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Seminar Paper 97


Motomi Baba

First created on December 19, 1997
Last revised on December 21, 1997

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Benjyの役割:彼が白痴である理由

 Faulknerが、白痴であるBenjyにこの物語を語らせようと考えたのは、彼の頭の中に初めてこの作品のイメージが浮かんだのと同じ頃であった。このような不可欠な役割を担っているBenjyは、作者によってどのような人物として設定されているのだろうか。多くのインタビューで作者がそう語る、単なる「何が起こったかだけはわかるが、なぜ起こったかはわからぬ人」なのだろうか。彼の章である第一章を詳しく見ていきたいと思う。

 この章は彼の33歳の誕生日の1日が、彼の独白という形で描かれている。独白であるから、誰に訴えるでもなく、説明するでもなく、進んで行く。彼が白痴だと発覚したのが5歳の時だから、おそらく彼には3、4歳児以下の知能しかないのだろうと思われる。したがって、使われる単語も日常生活に密着したもの、彼が実際に見た事のあるものばかりで、文法的にも易しい内容になっている。これだけなら何も作者は「白痴の子」に語らせなくとも「4歳の男の子」に語らせればよかったはずなのだが、 Benjyの語りには白痴でなければできない大きな特徴がある。4月7日という現在を生き、その状況を語らなければならないはずの彼が、何の前触れもなくどこか別の時間に一人入り込んでしまうのである。当然彼がその時間の中にいる間は「現在」の描写は放り出され、空白になってしまう。しかし彼は、そんな事に構いもしないし、気づきもしない。彼にとっては、その移転した先の状況が描写すべきものであり、「現在」なのである。そしてその状況とは、認識されてはいないとも彼の昔の経験、つまり過去なのだが、驚くほど鮮明で生き生きと描かれる。まるで目の前で起きていることを見ているかのようである。彼がそちらを現在だと思ってしまうのも無理はない。それほど記憶を鮮明にとどめておけるのも、彼が白痴ゆえに身につけている何かの能力なのだろうか。

