Seminar Paper 2010

Masahiro Shibuya

First Created on January 27, 2011
Last revised on January 27, 2011

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小説Lolita の女性たち
過去を取り戻す

 ロリータに登場する女性たちを考える上で、私はアナベルの存在を重要視する。彼女との出会い、そして死別からこの物語が始まったことが、ただの回想シーンとしてではなく物語の「もと」となりうると思うからである。彼がニンフェットと呼ばれる少女に興味を持つようになったのも彼女が幼くして病死したからではないかと推測する。亡くなったアナベルはいつまでも幼いままだからだ。そして「ハンバートにとってヴァレリアやリタはただの慰めであり、ロリータはアナベルの代用品だったのではないか」というのが私の考えである。幼い頃の記憶にずっと支配されながら人生を生き、彼は失ったアナベルを、つまり過去を求めた。これは失った過去(アナベル)を取り戻す物語である。
 女性の登場人物たちを私なりに考察しながら、このように考える根拠を示したい。

<アナベル>

 この物語の主人公ハンバート・ハンバートを形作った少女であると私は考える。ハンバートがニンフェットを求めるようになったのには、少なからず彼女の影響があるのではないだろうか。文中には“When I was a child and she was a child, my little Annabel was no nymphet to me”(p. 17)とあるが、確かに同じ年頃ではニンフェットとは呼べない。ニンフェットの定義にも“there must be a gap of several years”(p. 17)とある。しかし彼女は死に彼は生きた。つまり(最初にも述べたが)彼の中では彼女はずっと少女のままなのだ。そして彼だけが確実に歳を取り、いつの間にか彼女は立派にニンフェットの定義のひとつを満たしていることとなるのだ。彼自身も“Lolita began with Annabel.”(p. 14)と言っている。ここでLolitaをnymphetに置き換えることはそんなに不自然なことではないはずだ。
 さらにアナベルとの間で起こった出来事や体験が、ハンバートに大きな影響を与えたと考えられる。印象的な2つの箇所を引用する。

I recall the scent of some kind of toilet powder―I believe she stole it from her mother’s Spanish maid―a sweetish, lowly, musky perfume. It mingled with her own biscuity odor, and my senses were suddenly filled to the brim; a sudden commotion in a nearby bush prevented them from overflowing―and as we drew away from each other, and with aching veins attended to what was probably a prowling cat, there came from the house her mother’s voice calling her, with rising frantic note―and Dr.Cooper ponderously limped out into the garden. But that mimosa grove―the haze of stars, the tingle, the flame, the honey-dew, and the ache remained with me, and that little girl with her seaside limbs and ardent tongue haunted me ever since―until at last, twenty-four years later, I broke her spell by incarnating her in another.(p. 15)
これは彼女との肉体的な思い出の断片をハンバートが語っているところである。特徴的な匂いと共に思い出されたこのシーン(記憶というものには匂いや音がつきもののような気がする)は、幼いとはいえ2人の関係がとても深いものだったことを物語っている。このようなハンバートの「試み」の場面はほかにもあるが、成功にはいたらない。これらが失敗に終わったということも、もしかすると後の彼の性癖に影響したのかもしれない。
I also know that the shock of Annabel’s death consolidated the frustration of that nightmare summer, made of it a permanent obstacle to any further romance throughout the cold years of my youth. The spiritual and the physical had been blended in us with a perfection that must remain incomprehensible to the matter-of-fact, crude, standard-brained youngsters of today. Long after her death I felt her thoughts floating through mine. Long before we met we had had the same dreams. We compared notes. We found strange affinities. The same June of the same year(1919)a stray canary had fluttered into her house and mine, in two widely separated countries. Oh, Lolita, had you loved me thus!(p. 14)
こちらは肉体的に対して精神的なエピソードと言えるのではないだろうか。2人の結びつきがかなり強いものだったことが読み取れるはずである。このようにお互いがお互いを激しく求め合っていた中で、ハンバートはパートナーを亡くしてしまったのだ。死別というのは一般的に、相手との美しい思い出だけがはっきりと残り、悪い思い出はあまり残らないものだという。余談だが、ここにある“standard-brained youngsters of today”(p. 14)というのが、自分のことを言われているような気がしてならない。
 これらの動かしようのない、ねじ曲げようのないアナベルとの思い出が、ハンバート・ハンバートの人格(おもに性癖)を形成していったのだ。そしてこれほどまでに通じあった相手を失ったことで、この記憶がこれから先ずっと彼にとりついてしまうのである。

<ヴァレリア>

 ヴァレリアについてだが、彼女のことをハンバートは“what really attracted me to Valeria was the imitation she gave of a little girl.”(p. 25)と言っている。きっとほんのわずかだとは思うが、少女っぽさが彼女の中にもあったということだ。しかし私は、この物語がアナベルから始まっていると考えるからといって「彼女の中にも少女性があったのだから、ハンバートはそれに惹かれ彼女にアナベルの姿を重ねたのだ」というつもりはない。それよりも当時彼が求めていたのは自分の異常な性癖をごまかす(隠す)ための存在だったのだ。そのために彼はとりあえずの結婚をし、その結婚相手に一応の子供っぽさを持っていた彼女を選んだのだ。さらに結婚することによって起こるであろう生活の変化などが、彼の過激な欲求が満たされないことによるストレスを和らげてくれるのではないかと期待もした。実際彼女に対しての印象や描写は当初、好意的に書かれていた。しかし初夜のあと、この好意的な状況は変わってしまう。どうやら彼女の「偽りの少女らしさ」というのは想像以上にひどいものだったのだ。文中には“and presently, instead of a pale little gutter girl, Humbert Humbert had on his hands a large, puffy, short-legged, big-breasted and practically brainless baba.”(p. 26)とある。おそらく彼にはわかっていたことのはずだと思うのだが、いざ目にしてみると予想以上だったのだろう。彼の期待した結婚生活というのも、一定のプラスはあったのかもしれないが、思い描いたとおりにはいかず4年ほどで終わった。
 ヴァレリアの浮気、という(個人的には)意外な事実が発覚し2人は終わってしまうのだが、その浮気相手であるタクシー運転手とのやりとりはとても滑稽に感じた。その中でハンバートは彼らを殺すか殺すまいかと悩むが、これは「自分を裏切ってほかの男と・・・」といったいわゆる通常の感覚ではない。

