Seminar Paper 99

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Yu Igarashi

First Created on December 31, 1999
Last revised on January 17, 2000

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「Adventures of Huckleberry Finnにおける黒人問題」
トウェインの黒人観

この小説は子どものための冒険小説という形をとっているが、実際はアメリカ社会が内包するさまざまな問題を浮き彫りにした、大人が読んでも十分耐えうる、と言うより大人のための本格小説といえるだろう。大まかなあらすじは次のとおりである。「トム・ソーヤの冒険」の最後のところでトムとハックが洞窟に隠しておいた盗賊の金貨を発見し、それを6000ドルずつ分けハックは大金持ちになり、ダグラス未亡人の養子になるが、いつも家の中にいるのはつらいことで、ハックは未亡人の家を逃げ出す。しかし、トムの作った盗賊団の組織に加わりたくてまた未亡人の家に戻ってきた。そこへ、一年以上も姿を消していたハックの父親がある晩突然ハックの部屋に現れる。ハックが大金持ちになったのを知り、金をせびりに来たのだ。しかし、その金がサッチャー判事に預けられているのを知るとハックを捕まえて、丸太小屋に監禁してしまう。ハックは父親が丸太を街に売りに行ったすきにそこを逃げ出しカヌーでジャクソン島へ行く。そこで以前ワトソンの元で働いていたジムに再会する。ジムは売り飛ばされるのを恐れ逃げてきたのだ。そのあと二人は筏で自由州のケイロを目指す,$,?<$$ 霧のせいでケイロを見失ってしまう。そしてミシシッピ河をさらに下るが途中出会った王様と公爵にジムを売られてしまう。しかしハックはトムの助けを借りてジムを救い出す。ところが実はその二カ月前にミス・ワトソンは遺言でジムを解放すると決めていたのだ。そしてとうとうジムは自由になり、ハックはインディアンの居留地へ向かうことにするのだ。

さて、Adventures of huckleberry finnの中にはジムをはじめとする多くの黒人たちのありさまが描かれている。作者はいったいどのような意図をもってこれらの黒人たちの話を書いたのか。また、トウェインの黒人観はどのようなものであったのかを、本作品の中での黒人たちの扱われ方を通して考えてみたいと思う。

トウェインの黒人観を論じる前に、本作品の主人公であるハックの黒人観はどうであったのかを考えてみたい。ハックも一般の白人同様、黒人は家畜同然の存在であり、人間として扱う必要はないという考えを無意識のうちに認めている。ジムを取り戻すためフェルプス農園へ行き、そこでトム・ソーヤと間違われたハックは遅れてついた理由を問われると、シリンダー・ヘッドが吹き飛んで船が遅れたと説明するが、その後次のような会話が続く。

  "Good gracious! Anybody hurt?" "No'm. Killed a nigger." "Well,it's lucky;because sometimes people do get hurt.…"

