Seminar Paper 2004

Maiko Yokoyama

First Created on January 28, 2005
Last revised on January 30, 2005

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Levinの多面性
--私が彼を憎めないワケ--

島田ゼミに入って最初の一年間、この「A New Life」を読んできて、回を重ねていく毎に内容が理解できるようになってきたことを実感でき、とても嬉しく思う。初めの頃は英文で読むことへの抵抗感は必ずしもないとは言えなかった。だが、登場人物の個性や話の展開の仕方によって、当初の不安が解消されたと言っても等しい。
   私は、この作品を語るうえで欠かせないのは、やはり主人公であるLevinだと思う。彼を取り巻く環境はすべて彼自身が生み出したものであり、いかにして苦境に立ち向かっていくかを読者がまるで彼と一緒になって読み進めていくことによって、一種の「一体感」と言ったらよいのだろうか、少なくとも私はLevinを応援する側に回っていた。彼と考え方を異とするGilleyの行動とそれに対するLevinの行動を、読者として客観的に見ることをせず、まるで自分がいつの間にかLevinと同じ立場にいるかのように考えていた。なぜ、その「一体感」が生じたのか?理由は彼の「行動」と「精神」の熱さにある。

   まず挙げるのは、Levinが学習に対して抱く熱意の強さだ。

“A dirty shame. ” Levin was on his feet again. “ The liberal arts− as you know−since ancient times― have affirmed our rights and liberties. Socrates― “ ( p. 27)
   Levinが現に来たCascadia College では、もう一校別に赴任を申し込んでいた先のCascadia Universityと比べてはliberal artsが主流とされていなかった。しかし現実に起こったことはCascadia Collegeへの赴任であった。彼は自分の意思を決して曲げることなく、on his feet―ここに彼の熱意が現れているが―気持ちを表に出した。まだ、物語始めの場面である。ここで確認しておくが、liberal arts とは「大学で学ぶ一般教養」のことであり、Levinはこの方針(大学では様々な視点で幅広く事を学ばせ、生徒それぞれが抱く素質を十分に生かしてあげる必要がある)をどうしても曲げたくなかったのだ。作品を通して、この「liberal arts」という言葉は何度となく使われていることがうかがえられ、作者のマラマッドもこのliberal artsを支持する姿勢を採っているに違いない。その気持ちを主人公の彼に託したのであろう。
   こういった、「一つの目標に向かって突き進むLevin」を思い浮かべることで、彼への信頼感というか期待感が沸いてくるのだ。  

  アメリカ東部出身のLevinにとって、大自然と触れ合う機会はそうなかったに違いないであろう。この物語の舞台であるオレゴン州は、ニューヨークとは正反対の西部に位置し、それこそ東部の生活では体験できないことがゴロゴロ転がっていると言っても決して過言ではないはずだ。文中には数々の「自然描写」があった。

“His world--inside he was Levin, although the new Levin, man of purpose after largely wasted years...What most moved him was memory. Yet when the autumn day was momentarily cloudless , blue-skied , still to the point of a dog’s bark miles away, it sometimes burdened the heart. “ ( pp. 55- 60)
  上の箇所は、住まいを提供してくれたMrs. Beatyのところに初めて向かい、そこで感じた思いを自分の過去と重ねているところである。盗みをはたらかせていた父親の影響・そして大酒飲みだったという決してクリアな思い出がないと言っても等しかった彼のかつての人生。ここで「過去とは離れられない、だがしかしこれからの新しい人生(new life)は自分次第で変えられるのだ」という気持ちがつまっている(文中彼には様々な出来事が降りかかり、意志は何度も揺らぐのであるが)。新しい地にやってきて、いつも自分の側にいる「自然」を感じることができ、それによって自分という存在を確認する機会を得たのだ。

   また、次の箇所ではLevinが自然の描写とともに自分のPaulineに対する振舞い方について、疑問を投げかけている。

He had for half his life in wintertime yearned for spring. In the East, as early as February he woke sniffing the breeze for the first vernal fragrance still locked in a future month... Was a man no more than a pawn to the season’s mood? Why had he suffered if not to be his own master? ( p.259)
  「自分自身をコントロールできないのなら、一体誰がするのか」を自分に問いかけている。そのような、自我の目覚めというか葛藤に苛まれる場面を読んで、私自身の経験にも繋がるところがあったし、春の夜の暖かな気候の中でそのようなことを考える彼のロマンティックな一面をも感じさせられたので、彼のPaulineに対する行動には頷けないところもあったが、憎めなかった。彼の心は、まだ青年のままなのだ。

  また、「ちょっとドジなLevin」も忘れてはならないポイントだ。挿絵もなく、一見シリアスな文面にも見えたのだが、実は見事な笑いのツボが隠れていた場面が、以下の箇所だ。

