Seminar Paper 2005
Maiko Yokoyama->
First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006
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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義
there is no place without rules
物語後半に何とも物悲しい描写がある。" they were not crying to be born, he knew; they were crying because they were born" (p. 473) 何という哀れな表現だろう。赤ん坊は生まれる時に痛いからといって泣くのではなく、生まれたことに対して泣いているのだという。赤ん坊はこの世の中にwelcomeされているからこそ生まれてきた(赤ん坊以外の者による主観)が、彼らは怯えている。だからこそ泣いている。彼らは無垢でピュアで、この世にたくさんの不安が蔓延っていることと同時にたくさんの喜びが存在していることを、まだ知らない。生まれ、わけが分からず、何が起こるか分からないその不安が先導しているため、対応できるのか?やっていけるのか?人間ならば誰もが立ち会うその「不安」に初めて立ち会う=be bornしたからこそ、泣いてしまうのだと。この一節は、人間が生まれてから一生を終えるまでのテーマへの、人間が持つピュアな恐怖心を象徴している。人は年を重ねるに連れて、たくさんのrulesに揉まれて自らのrulesを築きあげ、不安への対処法を習得していく生き物である。赤ん坊が流す涙の訳を理解することはできる。がしかし、不安の後に喜びもあるのだということも知っているからこそ、その涙が哀れでならない。 この作品におけるrulesの意義を考えていくうえで、まずはHomerが生まれてからSt. Cloud'sを離れるまでの経過を背景に考えてみる。受け入れ先に出されては戻ってくることを何度も繰り返していたが、彼自身が望んでそうしていたわけではない。Dr. Larchら彼を取り巻く大人たちが彼を他へと導き、試み、そして彼は戻ってきた。この流れは彼が築いたrulesの上にあったのではなく他者がその全般を築いた結果である。まだ彼は幼く、自分のrulesを定める力がないに等しかったためでもあるが。しかし、他者が導いてくれたrulesを基盤に、彼はしばらくの間St. Cloud’sで生活し、Dr. Larchからの父親に似た愛情やCandyと出会える機会を得ることができた。そして、「留まるか・外へ出るか」の選択を自らで行い、結果として後者を選択し、Angelと出会うことになった。これはHomerの築いたrulesであるが、Dr. Larchらが築いてくれたrulesが存在しなければ成し得なかったものである。人が築いたrulesがすべて悪影響を及ぼすとは限らず、自らが築いたそれの背景に他者の存在があることを認識しておく必要があろう。rulesは、いわば「道しるべ」と言えようか。 rulesが一通りしかないかというと、そうではない。 " I’m so sick of it! " Wally shouted. 突然怒り出すWally、場を宥めようとするCandy、そして放心状態のHomer。Homerは故郷にいた時から「Right. 」という表現を繰り返して使っていたが、ここで相手の怒りを買ってしまう。いつでも同じフレーズが使えるとは限らない。時には相手を怒らせてしまうこともある。ある一つのrulesがすべてに通ずるわけではない。 ...she knew what Jane Eyre meant to her, but what could it mean to them? (p. 319) 自分にとっては素晴らしい作品であるJane Eyreは、他者にも同じ印象を与えるのか?と心の中で嘆くMelony。Homerは地図で自分の居場所を見つけようとしたが、見つけられなかった。彼らは自分のrulesの中で動き判断してきたが故に、葛藤に苛まれることになったということである。自分の尺度で善し悪しを決め続けると、そこに「従わない」他者をまるで「異物」のように捉えてしまう危険が出てくる。すべての人々がすべて同じrulesを持って成長してきたのではなく、生まれた環境や性別、友人関係や家族関係、時代背景など様々な事柄が影響しているため、同じrulesを抱いている人間は自分以外に誰もいないと言っても過言ではないだろう。ある人には日常的なことでも、別の人には極めて不愉快に感じられることもある。この点においては、「Right. 」を頻繁に用いていたHomerがWallyに咎められたことの理由が被るのではないだろうか。 相手が与えるrulesも、必ずしも自分に合うとは限らない。 "What rules?" He wondered, reading down the page. (p. 281) 働く者達が知りもしなかった貼り紙内容を見て驚くHomer。孤児はどこへ行っても「孤児」として生まれた過去を消すことはできず、「孤児基盤」が備わっている状態に置かれている。Angelが生まれてからの15年間で、「人が通る分だけcider house rulesが出来てくる」ことを知ったadaltのHomer。 自らのrulesに対して他からのrulesが占める割合が多くなることで、一種の拒否反応が現れてくることもある。cider houseに掲げられていたrulesの紙を知らなくても、そこで働いていた人々は仕事をこなせていたのだし、もしそのrulesを知ってしまったら最後、彼らは「彼ららしい」仕事ができていなかったかもしれない。また、「孤児基盤」の部分だが、孤児として育ってこなかった人物からの圧力で孤児を「非・孤児」とすることはできないし、できたとしてもそれは表面上のことだけであって「孤児」として生まれてきた者自身の心まで変えることはできない。 これらのことから、他のrulesに捉われすぎてしまうと、もとからあった「あるべき素材」のようなものが半減してしまう恐れもあることがいえる。なかったからこそ成立していた事柄が、逆に現れたことで崩壊してしまう。先述の、「自らのrulesが他者に合うとは限らない」ことと繋がっている。自らのrulesの範疇だけに留まるのではなく、他者のrulesに染まりすぎることも良いことばかりではない。では、どうすればいいのか?