Seminar Paper 2003

Sachiko Usuda

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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「FrankとMorris」
〜共存〜

    The Assistant、この作品のテーマは一言で言うと、「人間が生きていく上で大事なものは何か、そしてユダヤ人のあるべき姿」という事である。この世界中で100パーセント完全なるものは存在しない。もちろん人間もそうである。この作品の主人公、Frank Alpineは、自分は不完全であると判っていながらもそこから抜け出せずに悩んでいた。物語の中でFrankは自分自身のことをこう語っている。

“I’ve been through a lot. I’ve been close to some wonderful things ? jobs, for instance, education, women, but close is as far as I go. But sooner or later everything I think is worth having gets away from me in some way or other. I work like a mule for what I want, and just when it looks like I am going to get it I make some kind of a stupid move, and everything that is just about nailed down tight blows up in my face.”(p. 32)

    このようにFrankは、自分が思っている価値のある事すべては自分から離れていってしまう、そしてがんばってつかめそうなものでも、いざ目の前に来ると自分の手で台無しにしてしまうと言っている。この不完全な男Frank Alpineが宗教も異なる貧しい食料品店の店主Morris Boberと出会い、人間的にどう変わり成長し人生の中で大切なものは何か、ということを提起している。
    ではFrankはMorrisから何を得、どのように変化していったのか。この物語の中で、Frankが自分は正直者であるというhonestという言葉が頻繁に使われている。”I know I am an stranger but I am an honest guy.”(p. 37), ”You don’t have to be afraid to trust me. I am an honest man.”(p. 49), ”You don’t have to worry about me. I am as honest as the day.”(p.52), “He talked aloud to himself when he was alone, usually when he was shaving or in the toilet, exhorted himself to be honest.”(p.64) しかし、Frankのとっている行動は正直者の行動とはかけ離れたものである。それにもかかわらず、Frankは自分の事を正直者であると言い切っている。この言葉の中に込められている意味は一体何なのか。その答えを私の意見としては、人間というものは自分がそうでありたいと強く思えば思うほど、それを口に出すことによって実現されたような気になるのではないかと考える。
    Frankは、さまざまな悪事を働いてきた。強盗、店の金の横領、Helenへの強姦などである。しかし、これらすべてがFrankの心からの意志であったという訳ではない。人間の自分では制御できない未知の部分、これによってFrankは長い間悩まされてきたのだ。この自分ではどうにもできない感覚はこう記されている。

“Thus he settled it in his mind only to find himself remorseful. He groaned, scratching the backs of his hands with his thick nails. Sometimes he felt short of breath and sweated profusely. He talked aloud to himself when he was alone, usually when he was shaving or in the toilet, exhorted himself to be honest. Yet he felt a curious pleasure in his misery, as he had at times in the past when he was doing something he knew he oughtn’t to, so he kept on dropping quarters into his pants pocket.”
 

    しかし、このFrank Alpineとは反対に、彼が出会ったMorris Boberという男は敬虔なユダヤ教徒であり、まさにこの人物にこそhonestという言葉がぴったりである。この全く異なった二人の出会いが強盗犯とその被害者であるというのも皮肉なものだ。  “the store had improved not because this cellar dweller was a magician, but because he was not a Jewish.”(p. 72)  なぜここまでユダヤ人をこういうキャラクターとして扱うのか。ここでは、ユダヤ人にまつわる時代背景を探っていきたい。

1.時代性  19世紀末、ユダヤ系新移民は、ロシア、ルーマニア、オーストリア、ポーランド、リトアニア、ウクライナ共和国などから渡米している。ユダヤ系は旧世界で民族的差別を受けつづけた経験から、身分を偽ったり、偽パスポートで入国したりする事もしばしばであった。ユダヤ系移民は、ロシアの官憲によって、ふるさとを暴力的に追われた無一文の難民であり、棄民的な存在であった。また、日系その他の移民とは異なり、出稼ぎ後に帰国する可能性が極めて困難な事情にあった。
2.社会性  ユダヤ系はこの時すでに、多元文化主義を始めていた。すなわち、ユダヤ社会の内部にあっては旧世界から持ち込んだユダヤ人特有の宗教的生活習慣を持続し、何十というイディッシュ語新聞やミニコミ誌を発刊し、外部社会にあってはキリスト教社会への対応という、精神的ジレンマの中で、独特の移民文化を保持していた。
3.都市化時代の意識構造  ユダヤ人移民はロシア農村社会から自由主義アメリカの大都会へ移住した。彼らはライフスタイルを転換させるばかりか、価値観の転換も強いられることになる。アメリカは当時、産業主義のさなかで、資本化が巨万の富を掌中に収め、他方、ユダヤ難民のように、英語もろくに話せぬ者たちは被搾取階級に落ちざるを得ない状況下にあった。ユダヤ人たちは移民してくるなり、二者択一の選択を迫られた。それは、自らもフランクリン的自助の精神で頭角を現すか、あるいは敗者となって死ぬまで搾取されたり失業して路頭に迷うか、そのいずれかであった。
     では、Morris自身は自分たちユダヤ民族をどう感じ、どうあるべきだと思っていたのか。

