Seminar Paper 2007

Naoaki Kiyama

First Created on January 29, 2008
Last revised on January 29, 2008

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The Color Purple : 小説と映画の比較
The Color Purple に見る映画の欠点―

   

    はじめに

    小説「The Color Purple」の中で語られていることは、読んで明らかなように、ジェンダー問題、人種問題、神に対する認識の3点が挙げられる。この作品の中では主人公Celieの経験、周りの環境や人間関係などを通して、それぞれの問題についての著者の考えが表れているものと思われる。
    では、映画「The Color Purple」はどうだろうか。私はこの映画作品については上記の3点どれに関しても、小説で示されている著者の考えを著しきれていないのではないだろうか。 映画「The Color Purple」には、小説「The Color Purple」における著者が託した重要なメッセージが汲み取られていないように感じる。 ここでは小説「The Color Purple」に示されている上記の3点に関する重要なメッセージを分析したうえで、映画「The Color Purple」の問題点を明らかにしたい。

    ジェンダー問題

    まず主人公のCelieは黒人の女であり、彼女の生きている時代は女を軽視する風潮が根強くある。彼女自身、父(結局本当の父ではないが)からの暴力、性的虐待を受けて育ち、望まぬ結婚を強いられ、その夫からも支配され、暴力も受けている。Celieだけでなくほかに登場する女たちも差別的に扱われている描写は多々ある。それだけこの当時の黒人の女たちは社会的に弱い立場にあるといえる。  しかし、Celieのこの状況は彼女の経験や周りの環境によって変化していく。

You a lowdown dog is what’s wrong, I say. It’s time to leave you and enter into the Creation. And your dead body just the welcome mat I need. Say what? He ast. Shock. All round the table folkses mouths be dropping open. You took my sister Nettie away from me, I say. And she was the only person love me in the world. (pp. 199-200)
 上記の場面はCelieがShugと一緒にMr.__の下を去ることを伝えた後の場面である。この場面において、今までMr.__の言いなりになってきたCelieがついに彼に強く反抗する。ここで男の支配に対し反旗を翻すという強さを身に付けた女の姿を表現している。
After all the evil he done I know you wonder why I don’t hate him. I don’t hate him for two reasons. One, he love Shug. And two, Shug use to love him. Plus, look like he trying to make something out of himself. I don’t mean just that he work and he clean up after himself and he appreciate some of the things God was playful enough to make. I mean when you talk to him now he really listen, and one time, out of nowhere in the conversation us was having, he said Celie, I’m satisfied this the first time I ever lived on Earth as a natural man. It feel like a new experience. (p. 260)
  この場面ではShugを思う二人の共通点からCelieがMr.__に対する気持ちの変化が現れている。さらに“Now us sit sewing and talking and smoking our pipes.”(p. 272)や“Took me long enough to notice you such good company, he say. And he laugh.”(p. 276)などの分からも読み取れるように、CelieのMr.__に対する態度、またその逆に、Mr.__のCelieに対する態度も大きく変わってきている。以前はMr.__が力で押さえつけていただけの関係が一緒に縫い物をするなど、女がするものとされてきたことを男がする様子や、笑って話しているところを見ると、この二人の関係はどちらが上でも下でもなく対等な関係になったと言えるだろう。また最後にCelieがMr.__をAlbertと呼んでいることもそれを表している。
    これらのことから考えると、この作品で語られているジェンダー問題に対する主張は、女が強くなり男の支配を克服すること。しかし、女を優位に置けばいいというわけではなく、女と男が対等な立場を築き上げることを理想としているのだと思う。

    人種問題

     この作品の中で語られている人種問題は黒人差別についてである。主人公やその周りに登場する主な人物たちも大体が黒人であり、Celieが語り手となっているこの作品は黒人側から見た世界である。その差別を受けてきた黒人側からみた白人たちはどう映っているのだろうか。 白人の明らかな差別用語や見下した態度というがあるのはもちろんのことだが、そのほかにMiss Millieの例をとってみる。黒人差別色の強い社会のなかで彼女は黒人を気に入っている。しかし、Sofiaの子供にメイドにならないかと言ったり、市長への暴力行為で牢獄を経た後に市長のメイドとなったSofiaを振り回している。 そして、市長の娘Eleanor JaneもまたSofiaを慕いながらも彼女を振り回す白人の一人である。 これらの場面から受けるイメージは黒人を気にかけているようでそれを押し付けているだけの、勝手な思い込みであり、白人を身勝手な存在で黒人を煩わす存在のように書かれている。
     また、Nettieのアフリカでの経験では、オリンカが白人たちの道路工事による被害を受けている。これもまた白人が自分たちの利益のために行っている身勝手なものである。  では、この作品の人種問題に関する考えはどのようなものか。次の文の中にまとめられているのではないかと思う。

