Seminar Paper 2007
Marina Takase
First Created on January 29, 2008
Last revised on January 29, 2008
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The Color Purple における神の意義
〜Celieの成長と神の存在〜
“You better not never tell nobody but God. It’ kill your mammy.” “Dear God, I am fourteen years old. I have always been a good girl.”(p.1)こうしてCelieの神に手紙を書く日々が始まる。『The Color Purple』は、人種差別や男女差別といった人生の苦難を乗り越え、主人公であるCelie が人間として、また一人の女性として、立派に自立していく姿を描いた作品である。そして『The Color Purple』の一番の特徴は、やはり物語の構成が神に宛てたCelieの手紙からなっている事だろう。 “I sure hate to leave you here with these rotten children, she say. Not to mention with Mr._____. It's like seeing you buried, she say. It's worse than that, I think. If I was buried, I wouldn't have to work. But I just say, Never mine, never mine, long as I can spell G-o-d I got somebody along.”(p.17)妹のNettieとの別れの場面でCelieがこのように述べている通り、Celieにとって神はどのような事でも話せる唯一の話し相手であり、そんな相手に宛てた手紙から私たちに伝わってくるCelieの心情は、本音だという事だ。つまり、この作品にとって神は『読者に主人公の本音を伝える』という大きな役割を果たしていると言える。 では、物語の登場人物にとっての神とは一体どのような存在なのだろうか。この作品では、人々が困難な場面に直面した時に『神』という存在を求める姿が描かれている。 そこで今回は、Celieを中心とした登場人物たちの『神に対する認識』を通して、彼らにとっての神の存在について考えてみようと思う。 始めに、Celieと離ればなれになり、宣教師の一家とアフリカに向かったNettieが出会ったオリンカの村人たちについてみてみようと思う。 “On the day when all the huts had roofs again from the roofleaf, the villagers celebrated by singing and dancing and telling the story of the roofleaf. The roofleaf became the thing they worship.”(p.154) “We know a roofleaf is not Jesus Christ, but in its own humble way, is it not Got?”(p.154)まず、どうしてここにあるように、オリンカの人々が葉っぱを神のように崇めるようになったのか考えてみたい。 オリンカは村人たちにとっても住み心地のよい村であった。豊かに実るカッサバを植え、さつまいも、絹、きびも植えた。そしてある時一人の男がもっと沢山の作物を作ろうとして、港にいる白人と自分の余り分を交換し始める。さらに欲が出てくると、今まで屋根用の葉っぱが映えていた土地も作物用の土地に耕し初めてしまう。そして、雨季になり大嵐がきて、村中の屋根を壊してしまう。そこで始めて村の人たちはどこをさがしても屋根用の葉っぱがもうない事に気付く。それによって6ヶ月の嵐にあい、半分もの村人たちが死んでしまうのだ。そこで人々は『神』に祈りを捧げ、早く雨季が終わるようにとただひたすら待った。ここで『神』が登場するのだ。雨が上がると、昔屋根の葉っぱが生えていた所へ行ってみるが、かつて見渡す限り葉っぱが生えていた所には数十個の株しかなかった。それから、その株を成長させるのに5年がかかり、その間にも多くの村人が死んでしまった。そして屋根が再び葉っぱで覆われると幸せが訪れたのだ。 このようにして、自分たちの利益の為に売りさばいてしまった葉っぱがないために、人々の死に直面して、自分たちの過ちに気付き、『神』に祈りを捧げるようになった。そしてその過ちを気付かせてくれた屋根の葉っぱは、その村中で『神』のような存在になった。 この事からわかるように、自分たちの利益だけを考えていた人々が人の死に直面する事によって神の存在に頼るようになり、過ちを後悔しながらも、屋根の葉っぱを崇め奉る事によって、また同じ事を繰り返さないように成長していったのではないだろうか。 次にこの文章を見ていただきたい。 “I think bout angels, God coming down by chariot, swinging down real low and carrying ole Sofia home. I see'em all as clear as day. Angels all in white, white hair and white eyes, look like albinos. God all white too, looking like some stout white man work at the bank. Angels strike they cymbals, one of them blow his horn, God blow out a big breath of fire and suddenly Sofia free.”(p.91)これは、白人の市長に対する暴力行為によって刑務所に入っているソフィアをどのようにして助けるかを思案している場面である。ここでCelieは、自分たちの無力さと向き合い、神の存在を意識している。絶対に不可能だという絶望的な状況において、Celieは神を頼ったのだ。これは日本でいう『神頼み』と言えるだろう。しかし、ここで神を頼る事で精神的な安定を得たのだろう。ここでは絶望的な状況において、神をイメージする事で人々が困難を乗り越える事ができる事を表現しているのではないだろうか。 次に、紹介する場面はMr.______にNettieの手紙を隠されていた事を知った時のCelieとShugの会話である。 “Hard to be Christ too, say Shug. But he manage. Remember that. Thou Shalt Not Kill, He said. And probably wanted to add on to that, Starting with me. He knowed the foolshe was dealing with.” “But Mr._____ not Christ. I’m not Christ, I say.”