Seminar Paper 98
Yuko Kudoh
First Created on January 9, 1999
Last revised on January 9, 1999
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「ホールデンと赤いハンチング帽」
1 はじめに
...he had very red hair. I tell you what kind of red hair he had . I started playing golf when I was only ten years old. I remenber once,the summer I was around twelve,teeing off and all, and having a hunch that if I turned around all of a sudden,I'd see Allie. So I did, and sure enough, he was sitting on his bike outside the fence- there was this fence that went all around the course- and he was sitting there, about a hundred and fifty yards behind me, watching me tee off. (pp. 33-34)ここで、アリーの髪の毛がいかに目立つ赤だったかと強調している。ホールデンにとって、アリーを思い出すとき、最も印象的な外見的特徴といえば赤毛といえるだろう。そうであるなら、赤いハンチング帽という存在はアリーを想像させるのに十分なものといえる。ホールデンはおそらく赤いハンチング帽をかぶることでアリーを身近に感じることができるのだろう。アリーを身近に感じることで安心しているのである。 ホールデンがハンチング帽をかぶる場面はスペンサー先生の家から寮の部屋に戻ったとき、ストラドレーターと喧嘩して打ちのめされた後、ペンシーの寮を出て行くとき、アーニーの店を出た後ホテルへ向かう途中(ここでは寒さのせいもある)、カール・ルースと会ったバーを出て行く時などがあげられるが、いずれもかぶっているときはホールデンが一人になったときであり、とりわけ孤独感に襲われ、気が滅入っている。ホールデンが、気が滅入っているときにやることといえば、アリーに声を出して話し掛ける行為がある。ホールデンは次々と知人を頼っていくが、心のよりどころとしている対象はこの世にはいないアリーなのである。なぜなら、ホールデンにとってアリーとは永遠に11歳のままで決して汚い大人になることもない。まさにホールデンが描く理想の人物なのである。 赤いハンチング帽とは、現実の世界で失望させられても、かぶることでアリーを身近に感じることができる、ホールデンのお守りのような存在になっていると思われる。 そのことは、red hunting hatが絡む、残りの2つの場面からも推測が可能である。まず一つ目は、red hunting hatを手放した場面からである。妹のフィービーに会うため家に帰り、そこでフィービーに厳しい言葉を浴びせられたものの、出て行くときに、フィービーのやさしさに心を動かされ、ハンチング帽をあげてしまう。そこで、ホールデンは初めてハンチング帽なくして、最後の頼みの綱ともいえるアントリーニ先生を頼って出かけていくのだが、結局失敗する。心身共に疲れ果てたホールデンは通りを渡るときに、自分がどんどん"down"して消えてしまいそうな体験をする。このとき、必死になってホールデンは " Allie, don't let me disappear." (p. 178)とアリーによびかけるが、これはハンチング帽をかぶっていないことでホールデンが精神的にかなりの不安を感じ、結局、声に出してアリーに助けを求めているのではないだろうか。この場面は、物語上、重要な個所で様々な解釈が可能とされるが、red hunting hat がお守り的存在になっていたことを裏付ける場面ともとれる。 二つ目は、フィービーが回転木馬に乗る前に" You can wear it a while."といってかぶせてくれる。そして、red hunting hatをかぶったまま、雨にふられるのだが、ホールデンはこのようにいっている。"My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way "(p. 191) red hunting hat が約3日間において、ホールデンのお守り的存在になっていたことは、この文、特に"protection"という言葉をもっていよいよ明らかにされたのではないか。そして、"but I got soaked anyway. I did'nt care,though."(p. 191)という言葉は、red hunting hat をもはや必要としていないという意志の表れではないかと考える。ホールデンは一度、フィービーにあげたときに、形の上ではred hunting hatを手放したが、気持ちの上では完全に手放すことができていなかった。