Seminar Paper 2009
Masahiro Sakamot
First Created on January 29, 2010
Last revised on January 29, 2010
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The Great Gatsby の女性たち
紅蓮のドレス
The Great Gatsbyに登場する女性陣の主要登場人物に、デイジー、マートル、ジョーダンがいる。また其れだけではなく、物語の流れの中に色んなタイプの女性が登場した。当レポートでは、同じ女性でも類まれない性格を持つデイジーについて、彼女の行動、発言からどの様な女性であるかを考察していきたいと思う。先に述べておくと、私はデイジーという女性に対して良いイメージを持っていない。以後何故そうなのかを立証していきたい。 まず初めに、解説上容易にする為にこの話の概要を書いていきたい。当作品は、作品の題名にもなっている「ギャツビー」の苦悩な人生を描いている。彼は、戦争出兵の為にある女性と離れ離れになってしまう。その間、その女性はトムという富裕層の男性と結婚してしまった。戦争を経験した後に、運悪く大学に行くことになり大切な彼女であった、デイジーと更に遠い関係になってしまった彼は、彼女を追い求めてイーストエッグと名の町に引越し、トムとデイジーが住む対岸に家を購入し、5年間もの間対岸で目映い光を放ち続ける「緑の明かり」を頼りに、彼女への思いを馳せてきた。そんな彼はある日、隣人であるニックを毎週開催しているパーティーに招待して、彼がデイジーと親交があることを耳にする。実の処、ニックはデイジーの再従兄弟にあたる存在であった。そんな彼に助けを求めて、ギャツビーは嘗ての恋人と出会う場を作ってもらうように頼んだ。後に、デイジーと再会し、互いが惹かれあい後に彼女の旦那であるトムと、ニック、デイジー、キャサリンでニューヨークまでバカンスをしに行った。しかしながら、このバカンス中デイジーが何やらギャツビーに好意を示していることに、嫉妬したトムが彼に対して得意の相手を見下すような態度で侮辱したのであった。こうして、彼らのバカンスが思いもしない方向へと進んでいってしまうのであった。結果として、デイジーはギャツビーと共にトムの下から離れ、彼の家に車を飛ばしていた。当然デイジーはトムとギャツビーの板挟みとなっていた為か、運転が荒くなっていたのであった。そんな時に、トムの浮気あいてであったマートルを跳ねてしまい、そのままひき逃げをしてしまったのである。後に、このことはギャツビーが罪を着て彼がやったことにしたのだが、被害者の夫であるジョージに彼は撃たれて死んでしまうという話であった。結局は、最愛の女性であるデイジーを庇ってしんでしまったという何とも不甲斐無い話である。 では、本題に入っていきたいと思う。私が作品全体を通してデイジーについて感じたことは、大げさで感情的であること。自信に満ちていること。男に手馴れているという三点の印象を受けた。まず大げさ且つ、感情的だと感じた理由については、彼女の発する一つ一つの言葉から、喜怒哀楽がはっきりと伝わってきたからであった。それは文面をも越えて読者にも伝わってくるものであり、彼女はこの作品の他のどの女性よりも遥かに感情に富んでいると感じた。例えば以下の文章からそう読み取れた。 “Before I could answer her eyes fastened with an awed expression on her little finger.この手の表現は数え切れないほどあったので、一つだけ選抜した。この文章は彼女が指を怪我した時の発言である。どちらかと言うと、デイジーは物事を必要以上に過剰表現する傾向があるように感じられた。これらは、この先彼女が発言する度に見受けられた。喜ぶ時は派手に喜び、怒る時は激しく相手を非難し、哀れむ時は、とことん哀れみ、楽しい時は、この上なく楽しむ彼女が印象的であった。 次に、自信に満ちていると感じた部分を見ていきたい。 “‘Do they miss me?’ she cried ecstatically. ” (p. 16) この場面は、ニックが東部に来る途中でシカゴに一泊した時、十数人を超える人からよろしくと伝言を預かってきたと発したことに対する、デイジーの反応であった。引用部分にもある通り、デイジーは“私がいなくて皆寂しがっていた。”とニックに対して聞いたのであった。この様な発言は、自己に絶対なる自信を持っている人にしか発せられないと私は感じた。恰も、自身が物事の中心にいるとでも受け取れる発言であると感じられた。 そして最後に、男性に手馴れていると感じた部分を見ていきたい。 “The other girl, Daisy, made an attempt to rise- she leaned slightly forward with a conscientious expression- then she laughed an absurd, charming little laughed too, and I laughed too and came forward into the room. この部分では、デイジーという女がどの様な女なのかが良く表現されていて、男心を擽ることが得意な女性だということが分かる。引用文のように彼女は巧みな話術を使ったり、話す時には、態とひそひそ声で話して、相手を自分の方に屈みこませる方便を彼女は体得している。このことに対して、ニックはチャーミングとも言っていた。つまり、彼女は男に何をしたら、良く思われるのか。好意を得られるのかを理解していると感じられた。 以上までは部分的にデイジーの性格を見てきたが、以下からは物語の流れに忠実にデイジーとは一体どのような女性かを考察していきたい。まず、物語の中間辺りで、トムとデイジーが結婚式の前日にトムが大金を注ぎ込んで買ったものを、ゴミ箱から取り出すと云う場面があった。この出来事が起こる直前、彼女はある一通の手紙を受け取った。後にその手紙はギャツビーからのものだと察することが出来るが、彼女はこの場面で酷く取り乱していた。