 能力といえば、彼の鋭い「嗅覚」が挙げられる。注釈書には例えば「父の死の匂いを嗅ぎつける」や、「Caddyが春に眼ざめて初めて化粧したのをBenjyが敏感に嗅ぎつけた」 などがある。後者の場合、確かに鼻はいいのだろうとわかる。‘smell'という単語は30回出てくるが、それらは二つに分類できる。一つは物理的なものである。例えば、“I could smell the clothes flapping, and the smoke blowing across the branch.”(p.14)などである。普通の人なら気づかないようなもののあるが、わかったらおかしいというほどのものではない。しかし、上記の「父の死の匂い」は物理的ではないと思う。死体独特の匂いがする可能性もあるが、非常にわずかなものだ。それにBenjyが最初にそれを嗅ぎ付けるのは彼のベッドの中でのことである。“Then they all stopped and it was dark, and when I stopped to start again I could hear Mother, and feet walking fast away, and I could smell it. ”(p. 34) つまり、何かの匂いがするのではなくBenjyが直感的にわかるというか、ある意味神のお告げのように、そういったことが彼の頭の中に浮かんだ、ということではないか。しかし彼はそれが「父の死」を意味するとは分かっていないし、どのようにその直感を 描写すればいいのかも分からない。ゆえに、仕方なく‘smell'という単語で代用したのではないか。その後Dilseyの小屋へ移動中に父の部屋の前に来て“A door opened and I could smell it more than ever,…”(p. 34) としているので、「父に異変」が起こったことは分かったのだろう。ただ、普通家族が病気になって床に臥している時、夜中に物音がしたり、起こされたりすれば「何か」が起きたことは誰にでも想像がつくはずである。しかし彼にはそのような事実を結び付けることができない。そういう設定であるが、彼は全く別の手段で、つまり本能的に察知する。「父の死」を彼が‘smell'するのはその後も繰り返される。また、「祖母の死」は彼は“Caddy held me and I could hear us all, and the darkness, and something I could smell. ”(p. 75)としている。この‘something'という言葉にできないものが「祖母の死」だと思われる。このように、彼が表現できないもの、知らない言葉を知っている言葉に置き換えて描写したところは彼独自の表現ということで、「Benjy語」と呼びたいと思う。また、‘smell'においては彼の大好きな姉Caddyのことを忘れてはならない。“Caddy smelled like trees.”または“She smelled like trees.”は本文中に十回登場する。(p.6,9,19,42,43,44,48,72)「木のような匂い」が実際にした可能性もあるが、これは注釈書によると「処女のCaddy」にしかしないという。確かに「Caddyの結婚式」の記憶では“…and I couldn't smell trees anymore and I began to cry. ”(p.40)と言っている。そこで「Caddyの処女喪失」のシーンを見てみると、ここでは‘smell'は使われていない。つまり彼は「匂いがしない」ことを描写する間でもなくすぐに分かり、「CaddyとCharlie」のシーンでCaddyが口を洗ったり「Caddyと香水」のシーンで彼女がシャワーを浴びてまた‘smelled like trees'になったことを思い出してbathroomに連れて行こうとしたわけである。この‘trees'とは自然であり、心地よいものであるから愛するCaddyのイメージにも重なったのだろう。(Caddyとtreesのどちらを先に好きになったかは定かではない。) そしてそれは同時に彼女のpurityでもあり、彼女が他の誰にも汚されていない、誰のものでもない、つまりBenjyが自分のものだと思える状態を表わすのではないだろうか。いくら好きなCaddyでも、「木の匂い」がしないなら彼は拒否する。“She put her arms around me again, but I went away. ” (p.40)これは香水をつけたCaddyへの彼の反応だが、「他の誰かのために」香水をつけるCaddyが彼には許せなかったのだろう。そして、「自分だけの」 Caddyに戻ると、満足する。やはりこれは「匂い」があるというよりも、彼なりの愛情の表現なのではないだろうか。本文中で彼が‘like'という言葉を使ったのは“I liked to smell Versh’s house. ”(p.28)と“The bed smelled like T.P. I liked it. ”(p.29)だけで、、そのほかに彼が好きなものに関してはそれらに対するBenjyの反応が描かれるばかりなのである。Caddyに関してでさえ、‘like'は使われない。この十回も繰り返されるCaddyの描写は、‘I liked Caddy'など、彼のCaddyへの気持ちを表現する文に置き換えられるのではないだろうか。

 このように‘smell'にはまた別の意味が付け加えられている。これらは彼が表わせないものを違った形で表現したものだが、描写できなかったものもある。例えば“Luster picked it up and gave it to me. It was bright.”(p.50)の‘it'などである。 Lusterも“Here something you can play with along with that jimson weed.”(p.50)といって渡しており、 Benjyもおそらく今までにそれを見たことがなかったと思われるので表現のしようがなかったのだろう。後にそれはcondomの箱だということがred tieの男の発言でわかる。またもう一ヶ所、“We went to the window and looked out. It came out of Quentin’s window and climbed across into the tree.”(p.74) という、Quentinが家を抜け出すところを目撃した場面である。ここではLusterがその前に“Here she come. ”(p.74)と言っているにもかかわらずBenjyは‘it'としか表現できない。暗くてあまり良く見えなかったのだろうが、Quentinとも人とも特定できていないようである。ここでも、彼女の部屋の窓から出てきたというのに事実を結び付けられない。また、亡くなった父の部屋から出てきた人物(おそらく医者) を‘a head'と表わした文もあった。(p.34)

