Seminar Paper 2008

Watanabe, Shizuka

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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The Catcher in the Rye における“fall”の概念
〜思春期の葛藤〜

    The Catcher in the Rye では、たびたび“fall”を使った表現が使われる。このfallをHoldenは純粋な子供からインチキな大人へと変わってしまうことを意味し、Mr. Antoliniは子供から大人になる過程で迷い込んだ底なしの穴を意味している。後者がこの作品におけるfallの本当の意味でありテーマであると考えられる。そしてHoldenは時々fall downしそうになったり、実際にしたりするが、これは彼の心や状況の変化をうまく表していると言える。

    作品の中でHoldenは常にインチキなものを嫌い、純粋なものを好んでいる。退学になったPencey Prepのことを“It was one of the worst schools I ever went to. It was full of phonies.”(p. 167)“Even the couple of nice teachers on the faculty, they are phonies, too.”(p. 168)とPhoebeに説明し、以前通っていたElkton Hillsのことを“One of the biggest reasons I left Elkton Hills was because I was surrounded by phonies.”と述べている。また、New Yorkで出会うほとんどすべての大人をphonyと呼び非難していることからもわかる。また、ゲームのように勝ち負けで決まったりお金や肩書で左右されたりする世の中を批判していることは以下の引用からわかる。

If you get on the side where all the hot-shots are, then it’s a game, all right−I’ll admit that. But if you get on the other side, where there aren’t any hot-shots, then what’s a game about it? Nothing. No game. (p. 8)

    このようにHoldenは人生がゲームではないと主張するのだ。一方で子供に対しては絶対的な共感を示している。妹のPhoebeをはじめ、D.Bの小説“The Secret Gold Fish”(p. 1)に出てくる子供、公園でスケートをしていた少女やシーソーで遊んでいた子供たち、鼻歌を歌いながら縁石の上を歩く少年、そして美術館で出会う兄弟、すべてをほほえましく見守り、時に手を差し伸べ助けている。また、AllieとPhoebeに対しては特に盲目的に褒めているHoldenだが、Phoebeに何か好きなものはあるかと尋ねられた時、“‘I like Allie, ’”(p. 171)と最初に弟の名前を言う。子供のまま死んでしまったAllieは作品の中で永遠の純粋さの象徴と言える存在であるため、HoldenはAllieが好きであり、子供が永遠に大人にならず純粋でいれば良いと思っているのだ。

    見逃せないことは、Holdenがthe catcher in the ryeになりたいことである。

“Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in the big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody’s around−nobody big, I mean−except me. And I’m standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff−I mean if they’re running and they don’t look where they’re going I have to come out from somewhere and catch them. That’s all I’d do all day. I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be. I know it’s crazy.”(p. 173)

    以上のように、Holdenは純粋な子供たちが崖からfallするのを防ぎたいのだが、彼が大人のインチキさを嫌い、子供の純粋さを守りたいと思っていることから、この崖の下にはインチキな大人の世界があると考えられる。Holdenは子供たちが大人の世界に入り込みインチキに染まってしまうのを防ぎたいのである。Allieのように一生子供のままでいてほしいのだ。つまり彼の考えるfallとはインチキな大人になることである。

    しかし一方でMr. Antoliniはfall について異なる見解を示している。“‘I have a feeling that you’re riding for some kind of a terrible, terrible fall.”(p. 186)とあるように、彼はHoldenが陥っている状況こそがfallだと話している。また、彼はfallの特徴について以下のように語る。

“This fall I think you’re riding for−it’s a special kind of fall, a horrible kind. The man falling isn’t permitted to feel or hear himself hit bottom. He just keeps falling and falling. The whole arrangement’s designed for men who, at some time or other in their lives, were looking for something their own environment couldn’t supply them with. Or they thought their own environment couldn’t supply them with. So they gave up looking. They gave it up before they ever really even got started.”(p. 187)

    また、Holdenに対し“you’ll find that you’re not the first person who was ever confused and frightened and even sickened by human behavior. ”(p. 189)と話している。以上の点から、Holdenがfallに陥った原因は人間の行動であり、それは彼が激しく嫌悪感を示す「インチキ」であると言える。これは人生をゲームと考え勝ち負けやお金で物事の良し悪しが決められることも含む。彼の周囲の環境、主に学校ではすべてがインチキで彼が大切にしたい純粋なものはなかったため、fallに陥ってしまったのである。Mr. Antoliniの話すfallの特徴で注目すべき点は、このfallには底がないということである。Holdenの持つfallのイメージは落ちた先が大人の世界だったが、Mr. Antoliniの持つfallのイメージは落ちた先には何もなく、人はただ落ち続けるのである。このことからHoldenとMr. Antoliniのfallに対する見解の相違がわかる。