そして、結婚を破棄する寸前まで「こと」が進みかけたと云う事件が起きた。では、何故彼女がこんなにも動揺してしまったのであろうか。この答えは、物語の後半部分で明らかにされた。上記した通りに、彼女とギャツビーはもともと恋人であり、二人の恋は彼の戦争出兵によって妨げられてしまった。その間、デイジーは何故彼が直ぐに帰国できないのかずっと悩み続けていた。彼女は一刻も早く彼に側に戻って欲しかったのであろう。月日が過ぎて、デイジーの性格は一変してしまい、ずっとギャツビー一筋であった彼女は一日に数人もの男と遊ぶ約束をするまでにもなってしまったのだ。それが原因か、今のような女性になったのである。男との豪遊の後に出会ったのが、夫であるトムであった。デイジーはトムの、人柄と社会的地位に惚れてしまい、交際をはじめたのであった。そんな彼と幸せな日々を送って結婚を決意した矢先に送られてきたのが、ギャツビーの手紙であった。彼女があそこまで取り乱してしまうということは、彼女のギャツビーに対する忘れかけていた「愛」を思い出した為だと私は思う。それがギャツビーに対する憧れの証である。 “She didn't see why he couldn’t come. She was feeling the pressure of the world outside, and she wanted to see him and feel his presence beside her and be reassured that she was doing the right thing after all.” (p. 157) その為に、彼女の心の中では葛藤があったに違いがない。だがら、ギャツビーと再会した時彼女は彼に大いに引かれるものがあったし(今までのデイジーはどちらかと言うと、物質主義者の様に感じられたのだが)、彼がお金持ちだからと云う理由ではなく、彼を心の底から愛していると感じられた。彼女は彼と再会して以来、トムのことはそっちのけでニューヨークに行く時も進んでギャツビーの車に乗りたいと名乗りでたり、トムが席を外している時に彼にキスをしたりと、デイジーのトムに対する気持ちは段々薄らいでいったのだ。その後、トムがギャツビーに対して喧嘩を吹っかけたのであった。自分の妻が取られてしまうことを恐れていたのだろう。そこで、ギャツビーが「デイジーはお前を愛したことなんて一度もなかった。」とキッパシ言い切ったのであった。その言葉に対してデイジーが「私はトムを愛したことは一度もなかった。」と躊躇いながら言った。やはり、言い切れなかったのだろう。しかしながら、彼女は後に「彼を愛したこともあった。しかし、その時に同時にあなたのことも愛していた。」と発言を撤回したのである。この発言は、トムの気持ちを配慮したからであろう。もし今後何かがあれば、彼に何をされるか分からない恐怖心があったのではないだろうか。またその直後に彼女の性格が著しく現れる場面がある。 それが、以下の場面である。 “She hesitated. Her eyes fell on Jordan and me with a sort of appeal, as though she realized at least what she was doing−and as though she had never, all along, intended doing anything at all”(p. 138) 直訳すると、“彼女の目はジョーダンとニックに何かを訴えかけるように向けられた。それはまるで彼女が今何をしているのか、またそのような事をするつもりは無かったとでも、気付かされたみたいに。”とある。つまり、彼女はようやく事の重大性に気付いたということだろう。この場面で、彼女は、ジョーダンとニックに助けを求めているのではないかと私は思った。この場面から、彼女が作り出した、又は引き金となったこの事件に対して責任逃れまたは、自分しか考えていないという性格が浮き彫りになってきた。 そして、彼らの喧嘩の後トムはデイジーを惜しむことなくギャツビーと共に帰らせた。その後彼らは、エーストエッグに戻ることになりデイジーの車で帰路を辿っていた。彼女は先ほどの“イザコザ”のせいもあって、猛スピードで走っていたのだが途中トムの愛人であるマートルを撥ねてしまったのである。それだけではなく、彼女はそのままひき逃げしてしまったのである。ギャツビーは彼女を庇って自分が撥ねたことにすることによって、彼女を庇い続けたのだ。そんな彼の良心も裏腹に、デイジーはトムと共にウエストエッグから姿を消したのであった。当初は誰も犯人の手がかりを掴めなかったのだが、トムはマートルの夫であるジョージから、「黄色い大きな車」だったと聞き、轢き殺したのがギャツビーの車であることが断定出来た。その為、トムはジョージにその旨を伝え彼の住まいを教えたのである。数日後、ギャツビーの下にジョージが銃を片手に持ってきて、妻の恨みを晴らすべく彼を射殺したのであった。しかしながら、大好きな人が自分のせいで殺されたにも関らず、デイジーは葬式にも参加しなかったのであった。恐らくこれは、トムの力が働いていたのであろう。デイジーにギャツビーのことを忘れさせる為に、今後一切連絡もさせなかったのではないだろうか。だが、私はそんな彼女に反感を覚えた。自分自身が起こした交通事故に濡れ衣を着てくれたギャツビーに対しての更なる侮辱行為である為だ。 結局は、最後の最後まで人を振り回し、自分勝手に行動し、ワガママな女であったと思う。物語の最後の方で彼女が、ギャツビーとの別れを男と遊ぶことで忘れていた、それしか彼女にはなかったのだと同情したのだが、読み終えた今の感想としては最悪な女であったと私は軽蔑の目でしか見られなくなった。また物語の後半の方でニックが言っていたこの発言に共感を覚えた。 “‘They're a rotten crowd,’ I shouted across the lawn. ‘You're worth the whole damn bunch put together.’ ”(p. 160) |
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