1. 緒言
文学作品は、得てして舞台となる時代や社会の様相を語る役割を担っているものである。今回、一編の文学作品として読むことになったThe Cider House Rulesも、その綿密な構成や描写から、作者の持った問題意識によって力強く生み出された作品の一つだということが伺える。作者はThe Cider House Rulesを通して私達に何を訴えようとしているのか。私は、本書が堕胎や倫理問題をテーマに、アメリカの社会状況を投影した作品となっていると考え、分析を試みた。
2. The Cider House Rulesの舞台
The Cider House Rulesはアメリカを舞台としたフィクションであるが、本文中の描写から、現実にある州まで絞り込むことができる。St.Cloud’sでは、製紙工場が原因で望まない妊娠が増えるということだった。”To Dr. Larch, the enemy was paper ? especially, the Ramses Paper Company. … And what was left behind? … little knowing that out of this invitation a state-supported facility ? for orphans! ? would soon develop.”そしてSt.Cloud’sでは多くの孤児が出生し、あるいは堕胎手術が行われている。また、話の展開のもう一つの軸であるOcean Viewは、林檎園として登場している。堕胎が多く、有名な林檎の生産地で、製紙工業が盛んであるという三条件を兼ね備える州を照合すると、Washington州が浮かび上がってくる。林檎園のオーナーであるWallyの家名Worthingtonは、ワシントンとも読むことができる。これはThe Cider House Rulesの舞台がWashington州であると決定づけられる一つの根拠となろう。これだけの条件が揃っている州であれば、堕胎や倫理の問題、社会的ルールや個人的なルールの兼ね合いを一挙に詰め込んで語るには、最適な舞台であると言える。
3. St. Cloud’sとOcean View
The Cider House Rulesでは、二つの大きな場面が挙げられる。一つはSt. Cloud’s。もう一つはOcean Viewの林檎園である。この二つの場面は、The Cider House Rulesの中で重要な役割を持っていると考えられる。ここでは各々の存在意義とSt. Cloud’sとOcean Viewという二極を打ち立てて、作者は何を伝えんとしているのだろうか。
3.1 堕胎問題の拠点としてのSt.Cloud’s
St. Cloud’sでの中心人物として、Dr. LarchとHomerが挙げられる。その他多くの人物が登場するが、St.Cloud’sでの堕胎手術後継について、終始この二人が互いの意見を交錯させている。
Dr. Larchは、妊娠した子供を産むか中絶するかを選択する権利は、妊娠した女性自身にあるとする立場をとり、胎児を生命と捉える以前に、母体や女性の今後の人生を重視する。”He believes the fetus has a soul, does he? … He should believe in what he can see!” (pp. 545 - 546) Homerは、胎児は生命であると先に捉え、女性の今後の人生よりも、子供の生きる権利を重視する。”2. I BELIEVE THE FETUS HAS A SOUL.” (p. 545) 二人のこの立場は、アメリカで堕胎問題が論じられる際に盛んに登場する、プロチョイスとプロライフの考え方を代表している。以上のことから、St. Cloud’sは堕胎問題の拠点として描かれていると言える。
3.2 倫理的ルール問題の拠点としてのOcean View
Ocean Viewの林檎園では、林檎酒の製造が行われている。林檎は原罪の象徴であり、お酒は人々を酔わせ、ときとして理性を損なわせるものである。その両者を混ぜ合わせて作られる林檎酒の製造地であることから、Ocean Viewは倫理的な問題あるいは性的な問題の製造地であることが推定される。
現に、WallyがSt. Cloud’sのことを教わったGrace Lynchは、夫の暴力と背徳に生きており、最後は自らの手による堕胎で自分を死に至らしめた。HomerとCandyについも、二人の愛とWallyの生存の結果、複雑な家庭状況に陥った。Mr. Roseは実の娘であるRose Roseを侵し、実の父親の子供を身ごもり、Rose Roseはその報いとして父親を殺した。
私は、これらのOcean Viewでの出来事は、アメリカの社会問題を反映したものであると考える。実際のアメリカ社会でも、Grace Lynchのように、夫に暴力を振るわれるなど不幸な生活を送り、また背徳を繰り返す女性もいるだろう。彼女が試みたように、妊娠を掻き消そうと自ら堕胎を試みる女性もいるだろう。HomerやCandyのように、配偶者や実の子供には言えない事情で、偽りながら生活を送らざるを得ない家庭もあるだろう。Mr. Roseがしたように、娘を愛してしまい、性的支配欲に負ける父親もいるだろう。そして、近親相姦された娘が父親を殺すという事件もあるだろう。
このような点から、Ocean ViewはThe Cider House Rulesの中で、堕胎や孤児の問題を語るため、問題の原因となる内情のあらん限りが詰め込まれている場所であると言える。
4. プロチョイスvs.プロライフ
4.1 作者はどちらを支持するのか
Dr. LarchはSt. Cloud’sに居て堕胎を司る。Homerは、Ocean Viewに居る間、堕胎に否定的な立場を取る。また、Rose Roseの堕胎やCandyの堕胎がSt. Cloud’sで行われ、CandyとHomerの間にできた子供がOcean Viewで生活することから、プロチョイスはSt. Cloud’sに属し、プロライフはOcean Viewに属しているといえる。St. Cloud’sにDr. Larch(プロチョイス)を立て、Ocean ViewにHomer(プロライフ)を立て、結果的にHomerのSt. Cloud’sへの帰還によって、作者はプロチョイスの妥当性を支持していると言えるが、しかし、単純にプロチョイスを支持しているわけではない。
