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Seminar Paper 98


Yuko Kudoh

First Created on January 9, 1999
Last revised on January 9, 1999

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「ホールデンと赤いハンチング帽」
 〜ハンチング帽を手放すとき〜

1 はじめに

 The Cathcer in the Rye は3度目の放校処分を受けた主人公ホールデンがクリスマス休暇前に宿舎を飛び出し、ニューヨークの街を彷徨う約3日間の出来事をのちに自らの口から語る物語である。phonyとしか思えない社会に順応できず、純真無垢なユートピアを求めて挫折に終わるホールデンとは一体どのような人物なのか。また、ホールデンにとって赤いハンチング帽とはどういう存在であるかをみていきたい。

2 Holdenの特徴

 16歳で身長が6フィート2インチ半もあり、頭の右側に白髪がたくさん生えている。これは、ホールデンの外見の特徴であるが、酒場ではかならず未成年だと思われてしまう。

 ホテルやタクシーでも子供扱いされたり、大人にみせようとしてもそれが滑稽にうつってしまう。自らも子供っぽいところがあると告白しているように、外見とは裏腹に精神的には未熟な少年だと推測できる。ホールデンからみれば、この世の中は綺麗なものと汚いものの2通りしかない。ホールデンが憎むものはこの世のインチキである。感受性が強く、そういうものがやたらと目に付く。16歳といえば、思春期であるからそれもおかしくはないだろう。しかし、自分が批判するようなことを自分自身でやっているのにまだ気がついていないところがホールデンの落ち度であり、未熟さである。いくら他人を批判しても、自分の矛盾に気がつかなければ、他人に厳しいだけで、その言葉に説得力はない。また、まだ若く人生経験も浅いのに、常に自分の狭い視野で世間を批判しようとする姿勢も危険にうつる。この話を通して見てもホールデンが一人でいることはあまりなく、常に人との接触を試みている。そのため、自分のことについて深く考える時間をもてないし、まだ向き合う力がない少年だという印象を受ける。

 またホールデンは無垢を汚すことを恐れている。例えば、ストラドレーターがジェーンとデートをするのを知って、ジェーンの無垢が汚されるのが心配でならない。ホールデンが好きだったジェーンはチェスでキングを使わずに並べておく女の子である。(この描写はジェーンの貞操を象徴していると思われる)。その後も、ジェーンに電話をかけようとするができないのは、変わってしまっているかもしれない、純潔さが失われてしまったかもしれないと恐れているのだと推測される。また、雪で覆われた車や消火栓が白く綺麗で雪玉をぶつけることができなかったという文からもホールデンの純潔さに対する気持ちが推測される。これは、ホールデン自身についてもあてはまる。大人になりたい気持ちもあるが、それを拒む自分もいる。娼婦を相手に、結婚したときの"some practice"になると考えたもののやはりできない。ホールデンにとって大人になることは汚れてしまうことであり、それは精神と肉体のどちらの場合もである。これが、物語全体にかかるホールデンの価値観であり、このためにホールデンは悩まされてしまうのだ。

3 red hunting hatが象徴するもの

 このred hunting hat は土曜日の朝、フェンシングチームのマネージャーとしてニューヨークに行ったときに1ドルで購入したものである。それが登場する25章までの場面を分析しながらred hunting hatが象徴していると思われるものを挙げていきたい。

 まず最初に、考えられるのは"hunting"という言葉から何かを撃つ、といった攻撃的な要素である。その意味合いを含んでいる箇所として、第3章でAckleyに帽子を"That's a deer shooting hat."と言われたときに"This is a people shooting hat ," "I shoot pelple in this hat."と言う場面(p. 19)がある。ホールデンがshootしたい対象をあげるならphonyといえるが、しかしこの話ではホールデンはphonyに対する憎悪感はあっても実際に撃つことはしていない。のちに、療養先の精神科の医者や兄のD.Bに話すことで告発という形になりうるが、約3日間はphonyなものから逃げてきても反逆を企てたりはしていない。社会のphonyさに対する憎悪感や嫌悪感を感じながらも、そのなかで自分が救われる方法、自分を救ってくれる人をひそかに捜して彷徨っているのである。そうなると、この話全体を通してでてくるred hunting hatには、他にもっと重要な意味があるのではないだろうか。