 以上のような「彼独自の言葉」を持つBenjyだが、彼はそれを発話することはできない。読者が目にすることのできるのは、彼の頭の中、内面にある言葉なのである。実際に彼が話す言葉は単なる‘moaning'にすぎず、意味を成さない。しかもそれは周りの人間の反応からしか分からない。彼は、 ‘I was moaning'などとは一度も描写していない。かといって‘I said…'とも言わない。ただ、“Then the room came, but my eyes went shut. I didn't stop. I could smell it.”(p.34)のように父の死を嗅ぎ付けて興奮したのか‘stop'で表わしていることはある。このあとT.P.が彼のもとにやってきて‘Hush'‘shhhhhhhh'と言うので、‘didn't stop moaning'ということがわかる。彼は‘moaning'と言う語を知ってはいるが、自分に使ったことはないのである。(これまで何度も「言う」という表現をして来たが彼が喋れないことを考えるとあまり正確ではない。しかし彼が語り手である以上一応そのように表現する) 彼の声は赤ちゃんが泣くように何か訴えたいことがあるというのは周りの人に分かっているようである。Benjyは彼らの取った処置により静かになるが、それが彼の要求にかなったものなのかは分からない。そのほかの彼の意思表示としては‘cry'がある。これは‘moaning'とは明確に区別されている。彼は全部で44回泣いているが、それぞれに理由がある。誰かが泣いているのにつられて泣くもらい泣きや、 Caddy関連の悲しい事件が主なものである。“I looked myself, and I began to cry.”(p.73)というような去勢された自分の身体を見て泣くこともあった。彼が泣く時には「悲しい」や「怖い」など全て感情が伴っているのである。また、彼自身「泣いていなかった」ことを強調した場面がある。それは彼が少女をおそった時で、何度も繰り返されている。“I wasn't crying, and I tried to stop, watching the girls coming along the twilight. I wasn't crying. ”(p.52) ここでは彼は悲しくはなかっただろうし、少女たちが来るのをドキドキしながら待っていたはずである。努めて冷静になろうとしているかのようである。なぜ落着かなければならないのかというと、彼はこれから少女達に「言おうとする」からである。“I was trying to say, and I caught her, trying to say, and she screamed and I was trying to say and trying and the bright shapes begantostopandItriedtogetout.”(p.53) 以前彼が門へ抜け出した時にも「言おうとした」のだが、少女達は足早に去ってしまったので実現できなかった。そして今度も、志半ばにして殴り倒されてしまうのである。彼がこれほど誰かに強烈に意思表示をしたのは‘pull'や‘push' によって男と関係のあったCaddyを責めたこと以来である。この少女達にも彼がCaddyの面影を重ねあわせたとしても不思議はない。もしくは自分が幸せだった子どもの頃の、木の匂いのするCaddyを求めていたことからその年頃の少女に彼女の身代わりになってもらいたかったのかもしれない。(Caddyが木の匂いがもうしないことは確認済みである。) どちらにしてもどこかにCaddyの陰がなければ、彼はここまで行動しなかっただろう。

 それから彼の世界に中には、彼の好きなものがいくつかある。注釈書によると、作者の設定ではpasture, Caddy, firelightだという。そのほかにもいくつか挙げることができるが、やはりそれぞれが三つのどれかに属するように思われる。 pasture関連としては、そこは既にゴルフ場のためgolfer達がおり、flagがはためく。目新しいものは何もないが、彼はfenceに沿って彼らを追って行く。pastureは売られてしまったのだが、彼にとっては二つも見て楽しめるものが増えたのだから幸せなことなのかもしれない。彼らは‘caddie’とも言ってくれる。Caddyに関するものは‘smelled like trees'に表わされるような自然のものである。‘flower'も各種BenjyをなぐさめるためLusterやDilseyによって渡される。rainの音を聞くのも白痴らしいのか、好きである。そして最後はfireのような、動き変化するものである。 Benjyはこれらをじっと見つめるのを好むが、周りから見ればそれはいかにも白痴らしく映っただろう。例えばLusterと歩いている時fenceに映るshadow、黙らせるために見せられた‘box’は“It was full ofstars. When I wasstill, they werestill. when Imoved, they glinted andsparcled.”(p.41)と興味津々ですぐさま泣き止む。Mrs.CompsonにしてはめずらしくBenjyの扱い方を知っている。しかも彼がその宝石に触れたりしないことも知っている。自分が動くことで景色の変わる‘mirror’も気に入っている。もしこの時代にテレビがあったら、彼は一日中でも見ていられるだろう。そしてまた「Benjy語」である‘shapes’も彼はそれが‘smooth and steady’に流れるのを大変好む。これらは彼の恍惚状態に現われ、それがCaddyと一緒に眠ったことを思い出させるからなのだろう。fireとも密接な関係があるが、私は「暑くて頭がボーっとなった」ためではないかと推測する。しかし、この三つの分類に属さないものがある。それは、前述したが‘like’と言う単語を用いて彼を世話する黒人の小屋の匂いを好きだといっている。おそらくそこに住むDilseyなどの黒人のことも好きなのだろう。理由ははっきりしないが、こうきちんと表現されているのは特筆すべきことである。

