Seminar Paper 2005

Ken Komine

First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006

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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義
生命の価値観

     この作品を最後まで読んでいき、この作品のタイトルである The Cider House Rules というのは、ただ単に建物としてのサイダーハウスでも、そこで貼られていたルールのことでもないということは明らかである。この作品で、著者が主張し、私たち読み手が感じなければならないことは、ここで登場してきたすべての人物に、それぞれ独自のルールがあり、そのルールに従って生きているということではないだろうか。また、それぞれ多様なルールを持った人々とどのように生き、どのようにして自分のルールと他の人のルールとの相違点に折り合いをつけて生きていったのかという点がこの作品の見所といえるだろう。そして、この作品の中ではabortionについて考えさせられる点が多く、この作品の主題といえる言葉である。したがって、このレポートでは主な登場人物である、Homer WellsとWilbur Larchを取り上げ、彼らの持つルール、その中でも特にabortionを取り巻く生命への価値観について考えていきたい。

     まず、Dr. LarchとHomerの価値観の差についてそれぞれ考えていきたい。Dr. Larchは堕胎医であり、数え切れないほどの堕胎手術をしてきたので、堕胎賛成派であり、胎児の生命を軽視しているかというとそうではないだろう。彼の人生経験によって生まれた堕胎への考え方の変化を無視することはできない。それは、自分が寝たことのある娼婦が間違った堕胎の方法で死んでしまい、またその娘の堕胎手術を断ったことで、死なせてしまったという経験がかなり大きな影響を彼に及ぼしたのだろう。たしかに、社会的に認められていない堕胎手術をすることはできないという考え方は必ずしも間違いではないが、彼はこの経験によって次のような考え方を生み出したのだろう。

“If pride was a sin, thought Dr. Larch, the greatest sin was moral pride. He had slept with someone’s mother and dressed himself in the light of her daughter’s cigar. He could not quite comfortably abstain from having sex for the rest of his life, but how could he ever condemn another person for having sex? ” (p. 51)

     つまり、彼は社会的なプレッシャーなどにより、堕胎手術を拒み、それによって命を救えなかったことを罪であると感じているのだ。また、娼婦と寝て、その娘の葉巻の光で服を着たことのあるような経験をしたことのある自分が、他の人のsexに干渉することなどできないと思ったに違いない。そして、このことを胸に刻みつけ、彼は堕胎をしていくことを決心したのだ。それついては次のように書かれている。

“He was an obstetrician; he delivered babies into the world. His colleagues called this “the Lord’s work.” And he was an abortionist; he delivered mothers, too. His colleagues this “the Devil’s work,” but it was all the Lord’s work to Wilbur Larch.” (p. 67)

“Later, when he would have occasion to doubt himself, he would force himself to remember: he had slept with someone’s mother and dressed himself in the light of her daughter’s cigar. He could quite comfortably abstain from having sex for the rest of his life, but how could he ever condemn another person for having sex? He would remember, too, what he hadn’t done for Mrs. Eames’s daughter, and what that had cost. He would deliver babies. He would deliver mothers, too.”(p. 67)

     つまり、彼は堕胎手術を神の業とみなし、彼のもつルールの中では正しいことだと判断されているのだ。このように考えていくと、Dr. Larchは堕胎手術を望む女性の命を尊重し、それによって失われる胎児の命を考慮していないように思われるが、そこに疑問点を持っているのが、Homerである。彼は、堕胎は“the one that was against the rules.”(p. 379)と考えていたのだ。しかし、彼は堕胎を全面的に否定していたわけではなく、彼なりのルールがそこにはあったことがわかる会話がある。

“‘Just explain it to me again -- how you’re not disapproving of the procedure, but that you will not yourself be party to what you feel is wrong.’ ‘Right,’ said Homer wells; he had no doubt. ‘You’ve got it. There’s nothing else to explain. I think an abortion should be available to anyone who wants one, but I never want to perform one. What’s hard to understand about that?’ ‘Nothing,’ Candy said, but she would keep asking him about it. ‘You think it’s wrong, yet you think it should be legal -- right?’ ‘Right,’ said Homer wells. ‘I think it’s wrong, but I also think it should be everyone’s personal choice. What could be more personal than deciding whether you want a child or not?’” (p.421)

     つまり、彼のルールでは、堕胎手術自体には反対ではなく、むしろ合法化されるべきと考えているのだが、自分がそれをするのは断固拒否、といったものである。この時、Candy が自分の子供を妊娠しており、望まれた子が生まれてくる時を、Homerは待ちわびているという状況もこの発言に影響していたのかもしれないが、そこにはもっと強い影響力を持つ彼のルールがあった。次の引用は、HomerがDr. LarchとNurse Carolineに宛てた返信の手紙である。  

1. I AM NOT A DOCTOR.
2. I BELIEVE THE FETUS HAS ASOUL.
3. I’M SORRY. (p.545)

    ここで注目したいのは、二つ目である。Homerは胎児には魂があると信じているのである。彼は「社会的には」女性の選択権は尊重されなければいけないとわかっているが、「個人的には」胎児の魂を自分が奪い、あたかも神の役を演じるようなことはできないと考えているのだろう。

     しかし、Dr. Larchの死という大きな出来事に直面したHomerは、次第に彼のルールを変えていく兆しが見え始める。

“If Melony were pregnant, I would help her, he thought. And with that thought he realized that he was willing to play God, a little. Wilbur Larch would have told him there was no such thing as playing a little God -- at all -- you played a lot.” (p.561)

    そして、Homerのルールが明らかに変わったことがわかるのは、彼がRose Roseの分娩手術をすることを決心したところであろう。彼は手術中にこんなことを考えていたのだ。

“After the first one, thought homer Wells, this might get easier. Because he knew now that he couldn’t play God in the worst sense; if he could operate on Rose Rose, how could he refuse to help a stranger? How could he refuse anyone? Only a god makes that kind of decision. I’ll just give them what they want, he thought. An orphan or an abortion.” (p. 568)

     この考えは、p.545の引用部分とは明らかに違う彼の中のルールが生まれたことがわかる。HomerにもDr. Larchにもいえることだが、ルールというのは一生変わらないということはないのである。様々な文献を読み、自分の理想に添って作られたルールというのは、あくまで表面的で浅いものであると思われる。そこには、経験が必要である。ここまで見てきたように、HomerもDr. Larchも彼らにとってターニングポイントとなる経験があったからこそ、中身のある、より実践的なルールを生み出すことができたのであると思う。

     最後に、この作品のタイトルになっているThe Cider House Rulesが象徴していることは、自分の中に持っている生き方、あらゆるものに対する価値観、様々な経験、そしてそれらをまとめる自分の信念、つまり自分のrulesではなかろうか。人はみな自分のサイダーハウスを持ち、そこには独自のルールが存在する。他人に強制され、押し付けられたルール、この作品の中でのように、誰かに貼られた形式だけのルールに従うということはない。自分のルールは自分で作るのだ。もし、それが道徳的に反し、社会的に認められないものだとしても、それはそれでいいのだ。あらゆる経験を通じ、そう気付き、自分が認めた時に変えればいいだけの話である。このようなことが著者は読み手に伝えたいものの一つになっていると思う。そして、私はこの作品を読んで自分の生き方というものを考えさせられる貴重な経験となったので、この作品には感謝している。10年後の自分のサイダーハウス・ルールズがどのように変化しているかとても楽しみだ。


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