Seminar Paper 2008
Nenoi, Ryoji
First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008
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ホールデンと赤いハンチング帽
〜大人になるということ〜
・ホールデンの特徴や赤いハンチング帽を通して、The Catcher in the Ryeを考察し、phonyな大人の世界に仲間入りすることは、必ずしも悪いことではないと考えてみます。 まずホールデンの頭には特徴がある。 それは頭の半分が白髪で、もう半分が黒髪であるという事だ。“The one side of my head― the right side―is full of millions of gray hairs.” (p. 9) これはホールデンの状態を表していると思う。つまり、白髪=白=innocent=子供の世界と黒髪=黒=guilty, dark=大人の世界との間で生きているホールデンの葛藤の表れだと思う。 また頭の半分が白髪になる病気は現実に存在し、これは精神的に辛い時になるらしい。 小説を通じてホールデンは孤独な人だと思う。 学校を飛び出し、町へ繰り出したものの行き場がなく、何回も友を求め、電話を試みようとした。もう死んでいるアリーとの会話で癒されている。 またホールデンはインチキな人を拒み、純真無垢な人を求めているので、友の的も小さい。 またホールデンは子供と大人という2つの世界観の中で生きていて、自分がキャッチャーになることを望みながらも、自分自身を大人の世界から助けてくれるキャッチャーを求めていた。しかし、両親やハリウッドに身を売った兄や教師などはホールデンが求めているキャッチャーにはなりえなかった。 そういった救いがなかったのも孤独になった原因だと思う。 そして、phonyな人を狩るときや子供達のキャッチャーとしているときはそれを隠したかったのではないのだろうか。 しかし、なぜ赤色なのだろうか。 そもそも欧米では、ハリウッドの女優たちがたくさん金髪に染めるように、一般的に金髪が好まれる。 黒髪や赤毛はあまり良いイメージが持たれていないようだ。 頭の色を変えるのなら、もっと他にあったはずなのにもかかわらず、ハンチング帽が赤色なのは、ホールデンにとって赤色は特別で、大切な色だからである。 それはinnocentな子供の世界の代表とも言うべき、アリーが赤毛であるということである。 アリーの赤毛についてこう語っている。 I remember once, the summer I was around twelve, teeing off and all, and having a hunch that if I turned around all of sudden, I’d see Allie. So I did, and sure enough, he was sitting on his bike outside the fence―there was this fence that went all around the course―and he was sitting there, about a hundred and fifty yards behind me, watching me tee off. That’s the kind of red hair he had. (p. 38) つまりホールデンにとって頭を赤くするという行為は、ホールデンが崇拝している永遠にinnocenceであるアリーと同化する様な行為だと思う。 またホールデンとアクリーとの会話にこの赤いハンチング帽についての言及がある。 “Up home we wear a hat like that to shoot deer in, for Chrissake,” he said. “That's a deer shooting hat.” このようにホールデンはこの帽子を人撃ち帽としている。 自分の中のinnocenceな部分や子供の世界を守るため、世の中にたくさんいるphonyな人を撃つためである。 そして、これまでに撃ってきたphonyな人たちの返り血としても赤色はぴったしだと思う。あまりにも世の中にはphonyな人が多いので、多くのphonyな人を撃った証にも見える。 また、ホールデンのこの帽子のかぶり方やかぶる時も印象的である。 After he left, I put on my pajamas and bathrobe and my old hunting hut, and started writing the composition. (p. 37) このようにホールデンはこの赤いハンチング帽を自分一人の世界に入り落ち着いたり、何かに集中するためなどにかぶる。 I took off my coat and my tie and unbuttoned my shirt collar, and then I put on this hat that I'd bought in New York that morning. It was this red hunting hat, with one of those very, very long peaks. I saw it in the window of this sports store when we got out of the subway, just after I noticed I'd lost all the goddam foils. It only cost me a buck. The way I wore it, I swung the old peak way around to the back―very corny, I'll admit, but I liked it that way. I looked good in it that way.” (p. 17~18) そして、上記のように帽子の鍔を後ろにするかぶり方が好きなのである。 これは野球でいうキャッチャーのかぶり方であり、ホールデンの大きな心の現れだと思う。フィービーにしたいことを聞かれ、次のように答えている。 “Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around―nobody big, I mean―except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff―I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. I know it's crazy.” (p. 173) 上記のように、ホールデンはライ麦畑という純真な子供の世界にいる子供たちを欺瞞に満ちた危険な大人の世界という崖下への落下を防ぐキャッチャーになることを理想にしている。 このようにホールデンは赤いハンチング帽を通して、innocentな子どもを守ろうとしている。 しかし、本当にそんなことが可能なのだろうか? Innocentである、ということはそれぞれの価値観だと思うし、ホールデンがinnocentであると信じているフィービーでさえ壊れたレコードを大切に持っていたり、本音と建前をうまく使い分けていると思う。 大人になるということは、本当にphonyで嫌なことなのだろうか。 次第にホールデンも常に子供たちを守るキャッチャーであることの非現実性や無意味性を感じてくる。 ホールデンは25章で学校を見て回るのだが、そこで“Fuck you”と落書きされた壁を見つける。