(p.144)そして、もう一つこれと似た場面がある。それは自分の実の父親がリンチされ、殺されたという事を知った場面である。 “He gave you life, good health and a good woman that love you to death.” “Yeah, I say, and he give me a lynched daddy, a crazy mama, a lowdown dog of a step pa and a sister I probably won’t ever see again. Anyhow, I say, the God I been praying and writing to is a man. And act just like all the other mens I know.”(p.192) “Let im hear me, I say. If he ever listened to poor colored women the world would be a different place, I can tell you.”(p.192) この二つの場面では共通して、CelieがShugがなだめる事も聞かずに、神を批判している。ここでのCelieは自分の人生に起こった辛い事は、神によって作られ、与えられたものだと思い、神を憎んでいるのだ。 最後に挙げた文でCelieは『可哀想な黒人女性には耳を傾けない』と神を表現している。 ここでCelieに見える神の姿(“He big and old and and tall and graybearded and white. He wear white robes and go barefooted.”(p.194))が重要になってくるのではないだろうか。この時、Celieは自分自身の神への信仰においても、人種差別や男女差別の問題に直面してしまうのだ。 “Ain’t no way to read the bible and not think God white, she say. Then she sigh. When I found out I thought God was white, and a man, I lost interest. You mad cause he don’t seem to listen to your prayers. Humph! Do the mayor listen to anything colored say?”(p.195)Shugもまた、こう語っている。そして、ShugはCelieに次のように言っている。 “She say, Celie, tell the truth, have you ever found God in Church? I never did. I just found a bunch of folks hoping for him to show. Any God I ever felt in church I brought in with me. And I think all the other folks did too. They come to church to share God, not find God.”(p.193) “ The thing I believe. God is inside you and inside everybody else. You come into the world with God. But only them that search for it inside find it.”(p.195) “Don’t look like nothing, she say. It ain’t a picture show. It ain’t something you can look at apart from anything else, including yourself. I believe God is everything, say Shug. Everything that is or ever was or ever will be.”(p.195)ShugとCelieの性格の違いが神への考え方にも違いをもたらしているのか、それとも神への考え方の違いから性格が違うのか。とにかく、Shugらしい考え方ではないだろうか。また、(“praise God by liking what you like.”(p.196))というのも自由人であるShugらしい考え方と言える。そして、この考え方はCelieにも自由を与える事になるのだろう。 “Dear God. Dear stars, dear trees, dear sky, dear peoples. Dear Everything. Dear God.”(p.285) Celieは、妹Nettieとの再開を果たし、最後に神に宛てて手紙でこのように綴っている。ただし、ここで注目していただきたいのは、ここでCelieが思い描いた神と、Celieが始めて手紙を書いた時に思い描いていた神には大きな違いがあるという事だ。始めて彼女が手紙を宛てた神は、白い人人たちの書いた聖書の中にいる、白い人たちによって創造された神だったのだ。この神は、Celieにとって良き話し相手ではあったが、彼女の気付かないうちに人種差別、男女差別の苦しみを彼女に課せていたのだ。 しかし、最後の手紙は星、木、空、人々、全てのもの、そして神に宛てたものになっている。これはCelieの成長の証と言えるだろう。Shugの『神は全てのものの中にいる』という考えによって、白い男の神から解放され、自由になったのだ。 Celieは辛い事を経験していく上で、神を求め、時には安定剤となり、時には生きる糧となり、過ちも気付かせてくれる神と向き合った。そして神を批判もしたが、『神はもともと誰かが創造したものではなく、自分自身の中にいる』と考えるようになる。つまり、彼女を今まで育ててきたのはCelie自身だとも言えるのではないかと思う。彼女がこの様な考えに至ったかはわからないが、この事で彼女の中に自立心が芽生えたのは確かだろう。 この作品は始めにも述べた通り、主人公であるCelieの日記のような構成になっている。その為、読者はこの物語を読み進める事で、彼女の人生を彼女のすぐ間近で見ているように感じる事ができるのだ。その為、この作品の前半のCelieと比べて、別人のように成長したCelieに気付く事ができるだろう。 人種差別、男女差別といった困難を乗り越えるために、彼女は神と向き合い、自分と向き合う事で成長を遂げたのだろう。この作品において神の存在は『読者に主人公の本音を伝える存在』であり、読者が、より主人公の成長を楽しめるような働きをしていたのだ。 |
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