 以上が語り手Benjyの彼らしさが表れた部分というか特徴的なことである。では、こういった彼の語りが、読者にどのような影響を与えるかを考えてみたい。作者の設定通り、確かにBenjyは「何が起こったか」しか伝えていない。事実のみで、その理由、背景は示されない。語り手としての彼は「ビデオカメラ」であり忠実に記録しているだけなのだ。しかし心の赴くままに記録したわけではなく、登場人物やCompson家がおぼろげながら紹介されている。とは言っても詳細は示されないので、読者は多くに疑問を持ったまま、または理解できないまま読み進めることになる。これは作者の意図通りであろう。白痴の彼には読者に説明できる能力はないし、記憶の中に入り込む彼の性質から幾らでも過去の描写をすることができる。そしてそれは、暗示、象徴、示唆などこの後の章に関連する伏線で満たされている。この章では読者に全貌を見せない。「 Compson家の没落」がテーマと言われるが、ここではpastureがもう彼のものではないこと、家族に争いがあること」(JasonとQuentin)、Caddyの堕落の始まりくらいしか表わされず、Benjyの一日はある種牧歌的でもある。だがこれは、一章から四章への下降線をつくるためであり、一章では楽観的だったが徐々に現実が見えてきて、四章の客観的な記述では没落、崩壊が際立つようになっている。 Benjyには、「彼が見てもわかること」つまり事実と、「彼だからこそわかること」つまり、直感的に察知して直面していない事実をも読者に知らせるという役割を担っている。そして彼は実に作者の意図したとおりよく働き、その役目をまっとうしたといえるのではないだろうか。


Benjyの役割:彼が白痴である理由

 Faulknerが、白痴であるBenjyにこの物語(最初ですから、The Sound and the Furyと一応、置き換えましょう。)を語らせようと考えたのは、彼の頭の中に初めてこの作品のイメージが浮かんだのと同じ頃であった。このような不可欠な役割を担っているBenjyは、作者によってどのような人物として設定されているのだろうか。多くのインタビューで作者がそう語る、単なる「何が起こったかだけはわかるが、なぜ起こったかはわからぬ人」なのだろうか。彼の章である第一章を詳しく見ていきたいと思う。

 この章は彼の33歳の誕生日の1日が、彼の独白(正確には「内的独白」internal monologueと呼ばれている。)という形で描かれている。独白であるから、誰に訴えるでもなく、説明するでもなく、進んで行く。彼が白痴だと発覚したのが5歳の時だから、おそらく彼には3、4歳児以下の知能しかないのだろうと思われる。(Good point! 確か、黒人やJasonが3歳児の知能と示唆している箇所があったはず。)したがって、使われる単語も日常生活に密着したもの、彼が実際に見た事のあるものばかりで、文法的にも易しい内容になっている。これだけなら何も作者は「白痴の子」に語らせなくとも「4歳の男の子」に語らせればよかったはずなのだが、 Benjyの語りには白痴でなければできない大きな特徴がある。4月7日という現在を生き、その状況を語らなければならないはずの彼が、何の前触れもなくどこか別の時間に一人入り込んでしまうのである。当然彼がその時間の中にいる間は「現在」の描写は放り出され、空白になってしまう。しかし彼は、そんな事に構いもしないし、気づきもしない。彼にとっては、その移転した先の状況が描写すべきものであり、「現在」なのである。そしてその状況とは、認識されてはいない(く?)とも彼の昔の経験、つまり過去なのだが、驚くほど鮮明で生き生きと描かれる。まるで目の前で起きていることを見ているかのようである。彼がそちらを現在だと思ってしまうのも無理はない。それほど記憶を鮮明にとどめておけるのも、彼が白痴ゆえに身につけている何かの能力なのだろうか。

