Seminar Paper 2007

Akana Fueki

First Created on January 29, 2008
Last revised on January 29, 2008

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The Color Purple における神の意義
変貌を遂げたGodの姿

   

   この物語の大部分で、主人公のCelieが頼りにしていた“God”の存在。父親から受けた暴行による傷あと、最愛の妹に会うことができない悲しみも、Godへの一方的な手紙を書くことで紛らわせ、手紙を書き続けることで自身の人生における将来的な報いや救いを求めていた。しかし、Celieの中では本当に偉大で大切だったGodは彼女の中で次第に変化していく。憎悪の対象となったり、あるときはそれに対して関心を抱かなくなったり、だが最後には感謝の念を表したりと、本作中でのGodは常に曖昧で揺るぎないものであり、主人公の精神を惑わす1つの原因になっているともいえるだろう。黒人女性として過酷な生活を送ってきた主人公Celieにとって、Godと関わる事にどんな意味があったのだろうか。Celieの中で姿かたちを変えるGodの正体とは何者なのだろうか。The Color PurpleにおけるGodが示す意味を探っていこうと思う。

   まず初めに、登場人物それぞれの神の捉え方を理解していく。

CelieのGod
   序論でも述べたように、CelieにとってGodは唯一秘密を話すことができる相手である。彼女は毎日誠実に神へ手紙を書くことで寂しさや辛さを紛らわそうとしていた。しかし、以前一緒に生活していた父親が実の父親ではないという事実を知り、手紙を書くことを止める。神に祈ることでいつかは自分の人生が好転することを願っていたが、衝撃的な事実をつきつけられ、かつ妹Nettieとは一向に再会できない現状にGodの存在価値を見失ってしまったのである。彼女のイメージするGodは、“He big and old and tall and graybearded and white.  He wear white robes and go barefooted. ”(p. 194)、また“Sort of bluish-gray.  Cool.  Big though.  White lashes.”(p.194)のように、容姿そして目元の細かい特徴までも実に具体的な人間として想像していることが分かる。だがその後、大体の人が神と聞いて思い浮かべるものと似ている、彼女が持つGodの偶像は、Shugの影響を受けて徐々に変形していくのだ。

ShugのGod
   以前はCelieと同じように、Godは“old white man”(p.194)というイメージを持っていた。だが、“Ain’t no way to read the bible and not thing God white, she say.  Then she sigh.  When I found out I thought God was white, and a man, I lost interest. ”(p.195)という箇所で分かるようにGod の姿は彼女の中でも変化したのである。またこの部分から、白人に対するShugの意識も読みとれる。Celieの前ではGodのことを“It”(p.195)と呼び、男や女、つまり人間のかたちとして存在するものではないと説いている。そして、“She say, My first step from the old white man was trees.  Then air.  Then birds.  Then other people. ”(p.195)のように、Godと自然を関連付ける発言が作品の中に頻繁に登場している。

NettieのGod
   熱心なキリスト教信者であるSamuel一家と共に宣教師として旅していることから、Nettie自身も誠実な信者として成長していった。つまり、彼女の中のGodはChristであると予想される。しかし、訪れたOlinkaにてroofleaf=Godという考えを目の当たりにする。宣教師としての考えがOlinkaでは受け入れてもらえずに苦労するが、そこでの生活習慣や既存の文化を守ろうとする村人の精神に触れて彼女のGodの原形は変化し始めるのだ。この変化はSamuelも同様であり、亡くなったCorrineを“Olinka way”(p.188)で埋葬したことからも、現地の文化を受け入れつつある状態を示すだろう。

Mr.  のGod
   Mr.  のGodへの考え方や崇め方は作品ではほとんど出てこない。以前はCelieに対して暴力を振るっていた彼だが、Celieと距離をおいて生活し始めたこと、そしてShugへの思いを2人で話すようになったことから次第にその人格に変化が現れる。Celieのpants作りを手伝うようにもなり、Celieに対して好意を持っていることを示唆する発言も多々見られるようになる。その過程での彼の注目すべき場面として、“he said Celie, I’m satisfied this the first time I ever lived on Earth as a natural man.  It feel like a new experience. ”(p.260)という部分がある。これはShugのGodについて説明した箇所で出てきた、Godは自然の中の何かであるという発言を連想させる。元々彼のイメージしていたGodの姿がどんなものであるかは不明だが、周囲との関係が良好になっていくと同時にMr.  自身が今までに感じたことのない自由や開放感を得ているのは事実である。

