Seminar Paper 2005
Mai Takahashi
First Created on January 27, 2006
Last revised on January 28, 2006
Back to: Seminar Paper Home
THE CIDER HOUSE RULESと失楽園神話
―2つの失楽園…神話と現実における堕落と成長―
この物語と失楽園神話との関連について述べる前に、創世記に描かれている、その失楽園神話を書きたいと思います。造物主である神は、世界を創り、人間をつくりました。神は、人間アダムとイヴに善悪を知る木の実以外は全て自由に食べていいと言いました。そこの現れるのが蛇。蛇はイヴをそそのかして善悪を知る木の実を食べ、アダムにも勧めて、2人とも木の実を食べてしまいます。掟を破った2人は、男アダムは労働の苦しみを、女イヴは出産の苦しみを、2人とも死を与えられて楽園を追放されたのです。 この有名な失楽園神話がCider House Rulesとどうリンクしているのか、考えてみました。Cider House Rulesは主人公Homerの成長物語と言えます。彼の成長を語るのに欠かせない人物で、最初にあげられるべきは、やはりDr. Larchでしょう。彼は、かつて自分が助けてあげなかったために命を落としたMrs. Eamesの娘のような人をもう出したくないという想いから堕胎医となります。彼は確固たる自分のルールを持っていて、弱者を守るというそのルールの為に行動します。この時代、禁止されている堕胎を長い間続けているし、9章でRoosebelt夫妻にあてた手紙は、その気持ちがよく現れていると思います。弱者のために、堕胎の禁止を変えようと、自分の芯を持っているので、その最重要項目の為には現行のルールを破ることもいとわないのでしょう。 Dr. LarchはSt. Cloud’sの全てであり、中心であるといえます。赤ちゃんをこの世にdeliver(送り出す)ことが“the Lord’s work”、堕胎をして母親をdeliver(救う)ことが“the Devil’s work”と呼ばれる当時、彼はどちらも“the Lord’s work”だと言って分娩・堕胎の両方を行い、堕胎が出来ない状況であっても生ませて孤児院で預かります。このDr. Larchの行いによってSt. Cloud’sの存在する意味というか、St. Cloud’sがやっていることの全てがつくられている、といえます。彼はSt. Cloud’sそのものであり、それは創世記における神の役割を果たしていると思います。戦争に行かずにすむようにHomerの心臓を悪くしたことについて、“I’m a sorcerer!”(p. 161)と言っていて、このセリフには自嘲の念が含まれているとは思いますが、自分の思いによって物事を変えてしまえることを自覚していると考えられます。神的な存在といえると思います。 Homerは養子に何度出されても、結局はSt. Cloud’sに戻ってきてしまいます。そんな彼に対して、いずれは孤児院を出くべきだ、孤児院にbelongすべきでないと考えていたDr. Larchですが、徐々に父親のようにHomerを愛してしまいます。Homerが創世記のAdamだとすると、彼を自分と同じ堕胎医にしたいとDr. Larchが考えたことも『神がAdamをつくった』ということに似ているかな、と思いました。 ただ、Dr. Larchの思いとは裏腹に、Homerは“You can call it a fetus, or an embryo, or the products of conception, thought Homer Wells, but whatever you call it, it’s alive. And whatever you do to it, Homer thought-and whatever you call what you do-you’re killing it.”(p.169)と堕胎はしないと強い意思表示をします。Candy=Eveだと考えると、Candyにそそのかされて(正確にはCandyに惹かれたのですが)禁断の実=appleに手をだし、楽園=St. Cloud’sを出て行く結果になる、ということがしっくりくると思います。そして、St. Cloud’sという一つの小さな社会、その中の神であるDr. LarchにHomerが反発することはHomerの成長に他ならないのではないでしょうか。創世記では、禁断の実を食べたAdamとEveエデンの園で不死の体を持ち、何不自由ない生活をしていました。苦しみもなく、まさに天国といえる世界だったのでしょう。しかし、そんな世界では“生きている”という実感はないと思います。死があるからいぃて依流ことを感じれるし、苦しみがあるから、その分、喜びや楽しさを味わえます、それがこの世に生を受けた者の権利であり、同時にまっとうすべき義務ではないでしょうか。HomerがSt. Cloud’sを離れたのも、彼が人間として成長するための一歩だと思いました。 さて、その創世記に描かれる堕落の第一歩目は蛇によって起こされると述べました。この物語で蛇の役割を果たしているといえば、やはりGraceでしょうか。