Seminar Paper 2011

Emily Fletcher

First Created on February 3, 2012
Last revised on February 15, 2012

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LevinとGilley
価値観の相違と関係性

   A New Lifeでは、LevinとGilleyそれぞれの価値観は対照的に描かれており、二人の関係性は話が進展するとともに次第に変わっていっている。Levinが自由主義、理想主義、一貫性のなさなどを体現しているとすれば、Geraldは保守主義、実利主義、計画性を表わしており、二人は相反する価値観の象徴的存在として描かれているように考えられる。二人の関係性は、お互いに対する表面的な好意から始まり、意見・価値観の不一致、LevinのGilleyに対する苦手意識、敵意、Levinの「裏切り」、敵対者と移り変わっていき、物語の最後はGilleyがLevinにやっと理解を示した事を象徴するような終わり方になっている。しかし、価値観の違う人間二人は理解しあえても、その違いが表面化した時共存できない、という事を示しているようにも思われる。二人の価値観の相違を示す場面を、教育に関する価値観、仕事に関する価値観、結婚に関する価値観の3つを通して関係性の変化、物語の終わり方を分析しこの隠れた「メッセージ」を証明したいと思う。

   まず、大学教育に対する価値観の違いから見てみると、“‘I had hoped to teach literature,’ Levin sighed.” (p. 21) “‘I personally prefer teaching comp to lit.  More satisfaction, I’ve found.  You can just see these kids improving their writing [...].  It isn’t easy to notice much of a development of literary taste in a year.’”(p. 21) というように、Levinは文学に重きを置いているのに対して、Geraldは実践的な文法を教えるのに喜びを感じている、とある。また、“‘The liberal arts-as you know- [...] -have affirmed our rights and liberties.  Socrates-’ ‘That’s how these things go.  It’s best to be philosophical about it.’” (p. 27)というように、Levinは一般教養科目について非常に肯定的であり、Cascadiaの大学がLiberal Arts Collegeではなくなってしまった事を残念に思っている。Geraldは、この専門科目の多い大学は土地柄に合っていると思っているので、それほど問題だとは思っていない。 しかし、Levinは“‘I don’t see how this situation can go on without weakning us in the long run.  Democracy is in trouble.  [...]’” (pp. 28-29)というように、これを人々を弱める、民主主義を危うくするものとして捉えている。Gilleyは、“‘Cascadia is a conservative state, and we usually take a long look around before we commit ourselves to any important changes in our way of life.’” (p. 29)と、Cascadiaは保守的なのでそう簡単に方針は変わらない、といい自分もその保守的な地域の一部である、ということを“we”と言う事で暗に示している。 また、“‘We do have lower-level liberal arts courses here, [...] I will have to admit that the great majority of our boys and girls don’t seem to be much interested in these subjects [...] ’” (p. 28)というように学生もそんなに必要としていなし、興味がないのだから大丈夫だ、と言っていて、Levinの理想主義的な、どうにかしなければという義務感は感じていない。

   “‘If you happen to have any suggestions of your own for improving anything I’d be happy to hear them.’” (p. 103) Failchild教授が退職したあと、学科長になれるのならどうするかという話の時、レビンに尋ねているが、この時はまだGilleyはLevinの意見を検討するつもりだ、という風にLevinに肯定的な態度を取っている。そのため、Levinは“ [...]‘ maybe I ought to say I think English 10 is a good place to begin teaching writing.  I hate to mention this, Gerald, but some of the freshmen think a paragraph is a new invention.  And I’m not against grammar but I’m against-I don’t care for only grammar.  [...]’ “‘The continuous workbook stuff is deadening.’”(p. 103) と、規則的な文法ばかりのコースでは文章-想像力、分析力などが養えないので変えたほうが良いと提案している。

