Seminar Paper 2009

Madoka Saeki

First Created on January 29, 2010
Last revised on January 29, 2010

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The Great Gatsby とWomen
〜フィッツジェラルドのラブレター〜

   The Great Gatsbyはニックがギャツビーについて語っていく物語ですが、そこにはそれぞれ特有の特徴を持った女性たちが描かれています。彼女たちは自分のスタイルをそれぞれ持っているものの、そこにはフィッツジェラルドの妻であるゼルダ・フィッツジェラルドの存在・そして彼らの関係性がそれぞれに大きく影響していると考えました。特に、デイジーとジョーダンについて、それが色濃く感じられます。

   それを証明するにはまずこの二人のキャラクターを解明していかなければならないでしょう。まずはデイジーについて、考えていこうと思います。 デイジー、本名はDaisy Buchananですが、彼女はニックのまたいとこであり彼の旧友トムの妻であり、そして何よりギャツビーが愛し続けた女性です。“I told her how I had stopped off in Chicago for a day on my way East, and how a dozen people had sent their love through me. ”(p.16)でわかるように彼女は誰からも愛される人間です。

The other side girl, Daisy, made an attempt to rise--she learned slightly forward with a conscientious expression--then she laughed an absurd, charming little laugh, and I laughed too and came forward into the room.
“I’m p-paralyzed with happiness.”
She laughed again, as if she said something very witty, and held my hand for a moment, looking up into my face, promising that there was no one in the world she so much wanted to see. That was a way she had. She hinted in a murmur that the surname of the balancing girl was Baker. (I’ve heard it said that Daisy’s murmur was only to make people lean toward her; an irrelevant criticism that made it no less charming.)(p.15)
これはニックとデイジーが久しぶりに再会を果たした時のシーンですが、この部分からわかるように彼女の容姿はもちろん、その立ち居振る舞いも好感を持てるものです。また、どのような表情でどのような態度でいると相手が喜ぶのか彼女はわかって行動しているのではないかと考えました。

   そしてただ美しいだけではないことが、その後のやりとりでわかっていきます。

“Do they miss me?”
“The whole town is desolate. All the cars have the left rear wheel painted black as a mourning wreath, and there’s a persistent wail all night along the north shore.”
“How gorgeous! Let’s go back, Tom. To-morrow!”
Then she added irrelevantly: “You ought to see the baby.”(p.16)

“Why candles?” objected Daisy, frowning. She snapped them out with her fingers. “In two week it’ll be the longest day in the year.” She looked at us all radiantly. “Do you always watch for the longest day in the year and then miss it?”
“We ought to plan something,” yawned Miss Baker, sitting down at the table as if she were getting into bed.
“All right,” said Daisy. “What’ll we plan?” She turned to me helplessly: “What do people plan?”
Before I could answer her eyes fastened with an awed expression on her little finger.
“Look!” she complained; “I hurt it.”
We all looked--the knuckle was black and blue. (p.18)
このように、こちらのふたつの引用は彼女の話の脈絡のなさを物語っていると言えます。ひとつ目は突発的に明日帰ると言い出したかと思えば次の瞬間には子供についての話に変わっていて、ふたつ目の引用では「一年中で一日が一番長い日」についてまじめに語っていたのにも関わらず、突然小指の怪我について言及しているからです。気分屋という表現もできるのではないかと思います。

   これらを総合すると見た目は「花のような」と表現するのが適当であり可愛らしい女の子のような女性がデイジーです。そしてどこか憎めない性格が、現代風に言うと「小悪魔的要素」であると考えました。そして彼女の特徴と言えばもうひとつ、上流階級のお嬢様だということです。“The largest of the banners and the largest of the lawns belonged to Daisy Fay’s house. (p.81)”とジョーダンがニックに語っています。