“This is the life for me, ” he admitted, and they broke into cheers, whistles, loud laugher. The bell rang and the class moved noisily into the hall some nearly convulsed. As if inspired, Levin glanced down at his fly and it was, as it must be, all the way open. ( p. 90)
  生徒に向けて熱弁し、なぜ彼らが笑っているのか分からぬまま授業は終了、そして自分がその笑いの対象だったことに気づく。私がその場にいたら、笑う前に彼を哀れに思ってしまうに違いない。一生懸命なところに、どこか心惹かれてしまう。

  Levinを語るうえで重要な人物はLeo Duffyである。「人と違うことをしようとして退去を命じられた人物」に対して、初めから少なからず興味を抱いていたLevin。学内のしきたり通りに流されてしまいそうな彼は、夢の中でLeoに責められる。

Levin woke with a sob from a dream of wrestling Leo Duffy, who when last seen, riotously tarred and turkey-feathered, was riding a rail out of town. Et tu, Brute? He shook his bloody fist at the new instructor. Levin leaped out of bed, indignantly shook the alarm clock, a new piece of junk, and pitched it out of the window. ( p. 87)
   仕事面からサポートしてくれたGilleyの妻・Paulineとの仲がいつしか深まり、Paulineが過去に関係を持っていたLeoについて未だに未練があるらしきことを仄めかされた時、Levinは自問自答を繰り返す。そして物語の後半では、Paulineが「Levin」の赤ん坊を身ごもったことが明らかになった。
He felt for a time a corrosive self‐soiling jealousy of a ghost: Levin, contaminated substance of Duffy’s shade. He endured to be unhaunted the last of love in its rotting coffin. ( p. 266 )
Meeting his eyes at last, she murmured, “I’m about two months’ pregnant. ” He remembered then to remove his hat. The blood in his brain gave his head the weight of a rock.
“ Mine? ” he asked.
She smiled wanly. “ Not Leo’s. “ ( p. 364 )
  「どうして彼(Leo)と自分を重ねて、Levinとして自分を見てくれないのだろう」という、Levinの悩みが、文中のいたるところで見受けられる。Leoに似ているから気になる・Leoを思い出す、といったPaulineの動向に対しての気持ちを、Levinは顔には出さずにいたが心の中では常に辛さとして抱いていた。彼に似ているLevinとしてではなく、Levinとして愛してもらえたらどんなに素晴らしいか。そんな葛藤の後、Paulineは「Leoの子ではない」子を身ごもったことをLevinに伝えるのだが、彼女は意識的に「Not Leo’s.」 と言ったに違いないと考えて間違いはないだろう。Paulineへの愛をどうするべきか、自分の中で処理がつかなくなっていた彼に、“朗報”がもたらされたわけである。なぜなら「Levinとして」Paulineが彼を見つめてくれたことが明らかになったからである。自信を持つことへ繋がり、これからの人生に向けての決意がここで初めて固まったと言っても、過言ではないはずだ。

  最後に挙げる「憎めない点」は、物語初めと比べて彼が誰の意見でもない自分の意見をしっかり抱けるようになってきたことである。それが分かる箇所をいくつか列挙してみよう。

“ He went back to his book but found it hard to concentrate; had to nail down each sentence before he could move to the next. The alternative was to shut the book and think of her. Let me be honest with myself, he thought; if I have her again I must keep romance apart from convenience. Love goes with freedom in my book. ” ( p. 206 )
“ Gilley would have said no more than he hoped Levin would support him. That would have kept peace between them until the school year ended. Next year was next year. I told him because of all I haven’t told him, Levin thought. “ ( p. 285)
“ What’s the sin, he asked, in knowing the truth? Is it ever wrong to know? “ ( p. 299)
  「僕の本の中では、愛とは自由であることを意味する」「僕は言っていなかったから、言っただけである」「(学内の腐敗の)真実を知ることが、果たして悪いことなのか?」物事の定義づけ、自分の発言の正当化、きちんと物事を正したいという正義感、自問自答(それにより、我を強くさせる)。これらは、物語の初めでは見られなかった光景ではなかろうか。自分より位が高い者へ従う姿勢が以前はずっと高かったLevinの心は、時間の推移に従って確実に成長している。初めに挙げた「学問への姿勢」も、物語後半に進むに連れてしっかりしてきた。もう過去へは戻らない、新しい生き方を心がける彼に対して、応援をしないわけにはいかなかった。

   5つの項目に分けてLevinを解析してきたが、すべてに通ずることは「彼がまるで青年期の人間のように自我を分析しながら、物事をしっかり見据えようと努力する姿勢が伺える」ということになるのではないか。私はLevinと年齢も違えば性別も違うが、気づけば彼のひたすらな姿勢に一読者としてエールを送っていたものだ。なぜかというと、私自身が自分に対して自己に対して考える姿勢と、彼のそれとが重なるところがあったからだ。新しい環境に身を置き、様々な状況に立ち向かってきたLevinの姿勢に、私は精一杯のエールを送りたい。同時にそれが自分へのエールともなり得るのだから。


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