 次に考えられるのは、red hunting hatがホールデンにとってお守りのような存在になっているということである。まず、帽子の色の赤であるが、この色には特別な意味があるように思える。ホールデンは弟のアリーについて次のように語っている。

...he had very red hair. I tell you what kind of red hair he had . I started playing golf when I was only ten years old. I remenber once,the summer I was around twelve,teeing off and all, and having a hunch that if I turned around all of a sudden,I'd see Allie. So I did, and sure enough, he was sitting on his bike outside the fence- there was this fence that went all around the course- and he was sitting there, about a hundred and fifty yards behind me, watching me tee off. (pp. 33-34) 
 ここで、アリーの髪の毛がいかに目立つ赤だったかと強調している。ホールデンにとって、アリーを思い出すとき、最も印象的な外見的特徴といえば赤毛といえるだろう。そうであるなら、赤いハンチング帽という存在はアリーを想像させるのに十分なものといえる。ホールデンはおそらく赤いハンチング帽をかぶることでアリーを身近に感じることができるのだろう。アリーを身近に感じることで安心しているのである。

 ホールデンがハンチング帽をかぶる場面はスペンサー先生の家から寮の部屋に戻ったとき、ストラドレーターと喧嘩して打ちのめされた後、ペンシーの寮を出て行くとき、アーニーの店を出た後ホテルへ向かう途中(ここでは寒さのせいもある)、カール・ルースと会ったバーを出て行く時などがあげられるが、いずれもかぶっているときはホールデンが一人になったときであり、とりわけ孤独感に襲われ、気が滅入っている。ホールデンが、気が滅入っているときにやることといえば、アリーに声を出して話し掛ける行為がある。ホールデンは次々と知人を頼っていくが、心のよりどころとしている対象はこの世にはいないアリーなのである。なぜなら、ホールデンにとってアリーとは永遠に11歳のままで決して汚い大人になることもない。まさにホールデンが描く理想の人物なのである。

 赤いハンチング帽とは、現実の世界で失望させられても、かぶることでアリーを身近に感じることができる、ホールデンのお守りのような存在になっていると思われる。

 そのことは、red hunting hatが絡む、残りの2つの場面からも推測が可能である。まず一つ目は、red hunting hatを手放した場面からである。妹のフィービーに会うため家に帰り、そこでフィービーに厳しい言葉を浴びせられたものの、出て行くときに、フィービーのやさしさに心を動かされ、ハンチング帽をあげてしまう。そこで、ホールデンは初めてハンチング帽なくして、最後の頼みの綱ともいえるアントリーニ先生を頼って出かけていくのだが、結局失敗する。心身共に疲れ果てたホールデンは通りを渡るときに、自分がどんどん"down"して消えてしまいそうな体験をする。このとき、必死になってホールデンは " Allie, don't let me disappear." (p. 178)とアリーによびかけるが、これはハンチング帽をかぶっていないことでホールデンが精神的にかなりの不安を感じ、結局、声に出してアリーに助けを求めているのではないだろうか。この場面は、物語上、重要な個所で様々な解釈が可能とされるが、red hunting hat がお守り的存在になっていたことを裏付ける場面ともとれる。

 二つ目は、フィービーが回転木馬に乗る前に" You can wear it a while."といってかぶせてくれる。そして、red hunting hatをかぶったまま、雨にふられるのだが、ホールデンはこのようにいっている。"My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way "(p. 191)

 red hunting hat が約3日間において、ホールデンのお守り的存在になっていたことは、この文、特に"protection"という言葉をもっていよいよ明らかにされたのではないか。そして、"but I got soaked anyway. I did'nt care,though."(p. 191)という言葉は、red hunting hat をもはや必要としていないという意志の表れではないかと考える。ホールデンは一度、フィービーにあげたときに、形の上ではred hunting hatを手放したが、気持ちの上では完全に手放すことができていなかった。それがつまり、通りを渡るときにアリーに救いを求めたわけであり、答えが見つかってアリーへの依存を必要としなくなったとき初めてred hunting hat を手放すことができるのだと考える。

