Seminar Paper 2006
Ayumi Takaku
First Created on January 30, 2007
Last revised on January 30, 2007
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The Great Gatsby の女性たち
Daisyに見るフィッツジェラルドの女性観
The Great GatsbyはF・スコット・フィッツジェラルド が執筆した小説であり、ギャッツビーが昔の恋人、デイジーを取り戻そうとする過程の中での出来事を、ニックの視点から描いたものである。 そこで私は、ギャッツビーが熱烈な思いを寄せたデイジーがどういった女性なのかということに着目した。デイジーは男を虜にする美貌の持ち主であるが、美しい花は、とげを持っているものである――そんな女性観が見られる。デイジーに関連するキーワードを挙げながら見ていこうと思う。
a.男を翻弄するテクニシャン まず、デイジーの魅力について、みていこうと思う。次の文は、ニックがトムの家に招かれ、寝椅子のある部屋ではじめてデイジーがこの物語に登場した場面である。 She laughed again, as if she said something very witty, and held my hold for a moment, looking up into my face, promising that there was no one in the world she so much wanted to see. That was a way she had. (p. 15) ニックはこれを彼女の癖と知っていたが、もしそのことを知らない男性が相手であったら、デイジーに心奪われることは確かであろう。この行動は明らかに相手の気を引こうとするものであり、自分はそれだけの美貌を兼ね備えた人物であることをデイジー自身分かっていたことも垣間見える文章である。また、ニックでさえも、デイジーが小声で囁くのは相手の顔を引き寄せるための手段といううわさを耳にしていても“an irrelevant criticism that made it no less charming.”(p.15) と述べていることから、彼女に対して好意的であるように思う。ニックさえも魅了するデイジーは、男性の心をうまく捉えることができる人物であることがわかる。 b.デイジーの「声」
また、デイジーの魅力において、一番大切なのは彼女の「声」である。ニックの語りの中にも、“as if each speech is an arrangement of notes that will never be played again. ”(p.15) のように、彼女の声がいかに聞くものの耳をひきつけるのか、形を変えて何度も細かく述べられているのが見られる。その声について、“Her voice is full of money. ” (p.126) とギャッツビーは述べている。ニックにとっては「お金に満ちている」という言葉はマイナスなイメージであったのか、そう言うのをためらっていたが、ギャッツビーはプラスと受け取っている。これはギャッツビーにとって、デイジーが’ nice girl’ であったことが関連しているように思う。 彼は若くして女を知っていたが、あまり彼にとっては良いものでは無かったらしいことが本文から伺える。しかしながら、“She was the first ‘nice’ girl. ”(p.154) とあるように、デイジーだけは特別であった。この’nice’ には、“she (=Daisy) was gay again, gay as ever.”(p.82) という記述もあることから、性的な部分も含まれていることを示唆しているように思えた。そして、“It amazed him−he had never in such a beautiful house there. ”(p.154) とあるように、彼女の家に対して感動し、そこに彼女が住んでいるというという事実が、彼にただならぬ影響を与えたのである。多くの男が彼女に言い寄っているという状況で「簡単に手に入らないもの」というデイジーに対するイメージが彼をより掻きたて、ついに彼女を奪い取るに至ったのである。そこから彼は「幻想」の中に生きることになってしまうのだが。そのために、お金とデイジーというのはギャッツビーにとって切り離せないもののである。 また、ミス・ベイカーが“There’s something in that voice of hers…”(p.84)といっている場面がある。ここでは、デイジーがギャッツビーをまだ想っているということが ‘something’ にあたるが、ベイカーはそれが何であるかにまだ気付いていない段階である。デイジーの「心」が顔の表情でも態度でもなく「声」に出るのだとしたら、まさに「声」そのものがデイジーを表しているといっても過言ではないであろう。
