Seminar Paper 2008
Tomino, Hikari
First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008
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The Catcher in the Rye における“fall”の概念
〜“fall” in love-自分ではどうにもできないこと-〜
現代の社会は、小学生でも携帯電話を持ち、中学生でも化粧をする子がいて、社会に出て働いていた人が突然犯罪者になる。毎日のように無差別殺人事件のニュースが流れ、その出来事が連鎖し、インターネット上で殺人予告がされ、またニュースになる。何かがおかしいと思わないだろうか。The Catcher in the Ryeは、ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンや、レーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーが読んでいた本として有名であるが、この作品を読んで彼らは何を感じたのだろうか。 この作品の大きなテーマは、“子供から大人になる過程で経験すること”であると考える。しかし、この作品は主人公Holdenのわずか3日間の出来事を、Holdenの主観で描かれたものであり、捉え方は読者によって様々であろう。 そして、この作品の中でパターンとなっているのが、“fall”である。Holdenは、学校も人も世の中も否定的に捉え、純粋で無邪気な子供ではいられないことに気付き、そんな自分と葛藤する。よく転びそうになったり、自分が消えてしまうのではないかと考えたりする“fall”というのは、綺麗に言えば、「自分と向き合うための間」であると考えた。 ●Holdenにとっての家族 まず、お金のために自分の才能を犠牲にしている兄と、弁護士をしている父親。2人はHoldenにとってphonyであり、お金で価値を図るような社会を有り有りと感じさせる存在であると考える。兄はお金のために脚本家になり、お金に目がくらんでハリウッドに行ったと考えている。父親がしている弁護士という職業は、人を救う仕事であるが、Holdenは人を救うために頑張ることが、本当にその人を救いたかったからなのか、自分が有能であることを示したかったからなのか分からないから弁護士にはなりたくないと述べている。身近な人が自分の嫌う社会に汚染されていると考え、自分の将来に不安を感じているHoldenが、2人と同じようにphonyになるのではないかとますます不安に感じ、大人になることを嫌がる原因の1つになっているであろう。大人phonyになることは、堕落(=fall)であると考える。 また、妹Phoebeと弟Allieはinnocentな存在である。Allieは幼くして白血病で死んでしまったため、永遠に子供=innocentの象徴であると考える。 Anyway, I kept walking and walking up Fifth Avenue, without any tie on or anything. Then all of a sudden, something very spooky started happening. Every time I came to the end of a block and stepped off the goddam curb, I had this feeling that I’d never get to the other side of the street. I thought I’d just go down, down, down, and nobody’d ever see me again. Boy, did it scare me....Every time I’d get to the end of a block I’d make believe I was talking to him, “Allie, don’t let me disappear....Please, Allie.” (p. 197-198) この場面は、Holdenが通りを渡ろうとする度に、通りを向こう側まで渡りきることができないのではないか、落ちて落ちて誰にも見えなくなってしまうのではないかという恐怖を感じている所である。この時の‘down’の恐怖は、‘fall’と同じでHoldenが大人の世界=phonyな世界に踏み込みたくないと考えていることからである。そんな時、死んでしまっているAllieに対して「消さないでくれ」と話しかけたのは、現実逃避と、Allieがいるinnocentな世界に居たいという願いからである。そして、妹のPhoebeは頑固でダンスが上手でスペリングが得意な女の子であり、HoldenはPhoebeのことが大好きである。‘Phoebe’という名前は、「ギリシア神話でポイベ(後に月・狩猟を司る神としてアルテミス(ダイアナ)と同一視された)」を示す。Holdenは、持っていた帽子を‘hunting hut’人撃ち帽子と言い、phonyな人たちを撃ってinnocentな世界を守りたいと考えているため、そのことから、PhoebeはHoldenにとって単なる妹というだけでなく、守護神という意味が込められていると考える。HoldenがPhoebeに会いたくなったり、話をすることが好きだったりするのは、innocentを感じることができるということと、自分がまだinnocentであるか確認したかったからであろう。 ●“fall” Holdenは、出先で多くの人と出会ったり、友人に連絡を取ったりする。これは、人恋しさと、今自分が置かれている状態について何らかのアドバイスが欲しかったからである。