Seminar Paper 2008

Watanabe, Mari

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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ホールデンと子供たち
現実を受け入れ理想を持って生きる

    The Catcher in the Rye は、主人公のホールデンが子供の世界から大人の世界へと進まなければならない状況に置かれ葛藤し、成長していく物語である。ホールデンはphonyな世の中を通しイノセントを失い精神が汚れていくことを恐れ、大人になりたくないと感じている。ホールデンが大人になる上で、子供の存在は重要なものである。ホールデンにとって子供とは憧れであると同時にホールデンを大人の世界へ導く存在でもあると言える。では、子供とはどのような役割を果たすのかを考えながら、大人になるということはどういうことなのかについて論じていきたい。

    まず最初に、ホールデンの置かれている状況について述べたい。

I was sixteen, and I’m seventeen now, and sometimes I act like I’m about thirteen. I’m six foot two and a half and I have gray hair. I really do. The one side of my head--the right side--is full of millions of gray hair. (p. 9)

これはホールデンの外見を描いているだけでなく、不安定なホールデンの心理を表している。13歳のような振る舞いをしたり、髪の毛の半分が白髪であったりと、半分は子供の世界にいて、もう半分は大人の世界に踏み込んでいる。彼の精神状態を象徴的に示している。大人と子供の両方を持ち合わせている。また、ホールデンを取り巻く環境は彼を苦しめる。サーマー校長の “Life is a game000.” (p. 8) という価値の測る尺度はお金である考え方や、アーニーのように見せびらかすような演奏、名声や評価を重視する世間、ホールデンはphonyな世の中にうんざりしていた。そしてphonyに潰れた拳や使えない大砲などを用いて、反抗しようとするが無力にすぎない。だからこそイノセントと失いたくないと強く感じ、大人になることに不安を抱き、イノセントなものに非常に惹かれるのである。

    次に子供のイノセンスに対するホールデンの思いについて考えてみたい。“Certain things they should stay the way they are. You ought to be able to stick them in one of those big glass cases and just leave them alone. I know that’s impossible, but it’s too bad anyway.” (p. 122) この場面は、ホールデンが幼少期に訪れた博物館について回想している。ここでは、ホールデンの願望が表現されている。このガラスケースで、人々は手出しできないので展示品はそのままの状態でいることができる。ホールデンがガラスケースに入れておきたいものとは、鹿とかインディアンではなく子供たちの持っているイノセンスである。ホールデンは、大切なイノセンスだからこそガラスケースにしまって永久に保存しておきたいのである。博物館は、物に触っていけない場所であり何も変わっていない。時が止まっているかのように、全てのものが静止した状態である。博物館に惹かれるのは、ホールデンが時間の流れの中で逆らい続けているからである。ホールデンにとって、博物館は究極の理想なのである。

The snow was very good for packing. I don’t throw it at anything, though. I started to throw it. At a car that was parked across the street. But I changed my mind. The car looked so nice and white. (p. 36)

    ホールデンは綺麗な雪景色を壊すことはできなかった。白くて美しいものは、大切に残しておきたいという思いが表現されている。以上のようにイノセントはそのままの状態で保存しておきたい切なる思いがある。

    そしてイノセンスの象徴として描かれているのは弟のアリーである。みんなから愛されていたアリーは、白血病で亡くなってしまう。汚れを知らずに亡くなったアリーは永遠に子供のままでいられる。それは、ホールデンにとって理想の存在であり、神聖なものとしてとらえている。“he had very red hair” (p. 38) とあるようにアリーは赤毛であったが、ホールデンもニューヨークで買った赤いハンティングハットをかぶる。そしてひさしを後ろにしてかぶることで、ミットを持つアリーに近づいて一体化しようとしている。 また、自殺したジェイムズ・キャッスルもホールデンにとって重要な存在だ。ジェイムズは脅迫され、人間の尊厳まで傷つけられる。社会的圧力の下に置かれているホールデンと似ている状況にある。“He had on this turtleneck sweater I’d lent him.” (p. 170) 自殺したとき、彼はホールデンのセーターを着ていたことは、ホールデンの分身であることを示している。死を通じ自分の信念を守ったジェイムズのように、自分も今の状況に別れを告げて、死にたいとまで考える。それだけホールデンは大人になることを恐れ、永遠にイノセントを保ちたいのである。そして、子供たちのイノセントを守りたいと思う気持ちがライ麦畑のキャッチャーになりたいと駆り立てる。

Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around--nobody big, I mean--except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff--I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. I know it's crazy. (p. 173)

    このシーンはこの物語の重要部であり、ホールデンの子供観が最もよく表れている。美しいイノセントな世界としてライ麦畑を想像し、子供が大人の世界に落ちそうになるのを救うキャッチャーになりたいと夢を語っている。ホールデンにとって子供とは、守ってあげたい存在なのである。しかし、これはphonyな世界に対する現実逃避である。このホールデンの夢はあくまでも非現実的な夢であることを突きつけられるのである。それを教えてくれたのも、子供たちであった。

I passed by this playground and stopped and watched a couple of very tiny kids on a seesaw. One of them was sort of fat, and I put my hand on the skinny’s end, to sort of even up the weight, but you could tell they didn't want me around, so I let them alone.(p. 122)

    ホールデンは体重の軽い子の方のシーソーを押してあげるが、子供は手出しをしてほしくないと思っている。ホールデンのキャッチャーとしての行動である。しかし子供たちはシーソーのバランスがとれなくても楽しんでいる。バランスがとれなかったら楽しめないというホールデンの考えが既に大人の考え方を持ち合わせていることになる。ホールデンが大人の世界へ入りかけていることが表れている。ここでホールデンはキャッチャーの限界を感じ始める。

    次にホールデンにとって重要な存在である妹フィービーについて論じたい。彼女は、イノセントの象徴でもあり、ホールデンの救済者である。“She put the suitcase down. ‘My clothes,’ she said. ‘I’m going with you. Can I? Okay?’” (p.206) この引用部はフィービーのホールデンに対する大きな愛情が表れている。今まで出会った人とは異なり自分の利害は関係なく、無償の愛を示している。退学となったホールデンと同じく自分も学校をやめて旅に出ることで、落ちていくホールデンに代わって自分が落ちていくとこで、捕まえることに成功したのである。そしてその思いをホールデンは理解すると同時に、自分と同じことをやろうとしているフィービーにショックを受け、西部行きを断念するのである。ホールデンの妄想を現実逃避であると気づかせてくれた。まさにフィービーがライ麦畑のキャッチャーとなりホールデンを捕まえてくれたのである。

    ホールデンは様々な子供たちに出会ってきたが、彼らは、ホールデンにとって理想であり、救済者でもあった。そして子供の世界と決別するため、現実を教えてくれる役割を果たしてくれた。そして最終的に、以下の文がホールデンの出した結論である。

All the kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old Phoebe, and I was sort of afraid she'd fall of the god dam horse, but I didn't say anything or do anything. The thing with kids is, they want to grab for the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it's bad if you say anything to them.(p. 211)

    これまでホールデンは子供のイノセンスを守りたいと思いライ麦畑のキャッチャーになりたいと思ってきた。ここでは、ライ麦畑のイメージが現実に起こっている。回転木馬は、同じところをぐるぐる回るイノセントの象徴である。しかし、子供がゴールドリングを捕まえようとして馬から落ちそうになっても助けてはいけないのである。すなわち子供が危険な状態にあっても手出しせず、見守らなくてはいけない。ここでホールデンはライ麦畑のキャッチャーの限界をはっきり自覚する。子供はいつまでも子供ではいられない。これまでホールデンはイノセントなものを守りたいという理想があった。しかしそれは実現不可能なものである。そのことをホールデンは感じ、彼は大人になることを受け入れたのである。

    大人になることその答えは次の1文に込められていると思う。“The mark of the immature man is that he wants to die nobly for a cause, while the mark of the mature man is that he wants to live humbly for one.’” (p. 188) これはアントリーニ先生から送られた言葉である。ありのままの現実を受け入れ、理想を捨てないで、堅実に生きて自分の理想を実現させようという思いが込められている。まさにホールデンもこの言葉通りに生きていく必要があり、そのことを受け止めたのではないだろうか。

    確かに世の中は、社会的弾圧、格差など多くのphonyが存在している。しかし、大人になるには現実を受け入れなくてはならない。このホールデンの葛藤は、大人になるための誰もが通らなければならない道である。ホールデンを通じ、大人になるということは現実と向き合い受け入れることであると考える。しかし、必ずしも大人になることがphonyになるということではないと思う。この作品には、自分の価値観を持って生きていってほしいという思いが込められている。


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