Seminar Paper 2007

Sonoko Kawai

First Created on January 29, 2008
Last revised on January 29, 2008

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The Color Purple における神の意義
〜変わりゆく神の姿とCelieの心〜

    1.はじめに

 The Color Purpleは「黒人」であり「女性」であるという社会的に不利な要素を持ったCelieが、幼い頃から受けてきた数々の逆境を克服していくストーリーである。最初の頃は弱気でも、徐々に強く、たくましくなっていく彼女だが、その変化の原因には「神」への認識が大きく影響しているようだ。なぜ彼女の認識は変化し、それは彼女の考え方をどう変えていったのだろうか。そして神とはこの作品においてどのような存在なのだろうか。Celieの神に対する見方に注目し、順に追って考えていこうと思う。

    2.イメージの中の神

 “You better not never tell nobody but God. It’d kill your mammy.” (p. 1) とあるように、冒頭から“God”という単語が登場する。この台詞はCelieの父親(だと当初は思われていた)が、Celieを襲ったことを口止めするために告げた言葉である。“better”を使っていてもほぼ脅迫的な台詞であり、選択の余地はない。その言葉に忠実に従った彼女は、二行目以降からずっと“Dear God”で始まる神宛ての手紙を書き続けていく。膨大な量の手紙には、その日起きた出来事や彼女の心境などが細かく記されている。味方と言える人が周囲に居らず、精神的に孤独であった彼女にとって、神への手紙は唯一本心を吐き出せる場所だったのだろう。妹のNettieと別れるときに“Never mine, never mine, long as I can spell G-o-d I got somebody along.”(p. 17) と強がりを言うが、少なくとも書くという行為が心の拠り所だったようである。

    Celieが何度か神に対して話しかけたり懇願したりする場面もよく見られる。Nettie が父親に狙われていると知ると“But I say I’ll take care of you. With God help.”(p. 3) と言って励ましていた。誰の助けも借りることのできない姉妹にとって、神だけが頼りなのである。また義理の息子HarpoにSofiaを殴らせてしまったとき、Celieは “I’m so shame of myself, I say. And the Lord he done whip me little bit too.”(p. 40) と反省し、神に罰せられることを恐れている様子を見せた。彼女の中で神とは恐れ敬う対象なのだろう。“Well, sometime Mr.__ git on me pretty hard. I have to talk to Old Maker. But my husband. I shrug my shoulders. This life soon be over, I say. Heaven last all ways”(p.42) からも、自分の苦しい人生を運命として受け入れ、全てを神に委ねる姿勢が見える。これらの文章から、Celieの神への依存心と宗教心の強さを知ることができる。

    では、Celieはどのような神の姿を想像していたのか。“She ast me bout the first one Whose it is? I say God’s. I don’t know no other man or what else to say.”(p. 2) とあるように、母親にお腹の中の子どもを疑われたとき、咄嗟に答えたのが「神様との子ども」であった。父親の性的虐待のせいで男性不信に陥っている彼女は、ほかの男性と関わりを持たないように過ごしてきた。当然男性の名前がすぐに思いつくはずはなく、神様と言っておけば母親も追及できないと考えたのだろう。このことから、彼女は幼い頃から神を男性の姿としてイメージしていたようである。しかし、男性嫌いの彼女がなぜ男性の神を想像するのだろうか。その矛盾に気づき始めるのが、逮捕されてしまったSofiaを救出しようと作戦会議をしている場面である。男性陣が非現実的な計画を発表している横で、Celieは何も言わずにじっと考え込んでいる。

I don’t know what she think, but I think bout angels, God coming down by chariot, swinging down real low and carrying ole Sofia home. I see ’em all as clear as day. Angels all in white, white hair and white eyes, look like albinos. God all white too, looking like some stout white man work at the bank. (pp. 90-91)
周囲の影響を受けてなのか、彼女も非現実的な救出シーンを思い浮かべていた。Sofiaを一瞬で救い出してくれる神は白人男性の姿をしているようである。その上銀行マン風で太っている。まるでコメディのような、この有り得ない想像はお世辞にも神に対して好意的だと言えない。滑稽さの中に、ある種の不気味さを感じ取ることができる。白人とはSofiaを逮捕した張本人であり、今までずっと黒人を差別してきた存在である。その白人が神の姿をしているのはなぜなのか。彼女が絶対的であった神様に疑問を感じ始めたのはこの時だろう。

    この神の白人男性像はCelieにだけ当てはまることではない。彼女の尊敬するShugも、おそらくNettieも、ほかの登場人物も白人男性の姿を想像していたはずである。その理由は次のNettieの手紙から読み取ることが出来る。

All the Ethiopians in the bible were colored. It had never occurred to me, though when you read the bible it is perfectly plain if you pay attention only to the words. It is the pictures in the bible that fool you. The pictures that illustrate the words. All of the people are white and so you just think all the people from the bible were white too. (pp. 134-135)
聖書をよく読めば出てくる人間は黒人であるのに、描かれている絵が白人であるために、皆白人だと思い込んでしまうというのである。NettieはCelieと同じく熱心な信仰心を持っているが、その彼女でも疑いもせずに神を白人だと思っていたようだ。Shugも同様に“Ain’t no way to read the bible and not think God white, she say. Then she sign. When I found out I thought God was white, and a man, I lost interest. ” (p. 195) と語っている。 絶対的存在である神が白人男性ということは、そのカテゴリーに含まれない黒人や女性は劣っていると見なされてしまう。宗教とはいつの時代でも、このような偏見や誤解により差別を生んでしまう可能性がある。つまりこの物語では、神は人種差別やジェンダー問題の象徴として書かれているのである。

