construc.gif

Seminar Paper 97


Naoko Hanaoka

First created on December 22, 1997
Last revised on January 8, 1998

Back to: Seminar Paper Home


Benjyの役割
静けさの中の価値観が示すもの

 The Sound and the Furyを読み、Benjyの役割について考える際、読者にはヨクナパトーファ群ジェファソンという、架空のアメリカ南部の町に暮らすコンプソン家の物質的・精神的崩壊の歴史を通して露呈される物事の表裏、あるいは対称性を正確に見極めるために、各章の語り手である白痴・自殺寸前の大学生・現実的で物欲的な30歳の男をはじめとする、登場人物それぞれのおかれた状況や彼らの性格および価値観を絶えず第三者の視点から比較することが要求される。

 第1章、黒人の少年にお守りをされた33歳の誕生日を迎えた白痴の男Benjyの世界は、誰かの夢の中を覗くように無防備な安らぎのみから生まれる独特のやさしさと脆さが混然としている。Mr.Compson の言葉を借りれば、“the air thin and eager like this, with something in it sad and nostalgic and familiar.”(p.123)と形容される、ある種混沌とした複雑さの中に、私たちが見失いがちな日常のあたたかさを備えた奥深い世界である。

 しかしこの世界について何の予備知識も与えられていない読者にとって、作品冒頭からの混乱は必至であり、その混乱は多少を問わず衝撃に値するだろう。

Benjyの章を分析するために、読者の混乱を招くふたつの主な元凶をあげてみよう。  まず、Benjyが白痴であるという人物設定そのものがあげられる。  口をきくことさえできない白痴の彼には、物事の判断や観察、状況や心情の推察などはできない。彼ができるのはただ物事を見たり聞いたりし、行動することだけである。第1章のどのページを開いてもわかるような例をあげると、

“Here, caddie." He hit. They went away across the pasture. I held to the fence and watched them going away.
"Listen at you, now." Luster said. "Aint you something, thirty three years old, going on that way*Hush up that moaning*." (p.3)
というように、“キャディー”という言葉をただ聞くだけで、ゴルファーの呼ぶ“caddie”と最愛の姉“Caddy”の区別を付けることができない。  また単純に、この章に一つも疑問符や感嘆符がないことから、彼がただ単に会話を聞くだけということは明らかである。

 そのため読者は彼に代わって与えられた情報を積極的に活用し、第三者的な視点からBenjyの行動 ―この場合moaning― を理解するために周囲の状況や彼の行動を判断し、彼と彼を取り巻く人々の心情を察することに時間を費やさなければならないのである。  もう一つの混乱の元凶は、彼の時間の概念である。

 彼には時間というものがない。時計の音や時間についての会話を聞くことはあるが、これもやはり聞くだけである。彼にとって時間とは、過去・現在・未来のように整理されたものではなく、彼自身の経験を伴った記憶の純粋な集積にすぎないのである。

 現在までの33年間に彼の身に起こった様々な経験と、現在起こりつつある経験すべてが彼の記憶の中に流れ込み、その記憶と現在の意識が些細なことをきっかけに頻繁に交錯する。そのなかで象徴的ともいえる印象深い経験と意識の交わる一点が小さなかけらごとに彼の心象として彼の裡で頭をもたげ、それがそのまま彼の語りとなり、第1章をつくりあげている。

 たとえて言えばそれは、電車が頻繁に踏切を通過する光景によく似ている。縦に流れる現在のBenjyの意識は突然キーワードによって遮断され、いくつもの過去の記憶を通りすぎるままに眺めているのである。

 たとえば、
“Wait a minute.” Luster said. “You snagged on that nail again. Cant you never crawl through here without snagging on that nail."
 Caddy uncaught me and we crawled through. Uncle Maury said to not let anybody see us, so we better stoop over, Caddy said. Stoop over, Benjy. Like this, see...
 Keep your hands in your pockets, Caddy said. Or they'll get froze. You don't want your hands froze on Christmas, do you.
 "It's too cold out there." Versh said. "You don't want to go out doors."
 "What is it now." Mother said...
 "Did you come to meet Caddy," she said, rubbing my hands. "What is it. What are you trying to tell Caddy.” Caddy smelled like trees and like when she says we were asleep.
 What are you moaning about, Luster said...
 "What is it.” Caddy said. “What are you trying to tell Caddy. Did they send him out, Versh.”(pp. 4-7)
と“stoop”という動作や“cold”という感覚、あるいはキーワードをきっかけに、それに関連した彼にとって印象的な過去の経験が次々と鮮やかによみがえり、それについて語り出すといった具合である。今、直接経験しつつある出来事から追憶されつつある出来事を連想し、幾重にも重ねていくのである。