 能力といえば、彼の鋭い「嗅覚」が挙げられる。注釈書(「注釈書」とはなにか、初出なので、明示しておく必要があります。例えば(大橋健三郎,『響きと怒り』英潮社新社ペンギンブックス注釈書(東京:英潮社新社, 1988), p. ??. 以下、『注釈』と略す。)のような書き方があります。ただ、ここの「注釈書には」という書き方は少し曖昧です。書く必要もないかも知れません。書き方を工夫してみて下さい。)には例えば「父の死の匂いを嗅ぎつける」や、「Caddyが春に眼ざめて初めて化粧したのをBenjyが敏感に嗅ぎつけた」 などがある。後者の場合、確かに鼻はいいのだろうとわかる。‘smell'という単語は30回出てくるが、それらは二つに分類できる。(異論はあるかも知れないが、有効な指摘だと思います。)一つは物理的なものである。例えば、“I could smell the clothes flapping, and the smoke blowing across the branch.”(p.14)テキストからの最初の引用なので、(William Faulkner, The Sound and the Fury (New York: Vintage International, 1990), p. 3. 以下、本書からの引用はページ数のみを記す。)とするのが「正式」です。などである。普通の人なら気づかないようなものの(では?)あるが、わかったらおかしいというほどのものではない。しかし、上記の「父の死の匂い」は物理的ではないと思う。死体独特の匂いがする可能性もあるが、非常にわずかなものだ。それにBenjyが最初にそれを嗅ぎ付けるのは彼のベッドの中でのことである。(Good point!)“Then they all stopped and it was dark, and when I stopped to start again I could hear Mother, and feet walking fast away, and I could smell it. ”(ピリオドと閉じる引用符の間にはスペースは入れません。)(p. 34) つまり、何かの匂いがするのではなくBenjyが直感的にわかるというか、ある意味神のお告げのように、そういったことが彼の頭の中に浮かんだ、ということではないか。しかし彼はそれが「父の死」を意味するとは分かっていないし、どのようにその直感を描写すればいいのかも分からない。ゆえに、仕方なく‘smell'という単語で代用したのではないか。(Good point!)その後Dilseyの小屋へ移動中に父の部屋の前に来て“A door opened and I could smell it more than ever,…”(ever..." この場合、コンマも単語扱いで省略記号に含まれます。)(p. 34) としているので、「父に異変」が起こったことは分かったのだろう。ただ、普通家族が病気になって床に臥している時、夜中に物音がしたり、起こされたりすれば「何か」が起きたことは誰にでも想像がつくはずである。しかし彼にはそのような事実を結び付けることができない。(Good point!)そういう設定であるが、彼は全く別の手段で、つまり本能的に察知する。「父の死」を彼が‘smell'するのはその後も繰り返される。また、「祖母の死」は彼は“Caddy held me and I could hear us all, and the darkness, and something I could smell. ”(p. 75)としている。