前述のとおり、彼女はさまざまな魅力を持った人物であるが、可愛らしく、男に愛されようとするだけの女ではない。不仲である夫のトムに対しての不満を間接的に訴えるところや、切り返しの鋭さは,見た目の愛らしさとは、反するものがある。以下の引用は、ニックがトムの家に呼ばれたときに、デイジーがみんなに向けていった言葉である。 ‘Look!’ She complained; ‘I hurt it. ‘ We all looked−the knuckle was black and blue. ‘You did it, Tom,’ she said accusingly. I know you didn’t mean to, but you did it. トムと喧嘩して怪我したのであろう指をみんなに見せて、不満を訴える場面である。あえてトムにではなくその場のみんなに向けて言っているところや、“I know you didn’t mean to”と言っているところに、トムに対する嫌悪感を出来る限りぶつけているのが表現されている。 また、堂々と夫の前で、ギャッツビーに、‘You always look so cool’(p. 125) と愛を告げて2人の関係をトムに気付かせ、修羅場を繰り広げるのもデイジーという女ならではのことのように思える。トムも他に女がいたものの、会うときには自らが出向いて会う形をとっていたのに対し、デイジーは二人の仲を見せ付けるようにギャッツビーと接している。ただ、デイジーはギャッツビーに、彼に対する気持ちを見せたことによって、よりギャッツビーの彼女に対する「幻想」を大きくさせてしまい、彼女自身、その重さに耐えられなくなってしまう事となる。
デイジーは、確かにギャッツビーを愛していた。そのためギャッツビーが軍隊に入ってしまった後も、なるべくその面影の重ならない人たちばかりを選んで付き合うが、それでも満たされない心を埋め合わせるために、男遊びに再び走ってしまう。そんな中でトムと出会い、ギャッツビーの帰りを待たずに結婚に踏み切った理由とはなんだったのか。 And all the time something within her was crying for a decision. She wanted her life shaped now, immediately−and the decision must be made by some force―of love, of money, of unquestionable practicality―that was close at hand. (p.157) この文章がデイジーの生き方のすべてを物語っている。ここから、デイジーがトムと結婚をしようと決意した理由も汲み取れる。彼女は結局、愛なり、経済力なり、何かの力によって支えられていたいのだ。つまり1人では生きていけないのだ。特に“‘Her voice is full of money.’” について前述したように、‘money’は彼女にとってかなり大切な要素であったのであろう。トムとの結婚を決める際にも、かなりの決め手になっていたように思うし、トムとどんなに喧嘩をしても、トムにどんなに嫌悪感を持ったとしても、娘を連れて家を出るまでには至らないことの理由にもつながる。 また、デイジーは上流階級の人間として見られることを意識しているので、そのことについて気にしている場面も多々見られる。自分の娘にギャッツビーたちを見せて、“‘How do you like mother’s friends?’”や“‘Do you think they’re pretty?’”(p. 123) というところでは、娘に問うというさりげないシーンだが、お金を持つ彼らと自分との釣り合いが取れているかを気にしているようにも見えるし、娘にも上流階級を意識した付き合いを望むことが暗に語られているようにも受け取れる。これらは、デイジーがお金に対し、強い力を感じていたことからの行動である。 しかしながら、デイジーは‘money’ だけがあれば良いと言うわけではなかった。女として、‘love’も大切な要素とみなしていた。その点ではギャッツビーに勝るものは無かったのであろう。そのお金と愛の間で心が揺れるのが現れているのは、トムとの結婚式寸前にギャッツビーからの手紙を受け取った場面だ。 ‘Here, deares’. She grouped around in a waste-basket she had with her on the bed and pulled out the string of pearls. ‘Take ’em downstairs and give ‘em back to whoever they belong to. Tell ‘em all Daisy’s change’ her mine. Say: ”Daisy’s change’ her mine!” (p.83) せっかく自分をしっかりとした経済力で支えてくれるトムに出会えたのに、それを揺るがすほどの大きな「愛」だった。このとき、‘the string of pearls’はまさに‘money’の象徴であるとみなす。それをデイジーは手放そうとすることで、やはり、‘money’よりも‘love’の力に傾こうとしていた。しかしながら、デイジーは無理やりにドレスを着せられ、結局はその‘money’の象徴のパールのネックレスを首に再びかけ、トムと結婚することになったのである。そして、トムのことも愛すようになるが、結婚してまもなくトムの浮気が発覚してしまい、デイジーは幸せなんて幻想に過ぎないと悟る。そんな中で、例のギャッツビーの話を耳にし、再び「愛」のほうに傾く。
しかしながら、ギャッツビーのあまりにも重過ぎる愛に、デイジーは苦痛を感じる。トムを愛したことは確かだったのに、彼はその事実を認めない、許さない――彼女の心はシーソーのように左右に交互に傾く。この揺れ動くデイジーの心の描写は、フィッツジェラルドによって見事に描かれている。
このギャッツビーとデイジーの恋愛のあり方は、フィッツジェラルド自身のゼルダとの恋愛体験と非常に似通っている点が多い。
またこの物語はニックの視点で語られているが、そこに少なからず、フィッツジェラルドの主観が入っているように感じられる。たとえば“Dishonesty in a woman is a thing you never blame deeply.”(p.65) のようなものがある。
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