Seminar Paper 99

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RIE MURASE

First Created on December 31, 1999
Last revised on January 17, 2000

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Adventures of Huckleberry Finnの自然観・人間観」
文明社会における自己探求

 

近代で自然とはどこまでが自然と呼ぶことができるのだろうか?人間の手の入っていない未開の地とは今の地球上にそうたくさんは残ってないだろう。  

地球という星の誕生から今までの長い長い年月の中で、人間は地球にとってはつい最近誕生したばかりの生物なのにもかかわらず、急速に発達し、文明という怪物を作り上げてきた。そしてその怪物は、人間の生活をより便利にし、より高度なものへと変える力を持っているが、同時に社会というものを生み出し、その中での秩序、規範尾も生み出してきたのである。  

その文明社会に果敢に立ち向かった少年がいる。それがこの物語の主人公ハックである。  

ハックはダグラス未亡人のもとで、上流階級としての知識と教養を身につけることを強要される。読み書きができるように、学校へ行くように、神への祈りを怠らないように、毎日厳しく言われる。そんな窮屈な日常を送っているハックの元へ突然父親が帰ってくる。

この父親は、飲んだくれで、社会からのはみ出し物で、自分とは正反対の上流階級の人々へ激しい嫌悪感を抱いている。彼は突然ハックをダグラス夫人の元から連れ去り、ハックを半ば監禁してしまう。ハックは父親の元での暮らしを最初は、

I didn't want to go back no more. I had stopped cussing, because the widow didn't like it; but now I took it again because pap hadn't no objections. It was pretty good times up in the woods there, take it all around.(p.37)
未亡人との窮屈な生活からの開放を喜ぶハックだが、次第に父親の暴力が激しくなり、それに絶えられなくなったハックは逃げ出すこととなる。「自分自身の自由」への旅の始まりである。  

ハックはカヌーに乗りミシシッピを下る。そしてジャクソン島の中州で、ミスワトソンの所有しているはずの黒人奴隷ジムと出会うのである。南部に売り飛ばされそうになり、逃げてきたとハックに告白するジム。当時の白人優位の社会では、逃亡奴隷を見つけたら即刻知らせるのが常識の世の中であるが、ジムに対してもともと好意を持っているハックは、素直に主人の引き渡す気になれず、"I ain't agoing to tell, and I ain't agoing back there anyways. So now , le's know all about it." (p. 55) と、ジムの逃亡を黙認する。ここでのハックは、あくまでもジム自身のためというよりは、むしろ自分が未亡人のところに帰りたくないという気持ちが強いのである。  しかし、ジムの追っ手が近くまできていることを知ったハックは、ジムにむかってこう叫ぶ。"Git up and hump yourself,Jim! There ain't a minute to lose. They're after us!" (p. 72) この瞬間からジムはハックにとっての相棒になるのである。  

また同時に忘れてならないのが、この二人の逃避行には根本的な違いがあることである。ハックは社会的身分が保証されている子供の、ある意味わがままともとれる行動なのに対し、ジムにとっては身分という社会制度からの命がけの逃亡である。つかまったら最後もっと過酷な社会的制裁が待ち受けているのである。  

このまったく自分とは立場の違う相手との逃亡を通して、ハックは本当の意味での自由とは何なのかをこれから学んでいくこととなるのである。  

ハックは、この冒険の前半部分では大変受動的な少年である。事勿れ主義ともとれるほど進んで自ら行動しようとはしないのである。

例えば、自分を王様だ、伯爵だと名乗る、明らかにペテン師だとわかる二人ずれが、ハックとジムの安息の地であるいかだの上を占領してしまっても、  

It didn't take me long to make up my mind that these liars warn't no kings nor dukes, at just low-down humbugs and frauds. But I never said nothing, never let on; kept it to myself; it's the best way; then you don't have no quarrels, and don't get into no trouble. If they wanted us to call them kings and dukes, I hadn't no objections, as long as it would keep peace in the family;(p.142)
 

ペテン師たちに、はむかったり、追い出そうとする努力の意思がまったく感じられないのがわかる。また王様が次々と犯す詐欺計画に対しても"and the king he allowed he would drop over to t'other village, without any plan, but just trust in Providence to lead him the profitable way meaning the devil, I reckon."(p. 172) 王様たちがすることは悪魔の導きだとしながらも、それらに反抗しようとはしない。  

また、王様が金を騙し取るために、ピーター・ウィクルスの兄になりすまし、人々をだます計画をハックは察知しながらも、" I see what he was up to; but I never said nothing, of course."(p. 175) と敢えてかかわろうとしない。  

しかし、ハックは一方で、王様が兄になりすまし、村の人々と再会を喜び抱き合っている光景を、  

Well, the men gethered around, and sympathized with them, and said all sorts of kind things to them, and carried their carpet bags up the hill for them,and let them and cry, and told the king all about his brother's last moments, and the king he told it all over again on his hands to the duke, and both of them took on about that dead tanner like they'd lost the twelve disciples. Well, if ever I struck anything like it, I'm a nigger. It was enough to make a body ashamed of the human race.(p.175)
と、ひどく嫌悪しているのである。  

そんなハックだが、自ら行動することになる。それは、兔口がハックを偽者ではないかと疑い、ハックがうそをついていると責め立て、ハックが答えに窮してしまったときのことである。メアリー・ジェーンが兔口の糾弾からハックをこう言って救ってくれるのである。

"It don't make no difference what he said that ain't the thing. The thing is for you to treat him kind, and not be saying things to make him remember he ain't in his own country and amongst his own folks."
 