“経験を伴った記憶の集積”ということは逆に考えると、経験を伴わない間接的な情報による記憶や、現在より先、つまりまだ経験していない未来などの存在すら彼は知らないということになる。

 実際、本文を注意深く読むと、Benjyの語りの中で兄Quentinの大学のことや自殺のことは触れられておらず、また、彼が将来への希望や願望、現在とは違う状況の仮定などを一切語っていないことがわかる。過去への反省や後悔、郷愁もない。彼にとっては、現在でさえも成り行きにすぎないといえるのかもしれない。強いて言えば、過去も未来もすべてが彼の裡では現在なのである。

 時間を持たないBenjyとは対照的なQuentinが、第二章冒頭で時間について次のような父の言葉を思い出している。
 I give it to you not that you may remember time, but that you might forget it now and then for a moment and not spend all your breath trying to conquer it. Because no battle is ever won he said. They are not even fought. The field only reveals to man his own folly and despair, and victory is an illusion of philosophers and fools. (p.76)
 彼は時間を忘れようと努力するものの、結局は“constant speculation regarding the position of mechanical hands on an arbitrary dial which is a symptom of mind-function”(p.77)と父が分析するその冷ややかで抗いがたい力と、逃れることのできない過去にとらわれ、父の言うように時間を忘れることなどできず、時間とともに妹Caddyの失われた処女性について考えを巡らせ、次のように語っている。
 It was propped against the collar box and I lay listening to it. Hearing it, that is. I dont suppose anybody ever deliberately listens to a watch or a clock. You dont have to. You can be oblivious to the sound for a long while, then in a second of ticking it can create in the mind unbroken the long diminishing parade of time you didn't hear. Like Father said down the long and lonely light-rays you might see Jesus walking, like. And the good Saint Francis that said Little Sister Death, that never had a sister. (p.76)
 そして時間は好む好まぬに関わらず、目に見えないその存在を意識し、認知した瞬間から絶えずつきまとう影のようなものとなり、時として窮屈で、堅苦しい物になることがQuentin の章から読みとれる。さらにそれはQuentinの語る次のようなジレンマを生み、、己の存在すら疑わせる力を秘めていることを私たちに思い出させる。
where all stable things had become shadowy paradoxical all I had done shadows all I had felt suffered taking visible form antic and perverse mocking without relevance inherent themselves with the denial of the significance they should have affirmed thinking I was I was not who was not was not who. (p.170)
 Quentinはその存在と力を一度知ってしまったからには忘れることも知らないふりをすることもできず、Benjy の稀有な存在を“Refuge unfailing in which conflict tempered silenced reconciled.”(p.170) と唯一の安寧かのように思い出している。 そして結局は、執拗につきまとう時間と過去に失ったもの―愛する妹Caddyの処女性と彼が抱いていた倫理、彼女との近親相姦の妄想、妊娠し、結婚したCaddy自身―を振り切ろうと、自分で自分に付けた傷をいやすかのように川に身を投げ、命を絶っている。

 では、Benjyのように白痴であり時間の概念を持たない、あるいはすべてが現在であるということは、どういうことだろうか。

 それは、Benjyには失うものがないということである。それと同時に、誰もが持つ時間や金銭を含む事物、人間関係に対する何らかの欲や期待や執着を持たないということである。

 記憶が現在であるならば、必要なすべてを記憶の中に留めることができる限り、またその記憶を思い出すことができる限り何も失わないということである。“キャディー”ときいたBenjy は、姉のCaddyがここにいないことに対して呻いているのではなく、彼女と過ごした日々を思い出して呻いているだけなのである。

