Seminar Paper 99

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Mitsuhiro Hidaka

First Created on December 31, 1999
Last revised on January 17, 2000

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Adventures of Huckleberry Finnの女性たち」
女性の異質性

この作品にはいくつかの見所があるが、読者の多くが見所と感じるのは冒険的な部分であると思う。まだ幼い少年が、次から次へと遭遇するトラブルに対処し乗り越えていくといういかにも男の子が共感しやすく興味をひかれそうなところである。単なる偏見だと思いますが、私は冒険というのはある意味男性特有のものという考えを持ち続けている。なぜそう考えるかというと、私自身の少年時代の経験からで、私も友達も男の子はテレビや漫画のヒ−ロ−に憧れヒ−ロ−に近づきたいと思っていたし、トムみたいなやり方まではいかないまでもそれに近いようのことはしていた記憶がある。一方、私の周りの女の子は冒険というものにあまり興味を示していなかったからである。そういう意識が根強くあるっため、私自身は読んでいても白人男性中心の話の展開に何の疑問も抱かなかった。

マ−ク・トウェインは果たしてどう考えていたのだろうか?単なる性差別主義者なのであろうか?私はそうであるとは思わない。この作品を通して読んでみても、男性が社会的な優位性をもって女をひれ伏させている場面はほとんど見られないし、まして男性が女性に暴力を振るう場面もない。ただ、この小説が書かれた時代の実際の社会では、女性の地位は低く男性優位であるという考え方はあったに違いない。この作品で作者は、男女の平等性という観点というよりはむしろ、異質性という観点に立って男女の違いを述べているし、女性の強さや特有な役割を十二分に記していると感じる。作者の目はハックの目であり、バライティに富んだ女性の異質性を的確にとらえている。

ハックは様々の魅力を持った女性たちと出会っていく。その中でも、彼の心を完全に奪った女性はメアリ−・ジェ−ンである。彼女は超美人で優しい心をもってる。王様と公爵のペテンにもあっさりと引っかかってしまうし、人を疑うということをしようとしない純真さ、黒人の親子が引き裂かれたときの彼女の涙・心の優しさを持っていて、それでいて美麗を兼ね備えている。「そんな女性が絶対存在するはずがない」と読んだとき感じたし、メアリ−のような女性を現在の日本で捜すのは、ほぼ不可能に近いように思う。まあ、小説の世界なのでそんなことを言ってもしょうがないのですが、ハックやマ−ク・トウェインの理想の高さに少々驚きを感じた。

それから、私がおもしろいと感じたメアリ−らくないというか心の陰な部分というか、そういうところが、ハックが王様と公爵のペテンを暴露する場面で読み取れる。ハックがペテンのすべてを暴露したあとのメアリ−の言葉“The brute! Come--don't waste a minute--not a second--we'll have them tarred and feathered, and flug in the river ”(P199)である。メアリ−がどんな口調でいったかわからないけど、普段のメアリ−の声のト−ンではないのは確かであり、想像するにドスのきいた迫力のある声であったのではないかと思う。多分それを聞いたハックも「メアリ−からそんな声が出るなんて」と驚いたにちがいないと思う。どんなに心優しい女性であっても、怒りを露にするときの女性ほど男性にとって怖いものはないという女性特有のヒステリックをここであらわしているし、私たちが普段生活していて感じる、女性が電話に出る前と出たとき声のギャップにつうじるものがると思う。

メアリ−はハックやマ−ク・トウェインの恋人の理想像である。以下の英文はハックの彼女に対する想いのすべてが込められている部分である。

“Pray for me!I reckoned if she knowed me she'd take a job that was more nearer her size. But I bet she done it, just the same --she was just that kind.She had the grit to pray for Judus if she took the notion--there warn't no back-down to her, I judge. You may say what you want to, but in my opinion she had more sand in her than any girl I ever see;in my opinion she was just full of sand.It sounds like flattery, but it ain't no flattery.And when it comes to beauty --and goodness too--she lays over them all. I hain't ever seen her since that time that I see her go out of that door; no,I hain't ever seen her since; but I reckon I've thought of her a many and a many a million times, and of her saying she would prayfor me; and if ever I'd a thought it would do any good for me to pray for her,blamed if I wouldn't a done it or bust. ”(P202)

ハックは彼女を言いだした以上は一歩も引かない勇気・根性の持ち主であると讃えている。女性を形容する言葉というよりも男性を形容するような言葉のような気がした。ハックやマ−ク・トウェインの恋人像とうのは、女性の美しさだけではなく、男性に負けないくらいの勇気、心の強さを持った人物であると言うことができる。そういう意味では、メアリ−を登場させることの効果として、当時のアメリカで女性は男性よりも勇気や心の強さで劣っていることは決してなかったということを伝える狙いがある。少なくとも王様や公爵よりも勇気があって心の強い女性はたくさんいたに違いない。