“My father used to say to be a Jew all you need is a good heart.” “The important thing is the Torah. This is the Law ? a Jew must believe in the Law.” “But they will tell me, and I will believe them, if I forgot the Law. This means to do what is right, to be honest, to be good. This means to other people. Our life is hard enough. Why should we hurt somebody else? For everybody should be the best, not only for you or me. We ain’t animals. This is why we need the Law. This is what a Jew believes.” (p. 117-118)
 Morrisは、一般的にユダヤ人はこうあるべきである、という事に価値を置いているのではなく、法に基づいて正しく行動し、正直でよい人間であることという事に重きを置いている。生活は厳しいけれども誰かを傷つけるのではなくすべての人達に対して善意を持つ事をFrankに説いている。  この物語の中で、”suffer”という言葉が一つのキーワードになっている 。
“Do you like to suffer? They suffer because they are Jews.” “That’s what I mean, they suffer more than they have to.” “If you live, you suffer. Some people suffer more, but not because they want. But I think if a Jew don’t suffer for the Law, he will suffer for nothing.” “What do you suffer for, Morris?” Frank said. “I suffer for you,” Morris said calmly. “I mean you suffer for me.” (p.118)

     この会話の中にユダヤ人がそれまで歴史的に経験してきたさまざまな思いが込められていると私は感じる。迫害、逃亡、そして新境地での差別問題、ユダヤ人の歴史を振り返ってみると、とても辛く、困難で険しい道のりを歩んできている。その経験からMorrisは、「お腹が猛烈に痛くても一番長く我慢ができる人間、それが一番いいユダヤ人である」と語っているのだ。といっても、ユダヤ人が歴史上で受けてきた苦しみは計り知れない。その中の一つとして、アメリカにおける反ユダヤ主義というものを取り上げてみる。
     歴史的にみれば、反ユダヤ主義の起源はユダヤ人による「キリスト殺し」の神話に発する。第二ヴァチカン公会議(1962)後に発表されたカトリック教会司教パウルスの宣言文でようやくその偏見がある程度改められたのである。 “ユダヤ人の権力者と、その追従者がキリストに死を迫ったが、無差別にその当時のすべてのユダヤ人に、また今日のユダヤ人に、キリストの受難の際に犯されたことの責任を負わせる事はできない。”(『公会議公文書全集』) 「キリスト殺し」を理由に、ユダヤ人迫害を正当化できないことを公的に発表したはじめてのローマ・カトリック側の宣言である。いかにユダヤ教とキリスト教の対立が深刻であり、長い歴史を持つかが想像できよう。 戦後15年を経た1960年になってもアメリカ人の反ユダヤ主義の感情は依然としてまだ強かった。確かに、ホロコーストはキリスト教側に大きな反省とユダヤ人への同情心を引き起こした。しかし、長い歴史に色づけられたユダヤ人への偏見は簡単には消え去るものではないようだ。(『ユダヤ系アメリカ短編の時空』(北星堂書店, 1997) pp.220-221)
    このように、Morrisがユダヤ人として差別や貧困とも闘いながらもひたむきに生きている姿は、とても感銘を受ける。  その一方、Frankは罪に罪を重ね、その罪悪感を持つ自分自身の心と葛藤していた。

“He moaned; had got instead of a happy ending, a bad smell. If he could root out what he had done, smash and destroy it; but it was done, beyond him to undo. It was where he could never lay hands on it any more ? in his stinking mind. His thoughts would forever suffocate him. He had failed once too often. He should somewhere have stopped and changed the way he was going, his luck, himself, stopped hating the world, got decent education, a job, a nice girl. (中略)The self he had secretly considered valuable, for all he could make of it, a dead rat. He stunk. (p. 166)

     人間は何度も過ちを繰り返す生き物だ。例えば、戦争がいい例である。20世紀が終わる時点であれだけもう21世紀は戦争のない社会にしようと言っていたにもかかわらず、21世紀になった今現在も戦争は繰り返された。それを考えるとFrankの何度も過ちを繰り返してしまう性格も一概に責める事は出来ないような気がする。もちろん罪を犯すことは生きる上で最もよくないことである。しかし、完璧な人間などこの世に存在しないのだ。
     最終的にFrank は、自分の犯した罪を償っていく。一度失った信頼を取り戻す事は並大抵のことではない。しかし、物質的な豊かさとは異なる、生きることの人間的な意味をFrankはMorrisから学んだのだ。Frankは新しい価値観に目覚め、その精神の遍歴を通して困窮と貧苦の中においても人間性を失わぬ人間の真の尊厳性を見出した。” One day in April Frank went to the hospital and had himself circumcised. For a couple of days he dragged himself around with a pain between his legs. The pain enraged and inspired him. After Passover he became a Jew.” (p.234) そしてこの物語の最後の部分では、異民族であったFrankがその壁を乗り越えて人間的に成長したという事が、とても興味深かった。


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