この‘something'という言葉にできないものが「祖母の死」だと思われる。このように、彼が表現できないもの、知らない言葉を知っている言葉に置き換えて描写したところは彼独自の表現ということで、「Benjy語」と呼びたいと思う。(Good point! ただ、「Benjy語」についてはもう少し定義を明確にして、後述する「Benjy語論」として独立にまとめることも可能と思えた。)また、‘smell'においては彼の大好きな姉Caddyのことを忘れてはならない。“Caddy smelled like trees.”または“She smelled like trees.”は本文中に十回登場する。(p.6,9,19,42,43,44,48,72)(ページ数表記は半角で統一する。)「木のような匂い」が実際にした可能性もあるが、これは注釈書(上記注意参照)によると「処女のCaddy」にしかしないという。確かに(一連の?)「Caddyの結婚式」の記憶では“…and I couldn't smell trees anymore and I began to cry. ”(p.40)と言っている。そこで「Caddyの処女喪失」のシーンを見てみると、ここでは‘smell'は使われていない。つまり彼は「匂いがしない」ことを描写する間でもなく(??意味不明)すぐに分かり、「CaddyとCharlie」のシーンでCaddyが口を洗ったり「Caddyと香水」のシーンで彼女がシャワーを浴びてまた‘smelled like trees'になったことを思い出してbathroomに連れて行こうとしたわけである。この‘trees'とは自然であり、心地よいものであるから愛するCaddyのイメージにも重なったのだ(であ?)ろう。(Caddyとtreesのどちらを先に好きになったかは定かではない。(この言及は興味深いが、これだけでは意図が不明。)) そしてそれは同時に彼女のpurityでもあり、彼女が他の誰にも汚されていない、誰のものでもない、つまりBenjyが自分のものだと思える状態を表わすのではないだろうか。いくら好きなCaddyでも、「木の匂い」がしないなら彼は拒否する。“She put her arms around me again, but I went away. ” (p.40)これは香水をつけたCaddyへの彼の反応だが、「他の誰かのために」香水をつけるCaddyが彼には許せなかったのだろう。(面白い考えだが、「他の誰かのために」という意識をBenjyは理解できるのだろうか?)そして、「自分だけの」 Caddyに戻ると、満足する。やはりこれは「匂い」があるというよりも、彼なりの愛情の表現なのではないだろうか。本文中で彼が‘like'という言葉を使ったのは“I liked to smell Versh’s house. ”(p.28)と“The bed smelled like T.P. I liked it. ”(p.29)だけで、、(Good point! 以下の指摘も同様。尚、コンマが余分)そのほかに彼が好きなものに関してはそれらに対するBenjyの反応が描かれるばかりなのである。Caddyに関してでさえ、‘like'は使われない。この十回も繰り返されるCaddyの描写は、‘I liked Caddy'など、彼のCaddyへの気持ちを表現する文に置き換えられるのではないだろうか。