一般家庭での女性の地位は一体どうであったのか。フェルプス家では、サリ−おばさんはしっかり者で口うるさく典型的なお母さんといった感じである。一方、サイラスおじさんはいかにも人のよさそうな人物である。地位関係を見ると、完全にサイラスおじさんがサリ−おばさんの尻に引かれていて、おばさんがおじさんをしかる場面が多々あったし、「おじさん頑張れ」と言いたくなるような場面がいくつかある。家事・育児・子供の教育やしつけなど家庭のほとんどのことを女性がするため、家庭内での女性の発言力というのは結構強かったのではないかと感じるし、家庭における男女の地位は案外フェルプル家と同様な家庭が多かったように思える。

ハックにとってサリ−おばさんは、母親のような存在であったように思う。以下の英文は、それをより印象的に感じた部分である。

And then when I went up to bed, she come up with me, and fetched her candle, and tucked me in, and mothered me so good I felt mean and like I couldn't look her in face.(P285)
And she was going away, she looked down in my eyes, so steady and gentle, and say:“The door ain't going to be locked, Tom ; and there're the window and the rod; but you'll be good, won't you? And you won't go? For my sake"(P286)

まるで本当の息子のようにベットへ寝かしつけ、心底彼らを心配してくれている。母親のいないハックとって彼女は、この冒険の中で初めて母親の愛を感じさせる人物であり、「母親ってこういう生き物なんだ」というのが理解できたにちがいない。ハックも心の中では彼女の気持ちに“And I wished I could do something for her, but I couldn't, only to swear that I wouldn't never do nothing to grieve her any more. ”(P286)とこたえている。この場面だけ見ると、本当の息子と母親のやりとりのようである。フェリプス家では、家事・育児そして家族を思う気持ちが誰よりも強いということなど家庭における母親の重要な役割を再認識させてくれる。

男性よりも女性のほうが優れている点は数多く存在する。その中でも特に優れていると思うのは嘘を見破る能力である。この小説でもハックが女性に嘘を見抜かれたり、疑いをもたれたという場面いくつかある。ハックの嘘を見破ったのは、イリノイ州南部の町のはずれのちっぽけな小屋に住んでいる40歳くらいの女性である。ハックの女装姿自体が人を騙すというレベルまで達していない点で、ばれてしまう原因になったところもあるが、人を見るときの観察力・洞察力、特に男性のつく嘘に対してのその能力というのは凄まじいものがある。私人の経験からいっても女性についた嘘の中で、ばれること無くすんでいるのはほとんどない。私の場合、たいてい嘘をついた時点で御用となっている。

“You do a girl tolerable poor, but you might fool men, maybe.”(P72) この文は、その女性がハックの嘘を見破ったときに言ったことである。私はこの文が大変印象に残っている。場面の状況と文意から考えるとハックの女性の演技が下手でも、普段女性のしぐさをしない男性ならば騙せるかもしれないと解釈できるが、本当は男性の嘘の拙さと同時に男性の嘘に対する鈍感さをここで言いたかったのではないかと思う。それだけ、男女間における嘘とうものが男性と女性の異質性を明らかにしていた。 

作者は女性から感じ取れる多くの性質をそれぞれの登場人物で表現している。それは男性に負けないくらいの勇気・心の強さであり、母親特有の誰にも負けない家族に対する想い、男性の嘘を見破る能力、時々みせるヒステリックな部分であり、それらのどれをとっても私には魅力的に感じた。“Well that is a question, I must say; and just like women! Why, I wanted the adventure of it; and I'd a waded neck-deep in blood to goddness alive”(P292)というトムの言葉がある。「女性は冒険というものを理解できない」と言っている。私も同意見であるが、女性はそれでいいと思う。別に差別をしているわけではなく、女性は自由気ままに生きる男性をコントロ−ルし、男性を支えているという重要な役割を担っている点で、男性との役割の違いがある。マ−ク・トウェインも決して性差別主義者ではなく、本質的に男性と女性は異なった存在であると考えていると思う。スト−リ−の流れから見れば白人男性中心なのは確かだが、様々な女性の魅力を登場人物に埋め込ませていて、読者がその魅力を存分に味わえている。

最後に、男とは何かについて語りたいと思います。テレビである人が言っていたのですが「男は猟犬である」、まさにこれだと思います。鎖を付けられている犬はたいした獲物は捕ることができない、しかし鎖を付けられていない猟犬は大変価値のある獲物を捕ってくることができる。男を大きくするには、鎖を付けず冒険させることだと私は思う。


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