そのほか、ケイロを目前にしてジムが興奮のあまり、自分の子どもを盗んででも取り戻したいと言うのを見て、""It was according to the old saying,"give a nigger an inch and he'll take an ell.""(p.230)と言ったり、作品全体を通して"nigger"という蔑称を無神経に使うなど、明らかに黒人に対する偏見に強くむしばまれているのがわかる。 では、このような主人公を描くトウェイン(またはハック自身)は人種差別主義者といってよいのだろうか。 その前にまず人種差別主義者とはどのような者のことをいうのか定義してみたいと思う。辞書的にいうと「人種的偏見によってある人種を社会的に差別することを支持するもの」というのがその定義であるといえよう。この定義をこの作品の内容、というか当時のアメリカの社会慣習に照らし合わせてみると、次のように言いかえることができる。「黒人は自分たち白人のような人間性を備えておらず(と白人たちが思っているだけだが)、それゆえに社会的に異なった扱い、つまり不当な扱いをしてもよい」。そうすると、先ほど述べたハックのもつ偏見はもちろん、他の白人登場人物たちも黒人に対し偏見をもち、差別をしている。よってこういう描写をするトウェインは人種差別主義者である、と結論づけてしまいそうだが、問題がある。それは他の白人の登場人物はともかく、ハックは黒人が白人より劣っているから、または白人と同じような人間性を備えていないからという理由で差別的な発言や行動をとっているのではないということである。恐らく当時の社会慣習で、一般の奴隷所有者たちが黒人を家畜同然のように扱い、差別するのが当たり前だったので、それが主流の考え方だっ,$?$N$G 、ハックも自然と黒人に対する偏見や差別を身につけたのだと考える。そうでなければ、奴隷を所有するとかそんな階級ではない浮浪児のハックがそういった考えをもつことには無理があったであろう。そしてまた、ハックはジムに関してだけは人間性を認めるようになる。例えば、ジムが遠く離れた妻と子どもたちのことを考えてホームシックにかかっている場面では、"I do believe he cared just as much for his people as white folks does for theirn.It don't seem natural,but I reckon it's so."(p.170)と述べているように、黒人であるジムにも自分たち白人と同じような心情があるのではないかと考え始める。そして31章では王様に売られてしまったジムを取り戻すということで良心との葛藤に悩みながらも、ジムのやさしさや素晴らしい人柄が頭に次々と浮かび、ついに"All right,then I'll go to hell"(p.223)とジムを救出する決意を固める。これこそが、ハックがジムに完全に人間性を認めた場面といえるだろう。このハック少年の人間的な成長が本作品の主要なテーマの一つであることは間違いない。そしてこのハック少年のような者は人種差別主義者とはいえない。しかるに、この作品の作者であるトウェイン自身もやはり人種差別主義メとはいえないのである。なぜならトウェインは自分がもっているアメリカ社会に対する疑問を作品に投影し、主人公のハック少年に自分が正しいと思うことを遂行させるためにこの作品を書いたはずであるからだ。

ところで、ここで気になるのは、ではトウェインは奴隷制度廃止論者だったのか、ということだ。トウェインは本作品で明らかに奴隷制度の非人間性を世の中に問おうとした。しかし、もし奴隷制度を廃止したいという意図をもっていたとすると、そのわりには、はっきりとした奴隷制度の批判をしていないように見える。もしもっと明確に奴隷制度の非人間性を主張したかったのなら、31章で物語を終わらせるべきであったと考える。なぜならその後のトムが登場して、遊び的な冒険が始まると、それまでの雰囲気とはガラッとかわり、読み終えたときに、その主張はまるでオブラートで包んだかのようにあいまいになってしまう。当然主要なテーマが黒人問題だけの物語ではないので、仕方ないといえば仕方ないが、トウェインはあえてあからさまな批判を避けたように思う。その他にも、こういった主張が教育を受けたことのない浮浪少年によるものであるかもしれないという弁解、逃げ道を作っているのである。どうも堂々と奴隷制度を非難することは、ハックのいうところの、"a low down Ablitionist"(p.55)と蔑まれてしまうのでトウェインはそれを恐れているようにも見える。奴隷制度廃止論者というほどのものではなかったのだろう。 話を戻すが、先程の理由でトウェインは人種差別主義者ではないと述べたが、ではなぜトウェインは本作品の中でこれほど黒人に対し侮蔑的な描写を用いたのであろうか。その理由としてはまずリアリティ追求するため、ということがいえるだろう。この作品の興味深い点の一つに当時のアメリカの社会、思想、環境などについて非常に多くそして正確であると思われる情報を与えてくれる、ということがあげられる。リアリティがなければ作品として面白くないのはもちろん、多くの読者に読まれることもなく、彼の主張は多くの人に影響を与えることもなかっただろう。侮蔑的な表現を使ったのはこういった理由でリアリティを持たせるためだったといえよう。 さて、ではここまでの結論も含めてトウェインの黒人観についてまとめてみたい。この作品からわかることは、彼は黒人に同情しているということである。人間性を持ち合わせているにもかかわらず、人として扱われることのない黒人たちは哀れとしかいいようがない。そのことを読者に気づかせるために、ハックが黒人であるジムの中に人間性を見つけるという話を書いたのだろう。そしてその他にも、黒人がいかに白人に迫害されているかのエピソードを挙げたのだろう。例えば王様と公爵がウィルクス兄弟になりすまして黒人奴隷の家族を売り払ってしまう場面では、

