Seminar Paper 2005

Naoaki Kiyama

First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006

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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義
規則の重要さと無意味さ

 この作品において規則とはタイトルに含まれていることからもわかるように、重要な意味を持っていると考えられる。規則には色々なものがあり、法律や学校、地域などにおける規則、また個人のなかにもそれぞれの規則があるだろう。これら規則は守られることが当たり前とされるものである。しかし、守る者もいれば破る者もいる。そして、この作品の中にはそのような人々が描かれている。物語は規則を守り、また破ることで左右され展開していく。私は規則というものが人によっては重要なものであり、また別の人にとっては無意味なものにもなりえるのだということをこの作品から感じた。私は“The Cider House Rules”というタイトルにもそんな重要さと無意味さを含んでいるものとしての規則を象徴としているのではないかと思う。ここでは登場人物とそれぞれに関わる規則を絡めて、その重要さと無意味さについて検証していきたいと思う。

・ ラーチ、弱者と堕胎
    “These same people who tell us we must defend the lives of the unborn―they are the same people who seem not so interested in defending anyone but themselves after the accident of birth is complete! These same people who profess their love of the unborn’s soul―they don’t care to make much of a contribution to the poor, they don’t care to offer much assistance to the unwanted or the oppressed! How do they justify such a concern for the fetus and such a lack of concern for unwanted and abused children? They condemn others for the accident of conception; they condemn the poor―as if the poor can help being poor. One way the poor could help themselves would be to be in control of the size of their families. I thought that freedom of choice was obviously democratic―was obviously American!”(p. 394)
 これはラーチがローズベルト夫妻へ宛てた手紙である。堕胎を合法化するために違法であるが故に起こる、望まれずに生まれてくる子供と貧しいものの悲惨さを訴えたものである。ラーチにとって堕胎取締法は弱者を苦しめる無意味な規則であり、また弱者本人たちにとってもそのような規則は不当なものである。そして、ラーチには自分の中のルールで法に左右されずに弱者を助けるために堕胎という違法のことを行っている。弱者の貧しいものたちも法で縛られながらも、どうしようもなくなり堕胎を受けに来るものがいる。ラーチと弱者にとっては堕胎という行為は正当であるべきものであり、それを縛る堕胎取締法は不当なものであることが上記の文から読み取ることが出来る。

・果樹園労働者、ミスター・ローズとホーマー
    “One rule is, we can’t cut each other bad. Not bad enough for no hospital, not bad enough for no police. We can cut each other, but not bad.” “I see,”Homer said. “No, you don’t,”said Mr. Rose. “You don’t see―that’s the point. We can cut each other only so bad that you never see―you never know we was cut. You see?”(p. 455)
 これはホーマーがなぜ労働者の皆が自分の書いた規則を守らないのかとミスター・ローズに聞いたときの二人の会話である。上記の通り、ミスター・ローズたちには彼らの規則があり、ホーマーの書く規則は何の意味も持たないようである。他人が決めた規則とは作ったものの勝手な都合であり、それを守るかどうかはその規則を受け渡される側の考えによるものであり、この場合彼らにとっては守る必要性はないのだろう。それよりも、労働者たちの間の規則、ミスター・ローズ個人の規則のほうがより重要なものであることが伺える。だから彼らはサイダーハウスの規則は守らず、自分たちの規則を重んじるのである。

・ ホーマーとキャンディーにとっての規則
    “We’ll say the baby is adopted,” he said. “We’ll say we felt a further obligation―to the orphanage. I do feel that, in a way, anyway,” he added. “Our baby is adopted?” Candy asked. “So we have a baby who thinks it’s orphan?” “No,” Homer said. “We have our own baby, and it knows it’s all ours. We just say it’s adopted―just for Olive’s sake, and just for a while.” “That’s lying,” Candy said. “Right,” said Homer Wells. “That’s lying for a while.”(p. 408)
  これはキャンディーのお腹にホーマーとの子供が出来きてしまったことで二人がその赤ん坊をどうするかについてのやり取りである。キャンディーにはウォリーという恋人がいるし、世間体や母のオリーブに知られてもまずいという状況がある。結局この会話のように、二人は子供を生み、その子を自分たちの養子だと偽って育てていくこととなる。その子供がエインジェルである。まずはホーマー、キャンディー、ウォリー、エインジェルの関係を考えてみると、ホーマーとキャンディーはウォリーや周りの人に内緒で二人の子供エインジェルを生み、彼を養子と偽って育てている。この状況は世間一般では考えられないことである。ウォリーにも二人の関係を偽り、エインジェルにも本当のことを隠して生活している。これは一般的には規則からはずれた行為と捉えることが出来るだろう。しかし、彼らにとってはこうすることが当時の最善の策だったのである。彼らには世間的な規則などは関係なかったのである。自分たちの考え、または規則に従って世間とは外れた行為をしているのであり、 他の規則などよりも断然自分たちの考えが重要と判断した結果と言える。ホーマーは自分と愛するキャンディーとの子供を生みたいという考えから、キャンディーは周りに知られなければ、誰も傷つかないようにすむのならという考えから、自分たちの規則によって子供を生むという選択をしたのである。

