Seminar Paper 98
Shin Ono
First Created on January 9, 1999
Last revised on January 9, 1999
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『ホールデンと映画』
"Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around ―nobody big, I mean― except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff―I mean if they're running and they don't look where they 're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. I know it's crazy." (J.D.Salinger, The Catcher in the Rye, (英潮社ペンギンブックス、1995)、p.156. 以下本書からの引用はページ数のみを記す)16歳の少年Holdenが描いたこの夢(未来像)は、映画『Field of Dreams』のとうもろこし畑の雄大な眺めへと誘う。そこでは、かつての野球選手たちが無心な子供のように野球を楽しむ姿が映像化されていたが、心の平和がない人間には、畑の真ん中に野球場を作り、空を眺めているRay Kinsella( Kevin Costner)一家しか目に映らない。この映画で明示されたような、見える人間にしか見ることのできない世界の存在を感じる人間がHoldenではないだろうか。 また、彼の夢が内包するThe Catcher in the Ryeのテーマとは何だろうか。 そして、 Holdenの性格的特質が反映されていると思われる、映画に対する相反する 感情は、そのテーマ上どのような関係があるのだろうか。 思うに、The Catcher in the Ryeのテーマは、「一人の青少年の成長を描くこと にあった」(繁尾久・武田勝彦『サリンジャーの文学』(文建書房、1970), p.138) と考えられるが、 Holden自身は、"I'm not going to tell you my whole goddam autobiography or anything." (p.1) と言ったり、David Copperfieldのようなくだらない話をす るつもりはないと語っている。しかし、この作品が、一人の純粋な(innocent)青少 年の崩壊と後の成長を描いていることは明白である。 したがって、クリスマス前の2泊3日間に主人公Holdenがとった言動を分析 し、彼の映画との関わりを明らかにしてゆこうと思う。 最初に、Holdenの特質であるinnocenceを裏付ける根拠を呈示しておく必要が あるだろう。その例として、既出の『サリンジャーの文学』のp.133によれば、 Holdenは「純真なものへの好意、か弱く無力なものへの同情」を示したり、「弱い もの、子供らしい無垢なものに限りない優しさ」を示したりしているのだ。 具体的には、公園のアヒルに、"I was wondering where the ducks went when the lagoon got all icy and frozen over."(p.11)というように優しく心配している。 また、2人の"nice"な尼への寄付や、旅で出会った子供たちに対する細かい心づか いや共感は、Holdenの特質を表現しているものだろう。その他にも、"Finally, what he did, instead of taking back what he said, he jumped out the window." (p.153)という ように、自分の論理的一貫性を守るために命を賭けても"phony"と闘った元クラスメ ートのJames CastleをHoldenは後に好きなものの一つに挙げている。さらには、 Oral Expressionの授業でいつも"Digression"(p.165)と言われ続けたRichard Kinsella への同情もHoldenらしい気の配り方であり、彼のinnocenceを証明するものではな いだろうか。 こうしたエピソードからHoldenのinnocenceをみてとれるが、妹のPhoebe に"You don't like a million things. You don't."(p.152)と言われ、その答えに 詰まって しまうくらい、彼が認めるinnocentなものの存在は数少なく、貴重なのである。 なぜなら、Holdenは、phonyな世界を厳しく嫌悪しながら、放浪の旅の中で 常に、"nice"な人・モノ・場を求めていたからである。そうしたphonyなものに対 する厳しいまでの潔癖性はあちらこちらに向けられている。 例えば、Mr.Spencerが言ったように聞こえた"Good luck!"(p.13)の言葉を、 無責任で突き放した言い方だと感じたことが挙げられる。また、Pencey Prep.の 卒業生で葬儀屋で成功したOssenburgerに対しては、"I can just see the big phony bastard shifting into first gear and asking Jesus to send him a few more shifts.(p.14) というように彼を全く相手にしていない。Holdenはまた、Ernieのピアノ演奏の腕前 にも興味深い分析を加えている。それは、"He had a big damn mirror in front of the piano, with this big spotlight on him, so that everybody could watch his face while he played."(p.76)のように、人の目を意識しすぎて真の芸術家になり損ねたErnieを痛烈 に批判している場面である。