 そして期待や執着に満ちた少年たちを見てQuentinはこう語っている。
 Then they talked about what they would do with twenty-five dollars. They all talked at once, their voices insistent and impatient, making of unreality a possibility, then a probability, then an incontrovertible fact, as people will when their desires become words. (p.117)

 He leaned on the rail, looking down at the acrimony, the conflict, was gone from their voices, as if to them too it was as though he had captured the fish and bought his horse and wagon, they too partaking of that adult trait of being convinced of anything by an assumption of silent superiority. (p.118)
 これはCaddyへの執着の果てにとったQuentin自身の行動の反芻ともとれるだろう。

 欲についてMr.CompsonはQuentinにこう語っている。  
Man the sum of his climatic experiences Father said. Man the sum of what have you. A problem in impure properties carried tediously to an unvarying nil: stalemate of dust and desire. (p.124)
 皮肉なことに現実的で物質的に貪欲なJasonと、彼の結末とぴったり一致している。

 ではBenjyの役割とはいったい何なのか。

 それは人間が持つありとあらゆる価値観の原点の提示である。 私たちは誰でも、目に見えない物や見える物、それぞれへの概念や欲望、それに伴う利害への執着を誰に教わるでもなく、いつのまにか身につけている。日常のなかでその存在すら忘れられがちなそれら自体はなんの性格も持たず、その存在に気がついた人のそのときの価値観によって美しくもなり、残酷にもなる。

 Benjyはその存在に無関心で、Quentinが“people, using themselves and each other so much by words, are at least consistent in attributing wisdom to a still tongue...”(p.118)と語る“attributing wisdom”をそなえ、可能な限り無垢な存在として描かれることによって他の登場人物との違いを浮き彫りにし、読者に価値観の原点を提示しているのである。


Benjyの役割
静けさの中の価値観が示すもの

 The Sound and the Fury(書名はイタリック)を読み、Benjyの役割について考える際、読者にはヨクナパトーファ群ジェファソンという、架空のアメリカ南部の町に暮らすコンプソン家の物質的・精神的崩壊の歴史を通して露呈される物事の表裏、あるいは対称性を正確に見極めるために、各章の語り手である白痴・自殺寸前の大学生・現実的で物欲的な30歳の男(JasonはBenjyより1歳年上というのが定説です)をはじめとする、登場人物それぞれのおかれた状況や彼らの性格および価値観を絶えず第三者の視点から比較することが要求される。

 第1章、黒人の少年にお守りをされた33歳の誕生日を迎えた白痴の男Benjyの世界は、誰かの夢の中を覗くように無防備な安らぎのみから生まれる独特のやさしさと脆さが混然としている。Mr.Compson の言葉を借りれば、“the air thin and eager like this, with something in it sad and nostalgic and familiar.”(p.123)と形容される、ある種混沌とした複雑さの中に、私たちが見失いがちな日常のあたたかさを備えた奥深い世界である。(a great quotation and insight!)

 しかしこの世界について何の予備知識も与えられていない読者にとって、作品冒頭からの混乱は必至であり、その混乱は多少を問わず衝撃に値するだろう。(Yes!)

Benjyの章を分析するために、読者の混乱を招くふたつの主な元凶をあげてみよう。  まず、Benjyが白痴であるという人物設定そのものがあげられる。  口をきくことさえできない白痴の彼には、物事の判断や観察、状況や心情の推察などはできない。彼ができるのはただ物事を見たり聞いたりし、行動することだけである。第1章のどのページを開いてもわかるような例をあげると、

“Here, caddie." He hit. They went away across the pasture. I held to the fence and watched them going away.
"Listen at you, now." Luster said. "Aint you something, thirty three years old, going on that way...Hush up that moaning..." (p.3)
というように、“キャディー”という言葉をただ聞くだけで、ゴルファーの呼ぶ“caddie”と最愛の姉“Caddy”の区別を付けることができない。  また単純に、この章に一つも疑問符や感嘆符がないことから、彼がただ単に会話を聞くだけということは明らかである。

 そのため読者は彼に代わって与えられた情報を積極的に活用し、第三者的な視点からBenjyの行動 ―この場合moaning― を理解するために周囲の状況や彼の行動を判断し、彼と彼を取り巻く人々の心情を察することに時間を費やさなければならないのである。  もう一つの混乱の元凶は、彼の時間の概念である。

 彼には時間というものがない。時計の音や時間についての会話を聞くことはあるが、これもやはり聞くだけである。彼にとって時間とは、過去・現在・未来のように整理されたものではなく、彼自身の経験を伴った記憶の純粋な集積にすぎないのである。(great wording!)