   ここでゼルダとの共通点は、まず彼女が南部出身の「美女」として知れ渡っていたということ、そして彼女もまた裕福な家の令嬢だったということ。更にもうひとつ挙げるには、まずゼルダが10代の頃、フィッツジェラルドに宛てたラヴレターを参考にする必要があります。 私がひどいことを言うと、とても寂しそうな顔になる ― あなたのそこがたまらなくすきで ― つい、けんかをしかけたくなってしまうの。だから、あんな小さな言い合いにいつまでもこだわらないで。(『エキサイト読書特集「ラヴレターは文豪に学べ」』http://www.excite.co.jp/season/book/bungo2.dcg?03) これに関して、「あなたの怒った顔が好き、なんていうのは女性ならではのアプローチかも。男性の“振り回されたい願望”も刺激する小にくい演出だ。初々しく、小悪魔的で、かつ純情。(引用先同上)」であると解説されていました。つまり、ゼルダもまたデイジーと同じく「小悪魔的要素」も兼ね備えていたのです。

   それでは次にジョーダン(Jordan Baker)について考えていきます。

The younger of the two was a stranger to me. She was extended full length at her end of the divan, completely motionless, and with her chin raised a little, as if she were balancing something on it which was quite likely to fall. If she saw me out of the corner of her eyes she gave no hint of it--indeed, I was almost surprised into murmuring an apology for having disturbed her by coming in. (pp.14-5)
これはジョーダンに対するニックの第一印象です。その後“Almost any exhibition of complete self-sufficiency draws a stunned tribute from me.(p.15)”と彼が発言していることからも、あまりいい印象ではなかったことが伺えます。
…She was a slender, small-breasted girl, with an erect carriage, which she accentuated by throwing her body backward at the shoulders like a young cadet. Her gray sun-strained eyes looked back at me with polite reciprocal curiosity out of a man, charming, discontented face. (p.17)

容姿に関しては、デイジーほど美しいといったわけではないけれども、そこに人間的な魅力が滲み出ているような描写に感じました。どことなく直線的な印象を受けますが、その後デイジーとジョーダンが晩餐の際にポーチへ移動するところで、

Slenderly, languidly, their hands set on their hips, the two young women preceded us out on to a rosy- coloured porch, open toward the sunset, where four candles flickered on the table in the diminished wind. (p.18)
上記のように書かれていることから、女性的ではないというわけではなく、単に他人に媚びるようなことをしない人物なのだということが推測されます。そしてその分自由奔放なのだということが読者にもニックにも提示されるのが、車中でのニックとの会話です。““Let’s get out,” whispered Jordan, after a somehow wasteful and inappropriate half-hour; “this is much too polite for me.”(p.51)”や““And I like large parties. They’re so intimate. At small parties there isn’t any privacy.” (p.56)”という部分、そしてなにより、彼女らしさを最も強く表しているのは次の部分でしょう。
“You’re a rotten driver,” I protested. “Either you ought to be more careful, or you oughtn’t to drive at all.”
“I am careful.”
“No, you’re not.”
“Well, other people are,” she insisted. “It takes two to make an accident.”
“Suppose you met somebody just as careless as yourself.”
“I hope I never will,” she answered. “I hate careless people. That’s why I like you.” (p.65)

   ところで、ジョーダンはデイジーのように家庭に入っているわけではありません。ゴルフの選手として有名でしたが、そんな中で、もしトーナメントで負けようものなら“ “Sorry, you didn’t win.”(p.48) ”などとまったく知らない人に言われてしまいます。

   ゼルダもまた、「自由奔放」でありそして才女として脚光を浴びていました。彼女はその創作意欲故に身体を壊してしまっていて、フィッツジェラルドはこの複雑且つ繊細なゼルダの一面をジョーダンに反映させたのではないでしょうか。

   デイジーとジョーダンは、一見すると読者に正反対の印象を与えるような描かれ方をしています。ところが、美しく「小悪魔要素」を持ち裕福であるというデイジーの要素、そして「自由奔放」であり有名人であったというジョーダンの要素、それぞれがゼルダという実在したひとりの女性に通じており、それだけフィッツジェラルドが彼女に影響を受けていたということなのだと思います。 このThe Great Gatsbyはフィッツジェラルドのゼルダに宛てたラヴレターなのかもしれません。


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