 このように‘smell'にはまた別の意味が付け加えられている。(この点に関しては、もう少し言及しまとめられるのでは・・・)これらは彼が表わせないものを違った形で表現したものだが、描写できなかったものもある。例えば“Luster picked it up and gave it to me. It was bright.”(p.50)の‘it'などである。 Lusterも“Here something you can play with along with that jimson weed.”(p.50)といって渡しており、 Benjyもおそらく今までにそれを見たことがなかったと思われるので表現のしようがなかったのだろう。後にそれはcondomの箱だということがred tieの男の発言でわかる。またもう一ヶ所、“We went to the window and looked out. It came out of Quentin’s window and climbed across into the tree.”(p.74) という、Quentinが家を抜け出すところを目撃した場面である。ここではLusterがその前に“Here she come. ”(p.74)と言っているにもかかわらずBenjyは‘it'としか表現できない。暗くてあまり良く見えなかったのだろうが、Quentinとも人とも特定できていないようである。ここでも、彼女の部屋の窓から出てきたというのに事実を結び付けられない。また、亡くなった父の部屋から出てきた人物(おそらく医者) を‘a head'と表わした文もあった。(p.34)(このパラグラフでの論旨はもう少しまとめられるのでは・・・)

 以上のような「彼独自の言葉」を持つBenjyだが、彼はそれを発話することはできない。読者が目にすることのできるのは、彼の頭の中、内面にある言葉なのである。実際に彼が話す言葉は単なる‘moaning'にすぎず、意味を成さない。しかもそれは周りの人間の反応からしか分からない。彼は、‘I was moaning'などとは一度も描写していない。かといって‘I said…'とも言わない。ただ、“Then the room came, but my eyes went shut. I didn't stop. I could smell it.”(p.34)のように父の死を嗅ぎ付けて興奮したのか‘stop'で表わしていることはある。(Good point!)このあとT.P.が彼のもとにやってきて‘Hush'‘shhhhhhhh'と言うので、‘didn't stop moaning'ということがわかる。彼は‘moaning'と言う語を知ってはいるが、自分に使ったことはないのである。(Good point! ただ、Benjyは他の人が使うmoaningという言葉の意味を理解していないので、自分に使わないとも考えられるのでは・・・。そうならば、Benjyの性格を考える上で、どこか象徴的。)(これまで何度も「言う」という表現をして来たが彼が喋れないことを考えるとあまり正確ではない。しかし彼が語り手である以上一応そのように表現する) 彼の声は赤ちゃんが泣くように何か訴えたいことがあるというのは周りの人に分かっているようである。Benjyは彼らの取った処置により静かになるが、それが彼の要求にかなったものなのかは分からない。そのほかの彼の意思表示としては‘cry'がある。これは‘moaning'とは明確に区別されている。彼は全部で44回泣いているが、(Good point! と言っても、まったく知らなかったが・・・)それぞれに理由がある。誰かが泣いているのにつられて泣くもらい泣きや、 Caddy関連の悲しい事件が主なものである。“I looked myself, and I began to cry.”(p.73)(他にもあったと思うが、p. 73 のようにピリオドの後にスペースをひとつ入れる。)というような去勢された自分の身体を見て泣くこともあった。彼が泣く時には「悲しい」や「怖い」など全て感情が伴っているのである。また、彼自身「泣いていなかった」ことを強調した場面がある。それは彼が少女をおそった時で、何度も繰り返されている。(Good point!)“I wasn't crying, and I tried to stop, watching the girls coming along the twilight. I wasn't crying. ”(p.52) ここでは彼は悲しくはなかっただろうし、少女たちが来るのをドキドキしながら待っていたはずである。努めて冷静になろうとしているかのようである。なぜ落着かなければならないのかというと、彼はこれから少女達に「言おうとする」からである。(Good point!)“I was trying to say, and I caught her, trying to say, and she screamed and I was trying to say and trying and the bright shapes begantostopandItriedtogetout.”(英文は半角に統一する。)(p.53) 以前彼が門へ抜け出した時にも「言おうとした」のだが、少女達は足早に去ってしまったので実現できなかった。そして今度も、志半ばにして殴り倒されてしまうのである。彼がこれほど誰かに強烈に意思表示をしたのは‘pull'や‘push' (すること?)によって男と関係のあったCaddyを責めたこと以来である。(Good point!)この少女達にも彼がCaddyの面影を重ねあわせたとしても不思議はない。もしくは自分が幸せだった子どもの頃の、木の匂いのするCaddyを求めていたことからその年頃の少女に彼女の身代わりになってもらいたかったのかもしれない。(Caddyが木の匂いがもうしないことは確認済みである。(「確認」できているかには異論もあると思う。Benjyは木の匂いのしないCaddyもするCaddyも経験しているが、もうCaddyは木の匂いを将来もさせないということは理解していないのでは・・・)) どちらにしてもどこかにCaddyの陰がなければ、彼はここまで行動しなかっただろう。

