Seminar Paper 2005
Aguri Ogasawara
First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006
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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義
―― ヒーローのルール――
この作品ではruleというものの存在意義が問われている。そして「ruleを守ることにははたして意味などあるのか」という大きな命題が、数々のruleを破りながら生きていく登場人物達の生き様を通して描き出されているのだ。この作品からは、ruleとはそれを守ることが必ずしも正義ではなく、守る意味の無いruleというものも存在する、というメッセージが読み取れる。つまり「普遍的なruleの否定」がこの作品の大きなテーマとして挙げられるのではないだろうか。ではこの作品では全く規則、秩序が欠如した状態で登場人物たちが生きているのかというと、決してそういう訳ではない。登場人物たちは、既存のruleを破ってはいるが、各々が、己の信ずるところに忠実に、自らが定めたruleに則って生きているのだ。つまり彼らはrule breakerであり、rule makerなのである。しかし、半端な覚悟での、または信念に反したrule breakingは、思わぬしっぺ返しを当人にもたらすことになり、またruleを破り続けるということは大きな重荷を背負って生きるということであり、いとも簡単にruleを飛び越え生きているかのように見える登場人物たちも常人には耐え難い痛みと闇を心に抱えているのである。その代表的存在がDr. LarchとMr. Roseだ。Irvingは意図的に彼らを表裏一体の対のキャラクターとして描いており、それは There were no movements wasted in what movement there was to be seen by Mr. Rose--a quality that Homer Wells had formerly associated only with Dr. Larch; surely Dr. larch had other, quite different qualities, as did Mr. Rose. (p.351)からもうかがえる。彼ら二人は両者ともruleを破ることに付随してくる重みに耐えうることができる人物であり、そうした資質は、作品中何度か登場するheroであるための条件とも重複するものでもある。本稿ではこの二者に着目し、そこから本作品中におけるruleの意義について明らかにしたい。 Dr. Larchのrule Dr. Larchのrule観、倫理観は、若い頃の経験に強く影響を受け形成されている。娼婦のMrs. Eamesとその娘との間で経験した一連の事件である。moral prideに囚われ助けられたはずのMrs. Eamesの娘を死なせてしまったDr. Larchは、一生その罪を忘れることなく背負って生きていくことを心に決める。このmoral prideとは、偽善的であっても危険を避け「正しい」行いに逃げてしまった自らの弱い心を指している。“If the pride was the sin, thought Dr. Larch, the greatest sin was moral pride.” (p.51) というように、彼は「善なる行い」をした結果良心の呵責に悩むことになってしまった。Mrs. Eamesと関係を持った現場に娘が居合わせていたこと、そして服を着るのを彼女に手伝ってもらったという事実は、彼にもう二度と「モラル違反」をすまいという気持ちを植えつけた。堕胎を断ったときのDr. Larchには、自分がかつて犯したrule違反へのうしろめたさを清廉潔白な行いをすることで帳消しにしたい、というモラルにすがる弱い心があったのだ。しかしOff Harrisonでの現状を目の当たりにした彼は現実に必要とされている「善」なる行動を思い知る。単純に社会ルールやモラルに照らし合わせて「善」とされる行為をすることにより安易な安心感を得ようとすること、それこそが一番の罪ではないのか、という疑問が確信に変わったのだ。このときこそDr. Larchの善悪の判断基準を形成された瞬間ということができるのではないだろうか。こうして普通の人間なら越えることのできない一線を越え、Lord’s workを施すことのできるSt. Larchへと変化を遂げたDr. Larchは、モラルの裏側で見えなくなっている一番大切な真実に則って生きる道を選択する。こうした社会的善悪よりも現実的善悪を優先する強い気持ちが彼のruleのバックボーンであり、だからこそ彼は現実的に必要とされている「善」なる行為、堕胎手術を引き受けるのである。これは無秩序などではなく、ひとつのれっきとした彼のruleなのだ。 Mr. Roseのrule Mr. Roseのruleというものも、Dr. Larchと同じように、もしくはそれ以上に「現実的」なものである。彼は収穫期のOcean viewで収穫を手伝うpickersの頭として権勢をふるっていた。その彼を筆頭にしたpickersの一団が非常にオーガナイズされていたのは、やはり、彼独自の他人に有無を言わさぬ確固としたruleがあったからこそであった。彼が持つruleは、黒人が過酷な世界で生き抜くために必要な知恵と強さを兼ね備えているものであり、雇い主であってもそれに干渉することは許されていない。つまりOcean Viewにおいて“The real cider house rules were Mr. Rose’s.” (p. 379) であったのだ。そして、彼にとってのruleが生き抜くためのものであるがゆえ、日々の暮らしに関係のないものはどうでもいいことであり、またそんなものに構わないほうがよいということを、Mr. Roseは知っていたのだ。これもまた彼のruleだったのである。彼が季節労働者として、黒人として生き抜いていくために重要なもうひとつのファクターが、ナイフである。Mr. Roseのナイフは、遊園地でのシーンで象徴的に使われている。