Seminar Paper 2007

Keiko Ifuku

First Created on January 29, 2008
Last revised on February 4, 2008

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The Color Purple におけるジェンダー問題
女は鉢植えの植物ではない

    まず初めに、この作品の著者であるアリス・ウォーカー(Alice Walker, 1944-)が、現代の若い女性に向けて詠んだ詩を一つ紹介する。


女は鉢植えの植物ではない

女は
鉢植えの
植物ではない

その根を
家の境界に
縛られた

女は
鉢植えの
植物ではない
その葉が
女の形に
刈り込まれた

女は
鉢植えの
植物ではない
その枝が
人種



という垣根に沿って
剪定された

よく仕込まれたその花は
あっちを向いたり
こっちを向いたり
誰であれ栄養や
水を与える
太陽を追って

女は
原生自然
縛られず
未来を担い
息を吸っては吐いて
地面を歩く
なぜって、簡単なことよ
彼女は自由で
ツタや
木ではないから。
スイカズラや
ミツバチでさえもないから。

(柳沢由美子訳『勇敢な娘たちに』(集英社. 2003). pp. 173-76)

    この詩は、女というものが世間でどう扱われてきたか、そしてどう扱われるべきかを指し示すものである。女である、それだけで家庭に閉じ込められ家事や子育てだけをこなすことを強要されるなどということを否定し、そのような「女」という枠にはまらないで自分の意思で生きていくことを世の女性、特に黒人女性に対して示しているのである。The Color Purple の中でウォーカーは、主人公である黒人女性セリーが周りに存在する男たちにぞんざいに扱われ、生きる希望まで搾り取られる様を描いている。しかし物語の先には、そんな主人公が愛を知ることで自立を始め、自分の主張を言葉にし、自らの足で生きていくという展開が待っている。この物語が、上で挙げた詩のストーリーそのものに思えてならない。これは、ウォーカー自身が受けた傷、そして彼女が望む女性像を描いたものだからではないだろうか。この論では、小説The Color purple の中で主人公を取り巻く女性蔑視の世界を、他の登場人物の観点も踏まえて論じていきたい。そして、ウォーカーがこの作品に込めた想いを探っていく。

    「女性差別」と一言で表すが、物語の中で女たちは実際どのような扱いを受けていただろうか。まずはセリーの、父親からの乱暴、そして売り飛ばすように嫁に出された先でのハウスワイフとしての生活に焦点を当てる。セリーの父親(後に母親の再婚相手であることがわかるのだが、)は女を、性欲を満たすものとしてのみ認識しているかのように描かれている。セリーの母親、セリー自身、そして母親が死んでからは町で見つけてきた若い女と肉体関係を持ち、子供たちの世話をさせている様子は、セリーが嫁いださきでもそのまま再現されている。物語前半で出てくる男たちはみな、女をセックスの相手、そして家事をこなす機会とみなしていると解釈ができる。しかし、セリーの周りにはセリーと同じように男にされるがままにはならない女たちが存在した。嫁ぎ先の息子ハーポの結婚相手のソフィアと、夫の恋人であり後にセリーの人生の伴侶となるシャグ・アヴェリである。セリーは、差別に敢然と闘いを挑むソフィアや、自由奔放ながらも自立した女性として生きるシャグの存在を通し、自己の価値や尊さに目覚め、自立していくこととなる。そしてその先に初めて、彼女は他者の踏み台ではない、自らの人生を切り開く喜びを知るのである。ソフィアとのやり取りで印象的だったのはこの場面である。まずセリーとハーポの会話から場面は展開される。

I think bout this when Harpo ast me what he ought to do to her to make her mind.
    I don’t mention how happy he is now. How three years pass and he still whistle and sing. I think bout how every time I jump when Mr.____ call me, she look surprise. And like she pity me.
    Beat her. I say. (p. 36)