   So the next day after the funeral ,along about noontime , the girls'joy got the first jolt : a couple of nigger traders comr along ,and the king sold them the niggers rea- sonable , for three-day drafts as they called it , and away they went -the two sons up the river to Memphis , and their mother down the river Orleans .I thought them poor girls and them niggers would break their hearts for grief ; they cried around each , and took on so it most made me down sick to see it . The girls said they hadn't ever dreamed of seeing the family separated or sold away from the town . I can't ever get it out of my memory , the sight of them poor miserable girls and niggers hanging around each other's necks and crying(p.195)
と、当時の人身売買の悲惨さが描写されている。また、金銭の問題に関しても白人と黒人の差がいかにあったかを示唆する記述がいくつかある。まず、ハックとジムがジャクソン島で再会した後、ハックがジムに幸運の前兆を教えてもらって、ジムが腕と胸が毛深いと金持ちになるといった後、次のように会話が続く。
"Have you got hairy arms and a hairy breast , Jim?" "What's de use to ax dat question? Don' you see I has ?" "Well , are you rich? " "No , but I ben rich wunst , and gwyne to be rich again . Wunst I had foteen dollars ……"(p.57)

ここでジムはたった14ドルもっていただけで金持ちだったといっている。そしてもう一つ、ハックがグレジャーフォード家にいたとき、それまではぐれていたジムに再会し、筏が無事なのを知り、どうやってその筏を捕まえたのかとたずねると、

   "How I gwyne to ketch her , en I out in de woods? No , some er de niggers foun' her ketched on a snag , along heah in de ben' , en dey hid her in a crick , 'mongst de willows , en dey wuz so much jawin' 'bout which un 'um she b'long to de mos' , dat I come to heah 'bout it pooty soon , so I ups en settles de trouble by tellin' 'um she do not b'long to none uv um , but to you en me ; en I ast 'm if dey gwyne to grab a you- ng white genlman's propaty , en git a hid'n for it? Den I gin 'm ten cents apiece , en dey 'uz mighty well satisfied, en wisht some mo' raf's 'ud come along en make 'm rich agin . Dey's mighty good to me , dese niggers is , en whatever I wants 'm to do fur me , I doan' have to ast 'm twice , honey .Dat Jack's a good nigger , en pooty smart ."(pp.131-132)
と、今度はわずか10セントで黒人たちが喜んでいる。いくら当時と今では貨幣の価値が違うといっても14ドルで金持ちといったり、10セントで大喜びする様子を見ていると、いかに低賃金(というかほとんどないに等しい)で労働していたかがよくわかる。そこへハックの財産の6000ドルやウィルクス家の遺産6000ドルなどの描写があるので、余計にその差が際立っているように見える。そしてこれらの黒人に関する話は一見滑稽に描かれているが、実際は深刻な問題なのだとトウェインは考えていたのではなかろうか。しかし、先程も述べた通り、正面切ってこれらのことを取り上げ、当時の社会体制を批判したりすると、国民の反感を買うことは必至なので、滑稽さというオブラートで包んで、そっと問題の重大さに気づいてくれる読者を期待していたのかもしれないと私は考える。トウェインの基本的なスタンスは奴隷制、人種差別の批判なのである。  最後に。ハックとジムが霧の中ではぐれ、ようやく再会し、ハックは濃霧はすべてジムの夢だったといって彼をだました。ジムは一度だまされるが筏の上の折れたオールや打ち上げられたゴミから、ハックにかつがれたことに気づく。濃霧の中で、ハックの身の安全を心配していたジムは、ハックの冗談に怒りをぶつける。その結果ハックは自分をたまらなく下劣に感じ、"nigger"のところに謝りに行くことに決める。"It was fifteen minnutes before I could work myself up to go and humble myself to a nigger -but I done it , and I warn't ever sorry for it afterwards , neither."(p.95) 当時、家畜同然に扱われていた黒人に白人が謝ることなど考えられなかったはずだ。この場面の描写の裏には、トウェインの黒人に対するすまないという気持ちがあったような気がしてならない。


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