    3.イメージの破壊

 Celieがついに神に明確な敵意を持ったのは、父親との再会がきっかけであった。神宛てに手紙を書き始める原因になったのも彼だったのは皮肉なことである。今まで父親だと思っていた人と血の繋がりがなかったと判明し、本当の両親の不幸で残酷な最後を聞いてしまった。そして久しぶりに再会した義父は自分のしたことを後悔も反省もしていなかった。これまでの苦しみが一気に押し寄せてきて、Celieは何も助けてくれない神を恨むほかになかったのである。その上神は彼女の大嫌いな男性の姿をしているのだ。神への不信は頂点に達していた。 “I don’t write to God no more.” (p. 192) こう宣言して、以前とは別人のように神を冒涜するCelie。彼女の心の支えが失われた瞬間である。次々に神を中傷する言葉を放つ彼女を見かねて、Shugは自身の神に対する考えを語り出す。“God is inside you and inside everybody else. You come into the world with God. But only them that search for it inside find it. ” (p. 195) 神は全ての人の心にいる。男でも女でも、白人も黒人でもなく、平等に全員に宿っているというのだ。見るのではなく感じる存在。これはCelieの神へのイメージだけでなく、生き方、価値観を180度変える言葉となった。

She say, My first step from the old white man was trees. Then air. Then birds. Then other people. But one day when I was sitting quiet and feeling like a motherless child, which I was, it come to me: that feeling of being part of everything, not separate at all. (pp. 195-196)
木や空気や鳥などの人間以外の中にも神はいるとShugは語る。この考え方は日本の多神教と似ているところがある。キリスト教を否定するのではないが、たった一人の白人男性を崇めることへの疑問を、著者がShugを通して読者に示唆しているのだろう。神とは自分で見出すものであり、神に愛し愛されることで対話するものなのだ。Celieにとってすぐに男性のイメージを追い払うことは難しかったが、このShugの話で偶像崇拝から解放されるきっかけを得たのである。こうして彼女は神の代わりにNettie宛ての手紙を書くことを決意し、以降最後まで妹に向けて書き続ける。その手紙には、これまでのように神に頼るような描写はなくなっていった。

    今まで自分の基盤となっていたものを破壊し、再構成することは容易ではない。しかしCelieはShugの言葉をもとに、必死に神の認識を変えようとした。そしてこれ以降彼女の思考や行動は変化していく。最初の例はMr.__への反抗だった。“You a lowdown dog is what’s wrong, I say. It’s time to leave you and enter into the Creation. And your dead body just the welcome mat I need. ” (p. 199) これは周囲の人間も絶句するほど、今までのCelieからは想像のつかない発言である。Mr.__を脅し、ナイフで彼の手を突き、自ら家を出ていこうとするCelie。この時点で彼女は夫に服従する妻という関係を乗り越えたと言えるだろう。また、Memphisへ旅立つときにMr.__はCelieを激しく罵るが、彼女はそれに屈せず互角以上に言い返している。その立ち向かう力はどこから来たのだろうか。“I give it to him straight, just like it come to me. And it seem to come to me from the trees.” (p.206) 彼女によると、木が戦う力をくれたという。そして彼に向けて次のようにも述べている。“You better stop talking because all I’m telling you ain’t coming just from me. Look like when I open my mouth the air rush in and shape words.” (p.206) ここでの“trees”や“air”とはShugの話していた神を指しており、彼女はついに新たな神を感じ取ったことになる。神の認識の変化が彼女に力を与えたのは間違いない。今まで自分を抑圧してきたものへ立ち向かう力とは、自我の芽生えを表している。つまり彼女は固定された神のイメージから解放されたことで、初めて本当の自分になったのだ。

    自我が目覚めShugと暮らし出したCelieはズボン作りを始める。これは彼女が自分の意志で「やりたい」と思ったことであり、自立への第一歩だった。それからの彼女は精神的にとても穏やかに過ごしている。Shugが去ってしまったときはショックを受けていたが、自分の会社を持ち、男性とも自然に会話ができるようになって、自分の力でも幸せになれることに気づいたのだろう。もはや苦しみに耐え続け、全てを成り行きにまかせていた頃のCelieはいないのだ。 注目すべきは最後の手紙である。宛名は“Dear God. Dear stars, dear trees, dear sky, dear peoples. Dear Everything. Dear God. ” (p. 285) と今までにない同格表現の羅列になっている。これは神と星や木や空たちは同じ存在であることを示している。一人の神に宛てていた手紙は、最後には地球のあらゆるものたちへの感謝の手紙となっていた。この境地に宣教師として働く最愛の妹Nettieも達している。神の姿にこだわらない。それは信仰を持たないという意味ではなく、むしろもっと深く広く神を理解できる可能性を持っているのだ。

    4.まとめ

   信仰心とはほとんどの人の心にあるものである。その大部分が同一の神のイメージを持っているだろう。そして、それが植えつけられたイメージであることに気づく人は稀である。先入観により固定化された認識は偏見や差別に繋がっていく。それぞれの神のイメージとは、それぞれの人権への意識に影響するのだ。結果としてCelieはこれに気づき、自由な存在としての神を知ったので、差別や偏見に囚われない人間に変わることができたと言える。


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