こうした批判をしながらも他方では、"I felt sort of sorry for him when he was finished. I don't even think he knows any more when he's playing right or not.(p.77)と、Ernieに対するHoldenらしい慈悲深さが読み取ることができる。 しかし、ここで見逃してはならない彼のもう一つの特質に気づくだろう。それ は、「 Holden自身が他人をインチキと呼ぶような罪すべてをを犯している」 ( Warren French・田中啓史訳、J.D.Salinger, (Twayne publisher,1963), p.99)ことで ある。Holdenが犯した最大のphonyは、映画に対する彼の言動である。 Holdenは兄のD.B.がHollywoodで脚本作家として成功したことに喜ぶどころ か、"If there's one thing I hate, it's the movies. Don't even mention them to me."(p.1) とまで言い切っている。しかし、Holdenはその後たびたび映画を観ているのである。 この3日間の中で少なくても2回観ているし、"We'd take a bus into Agerstown and have a hamburger and maybe see a lousy movie."(p.31) のように映画を観ようとし ている。 こうしたHoldenの行動からは、とても映画嫌いの少年と決めつける訳には いかない。それに、Holdenの幼なじみで憧れの女性Jane Gallagherと大接近した時 に観た映画を回想していることからも、彼が映画そのものに対して嫌悪する理由が 弱い。まして、映画嫌いのはずの人間が、"I had quite a bit of time to kill till ten o'clock, so what I did, I went to the movies at Radio City."(p.123)という行動をとるこ とは考えられないのである。 つまり、Holdenは映画好きであることを他人に気づかれたくない、あるいは 気づかれてしまっては困るような自分の弱さや危なっかしさを、心のどこかで認識 していたのではないかと考えられる。 そして、Holdenの弱さは、"I sort of started pretending I had a bullet in my guts." (p.93)や"When I was really drunk, I started that stupid business with the bullet in my guts again."(p.135)のように「腹に弾をうちこまれ、しかも平然と苦痛に耐え復讐 する安価なヒロイズムを演出してみせる」(既出『サリンジャーの文学』, p.137)こと によって露呈しているのである。 かつてHoldenは、"the queen of phonies"(p.105)のSally Hayesと映画デート の際、その観客を"You never saw so many phonies in all your life, everybody smoking their ears off and talking about the play so that everybody could hear and know how sharp they were."(p.114)と批判していた。しかし、Holdenは、「明らかに批判が自 分にもあてはまることが分かっていない」(既出 J.D.Salinger, p.100)という重大 なミスを犯しているのである。 要するに、映画好きのHoldenはこれまで、phonyな大人が観ている映画を自 分も"nice"なユートピアを探しながら観ていたのである。だからこそ、自分をphony な人間だと他人に悟らせる訳にはいかないという自己矛盾がinnocentなHoldenを苦 しめていたのである。 以上のように、"nice"なものだけを追いかけてきたHoldenの内的世界の崩壊を 導くために映画が果たした役割は大きく、そのテーマ上、必要不可欠なものだあっ たと言えるだろう。 ここまでで、Holdenは、phonyとniceとの間の自己矛盾を他人に気づかれた くないという心理が働いていたことは理解できる。しかし、映画を通して効果的に 表現されているHoldenの特質は、上述のことだけではない。 というのも、兄D.B.や妹Phoebeとの良好な関係を築いてゆく上でも映画が果 たした役割は大きいのではないだろうか。 Holdenと彼らが与えた影響を分析してみ たいと思う。 初めに、Holdenの好きなD.B.の作品である"The Secret Goldfish"(P.1)の話は、 Holdenの孤独で非妥協的、そして保守的な内面を象徴しているように思われる。 また、D.B.に連れて行かれた映画Hamletの中で、"The best part in the whole picture was when old Ophelia's brother―the one that gets in the duel with Hamlet at the very end ―was going away and his father was giving him a lot of advice."(p.106)と 描かれ た人物に、Holdenは完全に影響を受けてしまっていることが分かる。Holdenが Pencey Prep.を退学になった後でphonyとの勝ち目のない闘いを挑む場面に類似し ている。 "I remember around three o'clock that afternoon I was standing way the hell up on top of Thomsen Hill, right next to this crazy cannon that was in the Revolutionary war and all. You could see the whole field from there, and you could see the two teams bashing each other all over the place. You couldn't see the grandstand too hot, but you could hear them yelling, deep and terrific on the Pencey side, because practically the whole school except me was there,……"(p.2)そして、HoldenはD.B.に読まされた"A Farewell to Arms"(p.127)にも影響を 受けているのではないか。A Farewell to Armsと言えば、極限状態における純愛の悲 劇を描いた作品である。 Holdenは17章でSallyに駆け落ちを依頼して断られてし まう場面があるが、これはA Farewell to Armsの中のHenry中尉に自己を投影し、同 一化を図ろうとしたのではないだろうか。同様にHoldenは公園の孤独なアヒルにも 同一化し、アヒルの心を満たすことによって、自分の孤独感さえも癒そうとする事 実も認められる。 まとめると、 HoldenはD.B.から与えられたものの全てから、自分の行動に影 響を受けていることが明らかになったのである。つまり、Holdenはinnocentである がゆえに、映画や演劇、show、そして文学作品などのメディアに感化されやすい特 質をもっていると言える。 次に、innocenceの守護天使ともいうべきPhoebeとのHoldenの関わり方をみ てみたい。彼女の観た映画"The Doctor"の医者と脚の不自由な女の子との話は、ま るでHoldenの精神的苦痛を癒しているPhoebeを象徴しているかのような描かれか たをしている。 ところで、Holdenを癒すという意味では、死んでしまった弟AllieもPhoebe と同様に、security blanketのような役割を果たしているように思われる。しかし、 "What I did, I started talking, sort of loud, to Allie. I do that sometimes when I get depressed."(p.89)のように、Allieとの対話の様子は描写されているが、結局のところ、 HoldenはAllieからはほとんど何も得ていないし、この点でD.B.やPhoebeよりも Holdenの助けにはなっていないので、ここでは除外することにする。 さて、話をPhoebeに戻すと、Holdenは彼女から真心を受けるだけでなく、 彼の今後の人生における大切な教訓を示してもらっている。これまでのHoldenは、 "I'd just be the catcher in the rye and all."(p.156)というように、子供たちを 成長させな いでおく、非現実的で一人よがりな考え方に終始していた。しかし、25章では、 Holdenの心境に今までにない大きな変化が起こる。回転木馬のPhoebeを見ると、 "I felt so damn happy all of a sudden, the way old Phoebe kept going around and around."(p.191)と感じて、意外な発言をするのである。 "If they fall off, they fall off, but it's bad if you say anything to them."(p.190)という 言葉に、多少なりともHoldenの精神的成長を感じずにはいられない。さらには、 innocenceの象徴であるPhoebeをphonyから守るために、"I kept wanting to kill whoever'd written it."(p.181)とまで考えたHoldenが、"No, I'll just watch ya. I think I'll just watch."(p.190)とPhoebeに答えたことに驚きを隠せない。この発言によって、 HoldenがThe Catcher in the RyeからThe Watcher in the Ryeへと変貌をとげるこ とができたのではないか。 Holden自身が精神的に成長できたかどうかは、はっきり とは分からないが、彼は少なくとも、自分がThe Catcher in the Ryeである必要がな いことを学んだはずである。 後にHoldenは、"About all I know is, I sort of miss everybody I told about."(p.192) と回想している。気取り屋のStradlaterや不潔なAckley、そしてポン引きのMaurice さえも懐かしく思えるほど、Holdenは精神的・肉体的健康を回復することができた ように思われる。 以上のように、Holdenの特質と矛盾をThe Catcher in the Ryeのテーマと共に 分析してきた。複雑な現代青年特有の心理に悩まされ続けた主人公のHoldenだが、そ の考え方はあの聖徳太子に通ずるところがある。 聖徳太子は亡くなる時に、「世間虚仮 唯仏是真」という言葉を書き残したと 伝えられています。「-世間というものはいつわりの存在である、唯一、仏の道だ けが真実ではないか」という意味ですが、ここには聖徳太子のなんともいえない、 晩年のため息がこめられているように思えます。あれほどの知恵と徳を備え、そし 大きな事業を成し遂げ、後世から慕われている人物でさえも最後は、世間なんて いうものは結局うそっぱちである、むなしいものであると嘆いているのです。 (五木寛之『生きるヒント4』(角川文庫、1996),p.93)The Catcher in the Ryeになることを夢見ていた頃のHoldenは実は、その 鋭い観察力と慈悲の心とを兼備した、現代の聖徳太子であったのかもしれない。 |
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