その中で、Holdenの悩みを唯一理解してくれたのが、Mr. Antoliniであると考える。Holdenは学校に対してphonyな考えを持っているが、彼のことは“the best teacher”と述べ、Holdenにとって特別な存在なのである。 He started concentrating again. Then he said, “This fall I think you’re riding for--it’s a special kind of fall, a horrible kind. The man falling isn’t permitted to feel or hear himself hit bottom. He just keeps falling and falling. The whole arrangement’s designed for men who, at some time or other in their lives, were looking for something their own environment couldn’t supply them with. Or they thought their own environment couldn’t supply them with. So they gave up looking. They gave it up before they ever really even got started. You follow me?” (p. 187) 上記2つの引用の言葉はとても印象的である。Holden自身も分からない自分の状態に対して、Mr. Antoliniはアドバイスを与え、Holdenのように悩んだ人は他にもいると述べた。Mr. Antoliniが同性愛者であるかははっきりしていないが、同性愛者であるからこそ、アドバイスを与えることができたのかもしれない。同性愛者というのは、世間の批判対象にもなりやすく、世の中に対して敏感で、自分の本質を隠して生きている場合も多い。 Elkton HillsにいたJames Castleという生徒も、Holdenに影響を与えた人物であると考える。James Castleは、自分の発言撤回を拒み、最終的に窓から飛び降りることを選び死んでしまった。この時彼がHoldenのタートルネックを着ていたこと、飛び降りたJames Castleに真っ先に駆け寄ったのがMr. Antoliniだったこと、“fall”した結果死んでしまったこと。Holdenと同じように悩み、“fall”した結果が“死”であると考えることができ、その時Holdenのタートルネックを着ていたことから、James Castleが自分の分身であるように感じていると考える。 作品の中でミイラの話が出てくる場面があり、ミイラは薬品によって腐敗を防いでいるのであるが、その方法は現代科学でもまだ解き明かされていない謎であると述べている。Holdenがミイラに興味を持っているのは、Holdenがずっとinnocentであり続けたいと考えいるからであり、ミイラのようにして自分もinnocentな状態を保ちたいのであろう。 作品後半部で、ミイラの展示室を出てきた時、Holdenは気を失い床にぶつかる。そう、ぶつかったのである。“fall”し続けていたHoldenが変化したと考えることができる。 When I was coming out of the can, right before I got to the door, I sort of passed out. I was lucky, though. I mean I could’ve killed myself when I hit the floor, but all I did was sort of land on my side. It was funny thing, though. I felt better after I passed out. I really did. My arm sort of hurt, from where I fell, but I didn’t feel dizzy any more. (p. 204) ●最後に… Holdenは、療養のために入院した先でこの出来事を書いている。つまり、結果としては、Holdenは本当に悩みから開放され、大人への一歩を踏み出したとは考え辛いのである。大人になったから、この出来事を懐かしく思い出すことができ、書き記すことができたとも考えられるが、Holdenは今後についてどうなるか分からないと述べている。 “fall”というのは、Holdenにとって恐怖であり、堕落であり、phonyへの入り口であると考える。Holdenが“fall”転びそうになることにすごく敏感で、消えてしまいそうだと感じていたのは、自分がphonyへ近づいていると感じさせる間だと考えたからだろう。 Holdenはphonyを嫌い、innocentでいたいと考えていたが、作品の中で多くの嘘をつき、未成年で煙草やお酒を口にしており、Holdenはphonyであると感じる。また、作品を読んでいて、Holdenは綺麗事を並べて、自分がしたくないこと、嫌いなことから逃げたかっただけであり、単なるわがままではないかとも考えてしまう。しかし、子供から大人へ成長する過程で、悩む人も多い(Holdenは異常だと思いますが…)。“fall”してしまったら、自分では止めることはできないし、進路を変更することもできない、自分が望む着地点に降りるとも限らない。 |
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