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Seminar Paper 98


Misa Yamaguchi

First Created on January 9, 1999
Last revised on January 9, 1999

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「ホールデンと赤いハンチング帽」
ハンチングをめぐる冒険

この The catcher in the rye という物語は、ホールデンという16歳の少年が一人称で語るものである。彼の心の動きが主な話の展開を形作っている。一見単純そうなのだが、読む人によって受取り方が異なってくるのもそういうホールデンに共感できるか否かによって大きく違うのであろう。

私は、ホールデンの好きなものや嫌いなものを考え、それを通して彼の特徴を考えたい。また、彼がとても好んでかぶっていた red hunting hutの象徴性を合わせて考えることによって、「大人になること」というテーマにせまってみたいと思う。

まず寮で学生生活を送ったホールデンにとって、一番身近な大人それは教師であろう。ペンシー校の掲げる広告に対し、‘Strictly for the birds.’(p. 2)と完全に否定するのだ。そして‘The more expensive school is, the more crooks it has.’(p. 3)と言う。ホールデンの手袋が盗まれたのも、まるで学校のせいのようだ。校長のことも、娘の目を通して彼の意見を述べる。‘She probably knew what a phony slob he was.’(p. 3) 校長=phonyと言っている。この校長の‘Life being a game.’(p. 7)という言葉に大人のphonyさを感じるホールデンと、またそう割り切ることのできない彼の頑固な子供の部分を感じることができる。そして卒業生のOssenburgerに対し人の死で金稼ぎをしているくせにいい人ぶる所を見破っている。金や地位、名誉に欲を出す者はphonyそのものなのだ。この点はホールデンははっきりとは言わないが、D.B.や、かれの父親に対してもあてはまるのかもしれない。そこを言わないのはホールデンの身内に対するやさしさなのだろうか。また、彼は暗くなってもなお遊びたい盛りの子供自分に、夕食の時間だから帰りなさいと怒られたことを思い出し、こんな所を逃げ出そうと決心する。気持ちを分かり合える友達に巡り合わなかったこともあっただろうし、様々な要素が重なったためだろうが、こんなことさえもきっかけになってしまうのは相当の不信感があったためだろう。彼には信じられるものが現実世界には何一つなかったのだ。ホールデンは自分のことをうそつきだと言ったり、女好きでしょうがないと言ったりするのは、自分の中に潜むphonyな部分を見つめているからだろう。そしてより一層孤独感を深めていくのだ。そんな気持ちを慰めてくれるものが、ハンチングだったのではないか。

ここで少しred hunting hutについて触れたいと思う。初めて登場するのは、スペンサー先生の所から自分の部屋へ帰ってきた所だ。

‘I was pretty nice to get back to my room, after I left old Spencer, because everybody was down at the game, and the heat was on in our room, for a change. It felt sort of cosy. I took off my coat and my tie and unbuttoned my shirt collar, and then I put on this hat that I'd bought in New York that morning. It was this red hunting hut, with one of those very, very long peaks. I saw it in the window of this sports store when we got out of the subway, just after I noticed I'd lost all the goddam foils. It only cost me a buck. The way I wore it, I swung the old peak way around to the back - very , corny, I'll admit, but I liked it that way. I looked good in it that way. (p. 15)
さりげない登場だが、ホールデンが失敗をして仲間はずれにされた時、心の安らぎを求めて買ったことが読み取れる。また、心の平静を取り戻したい時やほっとしたい時にこのred hunting hutはつばを後ろ向きにかぶるということが、一人で本を読む時にすることから分かる。それが分かる例をもう一つあげたいと思う。