   “‘Still and all, whatever ideas you have for improving comp I’d be glad to listen to when the time comes.  I like suggestions [...] what the practical problems are and how long it took to build Rome.’” (p. 104)この引用からもうかがえるようにこのときの二人の関係はまだ良好である。GeraldがLevinに、Fairchildが退職した後、サポートしてもらえるか、と聞く場面があるが、Levinはこのときの「サポート」がどんな意味なのかわかっておらず、学科があるべき姿になるように皆で協調的に進めていきたい、というGeraldの言葉にのまれて“‘I’m for that’” (p. 104)と言ってしまっている。後に、Levinは学科長候補二人の事をよく知るまではどちら側にもつかない、とGilleyに言おうとするが、代わりにFabrikantの研究室に行ってGilleyの学科長になる事に対しての考えを知ることになる。これによりGilleyは、学科長になるためにFairchildに気に入られるように色々と手伝い、友好的な態度で同僚のサポートを得るという戦略をとっていたという事がわかる。(Fabrikantによると、“‘He’s always washed Fairchild’s dirty drawers so the old man could be free to potter with his textbook.  Such devotion is not for nothing.’” (p. 110)とある。)Gilleyが学科のためというより自分の昇進を望むために学科長になろうとしているのでは、とLevinが気付き始めるのはこの頃からである。

   次に、仕事に関しての二人の価値観の違いを見てみたいと思う。“‘I’ve been teaching here five weeks, half the term, without a feeling I’m accomplishing much.  [...] according to the syllabus, but short on satisfaction.  Maybe you can advise me?’”(p. 114)というように、Levinは仕事に対して満足感や達成感を求める、ある意味自分の気持ちに正直なタイプである。ただ仕事をするのではなく、学生の教育上、役に立ちたいという気持ちもうかがえる。 “‘I sometimes feel I’m engaged in a great irrelevancy, teaching people how to write who don’t know what to write.  [...] And that they must either be the best-masters of ideas and of themselves- or choose the best to lead them; in either case democracy wins.  [...]’” (p. 115) Levinはここでは、何を書いたらいいかわからない学生に書き方を教えている、とBucketに話して嘆いている。しかし、人々が自分達に一番よいアイディアを選ぶことができて自分を統治できるか、自分達に一番よいリーダーを選ぶことができたら民主主義は勝てる、という風に繋げている。民主主義が絶対的に良いものであるかのような偏見、人々の愚かさや貪欲さ、高慢さ、欺き、価値観の違い、能力の違いなどを考慮せずにこのようにならなければならないと考えている点で、Levinの考えは中身のあまり詰まっていない理想主義だとも捉えられる。“Best”といっているが、人によって、何が良いかというのは価値観が違えば相当違ってくるし、人間が自分の“masters”にそう簡単になれたら社会にそれほど問題は起こらないはずである。

   また、“[...] under Gilley other curious customs prevailed,[...] to get done with d.o. finals on the very day they were given.  [...] he liked to have comp grades in well ahead of the registrar’s deadline, so he asked all possible speed [...] Though Levin functioned poorly in a rush, he feared being left out of things, [...].” (p. 152)という場面からも、LevinとGilleyの仕事に関する価値観の違いが伺える。Gilleyは仕事を締め切りよりずっと以前に終わらせたい、という安定志向で、彼はそれに向いているかもしれないが、それを他の助教授や講師にもその価値観を押し付けている。Levinは、急ぐと仕事をよくこなせないのでこれを好まなかった。後に、Levinが関係をもった学生Nadaleeに成績を見直してほしいと頼まれて彼ははじめて彼のつけたスコアを見直す事になるが、これで間違いが発覚する。Levinが急いだため間違っていた、という事は、他の助教授や講師にも十分あり得ることである。Gilleyは、安定志向のあまり学生に公平ではないシステムをつくっているのでは、という事がここから推測でき、Levinは反対に学生の成績を公正につけようとするあまり、後で間違いを認めて自分の講師としての評判を落としてしまっている。仕事に関して公正でありたいと思う反面、私的な関係を学生と持ったため自ら自分を公正でありにくい状況(Nadaleeに成績を変えてと頼まれる状況を自分で作っている)に追い込んでいるのが、Levinらしい。

   また、Birdlessという学生に剽窃の疑いが出た時、Levinの価値観的に言えば公正さをもとめるはずであるが、Birdlessが剽窃した事を証明するのを諦めてしまう。(p. 175)AvisとGilleyがその証拠を見つけ出すと提案されてもそれを断っている。この時LevinはGilleyに食事に招待をされるが、Gilleyの計算高さに気付き始めたLevinはこれを断りたいと感じるが言い訳がないので承諾している。その後、GilleyはLevinをよく思わない学生を彼のクラスに居させるのはよくない、と考えて勝手にBirdlessをAvisのクラスに移してしまったことをLevinに伝えて、“This man is my enemy, Levin thought.” (p. 178)に見られるようにLevinに初めてGilleyに対する敵意を芽生えさせる。Gilleyは独断的になり、Levinの職権を侵害したようなものだが、Gilleyは安定志向を重んじるあまり、これに気付いていない。

