Seminar Paper 2004

Suzuki Chika

First Created on January 27, 2005
Last revised on January 27, 2005

Back to: Seminar Paper Home

LevinとGilley
二人の相違点と共通点、二人のNew Life

A New LifeではPaulineと学科長選挙を通して、LevinとGilleyという異なった価値観を持つ人間 が描かれている。二人の代表する価値観とその違いについて、それから共通する部分について考えていきたい。まずは二人の人生についてとそれに対する考え方や姿勢について比較してみる。

Levin
Seymour LevinはN.YからCascadia大学にやってきた新任の教師である。彼はN.Yで酒に溺れる生活をかつてしていたが、ある体験によってそれを改める。

“For two years I lived in self-hatred, wiling to part with life.  I won’t tell you what I had come to.  But one morning in somebody’s filthy cellar, I awake under burlap bags and saw my rotting shoes on a broken chair. They were lit in dim sunlight from a shaft or window.  I stared at the chair, it looked like a painting, a thing with a value of its own.  I squeezed what was left of my brain to understand why this should move me so deeply, why I was crying.  Then I thought, Levin, if you were dead there would be no light on your shoes in this cellar.  I came to believe what I had often wanted to, that life is holy.  I then became a man of principal.”(p.201)
LevinはCascadiaに来ることでN.Yでの自分を捨てて、”principal”に基づいたNew Lifeを始めようと決心していたのである。彼にとっての”principal”とは “Democracy owes its existence to the liberal arts.”(p.27)という言葉からわかるように、”democracy”を支える”liberal arts”である。それから家族に恵まれなかったことからloveも”principal”であると考えている。しかしLevin自身luftmensch(p.217)であると自覚していて、The more he suffered, no matter how frequent or pure his resolutions to change himself, the more he suffered.(p.254)とあるようにうまくやろうとしてもうまくいかないということをわかってしまっている。だから「CascadiaでのNew Lifeは成功させたい」という思いから違う自分になる為に髭を伸ばしている。

Gilley
Gerald GilleyはCascadia大学でも古株の先生で、人気もあり、物語の最後では学部長選挙で勝利するほどである。元教え子の妻Polineと2人のこどもがいる。しかしGilley自身は子種がないので養子である。Polineとは違い、Cascadiaの自然と様々なレジャー、趣味を楽しんでいる。

盗作とPTAからの苦情に対する反応にも二人の価値観の違いが表れている。盗作に対しLevinは証拠が不十分だったこと、それから盗作の疑いをかけられているAlbertの様子に同情して追求を断念する。しかしGilleyはそれに不服であり、「情けは無用」と主張する。ここではLevinとGilleyの生徒に対する考え方や教え方の違いもわかる。Levinは前期から生徒を落第させたりするので生徒の人気はないがGilleyは生徒の満足させることを考え、体育の特待生に優遇しているので生徒の人気は高い。その後GilleyはLevinの断りなしにAlbertを自分のクラスに変更させ、Levinの反感を買う。それからPTAからの苦情に対しGilleyは”My policy with complaints is to hear them out, not antagonize anybody further.” (p. 231) と言い、苦情を受け入れようとするがLevinは“A college is no place to show contempt for art or intellect.  If you drop the book, you’ll be making cowards of us all.(p.226)と厳しい言葉を吐いてしまう。

学科長選挙がやってくると、LevinとGilleyの価値観の対立は一層明確になる。LevinにはGilleyは恩があり、Paulineと不倫しているという負い目があった。しかし、"Gilley, totally congenial, was blown by every wind, in particular Fairchild’s. "( p. 232)と考え、Gilleyの対立候補であるFabrikantを支持するのである。Fabrikantのほうが”principal”( p.232)に基づいていると考えたからである。しかし、結局LevinはFabrikantにも失望し、正に無謀だが自分が学科長選挙に出馬する。結果は0票であった。PaulineがGilleyと離婚するためにLevinとの不倫を告白したので、そのことが学科中に知れ渡ったからである。GilleyはPaulineを引き止める為に、LevinにPaulineの悪口を並べ立て、養子が二人もいて健康でない事を言い募り、離婚の条件としてLevinが大学の教鞭を執らないことを強制しようとする。それだけの悪条件にも関わらずLevinは条件を呑む。GilleyはLevinのあまりに無謀で自分で自分の首を絞めるような行動が納得できない。しかしLevinは”Because I can, you son of a bitch.”(p.360)と答える。

    二人の価値観の違いをまとめるとLevinは酒におぼれて空費した時間を悔やんでいるので、結局はうまくいかないのだが、”principal”を大切にしようと考えているluftmenschである。対してGilleyは理想よりも現実の問題に目を向けて、大学の為に生徒の要求や同僚の要求に応えようとする。苦情が来れば問題が起きないうちにそれを削除し、今の生活を楽しむ現実主義者である。