ホールデンは誰にも邪魔されずに本を読みたかったのにアクリーがかってに話し掛けてきてとうとう読めなくなってしまう。そして、‘What I did was, I pulled the old peak of my hunting hut around to the front, then pulled it way down over my eyes. ’(p. 18) ホールデンはここからアクリーに反撃するのである。でも諦めるとすぐに‘I pulled the peak around the back again, and relaxed.’ともとに戻すのだった。 たぶん本来、醜く争うことが嫌いで、内心では認めていなくてもノーをイエスと言ってしまうホールデンだけにここではすぐに引き下がったのだろう。ところがこんなホールデンにも血を流すという痛い経験がある。ホールデンのイライラは、ストラドレーターのデート相手がジェーンだと知った時に始まり、ストラドレーターがジェーンとのデートを終え帰ってきたあとにピークに達するのだ。‘I pulled the peak of my hunting hat around to the front all of a sudden, for a change. I'm quit a nervous guy. ’(p. 29) ストラドレーターを怒らせ、殴られてしまった後ホールデンはハンチングを探すのである。
‘Then I got up. I couldn't find my goddam hunting hat anywhere. Finally I found it. It was under the bed. I put it on, and turned the old peak around to the back, the way I liked it,’ (p. 39)
このred hunting hatはホールデンの心の平静を保つために使われている。彼がストラドレーターに殴られる直前までは、前向きにかぶられていたに違いない。その後気を落ち着ける為にまた後ろ向きにかぶるのである。そしてアクリーとのやりとりのなかで、‘This is a people shooting hat, I said . I shoot people in this hat. ’ (p. 19) と、こんな強がりを言うが、実際は攻撃する為に前向きにかぶってもやられてしまうのである。むしろ後ろ向きにかぶり、心を癒す為としての役割の方がだんぜん大きいということがよく分かるのではないだろうか。

ハンチングの役割を明確にしたところで、もうすこしホールデンのことを深く掘下げてみたいと思う。

彼には大好きな人物がいる。幼い時に死んだアリー、かわいいフィービー、幼なじみのジェーン、どれもホールデンの中では子供のままで存在しているのだ。それが破られることはあってはならないことなのだ。アリーは死んでいるので子供のままのアリーであり、フィービーは会ってみたら昔のままのフィービーだった。ジェーンは、ストラドレーターのこともあって電話をかけられないでいるのだ。以前のように心を分かり合える存在でなくなってしまったと分かるのが恐いからだ。ホールデンが誰かに言づてを頼むのは、実は自分自身がいまどのような状態にあるのかを確かめたかったからかもしれない。自分がどれくらいphonyな世界に犯されているのかを確認しているように思う。

ホールデンはおそらく、フィービーのノートを見ただけで、彼女がまだ昔のままだと悟ったに違いない。またフィービーはホールデンの様子を見ただけで、学校を退学になったことを悟ったのだ。この二人が心通じない訳はなく、ホールデンを安らかな気持ちにさせたのは言うまでもない。しかし、‘Feel my forehead. ’(p. 158) と言うフィービーに、‘I think it's starting to, now. ’(p. 158) と答えるあたりは、もうphonyな世界に足を踏み入れてしまったと言わざるを得ない。‘I got exited as hell thinking about it. I really did. I knew the part about pretending I was a deaf-mute was crazy, but I liked thinking about it anyway.’(p. 179) これも現実逃避に過ぎず、ホールデンもそれを知ったのだろう。ホールデンはphonyな世界で生きていくしかないと分かると、ライ麦畑のキャッチャーになる事を諦める。そしてせめてフィービーだけは守ってやりたいと、hunting hatを渡したのだ。つまり、このhunting hatをかぶるのをやめようと思った時点で、phonyな世界へ落ちていくのだ。最後に救いを求めたアントリー二先生の言葉もホールデンには届かなかった。私はアントリーニ先生がphonyな人であるかどうかは、ホールデンの心の変化に因るものだと思う。先生はホールデンと真剣に向き合ってくれる数少ない大人だったわけだが、そのかれの言葉も届かないのはホールデンがphonyな世界に足を踏み入れているからだろう。そして、ホモだとかいうことで人を判断している。これでは心が通うはずがない。

このホールデンの気持ちを知ってか知らずか、フィービーは、‘All she did was, she took off my red hunting hat- and practically chucked it right in my face.‘(p. 186) という行動にでる。ここでは二人はすれ違っている。ホールデンはフィービーをphonyな世界へ連れて行きたくないのに彼女にはそれが理解できないでいるのだ。この時点では無意識かもしれないが、まだphonyな世界に行かないでとフィービーが必死でアピールしているかのようだ。そしてメリーゴーランドで仲直りする。
’Then all of a sudden she gave me a kiss. Then she held her hand out, and said, `it's raining. It's starting to rain.` `I know.` Then what she did- it damn near killed me- she reached in my coat pocket and took out my red hunting hat and put it on my head. `Don't you want it?` I said. `You can wear it a while.` ‘(p. 190)
このフィービーの行動によってホールデンは救われ、もう少しred hunting hatをかぶる事を許された。phonyな世界への旅は猶予されて無事、家へ帰る事ができたのだ。 red hunting hatはホールデンにとってphonyな事から身を守るものだったのだ。いつかは手放す時来た時、それは他ならないホールデンが大人になる時なのだ。

 


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