CandyとHomerの息子ではプロライフの例として、Rose RoseとMr. Roseの子供ではプロチョイスの例として描き、そこから、両親の愛によって生まれた子についてはプロライフを、愛のない暴力によってできてしまった子供についてはプロチョイスを、といった具体的なメッセージが発せられているように取れる。
プロライフはCandy とHomerが4人の共同生活で体験したように、困難に満ちたものである。真実の告白までに、実に十五年も掛かったほどだ。一方、プロチョイスはそれに比べて一瞬で終わるようにも思える。しかし、St. Cloud’sから帰っていく女性のほとんどは足取り重く、恐らく同じくらいの歳月かもしくは一生涯、その傷を負って生きていくのかもしれない。Rose RoseがいくらOcean View からlong goneとなっても、彼女からは父親や堕胎のことが離れないのかもしれない。遠く離れてしまっては、測り知ることもできない。
4.2 浅はかなプロチョイス
ここで気になるのは、CandyとWallyの堕胎に関する浅はかさである。Rose Roseの事情が身心に耐えないものであったのに比べ、Candy やWallyの理由は浅はかであったと思われる。CandyやWallyが堕胎は何でもないかのようにしていられた場面は、strikingである。そもそも、CandyとHomerの関係やAngelも含めたWallyとの4人の生活は、WallyとCandyが自分たちの都合だけで子供を堕胎したがために引き起こされた部分が否定できない。戦争に行きたいから、未亡人になるのが嫌だからという理由で堕胎を選ぶのはよかったものなのかどうか。Dr. Larchの態度からも彼らの神経への危惧が伺える。
これから挙げるのはCandyとWallyが堕胎をしにSt. Cloud’sにやってきた場面である。自分の恋人が自分との子供を堕そうという間際であるにも関わらず、WallyはDr. Larchに自分の家業の話をする。Dr. Larchはどれ程バカな男なのか疑問に思う。” ‘ I’m in the apple business,’ …What does this fool want? thought Dr. Larch. …’You should have your own apples.’ …What do I want with a hundred years of apples? thought Wilbur Larch.” (p. 149) また、Candy に関しては、Dr. Larchが堕胎手術を施す間のCandyの様子が書かれ、”she had been remarkably relaxed for such a guilt. It surprised Larch: how Candy looked as if she would always bee free of it.” (p. 199) と皮肉の目が向けられている。何故彼女は常に罪とは切り離されたようにしていられるのだろう。Dr. Larchの疑問は手術後も続く。”Candy, coming out of ether, heard the baby’s cries shuddered … if Dr. Larch had seen her face at that moment, he might have detected some guilt upon it.” (p. 200) Dr. Larchは、胎児が生命であるとは捉えていないが、堕胎が意味するところは自分の子を失うことであり、それには必ずや罪意識の深く残るものであることは理解している。”Boy or girl? … Why is it crying?”とCandyが不確かな口調で訪ねたことに対し、Nurse EdnaはCandyの傷に触らないようにと”It’s nothing, dear.”と声を掛ける。そして、Candyは”I would like to have a baby, one day. I really would.”と言う。Nurse Ednaは自信を取り戻させようと”Why, of course, dear.”と声を掛ける。しかし、Dr. LarchのCandyの発言に対する解釈はNurse Ednaとは異なるようだ。”You’d have Princes of Maine! … You’d have Kings of New England.”と、孤児を意味する二つの呼び方を使い、本人には通じない皮肉を述べているところからも、Dr. Larchは、Candyは赤ん坊の男も女もわからない、何故泣いているかも見当がつかない、何もわかっていないと映ったに違いない。
作者はRose Roseの場合では、堕胎を完全に否定してきたHomerにでさえメスを取らせたが ”’Please, have you done this before? Rose Rose asked him. ‘I’m a doctor ? I really am.’ Homer Wells told her.” (p. 567)、 Candyの堕胎ではDr. Larchを通して上述のような見方をさせている。二人のケースがやむを得ない事情での堕胎と身勝手な理由での堕胎として対比させられており、「簡単に堕胎が行えるようになってしまったら、小さな命に対する人々の価値観は、CandyとWallyのようなごく軽いものになってしまう」という危機感が読み取れる。
5. 規則と人間の生き方
The Cider House Rulesでは、法律、Dr. Larchのルール、病院機関(Mr. Gingrich とMrs. Goodhall)のルール、Mr. Roseのルール、倫理的ルール、CandyとHomerのルールなど、様々なルールが登場する。Homerはその全てに関係し、悩み、迷える存在として描かれている。いくつものルールが複雑に絡み合う社会の中で、どのように生きるべきか。St. Cloud’sのruler Dr. Larchと、Ocean Viewのruler Mr. Roseが先人の教えを残している。