 現在までの33年間に彼の身に起こった様々な経験と、現在起こりつつある経験すべてが彼の記憶の中に流れ込み、その記憶と現在の意識が些細なことをきっかけに頻繁に交錯する。そのなかで象徴的ともいえる印象深い経験と意識の交わる一点が小さなかけらごとに彼の心象として彼の裡で頭をもたげ、それがそのまま彼の語りとなり、第1章をつくりあげている。

 たとえて言えばそれは、電車が頻繁に踏切を通過する光景によく似ている。縦に流れる現在のBenjyの意識は突然キーワードによって遮断され、いくつもの過去の記憶を通りすぎるままに眺めているのである。(!?)

 たとえば、
“Wait a minute.” Luster said. “You snagged on that nail again. Cant you never crawl through here without snagging on that nail."
 Caddy uncaught me and we crawled through. Uncle Maury said to not let anybody see us, so we better stoop over, Caddy said. Stoop over, Benjy. Like this, see...
 Keep your hands in your pockets, Caddy said. Or they'll get froze. You don't want your hands froze on Christmas, do you.
 "It's too cold out there." Versh said. "You don't want to go out doors."
 "What is it now." Mother said...
 "Did you come to meet Caddy," she said, rubbing my hands. "What is it. What are you trying to tell Caddy.” Caddy smelled like trees and like when she says we were asleep.
 What are you moaning about, Luster said...
 "What is it.” Caddy said. “What are you trying to tell Caddy. Did they send him out, Versh.”(pp. 4-7)
と“stoop”という動作や“cold”という感覚、あるいはキーワードをきっかけに、それに関連した彼にとって印象的な過去の経験が次々と鮮やかによみがえり、それについて語り出すといった具合である。今、直接経験しつつある出来事から追憶されつつある出来事を連想し、幾重にも重ねていくのである。

“経験を伴った記憶の集積”ということは逆に考えると、経験を伴わない間接的な情報による記憶や、現在より先、つまりまだ経験していない未来などの存在すら彼は知らないということになる。(very persuasive!)

 実際、本文を注意深く読むと、Benjyの語りの中で兄Quentinの大学のことや自殺のことは触れられておらず(厳密に言えば、「触れられて」はいるが、Benjyは理解していない。言いたいことは分かります。)、また、彼が将来への希望や願望、現在とは違う状況の仮定などを一切語っていないことがわかる。過去への反省や後悔、郷愁もない。彼にとっては、現在でさえも成り行きにすぎないといえるのかもしれない。強いて言えば、過去も未来もすべてが彼の裡では現在なのである。

 時間を持たないBenjyとは対照的なQuentinが、第二章冒頭で時間について次のような父の言葉を思い出している。(以下のQuentinの時間に対する観念などを展開して「Benjyの役割」を論ずるのは、与えられたテーマ--おそらく花岡さんにとっては退屈なもの--から逸脱しており、ルール違反とも言えますが、あまりに見事なので、可とします)
 I give it to you not that you may remember time, but that you might forget it now and then for a moment and not spend all your breath trying to conquer it. Because no battle is ever won he said. They are not even fought. The field only reveals to man his own folly and despair, and victory is an illusion of philosophers and fools. (p.76)
 彼は時間を忘れようと努力するものの、結局は“constant speculation regarding the position of mechanical hands on an arbitrary dial which is a symptom of mind-function”(p.77)と父が分析するその冷ややかで抗いがたい力と、逃れることのできない過去にとらわれ、父の言うように時間を忘れることなどできず、時間とともに妹Caddyの失われた処女性について考えを巡らせ、次のように語っている。
 It was propped against the collar box and I lay listening to it. Hearing it, that is. I dont suppose anybody ever deliberately listens to a watch or a clock. You dont have to. You can be oblivious to the sound for a long while, then in a second of ticking it can create in the mind unbroken the long diminishing parade of time you didn't hear. Like Father said down the long and lonely light-rays you might see Jesus walking, like. And the good Saint Francis that said Little Sister Death, that never had a sister. (p.76)
 そして時間は好む好まぬに関わらず、目に見えないその存在を意識し、認知した瞬間から絶えずつきまとう影のようなものとなり、時として窮屈で、堅苦しい物になることがQuentin の章から読みとれる。さらにそれはQuentinの語る次のようなジレンマを生み、、己の存在すら疑わせる力を秘めていることを私たちに思い出させる。
where all stable things had become shadowy paradoxical all I had done shadows all I had felt suffered taking visible form antic and perverse mocking without relevance inherent themselves with the denial of the significance they should have affirmed thinking I was I was not who was not was not who. (p.170)
 Quentinはその存在と力を一度知ってしまったからには忘れることも知らないふりをすることもできず、Benjy の稀有な存在を“Refuge unfailing in which conflict tempered silenced reconciled.”(p.170) (Great!)と唯一の安寧かのように思い出している。 そして結局は、執拗につきまとう時間と過去に失ったもの―愛する妹Caddyの処女性と彼が抱いていた倫理、彼女との近親相姦の妄想、妊娠し、結婚したCaddy自身―を振り切ろうと、自分で自分に付けた傷をいやすかのように川に身を投げ、命を絶っている。