4 結論

これまでにあげた、ホールデンの特徴とハンチング帽を分析することで導き出せるこの物語のテーマ、ひいては約三日間の旅の意味とはなんだろうか。結論からいってしまえば、自分自身の救済のための旅である。過剰なまでの感受性をどうやって整理をつけて生きていくか、また自分の気持ちに同調し指針を与えてくれる人を見つける旅である。 感受性が強いために、世の中のいんちきなものが目について仕方がない。学校や先生、会う人のインチキなところばかり目につく一方であり、それが、ホールデンを生きづらくしている。それに対してホールデンは、red hunting hatのところでもとりあげたように、立ち向かうという姿勢はなかった。それより、インチキなものから遠ざかりながらもこの社会で自分が生きていける方法を探していたように思える。だから、ホールデンは次々と知人を訪ねていった。

 しかし、 スペンサー先生は、落第させた罪悪感から逃れるために必死に説明しているだけでホールデンのために一役買ってやろうという気持ちは見られない。 " I'm just going through a phase right now. Everybody goes through phase and all, don't they?"(p. 113) とホールデンの本心ともいえる問いかけにも答えることができない。だから、最後の " Good luck!"という言葉はことさら無責任な言葉に聞こえてならない。学校でも、心から語りあう友達もできないまま退学処分となり、その時でさえ気にかけてくれる人は誰一人としていない。ストラドレーターにいたっては、宿題を押し付けてデートに出かけてしまう無神経さである。サリーに会ってもインチキなところばかり目に付き、最後にはひどく怒らせて帰してしまう。頭のよいカール・ルースに頼ってみても、なかなか本題に入れず、冷たくかわされてしまう。アントリーニ先生も会いに行ったときには酔っぱらっており、ホールデンの体調も気にせず話し続けた後、ホールデンにとって生理的にうけつけない行動をしてしまう。結局、これらの人からは救われることはなかったため、もはや他人との会話は不必要と感じ西部の街でろうあ者として暮らそうと考えるに至ったのだろう。こういう考え方をしてしまうあたりは自分の力で何とかしようとしなかった他力本願な甘えが感じられる。相手が決して悪いわけではない。ホールデンがboy's school の批判をして、サリーに"Lot's of boys get more out of school than that."(p. 118)といわれるが、これはホールデンの偏った見方(物事を一般化してしまう)をなだめる良い意見であるし、その正当性についてはホールデンも認めている。そしてその時に、"I don't get hardly anything out of anything.I'm in bad shape. I'm in lousy shape."(p. 118)と言うがこれもホールデンの素直な気持ちではないだろうか。ただ、同情してもらえなかったためホールデンには助けにはならなかったのだろう。カール・ルースやアントリーニ先生にしても突然電話をかけて会ってもらったのであり、ホールデンの都合である。たとえ、自分にとって有益な会話にならなかったとしても責めることはできない。

 結局、フィービーに引き留められ、フィービーのために家に帰ることにするが、回転木馬を眺めながらホールデンは悟る。  
All kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old Phobe, and I was sort of afraid she'd fall off the goddam horse,but I didn't say anything or do anything. If they fall off, they fall off,but it's bad if you say anything to them.(p. 190)
 過剰な感受性から、自分も含め、綺麗なもの、純真無垢なものが汚されていくことが我慢ならず、その整理できない気持ちを処理する道を探していた。しかし、自分にはどうすることもできないという無力感を味わい、落ちるところまで落ちた後で、このように気持ちに整理をつけることができたのだと考える。この場面では、もうすでにホールデンはdepressしてる気配はなく、むしろ明るさがみえる。そういうものだと悟り、自分の気持ちに整理をつけたことで,少し大袈裟かもしれないが、この社会で生きていく展望が開けたのではないか。はっきりいってしまえば、気持ちが楽になったのだろう。なぜなら、自分を生きづらくしていた価値観が崩れたことになるからである。

 他人に頼っても見つからなかった答えを自分で導き出せるまで、実際のところ、フィービーの力がかなり大きいと思われる。しかし、ずっとホールデンにとって支えになっていたハンチング帽の存在なくしては到達しなかったのではないかと考える。そして、改めてその重要性を確認するのである。

 


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