5.1 Dr. Larchと社会的ルール
Dr. Larchが堕胎を行っていた当時、法律で堕胎は禁じられていた。しかし、最後には法律が見直され、一部の堕胎が許可されるようになった。法律が変わるということは、統治者が内情を認知した結果である。
法律など、社会の構成員に向けられた規則は、統治者が組織の成立のために構成員に要求する事項と、社会の内部事情を考慮して作られる事項で成り立っている。しかし、とりわけ後者の場合、内情では必要とされている事項が上位の規則に反映されるには、非常に長い時間が掛かる。そのことは、堕胎の法律とDr. Larchの人生によって証明されている。また、規則は善し悪しの分岐を規定しているものである。それは規則の上だけではなく、人々の価値観にまで影響する。そのため、規則で悪とされている限り、それは悪だと見なされる。そのため、法律で堕胎が禁じられている限り、堕胎はDevil’s Workとしてあり続け、Off Harrisonがしたように患者に悪い状態で密に行われ続け、死人も出ることに繋がる。
Dr. Larchは、自分の経験” He brought the boy a Portland whore, setting up his son with a night of supposed pleasure in one of the wharf side boardinghouses …You could have had me for less. …Wilbur Larch spent in St. Cloud’s, he founded an orphanage.” (pp. 38 - 67)に基づき、自分の責任は自分が堕胎を受け持つか、法律で認めさせるしかないという意思を確立した。それから一生涯を掛けて、堕胎を請け負い、大統領に手紙を送り”That summer, Wilbur Larch wrote to the Rossevelts again, “I know your husband must be very busy, but perhaps you could point out to him a matter of the utmost urgency ? for it concerns the rights of woman and the plight of the unwanted child. ” (p. 394)、堕胎承認に都合のいい存在Dr. Stoneを作り上げ、最後まで自分の責任を果たして息を引き取った。
Mrs. GoodhallとMr. Gingrichのように規則に則っているだけでは、The Cider Houseに貼ってあった紙のルールと同じである。ルールそれ自体は何も語らない。既存のルールが正しいとは限らない。何が大事でなぜ必要なのかということは、人間にのみ理解されるものである。そして、それを理解した者は改正の必要があるとき、人は自ら公のルール形成に携わることができる。強く言えば、携わる責任がある。規則が間違っていて、自分が正しかったとき、どうすべきか。一つの例としてDr. Larchの生き方、ルールに対する姿勢が描かれていると言えよう。
5.2 Mr. Roseと倫理的ルール
一方、倫理というものも一つの社会的ルールである。これは一人一人の身に浸透しきっている価値観であるため、倫理から外れると救いようのない立場に追いやられる。その例がMr. RoseやCandyとHomerであろう。”Mr. Rose reached into his pocket, … it was the burned-down nub of a candle. .. ‘That ’gaist rules, ain’t it? Mr. Rose asked Homer.” (p. 551) この引用は、彼らが同じ罪人であることを共通に理解した場面である。
しかし、倫理から外れてしまったとはいえ、実際にはCandyとHomerのように愛し合っているのは事実で倫理的には間違っているとされる場合もある。そういった場合、倫理的には間違っているけれど、自分たちは愛し合っているのだから間違っていないと思い込むこともできる。しかし、やはり嘘や偽りは好ましくない。本人たちが何と言おうと、他の人々からの軽蔑を免れるのは困難である。
十五年もの間”Wait and see”を続けてきたHomerとCandyに、Mr. Roseはルールを破ったものがどうあるべきかを示した。娘の刺したナイフを自ら深く突き刺し、娘がやったのではない、娘がいなくなってしまった寂しさから自分で腹を刺したのだと周りにも認識させて死んだ。自らの責任を取って死んだのだ。
社会に生きるとは、自分と周りの人々と生きることである。同じ社会に生きる人々から理解を得られなければ、そこでは生きていけない。ルールを破った人間が、最後にできることは、自分で自分の責任を取ることである。
6. 結論
人間は社会の上辺(規則)をなぞって生きる存在ではない。社会に生きるものである。社会の内情は様々な問題に溢れ困難だ。このThe Cider House Rulesでは、アメリカ(ワシントン州)を舞台とした堕胎や倫理の問題をテーマに、社会的ルールと個人的ルールの兼ね合いが詳細に渡って描かれている。その中では堕胎問題一つを取っても、プロチョイスやプロライフなど、それぞれの見地に基づいた意見が対立し、浮気や近親相姦など愛しているのに倫理的に間違っているとされるなど、社会との辻褄が合わない状況に陥る可能性も指摘されている。そうした複雑な社会の中で、単に自分だけの都合や帳尻合わせで自他を誤魔化して生きるのではなく、自分を見失わず、人間の間で社会の一員として歩み、生きていくように。私は、The Cider House Rulesにおけるルールの意義をそのようなメッセージとして捉え、深く受け止める。
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