    それではこの二人の価値観が代表するものは何だろうか。この作品が書かれた1950年代はマッカーシズムが吹き荒れた時代である。マッカーシズム(McCarthyism)とは、第2次世界大戦後の1950〜54年に米国で行われた極端な反共運動である。中心となった共和党の上院議員マッカーシー(Joseph RaymondR McCarthy)の名前から命名され、その対象は、政界から言論・思想・芸能界まで幅広く及んだ。本書は作者の体験に基づいて書かれていると言われている。Cascadiaのモデルは実際に作者が教鞭を執っていたOregonであるそうだ。そうするとLevinの主張は作者の主張であると取れる。だからLevinの”principal”を第一に考える価値観はマッカーシズムによる抑圧を批判する作者を代表していると言える。そしてそれに対立するGilleyの価値観はマッカーシズムに反対せずに、問題が起きるのを嫌って、それに従ってしまう人々を代表しているといえるだろう。

    二人の価値観やそれが代表するものは正反対であり、二人に共通するところは何もないように思える。しかしマッカーシズムに対する批判をひとまず置いてみたら、どちらもshlemiel的であるという点で共通していると言えないだろうか。

    Shlemielとは不運で従順、不平を言わない犠牲者や社会的な不適格者、純粋で信じやすくだまされやすい人や馬鹿な取引をするものを指す。Levinは正にShlemielに当てはまっている。父親が泥棒であり、そのせいで母親が自殺した過去を持つ為Levin自身も社会に”misfit”(p.231)であると感じている。そして物語の最後では自分がLeo Duffyの代わりにされていたときづいて幻滅し、しかも彼女のせいでくびになったのにPaulineと結婚することを決心する。しかも養子と生まれてくる子どもまで引き受け、二度と大学で教鞭を執らないという約束までしてしまうほどLevinは犠牲的である。Gilleyはどうだろうか。仕事において人気もあるし自然やスポーツを楽しむ趣味人であるが、子種がないということで社会的なハンデを負ってしまっている。そしてPaulineは浮気の前科があるのに、Levinと再び浮気してもそれに気づかないほど騙されやすいと言える。そしてGilleyはPaulineを諦めさせようとLevinに見苦しいほどPaulineの悪口を並べ立てるが、何が何でも離婚したくないと思うならもっと強気の手段も取れたはずである。しかし結局は受け入れてしまう。そして、そもそも不倫相手のLeo Duffyが自殺し妻が落ち込んでいるからとって、それを慰める為に妻の言う通りにLevinを雇わなければ事件は起こらなかった。しかし言われた通りにLevinを雇ってしまう。これらから価値観は違う二人だが根本的に似てしまっているということがわかる。

    物語はLevin、Gilley、PaulineがそれぞれNew Lifeを始めるところで終わる。 LevinはPaulineとその子ども達、不倫の責任を一身に背負うことを選んで受け入れるが、実はPaulineに選ばれたことを知る。

“You looked as though you needed a friend.”
”Was that the reason?”
“I needed one. Your picture reminded me of a Jewish boy I knew in college who was very kind to me during a trying time in my life.”
“So I was chosen,” Levin said. (p.361)
「選ばれた」ということで、土壇場になってLevinの気持ちは揺れるが、Levinの子どもを妊娠したことを知ってLevinの心は決まる。Paulineと子ども達と一緒にNew Lifeを始めることを決心するのである。その決断には酒におぼれる生活からLevinを救った経験、”I came to believe what I had often wanted to, that life is holy.”に基づいている。
そして最後はGilleyのセリフによって締めくくられる。
“Got your picture!”(p.367)
LevinとGilleyは価値観は違うが、shlemiel的という点では共通しているのでGilleyがLevinの考え方を理解しようとしているのではないかと感じられるラストである。その証拠にLevinが学長選挙の際に主張したThe Elementの廃止やGreat Book Programの取り掛かっている。

 以上から本作のテーマは2つあると考えられる。一つはLevinとGilleyの価値観の対立を通してマッカーシズムを批判することである。そしてもう一つは価値観が違うshlemiel的な二人の対立とNew Lifeを始めようとするところを描いて、”…life is holy”であり、New Lifeは何度もどんな形でもあり得るということである。

(参考資料) 『「ユダヤ文学の巨匠たち」シュレミールの批判精神』広瀬桂司 関西書院 1993

第2部 (1)シュレミールの歴史 pp166-167


Back to: Seminar Paper Home