Seminar Paper 2010
Sakamoto Masahiro
First Created on January 27, 2011
Last revised on January 27, 2011
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小説Lolita の女性たち
シャーロットとは何者なのか
(序論) 当レポートでは、私はロリータに登場する女性達、特に作中で悲惨な死を遂げた「シャーロット夫人」に注目して、当作品に於ける女性観と云うものを、主人公のハンバートとの関わりを意識しながら考察していきたいと思う。まず本題に入る前に、私自身が当作品を手に取りたいと感じた、切掛けについて記していくことを許して欲しい。私は夏開けの第一回目のゼミで、「ギャツビー」の次に読む作品を選定する際に「ロリータ」に投票した内の一人であった。その理由と云うものは、非常に些細なものであった。それは、今日「ロリコン」と称される言葉(ロリータコンプレックス)を頻繁に耳にするからだ。私は、塾で小学生から高校生までの英語の授業を担当しているのだが、ある日一人の小学生の生徒が自身の教師のことを「ロリコン」呼ばわりしている場面に出くわして、こんなにも若い世代の子供がその言葉を知っていることに非常に驚いたからであった。私が、この聞きなれないカタカナ4文字を初めて耳にしたのは、高校2年の時だった。私の高校は男子校であったためか、日常的に性表現がクラス中に響きまわっていた。これが私の「ロリコン」と云う言葉との出会いであった。その後、興味から気になって調べていくと、このカタカナは「ロリータ」という文学作品から由来したことを知った。そう、「ロリータ」は私がこの言葉に興味を持ち始めて以来、ずっと読んでみたい作品の一つであったのである。 次に、私が実際に「ロリータ」を読んで見て、感じたことを書いていきたい。今日「ロリータ」と云うと、幼い少女に対する性的な志向や愛を意味しているだろう。その為に、当作品を読む前は大変卑猥な内容や、成人男性の心の奥底にある、若い身体に対する渇望表現が多く含まれている作品であると、私は期待していたが実際にこの作品にメスを入れて読み進めていくと、エロティックな場面はあっても数えられる程で、私が期待していた当作品に対するイメージと現実とに、かなりの隔たりがあることを学び、がっかりしたと共に、作者ウラジーミル・ナボコフの巧妙な作品に、頭が上がらなくなっていた私がいた。この小説の冒頭の二行目に以下の様なことが記されていた。 “Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta.” (p. 9) 直訳すると、“ロリータ、わが生命の灯火、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌の先が口蓋を三歩進んで、三歩目に軽く歯に当たる。ロ。リー。タ。” 私はこの冒頭を読んで、冒頭だからこそ、読者を引き付ける為にこんなにも異常、且つ身の毛もよだつ様な表現で書かれているのだろうと思っていたが、全編に渡りこの調子で書かれていることに驚いた。良く読んでみたらページを捲る毎に、ロリータ(ドロレス・ヘイズ)に対する、ハンバートが抱える「偏愛」がふんだんにあちらこちらに描かれており、話は彼女への賛美で中断されており、またそれらがハンバートを一人称として語られている為に、彼の想いや感情そして欲望など全てのものが一点に、この12歳の幼子に注がれていることから、ハンバートの全てがロリータに支配されていると云う、臨場感を味わえる仕掛けが成されていると、作品全体を通して私は感じた。そして、この素晴らしい作品の一番の魅力は、一人の少女に向けられた、美しく、且つ執拗な一つ一つの賛美であると云うのが私の立場である。最後は、ロリータへの執拗の愛情が裏目となってしまい、ハンバートは嫉妬心から「キィルティー」を殺害し、獄中で死を遂げてしまうと云った悲劇へと転じてしまう作品であるが、読み進める程にロリータに対する、その異常とも言っても過言ではない「賛美」は我々読者を魅了するものへと転身し、最後にはハンバートに対して「同情の意」を抱く読み手が多く存在するのではなかろうか。人を愛するということを、主人公であるハンバートを通して、ここまでも愛を表現できる作者のナボコフに畏敬の念を抱かずにはいられない。「ロリータ」はポルノ小説ではなく、極めて芸術性の高い古典作品であると知った。もしも、ポルノ要素を含めてしまっていたならば、かえって話を薄っぺらいものにしてしまう恐れがあったと今は思う。ナボコフはあえて、その様な読者の捕らえ方を避けたのだろうか。