それがつまり、通りを渡るときにアリーに救いを求めたわけであり、答えが見つかってアリーへの依存を必要としなくなったとき初めてred hunting hat を手放すことができるのだと考える。 4 結論 これまでにあげた、ホールデンの特徴とハンチング帽を分析することで導き出せるこの物語のテーマ、ひいては約三日間の旅の意味とはなんだろうか。結論からいってしまえば、自分自身の救済のための旅である。過剰なまでの感受性をどうやって整理をつけて生きていくか、また自分の気持ちに同調し指針を与えてくれる人を見つける旅である。 感受性が強いために、世の中のいんちきなものが目について仕方がない。学校や先生、会う人のインチキなところばかり目につく一方であり、それが、ホールデンを生きづらくしている。それに対してホールデンは、red hunting hatのところでもとりあげたように、立ち向かうという姿勢はなかった。それより、インチキなものから遠ざかりながらもこの社会で自分が生きていける方法を探していたように思える。だから、ホールデンは次々と知人を訪ねていった。 しかし、 スペンサー先生は、落第させた罪悪感から逃れるために必死に説明しているだけでホールデンのために一役買ってやろうという気持ちは見られない。 " I'm just going through a phase right now. Everybody goes through phase and all, don't they?"(p. 113) とホールデンの本心ともいえる問いかけにも答えることができない。だから、最後の " Good luck!"という言葉はことさら無責任な言葉に聞こえてならない。学校でも、心から語りあう友達もできないまま退学処分となり、その時でさえ気にかけてくれる人は誰一人としていない。ストラドレーターにいたっては、宿題を押し付けてデートに出かけてしまう無神経さである。サリーに会ってもインチキなところばかり目に付き、最後にはひどく怒らせて帰してしまう。頭のよいカール・ルースに頼ってみても、なかなか本題に入れず、冷たくかわされてしまう。アントリーニ先生も会いに行ったときには酔っぱらっており、ホールデンの体調も気にせず話し続けた後、ホールデンにとって生理的にうけつけない行動をしてしまう。結局、これらの人からは救われることはなかったため、もはや他人との会話は不必要と感じ西部の街でろうあ者として暮らそうと考えるに至ったのだろう。こういう考え方をしてしまうあたりは自分の力で何とかしようとしなかった他力本願な甘えが感じられる。相手が決して悪いわけではない。ホールデンがboy's school の批判をして、サリーに"Lot's of boys get more out of school than that."(p. 118)といわれるが、これはホールデンの偏った見方(物事を一般化してしまう)をなだめる良い意見であるし、その正当性についてはホールデンも認めている。そしてその時に、"I don't get hardly anything out of anything.I'm in bad shape. I'm in lousy shape."(p. 118)と言うがこれもホールデンの素直な気持ちではないだろうか。ただ、同情してもらえなかったためホールデンには助けにはならなかったのだろう。カール・ルースやアントリーニ先生にしても突然電話をかけて会ってもらったのであり、ホールデンの都合である。たとえ、自分にとって有益な会話にならなかったとしても責めることはできない。 結局、フィービーに引き留められ、フィービーのために家に帰ることにするが、回転木馬を眺めながらホールデンは悟る。 All kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old Phobe, and I was sort of afraid she'd fall off the goddam horse,but I didn't say anything or do anything. If they fall off, they fall off,but it's bad if you say anything to them.(p. 190)過剰な感受性から、自分も含め、綺麗なもの、純真無垢なものが汚されていくことが我慢ならず、その整理できない気持ちを処理する道を探していた。しかし、自分にはどうすることもできないという無力感を味わい、落ちるところまで落ちた後で、このように気持ちに整理をつけることができたのだと考える。この場面では、もうすでにホールデンはdepressしてる気配はなく、むしろ明るさがみえる。そういうものだと悟り、自分の気持ちに整理をつけたことで,少し大袈裟かもしれないが、この社会で生きていく展望が開けたのではないか。はっきりいってしまえば、気持ちが楽になったのだろう。なぜなら、自分を生きづらくしていた価値観が崩れたことになるからである。 他人に頼っても見つからなかった答えを自分で導き出せるまで、実際のところ、フィービーの力がかなり大きいと思われる。しかし、ずっとホールデンにとって支えになっていたハンチング帽の存在なくしては到達しなかったのではないかと考える。そして、改めてその重要性を確認するのである。 |
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