 それから彼の世界に中には、彼の好きなものがいくつかある。注釈書によると、作者の設定ではpasture, Caddy, firelight(英文は半角に統一する。)だという。そのほかにもいくつか挙げることができるが、やはりそれぞれが三つのどれかに属するように思われる。 pasture関連としては、そこは既にゴルフ場のためgolfer達がおり、flagがはためく。目新しいものは何もないが、彼はfenceに沿って彼らを追って行く。pastureは売られてしまったのだが、彼にとっては二つも見て楽しめるものが増えたのだから幸せなことなのかもしれない。彼らは‘caddie’(英文は半角に統一する。)とも言ってくれる。Caddy(英文は半角に統一する。)に関するものは‘smelled like trees'に表わされるような自然のものである。‘flower'も各種BenjyをなぐさめるためLusterやDilseyによって渡される。rainの音を聞くのも白痴らしいのか、好きである。(この点はさらに発展させることも可能。)そして最後はfireのような、動き変化するものである。 Benjyはこれらをじっと見つめるのを好むが、周りから見ればそれはいかにも白痴らしく映っただろう。例えばLusterと歩いている時fenceに映るshadow、黙らせるために見せられた‘box’は“It was full ofstars. When I wasstill, they werestill. when Imoved, they glinted andsparcled.”(英文は半角に統一する。)(p.41)と興味津々ですぐさま泣き止む。Mrs.CompsonにしてはめずらしくBenjyの扱い方を知っている。しかも彼がその宝石に触れたりしないことも知っている。自分が動くことで景色の変わる‘mirror’も気に入っている。もしこの時代にテレビがあったら、彼は一日中でも見ていられるだろう。そしてまた「Benjy語」である‘shapes’も彼はそれが‘smooth and steady’に流れるのを大変好む。これらは彼の恍惚状態に現われ、それがCaddyと一緒に眠ったことを思い出させるからなのだろう。(この点もさらに発展させることも可能。)fireとも密接な関係があるが、私は「暑くて頭がボーっとなった」ためではないかと推測する。(絶句!)しかし、この三つの分類に属さないものがある。それは、前述したが‘like’と言う単語を用いて彼を世話する黒人の小屋の匂いを好きだといっている。おそらくそこに住むDilseyなどの黒人のことも好きなのだろう。理由ははっきりしないが、こうきちんと表現されているのは特筆すべきことである。(Good point! この点もさらに発展させることも可能。ただ、このパラグラフも羅列に終わらないまとめ方を考えてもらいたい。)

 以上が語り手Benjyの彼らしさが表れた部分というか特徴的なことである。では、こういった彼の語りが、読者にどのような影響を与えるかを考えてみたい。作者の設定通り、確かにBenjyは「何が起こったか」しか伝えていない。事実のみで、その理由、背景は示されない。語り手としての彼は「ビデオカメラ」であり忠実に記録しているだけなのだ。しかし心の赴くままに記録したわけではなく、登場人物やCompson家がおぼろげながら紹介されている。とは言っても詳細は示されないので、読者は多くに疑問を持ったまま、または理解できないまま読み進めることになる。これは作者の意図通りであろう。白痴の彼には読者に説明できる能力はないし、記憶の中に入り込む彼の性質から幾らでも過去の描写をすることができる。そしてそれは、暗示、象徴、示唆などこの後の章に関連する伏線で満たされている。この章では読者に全貌を見せない。「 Compson家の没落」がテーマと言われるが、ここではpastureがもう彼のものではないこと、家族に争いがあること」(JasonとQuentin)、Caddyの堕落の始まりくらいしか表わされず、Benjyの一日はある種牧歌的でもある。だがこれは、一章から四章への下降線をつくるためであり、一章では楽観的だったが徐々に現実が見えてきて、四章の客観的な記述では没落、崩壊が際立つようになっている。(Good point!) Benjyには、「彼が見てもわかること」つまり事実と、「彼だからこそわかること」つまり、直感的に察知して直面していない事実をも読者に知らせるという役割を担っている。そして彼は実に作者の意図したとおりよく働き、その役目をまっとうしたといえるのではないだろうか。(結論部分も再考の余地あり。)

総評:Benjyの章を綿密に検証した、とてもよい論文だと思います。このテーマで僕が期待したことをほとんど書けていると言えます。ただ、あえて言うなら、「よく書けている」とは言い難い。下手な学術論文より、よほど鋭い洞察が随所に見られますが、構成がしっかりできているとは言えません。まず、何を一番書きたいか、次にそれを効果的に(説得力を高めて)言うには何を使ってどう書くかをもう一度考えて下さい。(大島さんの総評に「総評の総評」めいたものを書いておきましたので、読んで下さい。)

現状でも合格点ですが、来年のこともあるので、ぜひ書き直してみることを希望します。提出は1月末までで結構です。

 


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