彼女はとてもミステリアスな女性です。創世記で蛇はEveをそそのかして禁断の実を食べさせますだ、GraceはHomerに近づきます。ここはちょっと違う点です。Graceが夫から受けている暴力は創世記の罪に対する罰では…というのは考えすぎでしょうか。ともあれ、最初のうちはかわいそうなイメージでしたが、たびたびHomerにちょっかいだすあたり、全然かわいそうではありませんでした。それでいて“It’s dangerous here.”(p. 251)と言ってHomerへの警告めいたこともしてくれます。Choiceを持たない孤児であったHomerが自らの意思でやって来たOcean Viewにはchoiceという自由はあるけど、こういいた危険もあるのよ、と教えてくれる二面性を持った謎の女性でした。また、彼女は夫に暴力を受けるとわかっているのに浮気をやめられないことから、自虐性のある人と考えられます。彼女の最期は、そういった自虐性と心の奥底にあった罪の意識からひきおこされたのだと思います。GraceはSt. Cloud’sで堕胎してもらえることを知っていたのに、再び行かなかったのはこれで死んだらそれは、自分への罪として受け入れる心づもりがあったのではないでしょうか。単に蛇としての役割だけでなく、Homerが自分の居場所をしっかりと認識せるためのヒントをくれたかキャラクターだと思いました。 神話における主役の1人、Eveの役割を担っていると考えられるCandyについて考えてみたいと思います。美人で、学校にも通えて、裕福で、婚約者もいるなんて、女として欲しいものを全て持っている、ザ・パーフェクトさんです。St. Cloud’sというくらい雰囲気を持つ閉鎖的な空間で、女性といえばNurseたちか、堕胎を望む母親たち、それかMelonyという環境に長くいたHomerにとってはすごく輝いて見えたのでしょう。Candyとともに訪れたWallyはHomerと丘の上で林檎について語り合い、2日間だけOcean Viewに行くことを決意します。Homerが惹かれたCandyと林檎。Homerの生き方をこれまでと大きく変えたキッカケです。創世記で禁断の実を食べて知恵を得たAdamと、禁断の実を象徴する林檎をきっかけに自らの意思でSt. Cloud’sを旅立ったHomer。創世記の失楽園のモチーフが最大限に反映されたポイントだと思います。 そしてそのCandyですが、なんと言うかもう、女のなかの女だと感じました。箱入り娘で、性格もいい女の子だと思っていたのに、結局Homerと関係を持てしまうなんて。Wallyが戦争にいったのは当時のアメリカの状況からしたら自然のことだと思うし、それを送り出した彼女は出来た女性だと思いました。それなのに、Wallyがビルマ上空で撃ち落されたと知ったあとの行動といったら。普通のよくある話のヒロインだったら「信じて待ってるわ、Wally」とでも言いそうなのに、Homerの傾いてしまうなんて。恋人が生死不明なんてすごい精神ダメージでしょうし、そんな状況でもともと惹かれあっっていた青年が近くにいたら、そうなってしまうのも無理はないのかもしれませんが。女としての行動だと思いました。 Candyは大人っぽいしっかりした印象が最初ありましたが、後半そんなのは無くなりました。Homerがまわりに嘘をつき続けることに限界を感じた時もCandyは嫌だと食い下がります。亡くなったOliveやRayが気づいていたことにCandy自身は気づかなかったのでしょうか。ちょっと子供くささというか、甘さを感じます。どっちであれ、告白しようとするHomerは男性Adamの理性的な面がでていて、Candyは女性Eveの感情的な面がよく表れていると思いました。また、Candyは最初に嘘をつこうというHomerの提案にためらった時も、潮時だと言うHomerに対して嫌がる時も、彼女の重いはだただひとつ。「自分が傷つきたくない、悪者になりたくない」というということだけ、と言っても過言ではないと思います。これがCandyのルールであり、“private contracts”(p. 456)も同様で、自分にとって都合のいい人とだけcontractを結んでいく、というのが彼女のスタンスと考えました。Angelが生まれた時に、嘘をつくことをためらったのはWallyを裏切ったということを知られたくないから、15年たって真実を話すのを拒否したのはAngelが自分を憎むことを恐れたからです。(後者に関しては、母親として当然の思いだとは思いますが)こうした考えから行動するCandyはよくも悪くも“女性らしい女性”と言えると思いました。 主人公Homerは、何度か述べましたが、Adamのパートをあてられています。Candyとリンゴによって、それまでの楽園であったSt. Cloud'sを旅立って外の世界を知ります。Homerの成長です。創世記で、エデンの園を追放されたAdamとEveは、どんな気持ちだったのでしょう。新しい世界への期待・好奇心や自分で生きていかなければならないことへの不安でしょうか。HomerもCandyとWallyと出会ったことをキッカケに、様々な想いを抱いてOcean Viewに行ったと思います。