その答えがどちらにせよ、当作品は一人の人間の「グロテスクな内面」を巧みに描写した秀作であると言っても過言ではなく、性的描写を限りなくゼロに近づけながらもエロティシズムを表現した点はこの小説の醍醐味だろう。最後にもう一つ私が感じた事として書いておきたいのが、「ロリコン」という言葉がネガティブに、且つ否定的に、また卑猥に用いられている現代社会において、この小説はあまりにも軽視されすぎていると感じた。中年の男が幼い少女に恋するというストーリーの中には、「葛藤」、「疑心」、「所有欲」、「企み」、そして「裏切り」といった、様々な人間の感情が美しい文章で丹念に表現されており、その点でこの小説は優れた傑作であると言えよう。 上では、ロリータと云う作品との出会いと、読んだ上での感想を長々と連ねてきてしまったが、そろそろ当レポートの本テーマについて書いていくとしよう。まず私が、「シャーロット夫人」を選んだ理由としては、一つある。それは、母であるシャーロットが実の娘を相手に対抗心を抱いて、嫉妬し、必死にあの手この手でライバルを蹴落としている姿に、「女性らしさ」を感じて、この素晴らしき作品に対する理解をより深めたいと感じたからだ。 (本論) シャーロット夫人がどの様な女性なのかと云う「仮説」を創出するには、第一に彼女の人間性について把握することが必要である。その為に、まずはその事について追求していきたいと思う。その上で、「仮説」を立ててそれを立証していこうと思う。 早速だが、「シャーロット夫人」について迫っていこうと思う。彼女は夫に先立たれた後に一人娘のロリータと共に過ごしていた。そんな中、(彼女にとっては)偶然と言うより必然や運命と言うべきか、ハンバートと名乗る男性に出逢い一目惚れしてしまった。彼女は、彼の気を引く為に様々なアプローチをしたが、結果的に彼が愛しているのは「ロリータ」であることを知り、発狂し手に汗握りながら書いた手紙を手に道へ飛び出したところ、車に轢かれてしまい、不慮の事故でその一生を終えてしまった悲しい未亡人だ。彼女は当作品において最も、哀れな人物だと私は思っている。何故ならば、まるで初恋のように、情熱を持って愛を注いできたハンバートに、終始裏切り続けられた挙句、最愛の人を実の娘に取られてしまったからだ。そんな彼女でも、ハンバートに恋をしていた時は実に幸せを味わっていた事は述べるまでもなかろう。私は、「ロリータ」を読んでいて彼女の人間性を以下の三つに絞った。「感情的」、「独占欲が強い」、そして「忠誠心がある」を持っていると仮説を立てよう。 まず、一番目の「感情的」だと感じた点について、説明していきたい。以下の文章を見て欲しい。 “Just slap her hard if she interferes with your scholarly meditation”(p. 55) 55ページでは、ハンバートに異様な程に好意を示している実の娘に対して嫉妬している様子が伺え、この様に言ったと私は推測している。この他にも、後に述べる「独占欲の強さ」と直接的に繋がってくる場面が登場するが今は触れないでおこう。一番彼女が「感情的」だと感じた場面として、96ページが挙げられる。この場面では、夫のハンバートが長い間鍵付きの机に中に大切に保管していた手紙を見つけ、その内容に怒りを覚え夫に発した言葉である。その長い間地下で眠っていたマグマが、火山から一気に噴火したかのような、発狂ぶりは正に「女性そのもの」を見ているようでならない。現在プライバシーが騒がれる時代において、妻や彼女が愛しの交際相手の、携帯のメールの履歴や電話帳を隠れて盗み見している情景と、彼女が机の鍵を探し出して、勝手に手紙を見てしまうところは如何にも女性らしい、「女性特有の行動」ではなかろうか。そして、ハンバートが発した台詞(言い訳)に耳を貸そうとせず、己の一方的な思い込みで物事を判断する姿は、恋愛経験がある男子ならば一度は経験したことではなかろうか。 次に、「独占欲が強い」ところに着目点をずらして、彼女の人間性を暴いていきたいと思う。私がこの様に考察する理由が以下の文章に隠れている。 “I planned to have this pitiful attainment coincide with one of the various girlish movements she made now and then as she read, such as trying to scratch the middle of her back and revealing a stippled armpit- but fat Haze suddenly spoiled everything by turning to me and asking me for a light, and starting a make-believe conversation about a fake book by some popular fraud”(p. 42-43) 42から43ページでは、ロリータのいかにも女の子らしい仕草に夢中になっているハンバートに対して、妻のシャーロットが業とらしく、自分でやれば良いものを、煙草を吸う為に火を貸してくれと図々しく発言したり、63から64ページで我が娘が夫に好意を寄せていることを察して、サマーキャンプに送り出そうと決心して、夫と更なる愛を育もうと計画したり、そして挙句の果てに82ページで、ロリータの部屋に新たな使用人を住み込みで来させる事を計画して、徹底的に娘を家から追い出そうとしている様子が伺える。 この場面から推測できることは、シャーロットは物凄い「独占欲の強さ」を備えた女性と云うことではなかろうか。何故ならば、彼女が否応なしに独断と偏見の下に、ライバル心を抱いている娘の存在を夫の胸から、あの手この手を使って打ち消そうとしているからだ。愛する人を自分だけのものにしたいと云う気持ちから、上記の様な行動に移ったのではなかろうか。この「独占」と云うキーワードは現代社会に於ける、「女性の特有の行動」の一部である。例えば、交際相手の男性の所有する携帯電話の電話帳から、同姓のアドレスを全て消去させるといった行動がそれである。そうする事で「安心」と云うものを覚え、ひとときの「独占」と云う快楽に浸ることが出来るのが女性だと、私は感じる。 最後に、「忠誠心」がある点について検証していきたいと思う。以下の文章に注目して欲しい。 “I have a surprise for you…In the fall we two are going to England…I have also a surprise for you, my dear…We are not going to England.”(p.90) この場面では、邪魔者の娘をやっとの事で追い去った後に、シャーロット夫人が愛しのハンバートと共にイギリス旅行に行くことを提案して、あっさりと断られた場面である。 只でさえ、愛するロリータと離れ離れになってしまったハンバートにとって、更に遠く彼方へ行くことは、我慢のならないことだったのだろう。少しでも、ロリータの近くにいたいという気持ちが伺えるシーンだが、肝心な点は以下の文章に隠されている。 “She said she had never realized. She said I was her ruler and her god. She said Louise had gone, and let us make love right away. She said I must forgive her or she would die.”(p. 91) この場面で、彼女は今まで全ての物事に於いて、身勝手に行動してきたことを認めて、ハンバートを自らの支配者そして神だと発している。また、彼の許しを受けなければ、彼女は死んでしまうとも言っていることから、完全に夫と妻の「立場」や「力関係」が以前と比べて、逆転していることが伺える。言葉を換えれば、物事を決める指導権や決定権をハンバートが掌握したと言えよう。夫に愛される為であれば、この身を捨てても良いと、今にも言いそうな荒れっぷりである。ハンバートに対する「愛」の気持ちが一段と強まった結果、「愛」が「服従」へと、変貌を遂げたのかもしれない。この点については、雄の雄離れが囁かれ「スイーツ男子」や「草食男子」と云う言葉が飛び交う現代社会には、余り見られないのかもしれない。一昔前の日本において、夫が一家の大黒柱として、崇められて「男尊女卑」の考えが一人歩きしていたような時代では、シャーロットの様な忠誠心を持った女性が多かったのかもしれないが、今日の日本の社会に目を向けてみると、どうやら夫よりも妻が、彼氏よりも彼女が、力を有しているように私は感じている。 (結論) 上では、作中に於ける「シャーロット婦人」の人間性を、「現代社会に生きる女性」と比較対照しながら、様々な角度からこの人物を解剖してきた。以上のことから、分かった事は、仮説でも述べたとおり彼女には「感情的」であり、「独占欲が強く」、そして「忠誠心がある」ことが分かった。また、彼女は戦前から現代社会に於ける「女性の象徴」である要素を、全て兼ね備えた人物だと断言できるだろう。以上が私の考察である。 |
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