   登場人物のGodに関する価値観や考え方を改めて整理すると分かるのは、それまで持っていたGodの価値がそれぞれの中で次第に変化していることである。Celieが具体的に考えていたような、1人の年老いた男性が私たちを守っていてくれるという発想からは抜け出して、Godは人間という枠ではない、大自然のようなもっと大きな壮大なものだという新たな見解に達しているのである。そこで気づかされるのは、つまりそれが、Shugがもともと口にしていた内容と重なっているということである。彼女が説明する以下の言葉がそれをよく表している。

Here’s the thing, say Shug.  The thing I believe.  God is inside you and inside everybody else.  You come into the world with God.  But only them that search for it inside find it.  And sometimes it just manifest itself even if you not looking, or don’t know what you looking for.  Trouble do it for most folks, I think.  Sorrow, Lord.  Feeling like shit. (p. 195)

Shug曰く、神は自分の中にある、この世に生を受けたときから一緒にいる、というのである。空の上の方から見下ろされているのではなく、いつも同じ目線で同じ立場で生きているのだ。また、Olinkaに触れて新しい考えを持つことができたNettieの言葉も説得力があり分かりやすい。

God is different to us now, after all these years in Africa.  More spirit than ever before, and more internal.  Most people think he has to look like something or someone−a roofleaf or Christ−but we don’t.  And not being tied to what God looks like, frees us. (p.257)

また、この言葉の最後にある“And not being tied to what God looks like, frees us. ”(p.257)は、Mr.  の分析でも挙げた開放感とも共通する。新しいGodを見つけたら自由を感じることができたというNettieの言葉を信じるならば、彼自身は気づいていないようだが、やはりMr.  は作品の終盤に差し掛かりやっと自分の中の新しいGodを見つけ出すことができた、と証明できるだろう。そうすると、Celieへの今までの反省や、またやり直したいとまで言い出した彼の激変ぶりには彼が以前に信仰していたGodに原因があったのではないだろうか。そう考えた理由として、彼が作品の最初から抱いていた女性への偏見が挙げられる。Celieへの暴力、そしてNettieからの手紙を取り上げていた惨さはつまり、女性に対しての差別意識が強くあったことに関係する。以前のCelieが考えていたGod、それは白人であり、白人は黒人を差別する。周囲の人間と平等に接することをせず、傲慢な態度をとるMr.  は、CelieのGodと類似していると感じる。Celieが自分のGodについて説明した後、“What you expect him to look like, Mr.  ? ”(p.194)とShugが笑う。この言葉はやはりCelieとMr.  の崇めるGodが何らかの形で共通していることを連想させて仕方がないのだ。本来ならば相性の合ったCelieとMr.  に亀裂を生じさせたのは2人が考えていたGodが要因だったのかもしれない。その時代の様々な偏見や差別が、日々敬うべき自分の中のGodさえも邪魔者にしてしまうなんて、黒人差別、女性差別の恐ろしさを見ることができる。  

I start to wonder why us need love.  Why us suffer.  Why us black.  Why us men and women.  Where do children really come from.  It didn’t take long to realize I didn’t hardly know nothing.  And that if you ast yourself why you black or a man or a woman or a bush it don’t mean nothing if you don’t ast why you here, period. (p. 283)

この箇所はMr.  がCelieに投げかける疑問である。黒人、性別、そして人を愛することが取り上げられ、まさにThe Color Purpleでテーマとなっている事柄をまとめたような、生きていく上での最大の問題である。その答えとしてMr.  自身は“The more I wonder, he say, the more I love.”(p.283)という言葉で解決している。Celieを力でもって無理矢理従わせていた彼も、黒人として生まれたことで人種差別を受けてきたに違いない。それに加え、思いを寄せるShugが自分からどんどん離れていく歯がゆさを感じて茫然としこのような疑問がまとまり、そして気づかぬうちに新のGodを見つけ出す事ができたのだろう。どんなに辛く納得のいかない立場にあってもそれをしっかり受け止め、自分に与えられた環境と自分に関わる人々を愛することが必要である。

   現在のアメリカ社会に関してももちろんいえることだが、“God”というのは人間にとって常に支えとなり進むべき道を示してくれる救世主であり、そして自分が成長するごとにその存在も大きく変わるのである。Godの存在がこの作品にまったく関係のないものであれば、Celieを中心とした登場人物の人生も変わっていたに違いない。手紙を書くことをやめ一度はGodと決別したCelieが最後に“Dear God.  Dear stars, dear trees, dear sky, dear people.  Dear Everything, Dear God. ”(p.285)と綴っているのは、Shugという女性に出会ったことで今までになかった感情が生まれ、またそのほかにもたくさんの影響を受け、彼女自身が黒人差別や女性差別を乗り越えて人間的に非常に大きくたくましい黒人女性に変わった証拠なのである。


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