A mounting fury was suffocating me―not because I had any particular fondness for that figure of fun, Mme Humbert, but because matter of legal and illegal conjunction were for me alone to decide, and here she was, Valeria, the comedy wife, brazenly preparing to dispose in her own way of my comfort and fate.(pp. 27-28)
こうあるように、完全に下に見ていた人間にコケにされたということが許せなかったのだろう。この一文からも、いかにハンバートがヴァレリアを何とも思っていなかったかがわかる。彼女とタクシー運転手のその後の人生は凄惨なものであった。  次に挙げるリタも、ハンバートにとっては慰めの存在であったことは間違いないだろうと思う。

<リタ>

 彼女のことはあまり多くは書かれていないが、それでも注目すべき点はいくつかあるように思う。酒にだらしなかったり3度も離婚をしていたり、ハンバートに“dumbest”(p. 259)と言わせるなどなかなか風変りな女性として描かれていた感のある彼女だが、同時に“she was the most soothing, the most comprehending companion that I ever had, and certainly saved me from the madhouse.”(p. 259)と、見逃せない部分もある。リタの場合もはっきりハンバートの口から「慰め」であることが語られているが、しかし同じ役割だったであろうヴァレリアと比べるとかなり印象が違うように思う。さらに彼女にも“The oddly prepubescent curve of her back, her ricey skin, her slow languorous columbine kisses kept me from mischief.”(p. 259)とあるように少女っぽさ(偽りなのかどうかわからないが)があるのかもしれない。
 彼女にはだらしない面もあるのだろうが、それでも優しさや思いやりにあふれた温かい心を持った人物だったように思う。もし失踪したロリータから手紙が来なければ、きっと2人は長く一緒にいたのではないだろうか。それともハンバートにとっては“dumbest”というのは致命的な欠陥だと見なされてしまうのだろうか。いずれにせよ彼女も慰めの存在であり、ロリータから手紙が来たとたんに彼女のもとを去って行ってしまうことからもそのことがうかがえる。

<ロリータ>

 先に述べた通りこの少女の中にハンバートはアナベルの姿を重ねていると考える。アナベルのときに肉体的な思い出として引用した箇所の最後には彼女はアナベルの生まれ変わりであると書かれてある。しかし彼女と心を通わせることは(ハンバートにとっては残念なことに)できなかったように思う。それは同じように精神的だとして引用した部分の最後に“Oh, Lolita, had you loved me thus!”とあることからもわかる。かつて少年が少女を愛したようにはいかなかったのである。当然だが、彼はもう少年ではなかったのだからだ。
 2人は育ったところも違った。アナベルはヨーロッパ、ロリータはアメリカ。「ヨーロッパ的」とか「アメリカ的」とか、そういうことを言うつもりはないが(また、言えないが)、とにかくロリータは天真爛漫な、わがままな人物に育ったようである。残念ながらアナベルの性格についての手掛かりはあまりないのだが、それでも個人的にはきっとロリータとは違った(あるいは大きく違った)性質を持った人だったのではないかと思う。 しかし最後にはハンバートはロリータについて“I insist the world know how much I loved my Lolita, this Lolita, pale and polluted, and big with another’s child, but still gray-eyed, still sooty-lashed, still auburn and almond, still Carmencita, still mine”(p. 278)と言っている。「最初ハンバートはロリータにアナベルを見ていたが、次第にロリータ自身に惹かれ彼女自身を愛するようになった」と言うこともできるだろう。
 だがそもそもは“Lolita began with Annabel.”であるし、何よりこの小説のいたるところにエドガー・アラン・ポーの「アナベル・リー」の引用が散りばめられていることこそが、生涯ずっとアナベルに、過去にとりつかれていた証拠であると考える。その詩の一部を引用する。

But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we―
Of many far wiser than we―
And neither the angels in Heaven above
Nor the demons down under the sea
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee:―(加島祥造編「対訳ポー詩集―アメリカ詩人選(1)」(岩波文庫)、p. 34)

<まとめ>

 いままで長々と述べてきたことを整理したいと思う。
1、アナベルはこの物語の、ハンバートの、さらにはニンフェットの「もと」となった人物であり、彼の人生に常に付いて回ることとなった。引用した2つの場面が特に重要であると考える。
2、ヴァレリアとリタは文中の記述からもハンバートにとっての「慰め」の存在であったことが明らかである。比較的リタは好意的に描かれている。
3、ハンバートはロリータにアナベルの姿(過去)を求めた。上記1と同じ2つの引用箇所からもそのことがうかがえる。しかしそれは無謀なことであり、当然達成されることはなかった。
4、詩「アナベル・リー」が印象的に様々な箇所に引用されていることが、ハンバートがアナベル(過去)を拭い去れなかったことを物語っている。
 説得力に欠ける点も多分にあるが、以上のことから私の仮説が妥当であったと考える。


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