 では、Benjyのように白痴であり時間の概念を持たない、あるいはすべてが現在であるということは、どういうことだろうか。

 それは、Benjyには失うものがないということである。それと同時に、誰もが持つ時間や金銭を含む事物、人間関係に対する何らかの欲や期待や執着を持たないということである。(great insight!)

 記憶が現在であるならば、必要なすべてを記憶の中に留めることができる限り、またその記憶を思い出すことができる限り何も失わないということである。“キャディー”ときいたBenjy は、姉のCaddyがここにいないことに対して呻いているのではなく、彼女と過ごした日々を思い出して呻いているだけなのである。(!?)

 そして期待や執着に満ちた少年たちを見てQuentinはこう語っている。(ここの展開もルール違反気味ですが、許します)
 Then they talked about what they would do with twenty-five dollars. They all talked at once, their voices insistent and impatient, making of unreality a possibility, then a probability, then an incontrovertible fact, as people will when their desires become words. (p.117)

 He leaned on the rail, looking down at the acrimony, the conflict, was gone from their voices, as if to them too it was as though he had captured the fish and bought his horse and wagon, they too partaking of that adult trait of being convinced of anything by an assumption of silent superiority. (p.118)
 これはCaddyへの執着の果てにとったQuentin自身の行動の反芻ともとれるだろう。

 欲についてMr.CompsonはQuentinにこう語っている。  
Man the sum of his climatic experiences Father said. Man the sum of what have you. A problem in impure properties carried tediously to an unvarying nil: stalemate of dust and desire. (p.124)
 皮肉なことに現実的で物質的に貪欲なJasonと、彼の結末とぴったり一致している。(Super!)

 ではBenjyの役割とはいったい何なのか。

 それは人間が持つありとあらゆる価値観の原点の提示である。 私たちは誰でも、目に見えない物や見える物、それぞれへの概念や欲望、それに伴う利害への執着を誰に教わるでもなく、いつのまにか身につけている。日常のなかでその存在すら忘れられがちなそれら自体はなんの性格も持たず、その存在に気がついた人のそのときの価値観によって美しくもなり、残酷にもなる。

 Benjyはその存在に無関心で、Quentinが“people, using themselves and each other so much by words, are at least consistent in attributing wisdom to a still tongue...”(p.118)と語る“attributing wisdom”をそなえ、可能な限り無垢な存在として描かれることによって他の登場人物との違いを浮き彫りにし、読者に価値観の原点を提示しているのである。

総評:このテーマで要求したことから若干逸脱気味ですが、全く予想しなかった視点からの見事な「Benjyの役割」論を展開しています。花岡さんの文章力には完全に脱帽!ゼミの授業が退屈であったはず、と納得しました。

というわけで、書き直す必要はありません。「ゴミ」もほとんどないので(一部はHTMLに直すとき、修正しました)、きれいにする必要もないでしょう。もし気になる箇所などがありましたら、修正して送って下さい。

 


Back to: Seminar Paper Home