・ ホーマーとラーチと堕胎
    “Young people find risk-taking admirable. They find it heroic,” Larch argued. “If abortions were legal, you could refuse―in fact, given your beliefs, you should refuse. But as long as they’re against the law, how can you refuse? How can you allow yourself a choice in the matter when there are so many women who haven’t the freedom to make the choice themselves? The women have no choice. I know you know that’s not right, but how can you―you of all people, knowing what you know―HOW CAN YOU FEEL FREE TO CHOOSE NOT HELP PEOPLE WHO ARE NOT FREE TO GET OTHER HELP? You have to help them because you know how. Think about who’s going to help them if you refuse.”(中略)    “You are my work of art,” Wilber Larch told Homer Wells. “Everything else has just been a job. I don’t know if you’ve got a work of art in you,” Larch concluded in his letter to Homer, “but I know what your job is, and you know what it is, too. You’re the doctor.”(p. 518)
    “1. I AM NOT A DOCTOR.”
    “2. I BELIEVE THE FETUS HAS A SOUL.”
    “3. I’M SORRY.”(p. 545)
 上記の二つの文はラーチがホーマーへ宛てたものと、それに対するホーマーからラーチへの返答の手紙の内容である。ラーチには彼自身の規則があり、それに基づいて堕胎を行っている。ホーマーも彼なりの規則があり、それに従い堕胎を自分は行わないものとしている。ここでは、ラーチが自分の規則をホーマーに受け入れてくれるようにとこのような手紙を送っている。苦しんでいる弱者のために、またセント・クラウズの今後のためにである。しかし、ホーマーにとって堕胎は自分の規則に反するものである。したがって、手紙の内容からもわかるように、ホーマーは弱者のことや、セント・クラウズことよりも自分の規則のほうが重要なこととして扱っている。いくら困っている人のためといえども、自分の規則に反することは出来ないのである。
    “Doctor Larch is dead,” he told Wally, who held Homer while he cried. He cried a very short time; in Homer’s memory, Curly Day had been the only orphan who ever cried for a long time. When Homer stopped crying, he said to Angel, “I’ve got a lttle story for you―and I’m going to need your help.”(中略)    “For Baby Rose?” angel asked his father. “No, not for Baby Rose,” Homer said. When he unpacked the instruments, Angel sat down on the other bed and watched him.(p. 563)
 この場面はラーチが死んだと聞かされた後にローズ・ローズへの堕胎手術をする決意をホーマーがした場面である。ラーチの死、ローズ・ローズの妊娠の事実を知ったことで堕胎反対という自分の規則を破ることになる。そしてこの後、ホーマーはラーチの後任の医者ファズィ・ストーンとしてセント・クラウズに戻ることになる。この場面でホーマーは今まで自分が抱えていた規則よりも、ラーチが通してきた規則のほうが重要であると考えたのではないだろうか。自分の規則ですら、自分の考えが変わってしまったら、その人にとって大事な規則ではなくなり、自分が以前に決めた必要のないただの規則ともなりえるのである。そして堕胎を始めることによって、ホーマーもラーチ同様に堕胎取締りというものが不当な規則であるという立場に回ると言える。自分の規則を破るという点では、ミスター・ローズに関しても同じことが言える。ひどく傷つけてはいけないという自分の規則を持ちながら、娘に対してそのような行為をしていたのだから。彼もまた自分の規則よりもローズ・ローズへの気 持ちのほうが勝って、彼女を傷つけてしまったのである。ホーマーもミスター・ローズも自分の規則だとしても、自分の中でそれよりも大事なことが出てきたら、新しい自分の規則を作るように、それまでの規則を破ることが出来るのだろう。

・ まとめ

  規則とは基本的に正しいとされるものである。しかし、それは世間の中で表面上に見えている部分のことであって、規則はそれを作るもの、受けるものによって受け止め方はまったく違ったものとなる。堕胎を求める女たちにとって堕胎取締り法は自分たちを苦しめるためのものでしかなく、ラーチにとっても自分の信念に反した不当な規則でしかない。ミスター・ローズたち労働者にとってはサイダーハウスの規則などは守るべきものでもなんでもない無意味なものである。ホーマーとキャンディーにとっては周りへの嘘は自分たちにとって必要なものだったのであり、ウォリー、エインジェルをはじめ周りを騙していること、世間的な問題など自分の考えの重要さからすれば、良しということになる。ラーチとホーマーの堕胎に対する考えもそれぞれが持っている規則からの考えであり、どちらも自分にとって間違いということではない。ホーマー、ミスター・ローズが自分の規則を破っても、自分の規則すら超えるものがあったということで、自分で作った規則でさえ守るべきものではなくなるのだ。 この“The Cider House Rules”というタイトルに絡んで言えば、ただのサイダーハウスの規則としてみれば、それは気に留めるようなものでもない、なんでもない規則である。しかし、サイダーハウス内の人々それぞれの規則として考えると、それぞれが持つ自分にとって正当な規則、他の何にも左右されない重要な規則である。つまり、規則が重要さと無意味さを同時に持つものであるという意味を含め、その性質を象徴するものとして“The Cider House Rules”がタイトルとされているとも言えるのではないだろうか。


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