That’s what these Olinka peoples say. But they say just like they know history before the white children start to come, they know the future after the biggest of ’em leave. They say they know these particular children and they gon kill each other off, they still so mad bout being unwanted. Gon kill off a lot of other folk too who got some color. In fact, they gon kill off so much of the earth and the colored that everybody gon hate them just like they hate us today. Then they will become the new serpent. And wherever a white person is found he’ll be crush by somebody not white, just like they do us today. And some of the Olinka peoples believe life will just go on and on like this forever. And every million years or so something will happen to the earth and folks will change the way they look. Folks might start growing two heads one of these days, for all we know, and then the folks with one head will send ‘em all someplace else. But some of ‘em don’t think like this. They think, after the biggest of the white folks no longer on the earth, the only way to stop making somebody else as a child of God, or one mother’s children, no matter what they look like or how they act. (p. 275)
 このオリンカの人々の話が本当のことかどうか別として、これは人種問題に対する著者の考えの表れではないだろうか。追い出された白人が黒人を憎み、復讐し、それをまた黒人が憎む。今のままではこれを繰り返していくだけで、すべての人が見た目、行動を気にするのではなく、同じ人間であることを受け入れることでしか今の人種問題を解決する方法はないというメッセージなのではないかと思う。

    神に対する認識

    “He big and old and tall and graybearded and white. He wear white robes and go barefooted.”(p. 194) これはCelieが思う神の姿である。私も特に違和感を感じるイメージではない。

Here’s the thing, say shug. The thing I believe. God is inside you and inside everybody else. You come into the world with God. But only them that search for it inside find it. And sometimes it just manifest itself even if you not looking, or don’t know what you looking for. Trouble do it for most folks, I think. Sorrow, lord. Feeling like shit. It? I ast. Yeah, It. God ain’t a he or a she, but a it. But what do it look like? I ast. Don’t look like nothing, she say. It ain’t a picture show. It ain’t something you can look at apart from anything else, including yourself. I believe God is everything, say Shug. Everything that is or ever was or ever will be. And when you can feel that, and be happy to feel that, you’ve found it. (p.195)
 Celieの神のイメージに対してこちらはShugによる神の解釈である。
God is different to us now, after all these years in Africa. More spirit than ever before, and more internal. Most people think he has to look like something or someone―a roofleaf or Christ―but we don’t. and not being tied to what God looks like, frees us. (p. 257)
 そして上記の文はNettieによるものである。Shug、Nettieともに同じようなことを言っている。二人がこのようにCelieに向けて伝えていることから、著者はCelieをそのような考え方に導こうとしている。つまりはこのShugとNettieの神の解釈がこの作品に込められた神に対する認識に関するメッセージだろう。

    映画「The Color Purple

     果たして上記の3点が映画にはしっかりと反映されているだろうか。まずジェンダー問題に関して、CelieとMr.__の気持ちの変化というのはこの作品が示す男女のあり方を表現するのに必要不可欠な場面である。その場面は映画の中にはない。  次に人種問題に関して、これもまたCelieとMr.__の会話部分がないために必要と思われる場面がない。  そして神に対する認識に関して、これはまずNettieの神の解釈の変化を表す部分がないのも問題であり、その前にNettieたちのアフリカでの生活の描写が極端に少ない。またShugとCelieの神についての会話部分も無くなっている。  
 以上のことから映画「The Color Purple」は著者の伝えんとしているジェンダー問題、人種問題、神に対する認識という問題を表現できていないことは明らかである。  

    私がこの映画を見て感じたことは辛い状況を強く生きること、その過程での出会い、妹との再会など見るものを感動させる作品としては、人にもよるかもしれないがその役割はある程度果たしているものと思える。しかし、感動や映画としてのエンターテイメント性に偏りすぎて小説が示す問題への触れ方が中途半端になってしまっている。まず小説を読んだうえで映画を見ただけに、私個人の映画の感想としても満足とまでいえる映画としては見れないと感じた。


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