Ocean Viewでの彼は、Wally達との生活を楽しむ一方、映画を見たときにDr. Larchを恋しく思っていることを自分でハッキリと認識して泣いてしまったり、“I'm a Bedouin!”(p. 258)と言ったりとSt. Cloud'sを離れたとはいえ、完全に離れきれないことを自覚します。しかし、Homerのなかのルールの1つというか、彼の生きる術の1つに「of useになること」が有ると思います。堕胎を嫌う彼にとっては、モノを生み出すOcean Viewでの生活は明るいものだったのではと思います。 そしてCandy,Wallyとの三角関係。HomerはCandyとの関係を持つことが、ルール違反だと分かっていました。しかも、Wallyが行方不明という状況下での関係なので、私から見たら卑怯な行いにも思えました。でもルール違反ということが分かっていたから、HomerはあのCider House Rulesを毎年毎年、壁に貼り付けていたのだと思います。Pickersの誰もが読むことが出来なかった、つまりあのルールは意味のない、形だけのモノでしたがHomerは張り続けることで自分のルール違反の意識をごまかしていたのではないでしょうか。PickersにはMr. Roseという絶対のルールがあって、あの紙は雇う側からの一方的なものでした。ルールとは、人によって違う、普遍的なものではないということをHomerは悟ったので、Cider House Rulesを破ったんだと思いました。 話は少しそれますが、Mr. Roseについて書こうと思います。彼は、どことなくDr. Larchと似た様な位置で描かれていると思いました。St. Cloud'sのリーダーであるDr. Larchと、pickersのリーダーであるMr. Rose、2人ともちょっと特殊な小さな会社のトップという地位にいます。授業で「Mr. Roseのルールとは」ということを何回かディスカッションしましたが、正直私はつかみきれなかったのです。なので、改めて考えてみました。P.324の観覧車のシーンから生きていく上で必要ないというスタンスがあると思いました。また、黒人ですが小ギレイにしていてpunctualな所、字が読めることなどから「自分は黒人ではあるけれど、世の中にナメられないようにする」ということをルールとして自分に課しているのではと考えました。またWallyがいない間のCandyとの関係を持つことをHomerに「ルール違反」と言ったとこから、人として正しく生きるという、確固たる人間の掟を持っていて、それを自分自身にも厳しく適応している人だと感じました。Homerに対してルール違反と言ったにも関わらず、自分の娘と近親相姦という大きな違反を犯してしまいます。これはMr. Rose自身のルールを破ったということにプラスして、その事実をCandyつまり白人に暴かれたということで、2倍のダメージだったと思います。自分のルールと、社会のルールの両方に“負けた”と言えるでしょう。自分のルールに固執するあまり、それを破った彼の行く末は死という形しかなかったのでしょうか。 そのMr.RoseもHomerを成長させる要因の大きな部分を担っています。壁に貼られたルール自体や観覧車の存在とその意味を知ることが、pickersにとって何の意味もないことをHomerは知ります。彼らは彼らのルールを持っており、彼らにとってはMr. Roseがルールなのです。ルールとは、作る人のために有るものであって、守る側も都合の悪いものは守らない。一人一人のルールは、今までの生き方において形成されたもので、人それぞれ違うと言うことにHomerが気づいたのは、彼の成長に他ならないと思います。さらに、Mr. Roseが娘をはらませてしまったことを聞いたHomerは、彼女の堕胎手術を行います。今まで嫌がってやろうとしなかった堕胎ですが、堕胎をすることでしか救えない、救われない人がいる、ということに気付いたからだと思います。 人間は不完全で不安定な存在だからルールを作るし、それを破ったりもします。現実からズレていたり、的外れなルールもあるでしょうから、ルールを破ることの方が正しい場合もあります。ルールとは、結局のところ人が作った道具にすぎないのですから、ルールを破ることで正義が得られるならば、そのルール違反は正当化されます。これがルールです。Homerは、多くの人に多くのルールに触れ、その中で取拾選択してゆくことで人間は生きていくんだと気付けたんだと思いました。 “ルール”というものに関しての認識はもちろん、St. Cloud'sを出て外の世界を知ることで、Homerは自分の居場所も再確認できたと思います。HomerはDr. Larchから「of useになれ」と言われてきました。自分が役に立てて、必要とされる場所こそ居場所だと思います。一度St. Cloud'sを離れることによって医者になることが自分の居場所だと気付いて孤児院に戻ったのでしょう。 Eveと禁断の実(apple)がキッカケとなって、エデンの園を追放されるAdam、そしてその堕落こそが成長です。AdamであるHomerはSt. Cloud'sを一旦離れることで、まさに成長することが出来たのだと思います。この物語全体を通して「成長」をテーマとして、失楽園神話とリンクしていると思いました。 |
Back to: Seminar Paper Home