そこで、年齢上大人になったHomerの見解が生かされてくる。" there were possibly as many cider house rules as there were people who had passed through the cider house" そう、人の数だけrulesがあって当然なのだ。それに、留まろう・染まろうとするから天秤のバランスが偏ってしまう。様々なrulesがあってその中に私たちが存在しているという感覚・状態を知ることが大事なのである。 cider houseに貼られていた「cider house rules」は、「そこに関与していない人々が定めたもの・他者のrules」として定義できる。実際にMr. Rose達はそのrulesの内容を知らないでも働いていたのだし、いわばそのrulesは「なくてもよいrules」である。人それぞれ同じ人がいないことと同様に、rulesも同じものがない。それだけ、たくさんの種類のrulesがあるということだから、自分(達)に合うrulesもあれば合わないrulesもあって当然である。「cider house rules」は、そこで働いている当事者にとっては不必要なrulesだった。当事者には、何が必要で何が不必要かを選ぶ権利がある。 反対に、自分一人で定めたrules に囚われすぎることも不必要で、これはMr. Roseの例から読み取ることができる。彼には「当事者が決めればそれでいい」と思うような節があり、娘との関係を他者に知られること・行く末を判断されることに絶対なる拒否感を抱いていた。それが故に、同じ労働者達から恐れられ、自らのrulesを押さえつけた相手(ここではRose Rose)から一種「反逆」されてしまった。そして自滅への道を辿る。ひとつのことに囚われすぎてしまうと身動きが取れなくなってしまうことを、Mr. Roseは皮肉にも私たちに証明してくれたのかもしれない。 つまり、他者が持つrulesと自らだけのrulesの中間「middle」の状態が望ましいといえる。実際そのmiddle状態をキープしていくことは難しく、でも求めたいがために我々は四苦八苦を繰り返す。ゆえに、物事は繰り返されて前に進む、輪廻の概念を伴っていることがいえるのではないか。 第一章にSt. Cloud’s誕生の由来が書かれている。そもそも孤児院周辺は材木が採れるところで、集落は日を追うごとに栄えた。やがて衰退、残されたのは老人や娼婦などの「世間一般から見たところのアウトサイダー」達、そしてその売春婦たちが生んだ子供たちであった。Dr. Larchは彼らを救うために孤児院を設立し、現在に至る。衰退の後に残ったのはSt. Cloud’s。St. Cloud’s自体も孤児だった。孤児達がSt. Cloud’sという新たな孤児を生み出し、そこはたくさんの孤児達を受け入れるようになった。 St. Cloud’sの発生の仕方と相乗して、非常に興味深い記述がある。 " Yes, " he said. " And then only the trees will adopt you. " ある少年がポロリと言ったことが、輪廻について非常に的確に指摘してくれている。「木だけがあなたを容認する」「かつて人だった木もある」「そして彼らはかつて孤児だった」。「木」という、一本の軸。これを何かのrulesのかたまりだとしよう。この場面で少年はDr. Larchを「木でできたもの」に例えているのだが、少年はDr. Larchが自らのrulesでいっぱいになっているのを感じ取って、それを「木でできたもの」「基(もと)は木である」というように派生して考えたのかもしれない。少年はそれらを、かつては人間であったと、そしてかつては孤児であったと言っている。今、rulesのかたまりであるものは、かつては自分と同じ孤児だった。そして、自分はそのrulesのかたまりによって存在を認められてSt. Cloud’sにいる。rulesに認められる孤児、rulesの根本は孤児、よって孤児なくして孤児は認められないといえるのではないだろうか。現存する物事すべて、生まれた時はたった一つのorphan、そこにたくさんの人からそれぞれのrulesを与えてもらい、逆に自分からも与え、成長していく。「木」woodsは一定のところに止まり、一見頑固なrulesにみえるが、そこにいることで他者を認めて助長する働きもあるといえる。 あるrulesは他のrulesと見えないところでつながっていて、一見真逆のようなもの同士でもふとしたところで助け合えたりもする。rulesがrulesを責めては認め、その繰り返しで我々は成長していく。やがて、他のrulesへの認知・許容範囲が広がってくる。 Rules are in everywhere. There is no place without rules. ルールはどこにでもある、ないところはない。そのrulesをどう扱っていくか、向き合っていくか。輪廻でつながっているとはいえ、毎度すべてのrulesが必要となるわけではないので、その時々に必要とされるrulesを取捨選択していく(choice)ことが大切になってくる。 " But if you love no one, and feel that no one loves you, there’s no one with the power to sting you by pointing out to you that you’re lying." (p. 96) との一文のように、誰をも愛さず(=他のrulesを知ろうとせず)、誰からも愛されていないと感じ(=己のrulesは誰にも分かってもらえないと感じ)てしまうと、あなたの間違いに気づいて指摘してくれる人がいない状態になってしまうこともあるのだと。自分だけの範疇に留まることなく、他者からのrulesが恩恵へと変わりうることもあるのだという感謝の気持ちを忘れずに、時の経過とともにrulesを定めては選択し、再度取捨選択を重ねていく。そうすることで、自分だけでなく他者の進化をも助長していくことができる。 The Cider House Rulesにおけるrulesとは、「自らの、そして他者の進化に対し、時には助言・時には批判をしてくれるもの」と定義できるのではないだろうか。見失うな、なくすな。そして、とらわれ過ぎるな。その度合いのバランスをコントロールしていけるように、私たちは常日頃、rulesと向き合っているのである。 |
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