この落書きを見て、フィービーや子供たちが衝撃を受け、innocentな子どもたちが危険な大人の世界に入る気がして、彼はキャッチャーとしてこの落書きを消すのである。 しかし、消しても消しても落書きは出てくるのである。 I went down by a different staircase, and I saw another “Fuck you” on the wall. I tried to rub it off with my hand again, but this one was scratched on, with a knife or something. It wouldn’t come off. It’s hopeless, anyway. If you had a million years to do it in, you couldn’t rub out even half the “Fuck you” signs in the world. It’s impossible. (p. 202) この落書きもホールデンは消そうとするのだが、ナイフか何かで彫ってあるため消すことができない。 そして、ホールデンはこの世界に満ちている崖からすべての子供たちを守ることは出来ないと感じたのである。Impossibleだと。 そしてまた、ホールデンはphony狩りと子供の世界でのキャッチャーとして、またアリーを通してのホールデンの純真さの象徴である赤いハンチング帽をフィービーにあげてしまうのだ。自分のキャッチャーとしての限界を感じて、フィービーに託したともいえる。 そして、このハンチング帽はフィービーをキャッチャーとして再び登場する。 ホールデンはヒッチハイクで西部へ行き、現実から逃避しようとしていた。 そこでフィービーと博物館の前で待ち合わせるのだが、フィービーのかっこうはホールデンそのものだった。 Finally, I saw her. I saw her through the glass part of the door. The reason I saw her, she had my crazy hat on―you could see that hat about ten miles away.” (p. 205) そして、フィービーはホールデンが昔使っていたバックに自分の荷物を入れ、それを引きずり、ホールデンの前へやってきて、ホールデンと一緒に西部へ行くと言い出した。 “I took them down the back elevator so Charlene wouldn’t see me. It isn’t heavy. All I have in it is two dresses and my moccasins and my underwear and socks and some other things. Feel it. It isn’t heavy. Feel it once…Can’t I go with you? Holden? Can’t I? Please.” (p. 206) このハンチング帽が象徴する、キャッチャーの役はしっかりとフィービーに受け継がれていたのだ。 例え、フィービーにキャッチャーになる気がなく、ただ本当にホールデンと西部へ行きたかったとしても、この行為はホールデンが西部行きを諦めるには十分であった。 この時、ホールデンはinnocentな子供を守るには、崖から落ちる前にキャッチするだけではなく、色々と方法があることを知ったと思う。 ホールデンの夢であった、ライ麦畑でキャッチャーになることがたとえ不可能だとしても、innocentな子供にはキャッチャー以外の役割があることを知ったのだろう。 それは、その後フィービーと動物園へ行ったシーンで顕著になる。 Then the carrousel started, and I watched her go around and around. There were only about five or six other kids on the ride, and the song the carrousel was playing was “Smoke Gets in Your Eyes.” It was playing it very jazzy and funny. All the kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old Phoebe, and I was sort of afraid she’d fall off the goddam horse, but I didn’t say anything or do anything. The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it’s bad if you say anything to them.” (p. 211) ホールデンは子供たちがfallしそうになっているのに、見守っているのだ。 ホールデンの理想であったライ麦畑では、彼は子供たちが崖からfallしそうになったら、有無を言わさずキャッチしていたのに、ここでは何も言わずウォッチャーになることを選んだのだった。 何事も失敗しながら経験をしていく。経験という大事なことをホールデンは知ったのだろう。 そして、フィービーが二回目の回転木馬に乗っているのを大雨に打たれながら見守り、こう感じるのである。 Boy, it began to rain like a bastard. In buckets, I swear to God. All the parents and mothers and everybody went over and stood right under the roof of the carrousel, so they wouldn’t get soaked to the skin or anything, but I stuck around on the bench for quite a while. I got pretty soaking wet, especially my neck and my pants. My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way, but I got soaked anyway. I didn’t care, though. I felt so damn happy all of a sudden, the way old Phoebe kept going around and around. I was damn near bawling, I felt so damn happy, if you want to know the truth. I don’t know why. It was just that she looked so damn nice, the way she kept going around and around, in her blue coat and all. God, I wish you could’ve been there.” (p. 212~213) このようにホールデンはフィービーを見守り続け、突然幸せな気持ちになったのだ。 ホールデンは子供と大人の2つの世界観で生き続け、最終的に子供を見守るという大人になったのだと思います。 そして、こんな大人の世界は悪くないものだと思います。 |
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