Seminar Paper 2004

Kiyomi Sato

First Created on January 27, 2005
Last revised on January 27, 2005

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Levinの多面性
信念とモラルの間で

レビンは、一言では表現することのできないような、非常に多面的な性格をしている。場面によって相反する性格が現れているし、以前の場面での行動からは理解しがたい一面が見受けられる部分もある。彼の性格に関して特徴的だと思ったところはいくつかあったが、私にとって最も印象的だったのは、レビンの「善悪のモラル」に関する部分であった。

レビンは自分の教育理念に大きなプライドを持っていて、それに対しての信念は妥協することなくしっかり貫き通そうとする面がある。控えめで慎重な人なのかと思っていたら、リベラルアーツに関することはためらうことなくはっきり主張するし、自分と関係を持ってしまった女子生徒であるナダレーから成績を上げてくれるよう頼まれたときも、おそらくは教育者としてのモラルから、それを断っている。しかしレビンは、教育についての信念を貫くためならば、時にモラルの域を越えた行動に出てしまうことがあるようだ。例えば、

There he had the papers photostated, then returned them to a memorized spot on the desk.   "Practical politics, " he told himself.   (p. 280)
とあるが、こっそりコピーするというレビンのこの行動は、もはや犯罪である。彼は、自分の信念のためなら手段を選ぶことができなくなってしまうような、盲目的というか、少々危険とも言える性格をしている。そしてそれは、レビンが自分の考えについて100パーセント正しいと思い込んでしまっているために、「正しいことを主張するためにやっているのだから、悪いことではない」という意識をどこかで持っているからなのではないかと思われる。レビンは自分の理想や考えを過信しすぎて、自分と考えの違う人の意見には耳を貸さないという傾向があるように思う。レビンと意見の合わないギリーやフェアチャイルドの考え方・やり方については、心の中で馬鹿にしているところがあるようであった。実際レビンの考えが100パーセント正しいのかどうかはさておき、レビンのように「自分が正しい、相手が間違っている」と最初から決め付けて突き進むべきではないのかもしれない。自分の信念を貫こうとするのは良いことだが、他人の言うことも受け止めて自分の中に取り入れていこうという姿勢がなければ、物事を良くしていくこともできないし、人は成長していけないのではないだろうか。そういう点でレビンは少し頑固すぎて、柔軟性に欠けているのかもしれないと思う。

また、レビンの「自分は正しい」という意識は、教育理念に関する事柄に限ったことではないようである。例えば、”Gilley was, after all, not guiltless; he erred too.   Indifferent to his wife in vital ways, did he deserve her fidelity?   “ (p. 222) という部分は、自分とポーリンの不倫について、何も知らないギリーにも責任を押し付けようとしている。こういう風に、何かと自分の中で他人に責任転嫁しているような心情が見受けられる。そうすることで自分は悪くないのだと自分に言い聞かせ、一人で安心しているように感じられる。本人に自覚はないのかもしれないが、レビンはわりと自己中心的な性格であると感じた。

信念を通す一方で、レビンには教師としては精神的に大人気ないと思われるところもある。例えば、アルバートという生徒の盗作の証拠を見つけようとしているシーンで、”In class Levin had given up calling on Albert, even avoided looking in his direction.   “ (p. 174) とあるが、このような、ある意味差別的な行動というのは、教師という立場の人間がやってはいけないことなのではないだろうか。盗作を行った疑いがかけられていることと授業中に指名するのをやめて生徒を避けることとは無関係であり、これはレビンの個人的な感情に左右されての行動ではないかと思う。しかし、この時のレビンは最終的にはアルバートのことを考え、証拠を探すのをやめ、アルバートとちゃんと向き合って、正直であることの大切さを教えようとしている。私は、この場面で初めてレビンの教師らしい部分を見たような気がした。

そのような、自分なりにしっかりとした想いを持っているのだろう「大学教師」という仕事を、最終章で、エリックとメアリーを引き取るために手放すことにしてしまうというレビンの行動には衝撃を受けた。おそらくレビンは、ポーリンやギリーによる精神的な圧力に追いつめられてやけになり、「もういいや」という気持ちになってしまったのだと思う。しかし、12章では”I’m here to stay.   “ (p. 310) と強い口調で言っているように、レビンは、たとえ悪者になっても、他の何かを犠牲にしても教師の仕事を自分から捨てるようなことはしないだろうと思っていたため、私は正直がっかりした。私だったら、強く望んでいた仕事に就くことができたのに簡単にそれを手放すことなどできないと思う。レビンは、その時は物事を一番早く解決できる方法を選んで、面倒な争いから解放されて楽な気持ちになったのかもしれないが、後になって後悔するのではないかと思う。