    ここでセリーはハーポに、ソフィアを殴るように言うのだが、彼女はソフィアを本当にハーポの思い通りにさせるためにこのような発言をしたのではない。彼女はソフィアとハーポの関係がうらやましかったのだ。少なくとも、彼らのそれまでの生活を“happy”と表現していることから、自分の世界との違いを感じていると考えられる。この流れを受けて、セリーとソフィアの会話が出てくる。

    The minute she hear it she come marching up the path, toting a sack. Little cut all blue and red under her eye.
    She say, Just want you to know I looked to you for help.
    Ain’t I been helpful? I ast.
    She open up her sack. Here your curtains, she say. Here your thread. Here a dollar for letting me use ’em.
    They yourn, I say, trying to push them back. I’m glad to help out. Do what I can.
    You told Harpo to beat me, she said.
    No didn’t, I said.
    Don’t lie, she said.
    I didn’t mean it, I said.
    Then what you say it for? she ast.
    She standing there looking me straight in the eye. She look tired and her jaws full of air.
    I say it cause I’m a fool, I say. I say it cause I’m jealous of you. I say it cause you do what I can’t.
    What that? she say.
    Fight. I say.
    She stand there a long time, like what I said took the wind out her jaws. She mad before, sad now. (pp. 39-40)

    セリーは夫に殴られるとき、自分を木にしてしまう。そして怒りが静まるまでただひたすら待つのだ。そんなセリーに、ソフィアは自分の母親の姿を重ねていることを打ち明ける。ソフィアの家庭環境や男への見方を知り、セリーはソフィアとの友情を深めると共に新しい価値観を得ることとなる。“Well, sometime Mr.____ git on me pretty hard. I have to talk Old Maker. But he my husband. I shrug my shoulders.”というセリーに対してソフィアが“You ought to bash Mr.____ head open”と返す会話は、この二人の価値観の違いを表していると言えるだろう。  セリーがシャグ・アヴェリから受けた影響は計り知れないものがあるだろう。まずシャグはセリーに、愛し合うことの素晴らしさを教えた。セリーにとってセックスは暴力を受けることと何一つ変わらないことだった。しかしシャグとの会話でそれを楽しむ女性がいることを知る。さらに、シャグは自分の意思を持ってセリーの夫アルバートと結婚しなかったと打ち明ける。セリーの人生では考えられなかったことである。そしてシャグは、男に虐げられながら自分を押し殺し生きてきたセリーに、自分の意思で生きていく道を教えることとなる。

    この作品におけるフェミニズムの思想を別の視点から追ってみる。多くの黒人作家は黒人女性を常に犠牲者、または弱い性として型にはめ描いてきた。農民として、女工として、メイドとして、あるいは女炭鉱夫として、苦闘しながらもたくましく生きてきた歴史があるにもかかわらずである。しかし1970年代に入るとウォーカーなど黒人女性作家たちが、最下層で踏みつけにされてきた黒人女性がなんとか生き延びてきた姿や、ときに絶望し、ときに力強く生きた姿を次々に作品の中に残すようになった。人種による、性による、そして階級による差別がいかに黒人女性の生を抑圧してきたかが彼女たちのテーマであった。ウォーカーはさらに男女関係のありかたに深い関心を持っていた。そこから生まれたのがThe Color Purple である。上述したように、元来の黒人文学を考えれば主人公が男に虐げられ、苦しんで生きる姿のみを描くものが普通だったのだろう。しかしウォーカーは作品の中でセリーを女性として、また人間として成長させ、口答えすることもできなかった状態からは考えられないほどの強さを持つようになる。そして男の抑圧と戦い、勝利を収めてしまうのである。

    ウォーカーがセリーというキャラクターに込めた想いとはどんなものだったのだろうか。彼女はまず教育を受けることもなかった。教育を受けるのもまず男が先で、そんな彼女はじっと男の(父親や夫の)わがままに耐えてきたのである。しかし彼女には子供を産み、育て、生活の糧を得るために働くという、大地にしっかりと足をつけた女の原点のような強さを感じることができる。黒人の男は黒人の女を、子供を産む機会のように使って子供を産ませてきた。物語の中ではセリーの夫やその息子ハーポが、まさにその例として描かれている。正確には、夫のセリーに対する振る舞い方を見て、ハーポが同じように振舞おうとしているのである。そのことが如実に表れているのがこの場面である。