    それではMr. Antoliniの考えるfallとは具体的にどういうものなのだろうか。まず、上記の引用にもあるように、これはHoldenだけが経験している特別なものではなく、周りの環境に不満を持つが解決しようとする前に諦めることによって陥る底なしの穴である。そして“‘you’re going to have to find out where you want to go. ”(p.188)“I think that once you have a fair idea where you want to go, your first move will be apply yourself in school.’”(p. 188)とMr. Antoliniがアドバイスをしていることから、Holdenが自分の目標を見つければ抜け出せる穴でもあり、Mr. Antoliniは目標を見つけるための方法として学校に行き知識をつけることを勧めている。以上のことから、この穴は思春期の少年たちが陥る不満や迷いからくる心の葛藤と言えるだろう。子供から大人になることをHoldenはfallと表現しているが、大人になる際にインチキな大人であれ目標ある大人であれ、着地できる者もいればできずに落ち続ける者もいる。Mr. Antoloniの言うfallとはHoldenが思い描くfallの先にあり、そこに彼ははまっているのだ。つまりHoldenが子供から大人になる過程で成長するこの作品で描かれているものこそがMr. Antoliniのいうfallではないだろうか。

    “fall”という表現はその他にもたびたび使用され、Holdenの心や状況の変化をうまく表している。まず、Pencey Prepを出ていくまでの間に彼は以下のように二度fall downしそうになる。“It was icy and I damn near fell down.”(p. 5)“It was pretty dark, and I stepped on somebody’s shoe on the floor and damn near fell on my head.”(p. 46)そして“Some stupid guy had thrown peanut shells all over the stairs, and I damn near broke my crazy neck.”(p. 52)と、学校を出ていく時についに本当にfall downしてしまう。彼は学校を出てからどんどんfallにはまっていき身も心も弱っていくが、この最初のfall downが彼のfallの始まりを合図していると考えられる。

    そしてNew Yorkへ行ったHoldenはMauriceに殴られて倒れるが、その後もたびたびfall downしそうな場面が続く。Sallyとスケート場へ行くが“we were the worst skaters on the whole goddam rink. I mean the worst. ”(p.129)とあり、実際に転んだという記述はないが、スケートが非常に下手であるならば転んだであろう。その後SallyとLuceから相手にされずに酔っ払って“staggering around like a moron”(p. 151)とふらふらになってfall downしそうだと捉えられる。また、Phoebeと会った後に自宅を抜け出す際、“I nearly broke my neck on about ten million garbage pails”(p. 180)とあり、つまずいて転びそうになったと書かれている。実際にfall downしそうだと記述があるのはCentral Parkのアヒルがどこにもいないと知ったときである。“I damn near fell in once, in fact−but I didn’t see a single duck….I nearly fell in. But I couldn’t find any. ”(p. 154)とあり、これはHoldenにとって大きなショックだった為だと考えられる。彼はたびたびCentral Parkのアヒルが冬に湖が凍るとどこへ行くのかについて思いをめぐらせ、タクシーの運転手に答えを求めている。彼は孤独で行き場のない自分の状況をアヒルと重ねており、アヒルの行方を尋ねることで自分の行き場を模索しているが、実際に自分の目で湖にアヒルがいないことを確認して大きなショックをうけたことがfall downしそうになったことで表わされているのだ。注目すべきは作品の前半より後半のほうがfall downしそうになる回数が増えることだ。Holdenは意気揚々と学校を抜け出し、色々な人々と出会い彼らのインチキに対抗しようと奮闘していくのだが、ことごとく敗北し、特に物語の後半で心身共に弱っていく様子が“fall down”の頻度に表れていると考えられる。加速を増してfallに落ちていく様子が効果的に表現されている。 Holdenが最後にfall downしたのは美術館のトイレである。

When I was coming out of the can, right before I got to the door, I sort of passed out. I was lucky, though. I mean I could’ve killed myself when I hit the floor, but all I did was sort of land on my side. It was funny thing, though. I felt better after I passed out.”(p. 204)

    彼はここで床に倒れるが、Mr. Antoliniの言うfallは底なしで“The man falling isn’t permitted to feel or hear himself hit bottom. He just keeps falling and falling.”(p. 187)とあるにもかかわらず、そのfallに落ちているHoldenがhit he floorしたということは、彼のfallがここで終ったことを表しているのではないだろうか。Mr. Antoliniという彼の理解者と話をしたことで彼の心の迷いや葛藤が和らいだと考えられる。その証拠に、倒れた後は気分が良いと述べられているのだ。

    最後にPhoebeがメリーゴーランドに乗って回っているのを見てHoldenは“If they fall off, they fall off, but it’s bad if you say anything to them. ”(p. 211)と思うことは、彼の心の変化をはっきりと表している。大人の世界へ落ちていく子供を助けることはしない、つまりthe catcher in the ryeになりたいという考えをここにきて捨てたということがわかる。

    このように“fall”とはこの作品のテーマそのものであり思春期の少年の持つ心の葛藤を表している。また、たびたびfallを使った表現がなされることでHoldenがどんどんfallにはまっていく様子や抜け出す様子が効果的に表わされているのである。“fall”はだれもが思春期に少しは経験したものであり、Holdenの言動に共感できる部分もある。それがこの作品が長く愛される秘密なのだろう。


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