   最後に、結婚についての二人の価値感の違いを比べたいと思う。LevinがPaulineと関係を持った後、次のようにある。

“Levin had only casually tied morality to sex, the act, that is.  Sex was where it grew, where with luck he found it [...].  What was for free was for free so long as nobody got hurt.  If the lady was willing nature approved.  But the matter became moral when, in getting at sex, a man interfered with another’s “rights.” Though he loved Pauline he had no right to her at present.  Gilley had staked his claim and she had agreed, the marriage contract.  [...] He was also ashamed of old-fashioned disloyalty [...] Yet he tried to convince himself not to let his conscience weigh too heavily.  Gilley was, after all, not guiltless; [...] did he deserve her fidelity?” (p. 222)

これは、Levinが罪の意識を感じながらも自分のしたことを正当化するために自分の価値観や結婚の概念、GilleyとPaulineの状況を考えている場面である。ここで、彼は性行為に関して道徳観念をあまり結びつけていなく、女性が承諾したのなら良いが、その女性が結婚していると相手(男性)の権利が害されるので道徳観念の問題が出てくる、としている。このLevinの考えは、世間一般の考えから少しずれているように感じる。一般的に考えれば、権利の問題ではなく、誓いを破る事に加担することで、人々の間で誓いを守ることによる信頼、言動に責任を持つという事が薄れていく事が道徳的に問題なのだと思うが、Levinはそう考えていないようである。ではGeraldは結婚に対してどのような価値観を持っているのかを見てみると、倫理的というわけでもないようである。それは、次の引用部分にみられる。

“‘And what is it when you steal a man’s wife and children from him?’ Gilley thundered.  ‘Is that so g.d. moral, since you use the word so much?’
‘Pauline is a free agent.’
‘Can you say the kids are, or that she deserves to have them, a woman who had two lovers?’” (p. 357)

ここでは、LevinがGeraldに子供達の事に関して話をつけに行った時、GeraldはLevinが大学で教えないという事を条件にするなら子供たちの親権を譲ると言い、Levinは非道徳的だと抗議する。その時Geraldが、「ではお前は道徳的なのか、人の妻と子供を盗んで」というようなことを言っている。盗む(奪う)というような言葉を使っていることによって、Geraldは配偶者に対し所有物のような意識を持っている、と見受けられる。Paulineと問題があっても彼女と向き合って対処しようとしなかったのはそのような意識があったからと考えてよいだろう。これに対しLevinはPaulineが「自由行為者」であると反論している。子供たちに関しては、Geraldは二人も愛人がいた母親はふさわしくない、と言っているが、Levinが大学で教えないなら親権を譲ってやってもいいというように、実は本当に子供たちのことを考慮して言った訳ではないという事がわかる。そのため、Levinは“‘Will you use them any better than you used her?’”(p. 357) と、Geraldが自分の得たいもののためなら子供をも利用することをいとわないのでは、と察している事がわかる。しかし“‘She’d be miserable without them.  We could work out some sort of arrangement [...]’” (p. 356) に見られるように、Levinは特に子供優先というわけではなく、Paulineの願望を優先している。

   これらの事から、Levinは結婚という契約にさほど重要性を感じていない自由主義で、Geraldは、できるだけ離婚はしたくないが、キリスト教的倫理観を持っている訳でもなく、ただ自分の得たものを守るためにあると感じていると考えられる。また、自分の地位のためならうまく活用するのも普通だと思っているようである。これはPaulineの意志に反してGeraldが同僚を家に呼びたがっていたことからも伺える。Geraldは保守的だが、特に主義がある訳ではない。このような、二人の価値観の違いが双方ともPaulineに恋することで表面化してしまった訳であり、これは最終的に、彼ら二人の関係に致命的な亀裂を生じる事となった。

   このように、二人の価値観の違いは物語が進行するにつれ、現実の生活に影響していき、彼らの関係性は悪い方向へと変化していったのである。最後の場面で、“‘Got your picture!’” (p. 367)とGilleyがLevinに向かって叫ぶシーンは、GilleyがLevinとは相いれなくても、理解はしたよ、という事を象徴している、という事を著者のMalamudは語っているが、物語としてはうまくまとまっているが、現実的に考えると少し取ってつけた感じがあるように思える。


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