また、レビンは教育への信念や考え以外の部分では、モラルというか自制心に欠けていると思われるところが随所に見られる。一応最初はちゃんと自制心が働いているのだが、その自制心は自分の本能を押さえつけるだけの力を持っていないようである。まず彼は、とにかく女性関係にだらしない。彼の場合は、女性と関係を持つことそれ自体より、相手の女性に対して愛情も持っていないのに、軽はずみに関係を持ってしまうことに問題があると言えると思う。自分の女性関係について考えるときも、「愛」の前に「世間体」や「責任」について考えている。特に、途中からは本気で愛し始めたようだが、当初は愛してもいなかったポーリンと、相手が人妻でありながら不倫をしてしまうというのは、教師として以前に人として問題のあることだと思う。レビンにはつらい過去があり、”I couldn’t respond to experience, the thought of love was unbearable.   “ (p. 201) とあることから考えて、今でも人を愛することに対してあまり器用ではないのかもしれない。特に、家庭環境に関するつらく悲しい記憶が残っていたりすると、人の愛情というもの自体を信じることが難しくなってしまい、冷めた感情でしか愛を捉えられなくなってしまったりすると思う。そういう心境については理解できるのだが、それでいてレビンのように性欲が旺盛というのは、たちが悪いのではないかと思う。

レビンの言動には、ところどころに「子供っぽさ」も見受けられる。ポーリンと不倫をしているためにギリーと顔を合わせにくくなり、避けたところで何の解決にもならないのに彼を避け続けたり、一時しのぎにしかならないのにポーリンに会わなくてすむようにフェンスを越えて逃げたりと、なんだか往生際の悪い子どものような一面がある。また、自分の論文に関して何も言ってくれないバケットに腹をたて、”He envisioned punishment fallen on him, some sad misfortune: One day J.B. collapsed at his desk and died at home.  “ (p. 271) と考えているところも、まるですねた子どもの言う悪口のような思考だと思う。レビンにはそういった子どもっぽいところがあるから、最終章で窮地に立たされたときもこれ以上冷静に考えることができなくなり、やけになってしまったのかもしれない。しかし、そう簡単に人生を投げてしまうのはやはり良くないと思う。この場面ではレビンのポーリンへの愛はもう冷めてしまっていると思うため、レビンがこの先今までより幸せになれるかどうかは疑問であるし、自分を愛していないレビンと結婚するポーリンも幸せになれるのかは疑問が残る。以下はそんな二人の将来に関する会話である。

“An older woman than yourself and not dependable, plus two adopted kids, no choice of yours, no job or promise of one, and other assorted headaches.   Why take that load on yourself?   “
“Because I can, you son of a bitch.   ”
これについても、レビンのこの返答は意地を張った子どもの台詞のように感じられた。 考え無しな行動をとっている反面、レビンは非常に悶々と一人で考え込む人であるというのも事実である。ひとつの事柄について「どうすればいいのか」「どうしてなのか」など、必要以上に深読みするし、考えすぎだろうと思うくらい頻繁に考え込んでいる。しかし、その割には自分の言動に後悔していることが多い。”He observed this with regret.   He was treating her badly.  “ (p. 156) という部分や、“He regretted not having said a kind word to her; “ (p.165) など、行動の直後に後悔している場面も見受けられる。ということは、レビンが考え込むことははっきり言ってあまり意味をなしていないというケースも少なくないのかもしれない。さまざまな角度から冷静に考えた上でより良い結論を導き出していくというよりも、実はただ悶々とした中でなんとなく心の中で結論を出してしまっているのではないだろうか。もしくは、悩んだだけで結論すら出ていない時もあるのかもしれない。

他の特徴としては、レビンの「人を観察する目」についても気になった。彼は、相手の表情のこと細かな変化や、何かの異変に随所で素早く気付いているように思う。ダフィーについていろいろ探っていたところの様子を見ると、レビンは人に対する好奇心が強いということなのかもしれない。しかし、彼はそれ以上に、人に対する警戒心が強いのではないかと私は考える。両親を悲しい事情で亡くし、大酒飲みになって荒れていた過去のことを考えると、レビンは「愛」だけではなく、人を信じることにも臆病になっているのではないだろうか。ポーリンと森で関係を持った後にも”He asked himself, Who is she?    Extraordinary thing to have been in a woman and not know her.   Could he trust her?   “ (p. 205) と、彼女を信じてよいのかどうか分からず悩んでいる様子がうかがえる。人を簡単には信じられず警戒心が働いてしまうから、信用して良い相手なのか、相手の心情・本音を探るために細かいところまで観察してしまうのではないかと思う。相手のちょっとした言動に対してとことん考え込んでしまうのも、そういった理由によるものなのかもしれない

。 小説やドラマなどの主人公というと、「こういう人」と大まかに一言二言で表せるような分かりやすい人が多いと思うのだが、レビンは非常に多面的で、どんな人だと簡単に定義することはできない。しかし、実際の人間というのも多面的なものだから、レビンという人物はリアルに人間らしく描かれているということなのかもしれない。ヒーローのような理想的な存在ではなく、むしろ普通にその辺にいそうな身近な人という感じがする。

 人はさまざまな面を持っていて、しかもそれは周囲の環境や他の人との出会いによってどんどん変化していく。強い部分も弱い部分もあり、接する相手や状況によって違った一面を見せるのも自然なことだろう。レビンの多面性は、日常の中を自分らしく生きる彼の、等身大の「人間らしさ」を作り出しているものなのかもしれない。


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