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Seminar Paper 98


Kumiko Kawano

First Created on January 9, 1999
Last revised on January 9, 1999

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「ホールデンと子供たち」
―あなたは子供ですか? もう大人ですか?―

The Catcher in the Ryeで鍵を握るのが子供たちである。子供観を主人公ホールデンが目やふれあいを通して語り、「大人になること」が彼や子供たちにどういう存在か分かるからである。

ホールデンの兄D.B.の書いた小説'The Secret Goldfish'がある。"It was about this little kid that wouldn't let anybody look at his goldfish because he'd bought it with his own money. It killed me."(J. D. Salinger, The Catcher in the Rye(Penguin Books), p. 1. 以下、本書からの引用はページ数のみを記す。)少年は大人や世間の常識というものにとらわれず、自分が大切にする感情や信仰に対して絶対的な価値を持ち、それに固執しようとしている。ホールデンはこの少年のような子供らしい無邪気な世界、純粋さ(イノセンス)を保持し、歪曲されていない点に価値を見出していると思われる。大切なものを見せびらかしてはいけないと考えているようである。彼自身病院で治療を受ける際、"... I'm not going to tell you my whole goddam autobiography or anything. I'll just tell you about this madman stuff that happened to me around last Christmas just before I got pretty run-down..."(p. 1)と言っている。

同室のストラドレーターのデート相手はジェーン・キャラガーで、ホールデンの理想の子である。チェッカーをよくしたのだが手法について次のように述べている。

She wouldn't move any of her kings. What she'd do, when she'd get a king, she wouldn't move it. She'd just leave it in the back row. She'd get them all lined up in the back row. Then she'd never use them. She just liked the way they looked when they were all in the back row.(p. 27)
これは前出の「秘密の金魚」の少年同様、キングが彼女の持つ世界であると同時にジェーンの無垢を表している。彼女は自分の世界が大切だからこそ動かそうとしないのである。 彼は常に人とコミュニケーションを取りたいと願うが空振りに終わる。人恋しさからナイトクラブでN.Y.見物に来た女性たちとダンスをするが無知で狡猾な彼女たちとでは上手く いかず妹のフィービーを思い出し魅力を語る。
She's only ten... You'd like her, I mean if you tell old Phoebe something, she knows exactly what the hell you're talking about...If you take her to a lousy movie, for instance, she knows it's a lousy movie. If you take her to a pretty good movie, she knows it's a pretty good movie(p. 60−61)
彼女は理屈抜きに良い映画と悪い映画が分かる。 物事の正しさを10才で理解出来、相手の望むことを正確に出来る頭の良さを持つ一種の能力は純粋だから出来るのでは?これは物事の本質をストレートに直感するからではないか?無垢であるからこそ、偏見も先入観にもとらわれず感じることが出来るのでは?大人になると周囲の反応や広告などで先入観が植え付けられ、本来自分が持つ価値観が狂い物事の本質を見誤るが多い。子供にはそれが無い。「秘密の金魚」の少年、ジェーンのキング、フィービーの能力いずれも子供特有のものだろう。

次に見かけた少年について述べている。
This family...were walking right in front of me−a father, a mother, and a little kid about six years old... He and his wife were just walking along, talking, not paying any attention to their kid. The kid was swell. He was walking in the street, instead of on the sidewalk, but right next to the curb. He was making out like he was walking a very straight line, the way kids do, and the whole time he kept singing and humming...The cars zoomed by, brakes screeched all over the place, his parents paid no attention to him...(p. 104)
心が晴れたのは純真な少年がまだ純真の世界にいて至福の状態だったからである。しかし大人の世界はこんな小さな少年のイノセンスを奪いに来ている。イノセンスはいつまでも維持出来るものではなく、大人になるにつれインチキに取って代わっていく。危険な車は(この場合インチキな世界を象徴しているものと思われる)少年のすぐ傍を突っ張りし、大人たちは少年を保護しようともしないのである。

ホールデンが映画館に行った時も同様の状況がある。
...there was a lady sitting next to me that cried all through the goddam picture. The phonier it got, the more she cried. You'd have thought she did it because she was kindhearted as hell, but...she wasn't. She had this little kid with her that was bored as hell and had to go to the bathroom, but she wouldn't take him. She kept telling him to sit still and behave himself.(p. 126)
大人は自分が夢中になると自分の世界に入り込んでしまい我が子でさえ見ない。子供は誰にもかまってもらえず見捨てられているのである。そして大人の世界が近付いてくるのである。

次の文章は大人と子供ではシーソーに対して捕らえ方が違うことを示している。
I passed by this playground and stopped and watched a couple of very tiny kids on a seesaw. One of them was sort of fat, and I put my hand on the skinny kid's end, to sort of even up the weight, but you could tell they didn't want me around, so I let them alone.(p. 110)
やせた子供を押すのは大人である。子供たちは重い子が下がり、やせた子が上がる、シーソー本来の状態を受け入れ2人の世界にいる。しかしホールデンや大人はアンバランス(不公平)では遊べないと考え手を出し本来の姿を隠してしまう。大人は不都合なことが起きるとこうして取り繕ってしまうのである。(この取り繕うのは後のホールデンの返事にも共通する)子供たちは自分たちの世界に入ってきた自分たちと違う世界の住人に会った時入ってこないで欲しいと拒否をした。

子供らしいというところでは公園で会った女の子がいる。
She thanked me and all when I had it tightened for her. She was a very nice, polite little kid. God, I love it when a kid's nice and polite when you tighten their skate for them or something. Most kids are. They really are." (pp. 107−108)
子供は人に親切にしてもらうとちゃんとお礼を言う。礼儀正しいものである。そうさせるのは子供が素直で、真っさらな心を持っているからであろう。

自宅に戻ると書き込みされたフィービーのノートを見つけた。
Why has south eastern Alaska so many caning factories?
Because theres so much salmon
Why has it valuable forests?
because it has the right climate.
What has our government done to make
life easier for the alaskan eskimos?
Look it up for tomorrow!!!