この言葉がハックを動かすのである。もともとメアリー・ジェーンに大変好意をよせていたのもあり、こう決意する。  

I say to myself, This is another one that I'm letting him rob her of her money. And when she got through, they all jest laid theirselves out to make me feel at home and know I was among friends. I felt so ornery and low down and mean, that I says to myself, My minds made up; I'll hive that money for them or bust.(p. 188)
 

これは、ハックがいかだの生活をはじめてからはじめて自らの意思で、正しいと思うことを実行しようとする瞬間である。 このはじめて自らとった行動が、次のこの冒険の中で山ともなる次なる決意へのステップになるのである。  

村人たちに王様と伯爵のペテンがばれ、ようやく彼らから解放されるたと思っていたハックだが、運悪く二人は村人たちから逃げおおせ、再びいかだに戻ってくる。そしてこともあろうに、お金欲しさにジムを売り飛ばしてしまうのである。  

ハックは途方にくれ、そして苦悩する。社会の中では多少はみ出し物的存在のハックであるが、未亡人の元でそれなりの教育を受け、白人として文明化されて、白人社会での常識も見についている。彼にとってジムを助けることは、白人社会にそむくことになる。" Huck Finn helped a nigger to get his freedom; and if I was to ever see anybody from that town again, I'd be ready to get down and lick his boots for shame."(p.222) ハックは、ジムを助けることがどれだけ恥じな好意か認識し、神をも背く行為だとわかりながらも、一方でジムを奴隷に戻してしまう気になれず、こう思う。

I would do the right thing and the clean thing, and go and write to that nigger's owner and tell where he was ; but deep down in me I knowed it was a lie and He knowed it. You can't pray a lie I found that out.(p.222)

 ハックの中での文明化された良心と自分の心の中にある本物の良心とが戦っているのが、ここで伺える。黒人奴隷を助けることは、大変重い罪だという常識が自分の心から取り去れきれないハックは、妥協案としてミス・ワトソンに手紙を書くが心のもやは消えない。そしてジムとの楽しかったいかだでの生活が蘇ってくる。

And got to thinking over our trip down the river; and I see Jim before me, all the time, in the day, and in the night -time, sometimes moonlight, sometimes storms, and we a floating along, talking and singing, and laughing.(p.222)

そしてついにハックの南部社会の人間としての部分よりも、生まれたままの人間性が勝るのである。"All right , then I'll go to hell"――and tore it up.(p.223) とハックは決意し、ジムを助けることを決意する。この決意をすることによってハックは南部社会から解放され自分だけの「自由」を手に入れる。これは同時に社会を捨て、神をも捨てるという皮肉が含まれているのである。  

その後、この冒険は一変する。トム・ソーヤーの登場し、ハックはトムの滅茶苦茶なジム救出作戦に付き合わされる羽目となる。  

このジムの救出劇は、ハックがジムを助けると決意する場面までの物語とはまったく異なる内容である。後半はただ読者の笑いを誘う場面が多く緊張感に欠けている。しかしトムとハックを対比させてみると、トムは、本の真似事がしたくてしょうがない、表面的には、社会に、大人に反抗しようとしているが、結局のところ、社会の規範から抜けられない、抜ける意思のさほど強くない少年である。、それに対し、ハックはジムという奴隷と共に旅したこと、逃亡奴隷という社会のルールに逆らったものの味方になるという行為を決意したことによって、自分だけの、自分の心の奥底にある本物のの良心に従い、自らの自由を確立し、より強く成長できたのである。  

ハックは最後に"But I reckon I got to light out for the Territory ahead of the rest , because aunt Sally she's going to adopt me and sivilize me and I can't stand it. I been there before."(p.296) とハックはジムとの旅で成長したにもかかわらず、文明社会での生活を拒否し、ふりだしに戻るような言葉を残すが、この言葉は、ただ父親の元を抜け出したくて、藪からに抜け出してきた冒頭とは違うと信じたい。  

人間がこの世で生きていくためには、社会を作り、文明を発達させていかなければならない。それは人間が進化していく過程には当然の行為なのだろう。だからこそ、ここで作者がハックという少年の冒険を通して読者に語りかけたかったのは、単なる文明社会への批判でも、自然の賛美でもなく、人間という生き物が生きていく上で、文明と自然という相反するものの間で、いかに自己を発見し、自分自身の、社会にとらわれない自由、そして価値観を見つけていくのか。それらを探求する努力を人間が怠ってはいけないこと、探求した者だけが、真の意味での自分の場所を見つけることができるの、と語りかけているように思えてしょうがないのである。


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