自分たちに関係のないものに手を出すと、たちまち差別などの悪意にさらされてしまう、これが黒人であるMr. Roseの不文律であった。そのruleを破ってしまったために、彼は遊園地において白人からの露骨な差別を受けてしまう。Mr. Roseはその差別に見事なナイフさばきで応酬するのである。このナイフは過酷な環境で生きるMr. Roseがまっすぐに立って生きるよりどころでもあり、彼の人生美学の象徴ともいえる存在なのである。しかし、““You see? I was right, wasn’t I? What god is it―to apple pickers―to know about that wheel?” (p. 329) というように、やはり彼のrule、彼の人生はマジョリティーから切り離された独自のものとして形成されたものであり、全体的な大多数の人が従う価値観というものは、Mr. Roseにとっては意味の無いものなのである。Dr. Larchは使命感でその茨の道を歩くことができるが、黒人であるゆえ常に被差別者であり、過酷な季節労働に従事するMr. Roseが己の信ずる道を歩むうえでは、このナイフによる力添えが非常に重要であったといえるのだ。 しかし、彼らのようにruleにとらわれず、自分自身の道を歩く上では、それ相応の代償を払わなくてはならない。現にDr. Larchはエーテル中毒が原因の事故が元で亡くなってしまう。彼の年を追うごとに深刻化していったエーテル中毒が、日々のストレスと無縁ではないだろう。既存のruleに沿うことのない人生を選択したことにより、やはり強い制約や、代償が付きまとってくるのである。それはこの作品から読み取ることができる、ruleからそれた道を歩く以上は、決してその道から外れてはいけない、というメッセージからもうかがえる。つまりrule違反にも美学が必要であるのだ。The Cider House Rulesでは多くの登場人物がruleを破るが、ただ破るだけでなく、美学あるrule breakerでありrule makerこそが、The Cider House Rulesにおけるheroであるのだ。この作品でのheroのMr. Rose、そしてDr. Larchなのである。それに対し、HomerとCandyが長いこと続けてきた関係は、ruleに反した独自の道を歩くものではあったが、美学の存在しない行為であった。それについては、Melonyも”He was someone I thought was gonna be a hero.” (p. 521) そして ““when he was a boy, he had that kind of bravery that’s really special―no one could make him just go along with what was goin’ on.”” (p. 522) において言及している。他人がどのように言おうとも、己の道を歩き続けることができることができる人間こそがheroであると、Melonyは明言しているのである。そしてそうではない意味の無いrule違反には必ず破綻が訪れることにも注目したい。HomerとCandyの関係や、Mr. Rose とRose Roseの関係が好例である。HomerはMelonyが言うように、確たる意思もなくずるずるとrule違反を続け、Melonyいわく「つまらない人間」へと成り下がってしまう。さらに深刻なのはRose親子である。Mr. Roseは大きな社会(白人優勢の社会)では小さな存在であるため、仲間や家族で構成された小さなコミュニティーの中でだけは自分の王国だ、とでもいうようにナイフで虚勢を張り、絶対的な権力を振るって生きてきた。これはSt. Cloud’sにおけるDr. Larchに重なるところがある。そんなMr. Roseは、だからこそ、その権力圏から外へ飛び出そうとしたRose Roseを許すことができなかったのである。彼のruleはこの世界で強く生き抜くためのものであったはずなのに、征服欲のためにそのruleとナイフの力を使ってしまったのだ。その報いとして彼はナイフによる死を選ぶ。Ruleを破り、自分のruleを行使するとしても、その根底にある信念を曲げてはいけなかったのである。そういった意味ではMr. Roseのrule違反に破綻が訪れたのは当然の結果といえるのだ。しかし間接的ではあるが、自ら死を選んだMr. Roseは、自分の美学を最終的には貫き通したともいえる。 以上のようにruleを破ること、そしてその代償を、Mr. RoseとDr. Larchの生き方の対比を通し見てきた。ここからひとつの結論を導き出すことができる。作者がこの作品で成し遂げたかったことは、「ruleの普遍性の否定」である、という結論だ。壁に貼られたThe Cider House Rules は形だけの存在であり、意味などはなかったのである。しかしその意味のないruleに解釈を与えたり、反対に意味の付与をしたり、またはそのruleを否定しもう一度新たに構築をする役割は、本当はそのruleを手に取った当人に任されているのである。だからこそ壁に張られたThe Cider House Rulesを読むことのできなかったpickersには、その存在は全く意味を成さないものであったのだ。またDr. Larchは現実的に必要とされている道を選択することにより、既存のruleを否定した。しかしpickersやHomerとDr. Larch、Mr. Roseの間で大きく異なるのは、確固たる意思でruleを破る道を「選び取っている」点である。自分が信じたように生きる大切さがruleを破るという行為を通して象徴的に描かれているといえるのだ。この作品ではruleは、意味を持たない形骸化した存在を象徴している。そしてこの作品のタイトルでもあるThe Cider House Rulesは、ruleを象徴しているのではなく、人間の心の中にある、ruleを超越した決して譲ってはいけない信念や、美学を象徴として描かれている。だからこそ、St. Cloud’sに戻ってきたHomer、Dr. Larchのように、一番大切な己の核を見失わずに生きる人こそが、Princes of Maine, Kings of New Englandであるのだ。 |
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