Phoebe Weatherfield Caulfield
Phoebe Weatherfield Caulfield
Phoebe Weatherfield Caulfield
Phoebe W. Caulfield
Phoebe Weatherfield Caulfield, Esq.
Please pass to Shirley!!!!(p. 145)
ホールデンはこの落書きを美しいと思い、微笑ましく見ている。なぜなら子供らしい素朴な疑問と、それに対する素直な答えが書かれてあるからである。5つの署名のミドルネームは本名と異なり、縮めてみたり、気取ってEsq(卿)としていたりする。型にはまった本来の自分だけでなく天真爛漫な子供の無限に広がる自由な想像力を示し、同時に自分を表現していると考えられる。またcanningをcaningとしたりAlaskan Eskimosをalaskan eskimosと書くのを誤って綴る所も子供らしさが出ている。最後のShirleyに渡してという部分はまさに子供の時に(特に授業の合間に)よくやったメモを回すものである。

彼女に壊れてしまったレコードを渡そうとすると" 'Gimme the pieces,' she said. 'I'm saving them.' She took them...She kills me."(p. 147)大人なら同様な態度を取るだろうか? レコードは音楽を聞くものと考え、壊れたら価値はなくなるから貰っても嬉しくないのではないだろうか? しかし彼女は大切に仕舞っておくと言ったのである。大人が考えるがらくたも子供にはがらくたではないのだろう。またこのプレゼントに隠された兄の妹(自分)に対する思いを感じたのではないだろうか? 兄思いの妹が受け取れば兄が喜ぶと瞬時に分かったのだろう。

子供らしさを十分持つ妹を彼は大好きだが最も好きな部分は無邪気な所である。大人はある程度物事を予測し行動に移したり、計算して利益を生むようにする所があるが、純粋な子は考えてから行動するのではなく、思うことと行動が同時である様だ。それが彼女にも当てはまる。 " I'm taking belching lessons...' she said. I heard something, but it wasn't much. 'Good,' I said."(p. 156)果たして大人がゲップをしようと思って出来るだろうか? いつでも出来ると考えるだろうか? たとえ可能でも興奮するだろうか? ホールデンは全然乗り気ではない様である。しかし簡単にあしらうのを避け、その場しのぎの返事をする。大人がよく使う手段ではないだろうか? 傷つけまいとしてするのかもしれないがやはりインチキであるだろう。もう一つ大人なら笑い飛ばすか取り合わない行動をする。"She was sitting smack in the middle of the bed,...with her legs folded like one of those Yogi guys."(p. 157) 彼女は精神統一をして、自分の力で熱を上げようとしている最中である。
'Feel my forehead,' she said all of a sudden...I felt it again, and I still didn't feel anything, but I said, 'I think it's starting to, now.' I didn't want her to get goddam inferiority complex. 'I can make it go up to over the thermoneter.'...'Alice Homborg showed me how. You cross your legs and hok your breath and think of something very, very hot...Then your whole forehead gets so hot you can burn somebody's hand.'(p. 158−159)
真剣に彼女は信じているのである。突然の行動にホールデンは2回とも驚くがやはりこの場面は常識にとらわれない子供らしい無限の想像力の豊かさを表しているといえる。

「子供が持つイノセンスを維持できる様自分が見守る」態度が作品最後で変化する。彼と妹は遊園地の回転木馬へ行く。ライ麦畑(イノセンスな世界)で子供たちの歓声が響いている。"The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them do it... If they fall off, they fall off, but it's bad if you say anything to them."(p. 190)彼は今まで大人の世界が純真な子供たちの世界まで迫ってくる危機に何度も直面するがそれでも子供たちはいつまでも無垢なままでいられると思っていたがこの時現在純粋な子供もいずれ外見をよく見せ中身は伴わないインチキな大人になってしまうと感覚的に理解したようである。しかし純粋な世界の現住人はいなくなるが次世代の子供たちと入れ替わり純粋な子供たちが遊ぶライ麦畑は永遠だと思い幸せを感じる。

彼の考える大人とは無邪気さや面白い行動や考え(豊かな想像力)を持ち合わせない、自分の外見や世界ばかりに神経が集中し、それ以外の物事に対しては目も行かない人たちであることが分かる。また遠い昔はライ麦畑にいて純粋な心を持っていた人もいつしかその域から出て(大人の世界が近付いてくる)、自分がそこの住人だった頃のことも忘却の彼方へ行ってしまった人たちのことである。(だから子供たちの行動に驚いたり、興味を示さなくなってしまったのである。)

 


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