He clam round in his mind for a story to tell, then fall back on the truth.
    Sofia, he say.
    You still bothering Sofia? I ast.
    She my wife, he say.
    That don’t mean you got to keep on bothering her, I say. Sofia love you, she a good wife. Good to the children and good looking. Hardworking. Godfearing and clean. Idon’t know what more you want.
    Harpo sniffle.
    I want her to do what I say, like you do it, he say.
    Oh, Load, I say.
    When Pa tell you to do something, you do it, he say. When he say not to, you don’t. You don’t do what he say, he beat you.
    Sometimes beat me anyhow, I say, whether I do what he say or not.
    That’s right, say Harpo. But not Sofia. She do what she want, don’t pay me no mind at all. I try to beat her, she black my eyes. Oh, boo-hoo, he cry. Boo-hoo-hoo. (pp. 62-63)

    この場面で、セリーはハーポが考えていることを知り、ショックを受ける。ハーポが妻であるソフィアを、自分の父親に対するセリーのように、男の言うことに従う女にさせたいと語ったからである。この会話から、セリーの家庭にとどまらず黒人文化の中で女性を道具のように扱うことが当然のこととなっていたであろうことが読み取れる。自分の望むままに動かして、思い通りにならなければ力に訴えればいいのだ。現代の、少なくとも我々の生きる社会の中で見れば当然のように思われるソフィアの自由奔放な行動が、セリーたちの、あるいはウォーカーの生きる世界では常識と大きく異なるものなのである。

    そんな世界でセリーは懸命に生き、ついに自分の道をみつけることとなる。シャグと共に家を出て、男のためではなく自分のために生きる方法に出会ったのだ。それがズボン作りだった。セリーは男の象徴であったズボンを女もはけるものとして縫い、それを仕事にして金をえるようになった。家を出る際には夫に、「お前はひとりでは何もできない」と言われたセリーだったが、男顔負けの稼ぎを生むようになったのである。変わったのは稼ぎだけではなかった。セリーはもう男に屈してばかりいる女ではなくなっていたのである。男たちと対等に話し、夫婦とは言えないような関係だった夫とも、親しく会話ができるようにすらなっていた。それは彼女の人生に、ソフィアやシャグという、同じ黒人女性という立場ながら自分を持って行動する女たちが関わったからだと言えるだろう。女は鉢植えに植えられた植物ではないのである。自分の足で歩き行動し、自分の手で人生を切り開いていく、それがウォーカーの描く理想の女性像だったのではないだろうか。ウォーカーはこの作品で様々な賞をとり、そして批判を受けたりもしたが、彼女はその後夢の中である黒人女性に励まされるということがあった。そのときのことを、彼女は次のような詩で表現している。


昔の人たちに会った
夢のなかで、
そして感謝してくれた
『カラーパープル』を書いてくれて
ありがとう、と。

みんな言ってくれた、
「娘よ、それは
今まで、おまえがしたことのなかで、
一等よかった」と。

ざらざらの
老いた手を
どんなにたくさん
握りしめたことか。

(河地和子編『わたしたちのアリス・ウォーカー』(御茶の水書房. 1990). pp. 88-89)

    The Color Purple は高い評価を受ける反面、その表現があまりに直接的なものだったことなどから、多くの批判の声も浴びせられていた。しかし、そんな中夢の中で同じ黒人女性にこの作品を、そしてこの作品を書いたウォーカーを認められ、さらに感謝されたことで、ウォーカーはこの作品を書いたさらに特別な思いを持ったのではないだろうか。そして、多くの人の心に影響を与えた女性、セリーとは、逆境を経験し、多くの苦しみを味わってきたウォーカーが、世界の女性に向け示した理想の姿だったと理解することができるだろう。


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