarpやMorrisのかつての仕事仲間Charlie Sobeloff、Frankのかつての強盗仲間などであるが、実はHelenやIdaを含めたほとんどの登場人物はこのタイプの人間である。そんな中、Morrisは絶えずIとYouの関係を築こうとしている。もちろん、IとYouの関係というのは、人と人の関係、自分の利益に関係なく人と接する人間関係のことである。彼は、Frankが自分をだましていたことを知った後でさえ、IとYouの関係でFrankを見ている。
初めはIとItの関係で人を見ていたFrankも、Morrisのそばで働くうちに、そんなMorrisの影響を受け、IとYouの関係で人に接することのできる人間になっていく。FrankがMorrisの性質を受け継いでいく様子が描かれている部分がいくつかあるが、そのおそらく最も象徴的な描写が以下である。
“a girl of ten entered, her face pinched and eyes excited. His heart held no welcome for her.
‘my mother says,’ she said quickly, ‘can you trust her till tomorrow for a pound of butter, loaf of rye bread and a small bottle of cider vinegar? ‘
He knew the mother. ‘No more trust.’
The girl burst into tears.
Morris gave her a quarter-pound of butter, the bread and vinegar. “(p.2)
上記はMorrisのエピソードであるが、これに対応するFrankの描写が次である。
“He [Frank] asked him [Carl] to pay something on the account.
‘This is all fixed up with me and Morris. ‘ the painter answered. ‘Don’t stick your dirty nose in .’....... He was still angered at the painter for the way he had acted when he had asked him to pay his bill. ”(p.179)
しかし、Frankはこの後、借金を徴収しにCarlの家をたずねるが、その貧しさを見ると、”He now figured he would cut the bill in half if the painter would pay up the rest. “(p.180)さらに、この後Frankは”He ran back to the store. Under the mattress of his bed he had his last three bucks hidden. He took the bills and ran back to Carl’s house. “(p.180)と、このように行動した。(もっとも、実はこの後、かつての強盗仲間Wardに会ってしまい、Carlに渡そうとしていたそのお金はWardの手に渡っていた彼のピストルと引き換えに渡してしまったのだが。)
この2つのエピソードから、FrankがMorrisのようにIとYouの関係の精神を手に入れていったことを見てとることができる。
3.まとめ
この小説のテーマは”suffer”である。そして、前述のIとYouの関係を築くということは、人のためにsufferするということだ。
Frankは初め、ユダヤ人を軽蔑していた。ガンにおかされているにもかかわらず、仕事を辞めずに働き続けているAl Marcusや、弟にも妻にも裏切られて多額の借金を背負い、学校をさぼりがちな息子を抱えた電球の行商人Breitbartのようなユダヤ人の生き様を見たFrankの感想は”That’s what they live for, Frank thought, to suffer. “(p.82)であり、それはそのときのFrankには理解できず、彼の気に障るものだった。しかし、“ ’What do you suffer for, Morris? ‘ Frank said. ‘I suffer for you, ‘ Morris said calmly. ”(p.118)このように、Morrisが自分と、IとYouの関係を築こうとしてsufferしてくれたおかげで、Frankは人のためにsufferできるようになったのではないだろうか。もともと、Frankはsufferしていなかったわけではない。彼は、うまくいきかけた物事を自分の手で台無しにしてしまう自分の性質にsufferしていた。ただ、これは自分のためだけのsufferであった。しかし、働き始めた頃は店からお金を盗んでいたFrankが、」途中からそれを返し始め、ついには自分の睡眠時間を削ってまで、IdaとHelenを養うために夜中に外で働いて店にお金を入れるようになったことからもわかるように、Frankは人のためにsufferすることができるようになったのである。最後にFrankが割礼を受けてユダヤ人になるということは、彼がsufferすることを受け入れたことのあらわれである。
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